いしなお@日記
1998年9月


1998年9月25日午後6時 つづかない話 第1話

 ぼくは小さく溜め息をつくと、チェーンロックを外し、薄っぺらいアパートのドアを開けました。薄暗い街灯を背中に浴びた彼女は、暗闇にその表情を沈め、アパートの廊下に立っていました。
「はいりなよ」
 しばらく待っても彼女が動こうとしないので、ぼくはあきらめてそう声をかけました。彼女はその言葉を聞いてようやくのろのろと動き出しました。
 部屋の明かりが届くところまで彼女が近づいたとき、ぼくは初めて彼女の表情を確認することができました。彼女はその唇にうっすらと、いやらしい笑みのあとを残していました。もちろん、実際に彼女がそのような表情をしていたのではないでしょう。ぼくの目が、脳が、彼女の顔にそのような表情を重ね合わせてしまったのです。
 そして、そのことに気づいているぼくと、そのことに気づいているのかどうかわからないし、もしかしたらまだそれ以前のところでとどまっているのかもしれない彼女との間には、もう修復不可能な溝ができてしまっているのです。
 自分で自分がしていることの愚かしさに気づきながらも、その行動を止められないとき、ぼくは自分がおとなになったんだなぁと漠然と思いました。その“おとな”という言葉の意味は、自分の中にある第一義的なものではなく、どこかひねくれた逆説的な意味を持っていました……。

1998年9月25日午後7時半 つづかない話 第2話

 ぼくが左手の中指を失ったのは、小学校一年生のときだった。
 そのころ住んでいた家の裏には小さな山があった。そして、そこには粗大ゴミがたくさん不法投棄されている斜面があった。ぼくらはその小山を舞台に、鬼ごっこ、かくれんぼ、缶けり……などさまざまな遊びをし、そして“探検”と称して不法投棄されたゴミの山をあさった。
 もちろん、それは親には内緒の遊びだった。
 そのゴミの山については、近くに住む大人たちの間で問題になっていたらしく、ぼくたちは親から「あそこで遊んではいけません」と言われていた。にもかかわらず、以前ゴミの山で遊んでいるのを母に見つかり、こっぴどくしかられたことがあったぼくらは、それ以降“探検”の前に“秘密”という二文字を付け加え、以前にも増して頻繁にゴミの山で遊ぶようになった。
 そんなある日のことだった。ぼくはいつものようにともだちと、壊れた冷蔵庫やら古臭い型のテレビやら錆び錆びになったナンバーのない車やらの間で遊んでいた。そして、ともだちとふざけて追いかけっこをしているときに、ちょっとバランスを崩してゴミの山に左手をついてしまった。
 ちくっとした、ほんのわずかな痛みだった。
 そんなに痛くもなかったのに反射的に「いてっ!」と言って手を引いたぼくは、左手を見てみた。中指の第一関節あたりに小さな血の粒があった。その粒は見る見るうちに表面張力の限界を超えて大きくなると、指の付け根に向かって真っ赤な筋となってこぼれ落ちた。
 「どうした?」「だいじょうぶ?」などと言いながら、ともだちが近寄ってきた。ぼくは「だいじょぶだいじょぶ」などと言いながら、中指の傷口を口に含んだ。血の味が口の中に広がり、ぼくにちょっと前に奥歯を抜いたときのことを思い出させた。結局すぐに血は止まり、ぼくはそのまま普段通り遊んでから日が暮れる頃に家に帰った。

1998年9月25日午後8時半 つづかない話 第3話

 日曜日の朝、彼女はひどい頭痛とともに目を覚ました。そして、部屋の掃除を始めた。
 二日酔いの休日は、掃除や洗濯などの体を使った単純作業で乗り切るというのが、彼女の生活の知恵だった。もう十年以上つづいている一人暮らしは、彼女に彼女なりのさまざまな生活様式を身につけさせていた。
 もともと彼女はかなりアルコールには強い。かなり飲んでもそれほどひどく酔っぱらうことはない。しかし、そのため時々限度を超えて飲んでしまうことがある。昨日もそうだったらしい。飲み始めた最初の頃の記憶は残っているが、どうやって家に帰り着いたのかさっぱり覚えていないのだ。
 しかし、昨日着ていた洋服はちゃんとハンガーに掛けてあるし、起きたときにはパジャマ姿で自分の部屋のベッドの上にいたのだから、それほどひどいことになったわけではなさそうだった。少なくとも見知らぬホテルのベッドの上で、見知らぬ男に腕枕をされながら目を覚ましたわけではない。単に記憶が抜け落ちているだけのようだった。
 昨日は、久しぶりに短大時代の友人と飲んだいたのだ。数年前までは、仲の良かったグループ数人で、よく集まっては騒いでいた。しかし、そのうち仲間たちが一人、また一人と結婚していくと、自然と会う回数が減っていった。
 そんな中、久しぶりに彼女の元に、その頃の友達の一人から連絡があったのだ。「週末飲まない?」との誘いに乗った彼女は、昔よく行った店で待ち合わせると、「ひさしぶり〜」「あんた変わったねー」「あなたは変わってないわね〜」「え〜、変わったわよーっ」などというやりとりをかわし、そしてそれはいつしか微妙なお年頃の働く独身女性代表二名による大愚痴大会へと変わっていた。

1998年9月25日午後9時 ただそれだけのメモ

 「はなじがでた」→《変換》→「花時が出た」→《削除》→「はなぢがでた」→《変換》→「鼻血が出た」。

1998年9月26日午前2時半 つづかない話 第4話

 彼女はついに泣き出してしまった。しかし、それでもぼくは彼女の方を向こうともしなかった。彼女に背中を向けたまま、じっとテレビの画面を見つめていた。
 そこでは、誰とも知らない芸人が、誰とも知らないアイドルを相手に、なんでもないバカ話をしては一人で笑っていた。まるで何かに追いつめられてでもいるかのように、彼は笑っていた。おそらくそのように大声で笑うことで、ようやく彼のアイデンティティは保たれているのだろう。笑いながらも、その黒目の部分だけが何かを探すように落ち着きなく動いていた。
 その神経症的な笑い声が不愉快だったから、ぼくは彼女を許すことができなかったのだ。もちろん、これは詭弁だ。

1998年9月26日午前3時半 つづかない話 第5話

 老人は追いつめられていた。
 冬の寒さは厳しく、自転車で走っていると体感気温はさらに下がっていった。しかし、その自転車は地元の駅前で鍵を壊して盗んだものだったので、ゆっくり走らせる気にはなれなかった。
 気がつくと隣の隣の駅までたどり着いていた。先ほど、盗んだ自転車で知らずにその前を通りかかってしまった交番から、老人を怪しんだ警察官が追いかけてくるのでは、という恐れが、交番から1キロ以上離れた今でも老人の体をこわばらせていた。振り返ると怪しまれるのではと思い、一度も後ろを振り返ってみなかった老人は、いまだ追われていないことに確信を持てていなかったのだ。
 駅前の人混みに紛れ込み、ようやく後ろを振り返る勇気を得た老人は、振り返った眼前に広がる見知らぬ街の風景に、彼を追う警察官の制服が見あたらないことを確認すると、ようやく肩の力を抜いた。
 とたんに、少しの間忘れていた寒さがぶり返してきた。老人は骨の芯まで突き通す寒さに、ぶるぶるっと体をふるわせた。
 もう何年も着ている薄いうわっぱりの代わりとなる、もっと暖かい冬用の上着が欲しかった。いや、必要だった。

1998年9月26日午後6時半 つづかない話 第6話

 一晩寝て起きると、左手の中指は傷口からどす黒い赤紫色に変色し、普段の倍ほどにも腫れ上がっていた。もはや昨晩のように、手のひらに中指を握り込んで隠すことはできなかった。
 それでもぼくは朝御飯のときには、そのことをうまく気づかれないようにこなした。人差し指と薬指を、中指の異常が隠れるように、中指に半分重なる位置に固定しておき、さらには行儀が悪いとしかられながらも、食事中も左手だけはできるだけテーブルの下に隠すように膝の上に置いておいた。
 なんとか朝御飯を食べ終えたぼくは、ランドセルをつかむと「いってきまーす」と玄関を飛び出した。一歩足をアスファルトにつく度に、その振動が体中に響いた。痛いというのではなかった。なんだか全身の感覚がおかしくなっている。
 相変わらず熱っぽいためか、その奇妙な感覚がやけに楽しく思われた。心臓の鼓動は左手の中指で増幅され、全身をふるわせながら耳の奥で反響する。ぼくはその鼓動にあわせるように歩を進め、アスファルトの反射がさらに新たな振動として、鼓動に重なっていく。
 その奇妙なリズムはぼくの心を不思議な高揚感へと押し流していった。ぼくはまるで半分夢の中にいるような気持ちのまま、学校へと向かった。

1998年9月26日午後7時 ただそれだけのメモ

 お腹が空いた。腹が減った。空腹だ。お腹が鳴っている。今日はまだご飯を食べていない。腹減った。食べ物が欲しい。何か食べたい。空腹中枢が刺激されている。胃の中が空っぽだ。らーはーがたっへ。血液が薄くなっている。胃が収縮しつつある。

1998年9月26日午後9時半 つづかない話 第7話

 あなたは横目でわたしを見つめている。わたしはそのことに気づいている。ほほが赤くなる。そのことに気づいたわたしは、ますますほほを赤らめる。
 二人きりの部屋は、奇妙に静まり返っている。静かすぎてうるさいくらい、静まり返っている。わたしは自分の肌が、膝の上で組んだ指先までも紅潮してくるのを感じる。
 あなたがかすかに体を動かす。その衣擦れがやけにはっきりと聞こえる。わたしは息を止め、しばらくして思い出したようにゆっくりと息を吐く。
 抱いて欲しい。もちろんそんなことは言えない。涙が出そうになったわたしは、顔を上に向ける。じんわりたまった涙で天井の模様がにじむ。思い通りにならない自分の心がもどかしい。
 ようやく訪れた二人称の世界なのに。どうしてこんなにも居心地が悪いのだろう。

1998年9月27日午前0時半 日記のようなもの

 雨が降っている。ときどきやんでいる。そして、降っている。
 傘は嫌いだ。でも、お腹は空いたし、部屋に食べるものは置いてないから、外に食べにいくしかない。コンビニで買って食べるのは夜中になってからでいい。店が開いている時間くらい、もうちょっとまともなものを食べたい。
 駅前の紀ノ国屋で本を5、6冊まとめ買いし、同じ建物の2Fの店でご飯とビールを頼み、のんびり本を読みながら食事をする。ここ最近、土日用事がないときは同じような行動をしている。煮込みハンバーグのトマトスープには中毒性がある。
 食事が終わり外に出ると、まだ雨が降っていた。それほど強い雨ではないが、小雨と言うにはちょっと雨粒が大きい。でも、建物から出るときに、傘入れのビニール袋を外すのが億劫だった。
 東京の雨は汚い。大学入試ではじめて東京に出てきたときに、そう思った。雨に濡れた肌が痒くてたまらなかった。でも、今はそう思わない。雨に濡れて歩いても、どこも痒くなんかならない。
 だから、帰りは傘を差さずに濡れて帰った。

1998年9月27日午前1時 つづかない話 第8話

 ゆっくり息をため、吐き出す。プレート脇の穴を気にしながら、右足の位置を定める。グローブの中で人差し指と中指をボールの縫い目にかける。
 ボールの握りはピッチャーによって異なる。わたしの場合は指の先端に軽く縫い目をかけ、人差し指と中指にバランスよく半分ずつ力が加わる感じを好む。これは少し速い球を投げたい場合の握りだ。コントロールが荒れているときは、もうちょっと握りを深くすることもある。
 握りのフィット感は重要だ。握りに違和感があるときは、必ず満足いくまでボールを握りなおした方がいい。中途半端な握りは中途半端な球を生み出すだけだ。
 握りが定まったところで、キャッチャーを確認する。キャッチャーは真ん中低めに構えていた。わたしが一番投げやすいところだ。わたしがどこも狙わずに投げた球は、自動的にあのあたりにいくようにできている。
 ワインドアップはしない。軽く左足をあげると右足一本に体重を預ける。そのまま一瞬静止するのがわたしの癖だ。そして、ゆっくりと踏み出しながら、体重を前方へと落としていく。
 右手の運動は、かなり複雑だ。いったん地面に垂直に垂らした状態から、螺旋を描くように手首と肘をひねりながら、肩の上まで回していく。そして、肘を先行させることを意識しながら、腕を振り下ろす。以前肘を壊して以来、全力投球をすると肘が痛むため、七分から八分の力に加減するようにしている。
 ピッチングモーションの間は、一度もキャッチャーの方は見ない。見たところでどうにもならない。あとは普段のピッチングの感覚を忠実に再現するだけだ。コントロールは球を離す瞬間の指先の感覚だけで調整する。
 球離れはきれいにいった。ただし腕全体の振れ具合は、今一つといったところだった。回転はいいがそれほどのびはないはずだ。
 それでもきっちり最後まで腕を振りきることを意識すると、わたしはようやくボールの行く先を見た。

1998年9月27日午前4時 読者に対する語りかけ

 ウォンバットを飼おうと思っている。ハムスターを飼おうかと思うと知り合いに告げたら、ウォンバットの方が面白いと言われたのだ。しかし、本当にウォンバットが飼えるのかどうかわからないし、どこで売っているのかわからないし、いくらで売っているのかもわからない。
 誰かウォンバットについて詳しい人はいませんか? 世田谷、渋谷近辺で売っている場所を知りませんか?

1998年9月27日午後5時半 つづかない話 第9話

 思い切って抱きしめてみた。ぎゅっと力を加えた。彼女は苦痛の声を上げた。ぼくは腕の力を緩めた。彼女は体をよじらせるようにしてぼくの腕から逃れた。そのままぼくの方を振り向きもせずに歩み去っていく。
「なな」
 ぼくの声に一瞬足を止め、耳をそばだてる気配。しかし、結局彼女は振り返りもせずにそのまま部屋を出ていった。
「また、振られたわね」
 いつの間にかあきがぼくの後ろに立っていた。ぼくがソファに座ると、彼女はその隣に腰を下ろした。
「相変わらずネコの扱い方がへたくそなんだから」
 彼女はテーブルの上に置いた二組のコーヒーカップに、出来立てのコーヒーを注いだ。香ばしいかおりが湯気とともに広がった。コーヒーを注ぎ終わったところで、彼女はそのままの体勢でぼくの方を振り返った。微笑んだ。
「それとも、女の扱いが――かな?」

1998年9月27日午後23時半 日記のようなもの

 息が苦しい。酸素が足りない。脳がそう言っている。肺や心臓もその意見に同調する。
 しかし、本当はちがう。絶息の限界はそんなに低い位置にはない。息はまだまだ続くし、酸素も十分足りている。
 それは、恐怖による幻覚だ。このままの状況が続いたら、息が苦しくなり、酸素が足りなくなり、死んでしまう。その恐怖が脳で増幅され、息が苦しいという幻覚を作り出す。
 全身の感覚に逆らい、わたしはさらに深く潜る。脳の告げる限界は、もう目の前に来ている。しかし、その限界を無視して、さらに潜る。そして、脳の告げる限界を突破する。
 そこで、わたしはわずかな安堵を得る。やはり、それは幻覚だった。限界と思われていた場所を突破しても、息が続いている。せっぱ詰まった息苦しさを通り過ぎ、わたしはまだ生きている。
 しかし、その安堵もつかの間、今度は本当の肉体的限界が近づいてくるのがわかる。わたしは残った空気を肺から絞り出しながらゆっくりと浮上していく。そして、水上に顔を出すと同時に大きく息を吸い込む。
 水中の感覚を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだった。

1998年9月28日午後1時 つづかない話 第10話

 フェラーリとしては最高の形でレースが始まった。ミハエルは後ろのミカを牽制しなければならないぶん、スタートダッシュに全力を傾けるわけにはいかなかった。しかし、代わりにエディが先行し、すぐにミハエルにポジションを譲った。あとは、エディがミカを抑えている間にミハエルが逃げるだけだ。
 序盤のフェラーリは速かった。ミハエルが先行し、そのあとに少し遅れてエディが続く。ミカはエディのペースについていくのがやっとだった。エディは必要以上にペースを落とすこともなく、ミカの前を走り続けることができた。フェラーリチームが久しぶりに採れた、強いチームの勝ちパターンである先行逃げ切り作戦である。
 しかし、エディのペースはあっさりと乱れ始めた。おそらくはタイヤの問題だ。エディ自身のコメントによれば、「レース中ずっとアンダーステアに悩まされていた」そうだ。とにかく、エディのペースは10ラップももたずに落ちはじめ、逆に燃料が軽くなるとともにペースをあげてきたミカに、あっさりとかわされてしまった。

1998年9月28日午後2時半 日記のようなもの

 机の上をゴキブリの幼生が歩いていた。小物入れでつぶそうとしたら、半分身が出たが死にきれないままに物陰に逃げ込んだ。3分ほど待っていたらようやく物陰から姿を現したので、ティッシュペーパーでつかんで握りつぶしてゴミ袋に捨てた。引っ越してまだ一月しかたっていないのに、なぜこんなにゴキブリがたくさんいるんだろう。毎日一匹は殺している気がする。

1998年9月28日午後8時半 日記のようなもの

 一日秋葉原を彷徨って二百万円くらいの買い物をし、疲れ果てて会社に戻る。まだ今日は一食も食べていない。脳味噌の芯がぼーっとしている。幸い急ぎの仕事はないのだが、明日にも山のようなパーツが届くので、それを片っ端から組み上げなければならない。わたしはマシンを一台組む度に、手を二カ所ほど切ってしまう。計四台を一人で組むことになった場合、わたしは期待値で八カ所から流血することになるだろう。業務上過失傷害罪に問われることになる。いや、問われない。っていうか、そんな罪はない?

1998年9月28日午後10時半 日記のようなもの

 新宿歌舞伎町にある「蔵元」の赤焼豚(しょうゆチャーシュー)は抜群に美味いと思うが、青焼豚(豚骨チャーシュー)はせいぜい並程度だと思う。あそこまで味に差があると、下手に青焼豚などというメニューは作らない方がいい気がする。というのは、少数派の味覚なのだろうか。ひとまず本日の一食目として、帰りがけに赤焼豚を食して帰ろう。蔵元に行くには、歌舞伎町の猥雑な人混みを通り抜けて行かなければならないのが少し苦痛だが。

1998年9月29日午前0時半 日記のようなもの

 帰ろうと思ったところで、PowerPC604-133MHzからG3-300MHzにアップグレードしたマシンのベンチマークを取っているところにいきあってしまい、思わず最後までつきあってしまう。3〜4倍ほど速くなっているようだった。
 などと言うことで時間をつぶしてしまったため、それから猛ダッシュをかけて新宿に行ったのにすでに蔵元は閉まっていた。麺がきれたか。
 仕方ないのでちょっと遠回りして下北沢の「麺僧」に行く。前に行ったときは、スープはそこそこだが麺と具はいまいちだなぁという印象だったが、二度目も評価の上方修正はなし。どちらかと下方修正か。結構評判はいい店なのだが。

1998年9月29日午前3時半 つづかない話 第11話

 ミハエルはピットからの無線で、後方を走るミカとのタイム差を周回ごとに確認していた。限界走行を続けているにもかかわらず、ミカと自分のタイムペースは序盤とは逆転していた。エディをかわしたミカは、車重が軽くなるとともに確実にタイムペースをあげていき、いつの間にか自分と同等、あるいはそれ以上のタイムで周回を重ねていた。このままでは、いずれ追いつかれる。
 ミハエルは、10ラップともたずにあっさりとミカを先に行かせたエディに対して、心の中で毒づいた。が、すぐに思い直した。なんの障害もなく、自分のペースでのドライビングを続けて来たミハエルでさえ、ミカよりも遅いペースでしか走れていないのだ。今日のフェラーリの車は、レースセッティングではマクラーレンに劣る。燃料が軽くなると、アンダーステア傾向がドライビングテクニックでは修正しきれないほど、強くなってしまう。
 だからといって、ミハエルはもちろんレースをあきらめたりはしなかった。速さで勝てないのならば、戦略で勝つ。今シーズンはほとんどそうやって勝ってきたのだ。まずは、最初のピットストップでミカを抑えることだ。そのためには、ミカとのタイム差がこれ以上縮まらないうちに動かなくてはならない。また、ピットアウト前後のコースの状況を最大限に利用する必要もある。
 ミハエルはピットのジャンとの交信をまめにかわし、まずは最初のピットストップのタイミングを計りはじめた。アンダーステア傾向は強くなり続け、中高速コーナーでは自分が思ったラインよりも数センチずつ外側へふくらむようになりつつあった。ミスというほどのミスはないが、確実にラップタイムは下がりつつある。ミカとのタイム差は見る見るうちになくなっていった。

1998年9月29日午前8時 つづかない話 第12話

 ノックした。返事がなかった。当たり前だ。この部屋はもう三年も前から空き部屋になっているのだから。
 わたしはポケットから錆びた鍵を取り出した。どこにでもあるコピーキー。これは彼がわたしに残した唯一の形見だ。三年前の冬、彼からこの鍵を受け取って以来、わたしはこの鍵を肌身離さず持ち歩いていた。しかし、それを使うことはなかった。彼がもういなくなった場所に、一人で戻る勇気がなかった。
 しかし、わたしは戻ってきた。
 わたしは鍵穴に鍵を差し込んだ。軽く回した。三年間の空白が埋まり、鍵はカチリと音を立て、扉が開いた。わたしは目を閉じた。部屋の奥の机に、昔のように彼が座っているような気がした。室内は、埃がうっすらと積もっている以外は、三年前とまったく同じ様子だった。

1998年9月29日午後3時 日記のようなもの

 目を覚ますと、すでに12時を回っていた。もう20分も過ぎている。偽フレックスを採用しているうちの会社は、1時が通勤時間のリミットとなっている。あと40分。まあなんとか間に合いそうな時間だった。
 頭の中で計算し、ほっと安堵の息をついたところで、わたしはかすかな雨だれの音に気がついた。
 会社までの道のり、わたしは普通原チャリを使う。ドアトゥドアで20分ちょっと。ただし、電車で行くとなると30分以上かかる。それにわたしは電車が嫌いだ。雨がちの近頃の天気は、わたしの通勤事情を混乱させていた。
 わたしは手早く身支度を済ませると、外の様子をうかがった。微妙だ。霧雨と小雨の中間くらいの雨量。空はそれほど濃くはない雲が目で見える範囲すべてを覆っている。天気予報的に言えば、曇り時々雨といったところか。
 少し迷ったが、わたしはヘルメットを手に外に出た。この程度の雨ならば、たかだか15分程度の道のりは我慢できるだろう。それに、雲の明るさから言ってそれほど雨が強くなるようにも思えない。
 という考えは甘かったようだ。結果として、わたしはかなりずぶぬれの状態で会社にたどり着いた。しかも、雨足はさらに強くなりつつある。気が重い。

1998年9月29日午後5時半 日記のようなもの

 会社のメインマシンは、もう2年間使い続けているPentium-166MHzマシンだ。自分ではその環境に応じた使い方しかしていないため、それほど遅いとも思っていなかったのだが、普通のマシンを使っている人から見ると、「うわっ、おっそーっ」というレベルのスピードだったらしい。確かに、MMXも載っていない166MHzのマシンでは、今時のゲームの体験版などを動作確認することも難しかった。ビデオカードもMillenniumなので、8Mメモリを積んではいるものの3D機能は実用レベルでは使えたものではなかった。
 というわけで、昨日新しいマシンを買いに行ったのだが、ついでに今まで使っていたマシンのCPUも交換してみることにした。ソケット7用CPUなど、今や捨て値で売られているのだし、現在のマザーボードに差すことができる最速のCPUを買ったところで、値段的にはたかがしれているはずだ。
 というわけで、IDT WinChip-200MHz(8,000円弱)を買ってきた差してみた。が、ジャンパセッティングなど知るはずもないので、トライ&エラーで試してみることにした。どうせ起動時に動作クロックが表示されるから、簡単に200MHzセッティングにできるだろうと思っていた。
 が、どうやら現在のマザーボード&BIOSの設定では、未知のCPU IDのチップに対しては、動作クロックを表示してくれないらしかった。どういうセッティングで起動しても、80486DX-66MHzなどというなめた情報を表示する。仕方ないので、設定を変更する度にきちんとWindowsを起動して、CPUベンチマークで動作クロックをはかることにした。
 わたしはパズルは得意な方だった。昔はよく「ニコリ」などを買っては片っ端から解いていた。にもかかわらず、今回のはずれの引き具合は何だったのだろう。わたしがジャンパ設定を変更して起動する度に、CPUベンチマークは以下のようなクロック数を表示した。
・166MHz……一応、差し替えた状態での動作確認
・150MHz……おっと、60×2.5か50×3か、読みにくい結果が出たものだ
・120MHz……うーん、順調にクロックダウンしていくなー。でも、これは確実に60×2だろう。ってことは、これでほぼヒントは出そろったから、次は200MHzにいけるはず
・110MHz……って、そんな動作クロック一般的には存在しない気がするぞ。55MHz×2なんだろうか? 「ありっ」(by ルパン三世)って感じ
・起動せず……ついにここまで来たか。うーむ、俺はいったい何やってるんだろう?
 と、我ながら自分が嫌になってきたところで、ようやく6回目のトライで200MHz起動に成功した。
 敗因は4個あったスイッチを2個がベースクロックで、残り2個が倍率設定だと思いこんでしまっていたことだ。以前使っていたマザーボードがそういう割り振りになっていたため、一般的にそういうものだと思いこんでいたが、別にすべてのマザーボードがそういう設計になっているのではないらしい。
 ちなみに体感速度は気休め程度に上がったようだ。が、どうせ明日にはCelelon-300AMHzマシンが到着するので、このマシンをメインで使うのもあとわずかな時間だけなのだ。

1998年9月29日午後6時半 日記のようなもの

 雨は止んだようだ。乾かしておいたシャツも、もう完全に乾いている。今から届け物をしに、水天宮参りしてこなければならない。一応雨よけにノッポさん帽子をかぶって出かけよう。往復の地下鉄で読む本はパーネル・ホールの「俳優は楽じゃない」だ。

1998年9月29日午後9時半 日記のようなもの

 ノッポさん帽子をかぶって出かけようとしたわたしは、もう一人のノッポさんと出会った。偶然まったく同じ形をした帽子をかぶっている人間が、社内にもう一人いたのだ。目と目が合い、二人の視線が絡み合った空間に火花が散った。世の中にノッポさんは二人もいらない。ノッポさん対決をして、勝った方が真のノッポさんなのだ。
 おそらく、お互いに考えていることは同じだっただろう。二人とも立ち上がり、じりじりとその間合いを狭めていった。しかし、ある程度近づいたところで、お互いの動きが止まった。ノッポさん対決に勝った者は、真のノッポさんとなる。真のノッポさんは、最終回まで一言も喋ってはならない。しかし、それでは今後の生活に差し支える。
 二人はそっと視線を逸らしあった。わたしは彼の方を見ないようにそっぽを向いたまま、彼の横を通り抜けると仕事先へ向かった。対決は避けられた。真のノッポさんを賭けた対決は、次回に持ち越しだ。きっと世界中のどこかでは、真のゴン太くん対決もおこなわれているに違いない。ンゴ、ンゴ。

1998年9月30日午前5時半 日記のようなもの

 知り合いのバーテンさんがテレビに出ている、と友人から夜中の2時過ぎに電話がかかってきた。もちろんわたしは起きていたけれど、その後2時間ほども長電話をしてしまったため、寝るタイミングを失ってしまった。わたしは電話を切るのが苦手なのだ。
 電話を切ったあと、そのままいろいろ調べものをしたりしながら起きていたら、もう夜が明けるという時間になって、無性に納豆が食べたくなった。コンビニに買いに行ったが、ちょうど納豆は売り切れていた。仕方なく、イカの塩辛と白飯大盛り、冷や奴を買ってきた。そして、一瞬で食べ終わった。
 年末にかけていろいろ計画を立てているため、その資金をためておかなければならない。そのことを考えると、このような食事は安くついてなかなかよろしいように思える。が、栄養的にはどんなものだろう? 今までの、金はかかるが食事内容は偏りがちだった外食中心の生活と比べると、このようなシンプルな食事は栄養バランス的にはいまいちだけど、古き良き日本的によろしいのではないか。どうでしょう、掛布さん?


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