いしなお@日記
1999年9月 1/2/3/6/7/8/9/.......


1999/9/1

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本日の更新報告

 ……

Web日記を書く理由を考えたがる理由

 「なぜWeb日記を書くのか?」という疑問について,なぜ考えたがるのだろうか。などと一歩ひねくれてみせるのが,一番簡単なネタのひねり出し方なのかもしれない。などと,さらにひねってトリプルアクセル成功? ところで「ルッツ」とか「アクセル」とかってどういう意味なの? 何となく「〜回転」と「〜回転半」の差かなーと思ってるんだけど。でも,フィギアスケートの回転数を確認できる人ってあんまりいないよね。俺なんて2回転と3回転の差だって,わからないときがあるもん。それとも俺の動体視力って人並み以下なのかな。でも俺高速シューティングの弾よけだって,ちゃんと目で見てよけれるよ。達人だって後半の中ボスのレーザー野郎が3匹まとめて出てくるところまでは行けたんだよ。でも,レーザーの隙間ぬうのは下手なんで,そこから先には行けなかったんだけど。っつーか,シューティングの例として達人が出てくるあたり,すでにブランクが10年以上って感じですか。
 とここまで書いた文章にいったいいくつのネタが埋もれているでしょう。理系風(笑)に箇条書きしてみると,
・なぜWeb日記を書くのか?
・Web日記を書く理由を考えたがるのは,なぜか?
・よくある考え方を一歩ひねるのが,ネタを作るやり方の一つだ
・フィギアスケートの回転ジャンプの名称で,「〜アクセル」や「〜ルッツ」っていうのは,「〜回転」「〜回転半」という意味なのか?
・フィギアスケートのジャンプの回転数を,普通は目で確認できるのか?
・俺はシューティングの弾よけはできるが,レーザーは避けれない
・達人はいつも同じところで死んでいた
・達人というゲームはすでに10年以上前のゲームで,ネタとして古すぎる
・垂れ流した文章にだらだらとネタを盛り込む書き方と,そこからネタだけを抜粋して箇条書きにする方法の比較検討
って感じなのですが,真摯な人ならばこれら全部についてそれなりに答えを出してから,文章を収束させるのでしょうが,わたしゃそんな面倒なことはしたくないので,今回はここまで。次週をお楽しみに(嘘)。

追記)フィギアスケートのジャンプの違いは,ジャンプするときに向いている方向が前か後ろかの違いだということでした。で,どっちがアクセルでどっちがルッツなのでしょう? あと,飛ぶときの向きと着地の向きが違うってことはないのでしょうか? まだ謎はいくつか残っています。

味あわない・さっきの続き・思考の混沌

 今「味わう」を活用させて「味わわせてくれる」と書こうとしたところ,突然脳味噌に酸素が足りなくなったのか「味あわせてくれる」と書いてしまい,しばらく考え込んでから「味わわせてくれる」と書き直したはいいけれども,なんだか「わわ」の部分がかっこうわるいなーと思った次第です。まあそんなことはどうでもいいのです。
 なぜWeb日記を書くのかというと,日記を書くのが好きだから,日記に限らず文章を書くのが好きだから,文章を発表するのが好きだから,文章に限らず自分の嗜好を発表するのが好きだから,Web日記コミュニティに入りたいから,セックスの相手を捜すため,そこにWeb日記があるから,暇だから,などいろいろな理由が思いつきます。
 なぜWeb日記を書く理由を考えたがるのかというと,あらゆる物事に理由がないと不安だから,理由を聞かれたときに答えがないと困るから,理由がないことをやっている人間は資本主義競争社会では失格だから,暇だから,などといろいろな理由が思いつきます。
 だいたい達人王だって,もう5年くらい前のゲームなんですよ。どどんぱちは好きじゃなかったし。それ以降のシューティングゲームはよくわからないんです。フィギアスケートを履いたら,ときどきつま先が引っかかって危ないんです。スピードスケートは足首を固定するのに疲れるし,アイスホッケーシューズは刃の研ぎ方がフラットなんでフィギアよりもエッジがたたないんです。
 というわけで,思考の混沌はこのくらいが普通ですよね。それともみんな,普段からもっとまとまりのある思考をしているの? 秩序と混沌どっちを選ぶかって言われたら,やっぱり灰色の魔女がバランスを保つの?
 ちなみにわたしは,普段脳味噌の中央部分で基本的な思考を実行しつつ,後頭部から背中にかけての部分で,本論から枝分かれした思考や感情的な思考などをバックグラウンドタスク的に実行しています。もちろん本当に実行しているのではなく,漠然とそのあたりに役割を割り振るように意識しているだけですけど。左手の小指に「645年大化改新」を結びつけたり,ちんちんを握ったら「sin(A+B)=sinAcosB+cosAsinB」を思い出したりするのと一緒です。とかいいつつ,わたしはそういう記憶方法を採用したことはないんですけど。
 ところで「cos(A-B)=cosAcosB-sinAsinB」であっているんでしたっけ? 高校の頃に覚えさせられたはいいが,あれから十数年経ってもこんな式を活用した記憶は,一桁の前半回数しかない気がします。もちろん学校のテストを含めてです。シャーロック・ホームズだったら,速攻で忘れられるのでしょうね。

爆笑!激笑!・熱狂的巨人ファン日記・つば・愚痴・駄洒落(激寒)

 やっぱり自分で「これは面白い!」とか「爆笑!」とか書いているページで面白いものは少ないですよね。と,漠然とした印象だけで一般論化するのもなんなんで,試しに日記猿人の更新報告からそういうタイトルや一行コメントのページを集めてみることにしました……あれ? 一個しか見つからないや。じゃー,ReadMe!の方からも探してくるか……うーむ,サンプル数はさほど多くないけれど,ほかはそんなにつまらないわけでもないなー。単に一ヶ所の印象が強烈すぎただけだったのか。
 ところで熱狂的巨人ファンと狂信的アンチ巨人とどちらがより気持ち悪いかというと……うーん,どっちもどっちかな。長いものに巻かれるように巨人ファンになった人と,多数派には反発した方がかっこいいという固定観念からアンチ巨人になった人と,どちらがより気持ち悪いかというと……やっぱどっちもどっちだな。といったところで,ただいま巨人−中日24回戦は六回表0対0です。日記猿人には中日ファンが多い割に,熱狂的巨人ファンがあんまり見あたらなくってつまんないですね。一行コメントでの熱い戦いなんて,傍目から見ている分にはとても楽しそうなのに。G党ボードやYahoo!掲示板からネタを拾ってきて,熱狂的巨人ファンもどき日記でも書こうかな。
 ちなみに,わたしはどんなに紙がめくりにくくても指につばをつけることはしませんが,家のゴミ袋の口が開かないときにはつばをつけるのもありとしています。スーパーの袋なんかの場合は周囲に人の目があるので,呼気を指先に吹きかけるところまでにしておきます。
 ってわけで突然愚痴ですが,内容に関して細かい指示があるのだったら,そんなのあらかじめ言っててもらわないとわかるわけないじゃないですか。どうしてそういうわけわからない行動を連発するのですか? あなたが知っていることは誰でも知っていて当然なのですか? わたしに精神感応力や予知能力を期待しているのですか? 無理難題をクリアするのは俺には無理なんだいっ(激寒)。などという駄洒落は,たとえ(激寒)をつけたところで許されるべきではないのでしょうか? 体に流れるダジャラーの血が,思いついた駄洒落は死んでも使えと訴えかけてくるのです。

1999/9/2

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本日の更新報告

 F1「シューマッハ復帰延期」

最近の悩み

 ふと思いついたメロディが頭について離れないことって,よくありますよね。このページでもそういうネタは何度か書いた記憶があります。前はどんなネタを書いたんだったかなーと,昔のネタを読み返してみようとしたのですが,やっぱりやめました。読み返したらまた同じ症状に陥ることは明白です。
 というわけで,ただいまわたしの頭の中に流れているメロディは,
おっまかせっくっださっいっ みっずのとっらーぶるっ
 二十四時間はやくきく 暮らし安心 くらしあん
なのです。
 「はやくきく」じゃなくて「はやくつく」だったような気もしますが,それはさておき,これでここを読んだ人の何割かの人の中でも,あのメロディが流れ始めたはずです。ちょっと外し気味の音程や,通らない声質まで再現していただけると,わたしの症状に似てきます。
 この手のパターンによくはまるメロディには,メロディの最後が自動的に最初につながってしまい,終わるきっかけを見いだせない,というものが多いと思います。たとえば
えーっさ えーっさ えっさほいさっさ おさるのかごやだほいさっさ
 ひぐれのやまみち まわりみちー おだわらぢょうちんぶらさげて
 ほれやっとこどっこいほいさっさ ほーいほいほい ほいさっさ

みたいなものですか。って,これも書いてみて,細かい部分がかなりうろ覚えなことに気づきました。特に二行目あたりが怪しいです。
 まあそんなことはどうでもいいのです。今回の「くらしあん」はこういった無限ループパターンではない,ということを書きたかったのです。「くらしあん」メロディは,何の脈絡もなく唐突に始まり,そしてきっちりと終止します。本当はそれで終わりのはずなのです。
 しかし,その後日常に戻って生活しているときに,また何の脈絡もなく唐突にメロディが始まってしまいます。びっくり箱系とでも名付けましょうか。無限ループではないのに,どこかにきっかけスイッチが残されていて,それを押すとまたはじめから流れ始めてしまう感じです。
 無限に続くパターンならば,ある程度諦めがつくのです。しかし,人が忘れた頃に突然びっくり箱のように復活するメロディは,大げさな表現ですがちょっと心臓に悪いのです。
 それにしても,前にナンシー関のコラムでも取り上げられていましたが,なぜあの人があのメロディをあれだけしつこく歌うことになったのでしょうね。あと,「くらしあん」っていったいなんですか?

なぜ人を殺してはいけないのか?

 なぜ人を殺してはいけないのか?
 「ハサミ男」では,人を殺したときの,例えば血しぶき,例えば首を絞めた手の感触,例えば腹からあふれ出た内臓,例えば青ざめて冷たくなった肌,そういうものへの嫌悪感がすべてだと書いてあった記憶があります。昨日読んだばかりの割には細部の記憶に自信がないので,まあ多少ねじ曲がっているかもしれませんが,正確さはさほど重要ではないのでその辺にはこだわらないでください。
 わたしの場合は,上記のような理由ももちろんあるのだけれども,結局のところ自分の「快・不快」あるいは「利益・不利益」を考えて,トータルで不快・不利益の方が大きくなるから殺さない,ってだけです。感情的な部分は排除して,徹底的に利益至上主義,快楽至上主義で理屈を構築して納得できます。
 具体的に言うとわたしは殺人を,労力がかかって面倒そうだし,死体は気持ち悪いし,後で受ける非難・罰が大きそうだし,その後の生活は大変そうだし,という理由でやりません。逆に言うと,それらのマイナスを割り引いてもまだ殺す利益が大であるのならば,人を殺すのもありなのかなと思います。例えば徴兵されて戦場に連れて行かれて戦わされるとしたら,多分戦って人を殺すと思います。もちろん,その前の段階での逃げ道は十分に探してみますが。
 他の人が人を殺す場合にも,せめてそれくらいの計算はしてから実行に移して欲しいな,と思います。自分の目先の大変さにとらわれて,視野が狭まった末に十分な計算をしないままに人を殺したりするのは,あまりにもくだらない。後で後悔するくらいならばしない方がいい。ましてやその被害者になんてなったら,たまったもんじゃない。
 この辺,ポジティブシンキングってものが嫌いなのにも相通じる部分があるのかもしれません。あれって要するに,ネガティブなことを考えるのはやめて,ポジティブなことだけ考えて生きようってのが基本ですよね。それで成功した人の話は派手に宣伝するけれども,後先考えずに無謀なチャレンジをして失敗した人って,きっとその背後には山のようにいるんでしょうね。
 とまあ,いつものように話が逸れて終わるわけですが,一度発散してしまった話をきれいにまとめる労力が惜しいので,このまま終了。この辺も,まとめるのにかかる労力と,話題がきれいに収束せずに終わる欠陥と,差し引きすれば労力の方が大きいという計算なのです。

知らないことは恥ずかしいことでなくはない

 「知らないことは恥ずかしいことではない」と言う人がいて,そのときは「そうだよね,それって正論だよね」って思ったりするんだけど,でもやっぱり本心ではすっきり納得できていなかったりする。
 確かに世の中さまざまな情報に満ちあふれていて,知らなければならない情報も知る必要がない情報もやまのようにある。それらすべてを知識として身に付けることは不可能だ。でもやっぱり,たくさんの情報の中には,「そんなことも知らないの?」と言われる前に知っておくべきことはあると思う。
 「知らないことは恥ずかしいことではない」というのは,たいていの場合「聞くは一時の恥,聞かぬは末代の恥」的な結論と結びついてくる。もちろん僕も,「知らないことをわからないままにしておく」方が,単に「知らない」ことよりも恥ずかしいとは思う。
 でも,そういう考え方の上にあぐらをかいて,「知らないんだもーん。だから教えてちょー。知らないことは恥ずかしいことじゃないんだもーん」と言う人がたくさん現れるようだと,なんか納得いかない。
 これも僕にとっては,ポジティブシンキングの弊害(予備軍)の一つに思える。「知らないことは恥ずかしいことではない」という免罪符を「無知は許される」と解釈して,必要な知識を持とうともしない人間が大手を振るって歩き回る世の中はちょっと――いや,かなりいやだ。
 だからせめて僕はここで,「知らないことは恥ずかしいこともある」くらいは言っておきたい。「知らないことは恥ずかしい!」と言い切ることができないところが弱すぎるし,それに僕の声なんて小さ過ぎてあんまり遠くまでは聞こえないかもしれないけれど。

 などと,ちょっと弱いおじさん的キャラクター(原田宗典果汁50%くらい)を装ったエッセイ風文章にまとめてみたのだけれども,やっぱ一人称が「僕」ってのは書き慣れていないから,なんだか書くたびに後頭部のあたりがむずがゆくなった。結論とかも本来の俺とはかけ離れているな,この文章。ちなみにこのページは基本的に「わたし」な私が書いています。

1999/9/3

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 F1「バリチェロ交渉中」

トラブル・続人殺し・ホモ考

 スパムがらみで遊んでいたら,思いのほかトラブルの予感。もうちょっと状況を観察して,大丈夫そうだったらネタにしよう。じゃなかったらちょっとまずいかも。それにしても,うまい商売考えたなー。ちゃんとした法律知識がないわたしのレベルでは,向こうの言うことが正論に思える。

 で,なぜ人を殺してはいけないのか?の続き。「自分が殺されるのがいやだったら,人も殺すな。人のいやがることはするな」「ボヤけ!くろひょうくん!!」9/2というのも,まあわかりやすい理由だ。でもそれだと,無条件に「殺してはいけない」という結論が出てしまう。自分が殺されそうになったときの正当防衛すら却下されてしまう。
 そんなときでもわたしが提唱する(大げさ)ところの利益至上主義に基づけば,自分が殺されることのマイナスが,相手を殺したときに被るさまざまなマイナス要素よりも大きいから,反撃して殺してもいいってことになる。
 「人のいやがることをするな」というのは,自分を律する言葉以上にはならない気がする。世の中には実際に「人のいやがることをする」人がいるんだから。まあ差し迫った事態が起こらない限りは,それで十分だとは思うけど。

 話は全然変わるけれども,同性同士のセックスの方が気持ちいいってのは,物理的には事実だと思う。自分という研究対象をもとにたくさん研究を積んでいるのだから,同性の構造については誰でも十分に知識を持っている。よほどのプロ性風俗労働者だったならば,異性に関しても同性並みの知識を持っているかもしれないけど。
 で,後は感情の問題なんだけれども,例えばわたしの場合は同性の肉体に対しては,性的には圧倒的な嫌悪感を持っているので,いくら男同士の方が気持ちよかったとしても,感情が拒否する。でもその感情的拒否反応は,世の中の平均よりも上なのか下なのかはわからない。もしも同性の肉体に対する忌避感がニュートラルに近い場所にある人ならば,あっさりそっちに流れることができるのかも。
 っていう話をすると思い出すのは,昔のビートたけしのネタ。
 昔,ホモ疑惑のある友人を家に泊めて,別々に寝ていたら,夜中にごそごそと足下を人が動く気配がする。寝ぼけながらそのままじっとしていたら,そのままパンツを降ろされて,友人がチ○コに食いついてきた。驚いたもののそれなりに気持ちいいものだから,何となく拒否することができず,そのまま寝たふりをし続けているうちにいってしまった。で,終わった後に友人がたけしの耳元にやってきて,「次は君の番だ」。
 その後ってどうしたって話だったかなー。すげーリアリティがあって,思わず自分の身に起こった場合のことを想像してしまった。

ゲボアド2001

 ゲームボーイの後継機種が発表されたみたいですね。ゲームボーイ・ゲームボーイカラーと上位互換で,32ビットRISC CPUを搭載して,240×160ドット/フルカラー(6万色だけど)液晶になって,PHSとか携帯とつないでインターネットに接続できるようにして,デジカメもつながるようにして……って感じらしいです。
 インターネット端末としてってあたりから見ると,i-modeあたりをある程度商売敵としてターゲットに入れているのかな。まだ値段は発表されていませんが,値段を安く設定できるならば単純にゲームボーイとの置き換えを狙っているのだし,ある程度高くて高機能な感じならば,PDAとかi-mode端末と競合させるつもりだと,わたしは判断します。そして,後者の場合はドルフィンのことも考え合わせ,任天堂はリスクが高い勝負に出ていると見ます。
 なんてことはどうでもいいのです。わたしが気になっているのは,「ゲームボーイアドバンス」の愛称は「ゲボアド」でいいのか,という一点だけなのです。なんとなく「アボガド」に似ていていい気がするんだけど。
 そういえばIBMがHTML作成ソフトホームページビルダーの新バージョンを発売しました。で,その名前が「ホームページビルダー2001」。みんな,気が早すぎます。
 以前「ホームページビルダー2000」が発表されたときに,冗談で「これで次のバージョンをすぐに出したくなったら,どうするんだろう?」と言っていたのですが,あいにくIBMさんには冗談は通じなかったみたいです。2003年頃には「ホームページビルダー2010」が登場するでしょう。ところでモノリスは見えましたか?

1999/9/6

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本日の更新報告

 F1「バリチェロ,フェラーリ入り」

週末はごろごろと野球

 土曜日は大雨があがった隙をついて,バッティングセンターに行って,軽くキャッチボールをした。
 バッティングの調子は最悪。ファールチップした球が,防御柵の枠の部分に当たって,そのままの勢いで跳ね返り,スイングが終わって力が抜けた背中の肩胛骨の隙間のあたりに直撃した。痛みに悶絶して,残りの球は打てずに終わり,そのままやる気をなくして終了。
 キャッチボールは,フォークボールがそれらしく投げれるようになってきたんだけれども,何球か投げているうちに中指の爪の横に血豆ができてしまい,それを気にしていたらストレートのコントロールすら怪しくなってきたので終了。最近,変化球をいろいろ試しているうちに,確実にストレートののびが悪くなっている。ただでさえ遅いストレートが,変化球のコントロールを含めたまとまりを気にし始めると,打ちごろの球になりすぎて,変化球の意味がなくなってしまう。
 といういまいちな状態のまま,日曜日の試合。AM7:00の目覚ましで楽勝で目が覚めたのに,ちょっと出発には間があるよなとぼーっとしていたら,気がつくと二度寝。そして,8時直前に起床。8:30に武蔵野中央公園に集合だから,時間的にはぎりぎり間に合う。ということで,猛ダッシュ。車では珍しく,意味のない急加速を多用したが,もちろん車ではそういう運転をしたところで,大して到着時間は縮まらない。でもまあ,何とかぎりぎりに到着。ただし,駐車場は埋まっていたので路駐コースだったのはちと無念。まあ結果的には大丈夫だったんだけど。
 試合の内容は,3:4で勝利。2打席しか回ってこずに,1打席目は右打ちでライト前ヒットだったけれども,2打席目は左打ちでフルスイングしたらぼてぼてのファーストゴロ。2打席目は得点圏にランナーがいたのに。守備はセカンドを守ったんだけれども,一度も守備機会がないままに終了。試合に勝ったことは勝ったけれども,何となく参加した気分はしなかった。しかも試合終了後に審判から,連盟の試合ではスパイクもちゃんと揃えるように注意されてしまったので,次回からはちゃんと野球スパイクを用意しておかないと。
 日曜日はその後家で長い昼寝をしてから,下高井戸散策しつつ飲み屋で夕飯。思いの外あたりの店だったけれども,遅い時間だったせいで食べたかった秋刀魚の塩焼きがなくなっていた。しかも,一日ろくに食っていなかったので急に詰め込んだら,胃が拒否反応を起こして胃痛で苦しんだ。帰り道の途中までよろよろ歩いてしまう。
 まあ,そんな週末。最近一日二冊は本を買って,それをその日のうちに消費する生活をしているんで,とても不経済。そろそろ読み返すべき本を読み返すモードに入らないと。

投票・空メールボタンを押すルール

 先々月あたりに,「ちょっと日記猿人の得票数を増やしてみようかな」と思い立ったのが始まりだった。
 それまでは,日記猿人の得票というものはあまり意識していなかった。単に,興味を引くようなコメント付きで更新報告をすれば,ある程度読みに来る人の数が計算できるリンク集として使っていた。
 それに日記猿人の得票ってのは,そのコミュニティに深く関わっているか,あるいは得票を得やすい属性を持っている(女性・風俗系など)人じゃないと,そう簡単には増えないものだと思っていた。前者のやり方は好みじゃないし,後者のやり方はフェイクでもやらない限りはできない。だから,得票を伸ばすことは目的としなかった。
 しかし,日記の内容(文章パターン)で遊ぶのにも飽きてしまっていた。簡単に実現できるような遊びはだいたい試してみたし,まだ実現していない遊びは手間がかかるんでやるのが面倒くさい。
 そこで,自分の美的感覚に反しない限りにおいて得票を増やす,という遊びを試してみることにした。美的感覚に反しないというのは,基本的に「無理に媚びない」こと。あと,「トラブルをウリにしない」ってのもある。
 まあ,そんな感じで「得票を増やそう運動」を始めたわけだ。
 もともと読むだけだったら,かなりのWeb日記を読んでいた。そこでまずは,読んだ日記の投票ボタンをまめに押すようにした。続いて,空メールボタンも押すように心がけた。もちろん両ボタンを自分のページにも付けた。
 最初のうちは,読んだ日記すべての投票・空メールボタンを押すようにしていたが,それは途中でやめることにした。自分の判断では,それはちょっと媚びすぎているような気がしたからだ。
 だから,ルールを決めた。まず,少しでも好意的な感想を持った内容の日記には投票する。また,それまで読んでいて作者の人物像が好ましければ,毎回の内容に限らずに投票する。興味を持てない内容,まるっきり反発するような内容の時は投票しない。作者の人物像が好ましくない,お近づきになりたくないタイプの場合は投票しない。これが基本だ。
 空メールについては,投票と基本的には似たルールを採用しているが,多少適用条件が厳しくなる。また,空メールボタンを押してメーラーが別途立ち上がるタイプのボタンは,よほどのことがない限りは押さない。さらに,一言コメントなどに関しては,その場限りの莫迦話的なコメントはつけるが,ある程度深い内容になりそうな場合はコメントをつけない。
 投票・空メールボタン作戦のほかには,日記猿人内での話題のネタを取り上げたり,日記猿人登録日記(自体。内容ではなく)に言及したりといった,内容で読者を誘う作戦も採用した。
 日記猿人で話題のネタを取り上げるというのは簡単な方法だった。今までだって,興味深いネタには反応するネタを書こうと思ったことが何度もある。しかし,個人ページのネタに直接反応するのは,興味を引くには安直すぎる方法に思えていたので,自分でそれを封印していたのだ。その封印を解除すればいい。
 ただし,直接対決するような図式になる内容は避ける方針にした。これは「トラブルをウリにしない」原則を守るためだ。どうしても批判的なコメントをつけたい場合は,できるだけ一行コメントでは,それを匂わせることはしないようにした。それだけが目当ての人の注目を集めないためだ(ときどき我慢できずにやってしまったが,今ではそういうネタは裏ページに待避させたので,ここに出てくることはないだろう)
 まあそんな感じの方針で「得票増やそう運動」を初めてから,すでに二ヶ月が過ぎた。2698番で再登録したのが去年の12月のことだが,それから今年7月までの投票数はだいたい600票だった。一月当たり80票程度となる。
 そして「得票を増やそう運動」を実施していた先月の得票数は200票を越えた。得票は約2.5倍になっている。実際には6月の途中から運動を始めており,記憶によれば6月以前は一月50票いけばいい方だった。だとすると得票は約4倍に伸びたことになる。
 というわけで,「得票を増やそう運動」の成果は,わたし的には十分なものだった。これ以上伸ばすためには,毎回の内容にもっと手をかけるか,コミュニティへの参加をより深くしていくか,などが必要だろう。どちらにしろ結構大変そうなのでこれ以上多くは望まない。現状を維持するだけでも,自然と増えていくことを期待しよう。
 などと楽屋話的なネタばらしをしたのは,「まぁ、投票&空メールしてもらってるから、こちらも投票&空メールしておくか」記憶のかけら(9/6)ってのを読んだのが遠因となっている。確かにたいていの人は,多かれ少なかれそういう意識を持っているだろう。日記猿人の投票を増やす方法としては,そういった投票・空メールを交換する相手を増やすやり方はかなり有効だ。
 ただし,わたしはそれを「義理投票」という形にしたくない。だから,先ほど書いたようなルールで投票・空メールボタンを押すかを決め,無条件でお礼のボタンは押さないことにした。それがわたしの,美的感覚というか意地というか,だからだ。
 なんて,こんなことを書いたら,俺的には損はしても得をすることはないだろうなー。深読みすると,いろいろリスキーな内容も含んでいるからなー。まあ,いいけどさ。覚悟の上だし,それにこんな長文何人が読み切れるだろう。
 それにしても,やっぱ俺ってメタ日記っぽいことが好きなんだなー。

1999/9/7

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本日の更新報告

 F1「ヒル,イタリアGP後引退?」

理屈ではなく感覚的に違うと思う

 中国の朱鷺の卵が日本で孵ったら,それは日本の朱鷺である。というのは,アメリカ的な考え方なのか。要するに生まれた場所が国内ならば,アメリカ人であるという考え方。正確に言えば,アメリカ国籍を持つ権利が得られる,だったっけ。
 でも,日本では普通違うだろう。ここで不用意に「日本では」と言うのは危険で,本当は「わたしが思うところの日本人観では」と言っておいた方がいい気がする。しかし,そんな回りくどいやり方をしていると,書く方も面倒くさいし読む方もだるいだろうから,たくさんの誤解の種を植えながら先を進めていく。
 日本では,日本人というものは土地と血に結びつけられている。日本人の家庭で生まれ,日本で育った,日本人種。それが日本人だ。おそらくどれか一つの要素が欠けるだけでも,その人は純粋な日本人とは違ったものになってしまう。例えば帰国子女などは,「日本人離れした」日本人となってしまうだろう。
 アメリカ人にとっては,「アメリカ人とはアメリカ国籍を持つ人」という意味なのだと思う。それはアメリカが成立した背景を考えれば自然なことだ。また,ヨーロッパや中国大陸でも,人々・文化の交流は頻繁だったため,日本ほど土地と血に縛られたものの考え方は少なそうだ。しかし,日本はあまりに海外との交流が薄かったため,国籍という「理屈」ではなく,土地と血という「感覚」に縛られてしまっている。
 つまり,「日本人」という言葉には二つの意味があるわけだ。一つは国際的な考え方,理屈で定義されるところの「日本国籍を持つ人」という意味。そして,もう一つは日本人が感覚的に持っている「日本の土地と血を共通にしている人」という意味。
 って話を下手に進めると,差別論とかにたどり着いてしまいそうだけれども,それは本意ではないので,より深い話については熟考を重ねてから書くことにしよう。っつーか,こういうのってどこかの思想家とかがすでにちゃんと考えて,まとめて,本に書いていそうだな。

頭脳貿易

 「インド人にあって考えたこと」を読んで,なるほどと思った。
 電子回路の設計をハードウエア記述言語を使って行えるようになった現在,米国シリコンバレーの半導体設計会社では,設計スタッフとしてインド在住のインド人を雇い,ネットワークを介して現地とデータのやりとりをしているところがあるそうだ。昼間アメリカで仕様変更の打ち合わせをすると,夜のうちにインドの設計スタッフが作業を行い,翌日の朝には納入されるといった具合。
 インド(の上級カースト)には,高度な教育を受けている人が多そうだし,特に英語・数学あたりには強そうな印象(ごく個人的な印象なので,一般化はできないだろうけど)があるから,なんだかとても効率の良さそうな話に聞こえた。基本的な賃金・経費などが安くて済むし,時差を利用して24時間体制を簡単に敷ける。ハードウエア設計に限らず,ソフトウエアプログラマにも応用できるだろう。
 日本の場合は,南アメリカ大陸あたりの国が対象となるのだろうか。賃金・経費が安くて理数系の教育レベルが高い(平均が高い必要はない)国というとどの辺だろう?
 というか逆に,南アメリカ大陸あたりでいまいち産業が弱い国が,プログラマやハードウエア設計技術者を大量に育成して,ネットワークを介して日本に頭脳を売り込むといった方向を,真剣に考えた方がいいのかもしれない。
 日本はかつて原料を輸入して加工した製品を輸出するという形で,加工技術力を売って経済を発展させた。しかし,ネットワークを介して頭脳労働力を売るこの仕組みは,それよりも純粋に技術のみを売って稼いでいるあたりが格好いい。頭脳貿易とかいうと,ちょっとサイバーパンクな感じだろうか。
 ところで,原料を輸入して加工した製品を輸出する産業形態のことを,なんて言うんだっけ? 確か小学校の社会の時間に習った記憶があるんだけど。「加工貿易」ってんで合ってるかな?

ネット上の言論における責任感覚

 Webをうろうろしていたら,例の東芝ビデオ問題のAKKY氏の本名を見かけてしまった。あの人っていまだにネット上で中古品売買とかやっているのね。メールアドレスで検索かけると簡単に見つけられるようなところに本名をばらまいているってのは,ああいうことをやっている人にしては不用意。って,わたしも基本的に本名主義(基本的にハンドルを使っているけど,あんまり本名を隠す気はないし,昔のページやほかのページでは本名がちらほら出ているはず)だから,いざというときには自分に跳ね返ってくる言葉だったりするんだけど。
 わたしが本名主義を採っている理由として,言論のみで十分に責任をとることができる自信がないから,最悪自分という人間の実在感で勘弁してもらおう,って意識が背景にある気がする。完全にネット上の言論存在として完結させられるほど,ネット上にまき散らす言論の内容をコントロールできる自信がない。っていうか,コントロールする気がない。まあ自分で本名をばらまきたくなくても,ほかでばらまかれたりもしているから,どうせ完璧が期せないならどうでもいいやって部分もあるんだけど。
 とか思っていたんだけど,最近ネット上における言論の責任の取り方について,『「匿名」による批判の禁止』って文章を読んで,これはなかなかいい感じだと思った。はじめにこの文章を読んでいれば,匿名である自分をうまくネット上に構築できた気がする。
 この文章は,作者のくろきさんが自分のWebページの掲示板に書き込む場合のルールとして掲げたものだ。タイトル通り「匿名で批判的なコメントを書いてはならない」という内容で,それは逆に言うと「匿名でなければ批判をしてもいい」ということになる。
 この文章における「匿名」に関しての定義は,『自分自身の趣味・嗜好を明らかにせず、自分の所属も E-mail address も web site の URL も公開してない』人となっている。ただし,『実名や所属を隠し、ハンドルを用いている方であっても、自分の趣味・嗜好を十分に表現している方は「匿名」とはみなしません』ということなので,個性が十分に主張されておりネット上で独立した人格を構成できているのならば,それは「匿名」ではないことになる。また,『たとえ実名であっても、それが有名でもな』い場合や,『所属のわからない E-mail address もしくは中身のない web site の公開』だけでは,それは「匿名」と同じ扱いになる。
 こういう割り切り方を知っていれば,「匿名」ではないネット上の人格を構築することによって,本名を出さなくても自分で好きなことを言える状況を作れたかも。少なくとも,「本名を出すことによる,自分の実在感」などという抽象的・感覚的なものに頼る必要はなくなっただろうな。
 まあ,この辺の理屈付けってのは,あくまで自分自身が納得できるかどうか,というわたしの内部の問題なんであって,それが他人に通じるかどうかはよくわかりません。単にわたしは,「匿名」で「無責任」に見られる状況下では,好き放題を言う気にはなれない,っていう(美的)感覚を持っているというだけのことです。「インターネットは便所の落書き」説に対抗するわけじゃないけれど。

1999/9/8

SETI@Homeコンプリートユニット数 64
本日の体重 71.0kg(-0.0kg):最近ちょっと食事量を抑え気味にしているだけのペースなんだけど,それだと体重が減るところまではいかないらしい。断食に近い状態を三日ほど続ければ60kg台まで落ちることは経験済みで知っているけど,それだとその後リバウンドが大きいしなー。食事量は今のままで運動を始めるとかしないとダメだろうか。

本日の更新報告

 F1「シューマッハ,今季は復帰せず?」 「データベースの基礎知識」

対人地雷は核爆弾より軽いのか

 昨日はひたすら眠かった。せっかく早めに帰ったのに,12時前に眠りに入ってしまい,そのまま今朝の11時頃まで爆睡。しかし,まだ目覚めは爽快とはほど遠い。
 寝る前まで人から借りたビデオを見ていた。NHKでやっていた20世紀集大成特集の戦争編らしい。正式なタイトルはよくわからん。地雷編と核編の途中まで見た。
 地雷編は,なかなかすごかった。アフリカ方面のどこぞの国での,政府軍と反政府軍の戦いを中心に取り上げていたのだが,どちらも地雷を仕掛けまくり。そして,被害に遭うのは一般住民たち。
 反政府軍はダイアモンド鉱山を押さえていて,ダイアモンドの原石一個で2000個の対人地雷が手にはいる。それを仕掛けて一般住民に被害を与えて,政府側の国力を削ぐために使っている。一方,政府軍側は自分たちの重要施設を守るため,その周辺に反政府軍が簡単に近づけないように,周辺に住む住人を追い出して地雷を設置しまくる。
 ちなみに対人地雷に使われる火薬の量は200gなんだそうだ。200gってのは,爆弾としては大した量ではない。しかし,綿密な実験調査を繰り返した結果,対人地雷はその量ってことに決められたんだそうだ。んでその根拠は,それを踏んでも踏んだ人が死なずに,かたわになる程度の爆発力ってことらしい。
 対人地雷の目的は,敵を殺傷することではなく,ハンディキャップトな敵方人員を大量生産し,そのケアーに手間をかけさせて,相手側の戦意やお金を削ぐことなんだそうだ。だから,殺してしまってはもったいない。できるだけケアーに手間がかかるような損傷を負わせ,なおかつ生き残るようにするのがよい地雷だそうだ。
 んで,現在よく使われている地雷の一つをアメリカ軍で開発した人が,番組中インタビューに答えていた。プロフェッショナルなアメリカ軍人として任務を遂行したに過ぎない,と言い切っていた。この辺,核爆弾を開発した人とは違う。
 核爆弾を開発した人たちは,一度に大量殺人を行える兵器だということで,まとまった死者数を知ることによって,自分の開発した兵器の効果を理解することができる。だから,そう簡単に「仕事だから」と割り切れない。しかし,地雷はしょせん一度に一人殺すか殺さないか程度の兵器だ。だからその効果の大きさを実感することなく,自分の兵器の真の効果から目を逸らして「仕事だから」とうそぶくことができる。見ていて,そう感じた。
 個人的には,核爆弾よりも地雷の方が嫌いだ。一度にまとめて殺戮・破壊はしないけれども,兵器としての非人道性――って言葉は嫌いだから,戦争当事者以外の無辜の人民に無用に被害を与える点と言い換えておこうか――は,同程度だと思う。そんな兵器を作った人たちは,核兵器を作った人と同程度の重みを感じてもらいたいもんだ。まあ,インタビューではああ言いつつも,内心では違った意見なのかもしれないけど。

「おたく」なんて人種は実在しない

 「おたく」なんて人種は実在しない。「世間は認めないような濃い趣味を持つ人」のことを,「おたく」と呼ぶ人がいるだけだ。そこで言う「世間」は,それを想定した人の頭の中にだけ存在する。例えば,わたしが「世間ではそういうものは認められない」と言った場合,その「世間」はほかの人の「世間」とは一致しない。
 特に「おたく」について言及するときの「世間」というものにおいては,各人の趣味などという至極「趣味的な」話題に関して語っているのだからして,その各人ごとの「世間」観の偏りというものは非常に大きい。であるから,「世間は認めないような濃い趣味を持つ人」なんて定義では,各人の偏見がてんこ盛りに入ってしまうため,何かを定義するにはあまりにも不十分なほど曖昧になってしまう。
 誰かを「おたくだ」と表現するのは,単に「わたしが思うところの世間の趣味とは,大幅にずれた趣味を強く持っている人だと思う」と言っているだけのことだ。だから,「おたく」と批判的に表現するのを耳にすると,「そう言った人の趣味が,自分が思っているほど本来の『世間の趣味』に近いといいねー」と皮肉混じりな感想を覚える。
 まあだいたいがして,わたし自身は「世間の趣味」などという平均化されたものの存在は,まったく信じていない。「趣味」みたいな個人の嗜好に,平均化された基準などあってたまるか。
 というのは,自分が「おたく」ではないと思っている人が,他人を「おたく」と評する場合についての考察。自分自身を「わたしはおたくだから」と表現する人の心の動きについては,卑下・逆尊称・対抗意識などのパターンが考えられるが,十分なパターン化するほど考えていないので,やる気があったらまた今度。

※この文章は,自分でもうまくまとまっていない思想を無理矢理文章化するために,うまくまとまっていないことがばれないようにわざと難読文章化した,かなりの悪文であると評価できます。

1999/9/9

SETI@Homeコンプリートユニット数 64
本日の体重 **.*kg(-*.*kg):

本日の更新報告

 F1「2000年暫定カレンダー」

ついに警察に捕まってしまった

 ついに警察に捕まってしまった。
 昨日の帰り,いつものように原チャリを飛ばして家路を急いでいたところ,信号待ちをしているわたしの背後から,一人の交通警察官が声をかけてきた。
 最近通勤路周辺では,交通安全週間でもないのにやたらとパトカーや白バイの姿を見かけることに,不審は抱いていたのだ。しかし,いつも背後には気を配って運転しているため,そう簡単には捕まらないつもりだった。
 原チャリに乗っている場合,守りにくい規則のベスト3をあげると,1)スピード違反,2)すりぬけ(走行区分違反?),そして3)二段階右折違反となる。
 わたしの場合は,基本的にこの三つの違反については,周囲を十分に注意して警察がいないことを確認しながら,違反を行うようにしていた。原チャリに乗り始めて,今まで2年間はそれで何とかなってきた。
 しかし,ついに捕まってしまった。3番目の二段階右折違反でだ。小型セダンの覆面パトカーだった。いつも通りに背後の警戒はしていたのだが,これはさすがに少しも怪しいとは思わなかった。完敗だ。
 青切符を切られ,左手の人差し指の指紋を採られ,3000円の交通反則金振込用紙を受け取った。違反名は正式には「交差点右折方法違反」だそうだ。付記として「左側端に寄らない右折(原付)法定34-2,121-エ(5)」と書かれてある。
 ちなみに軽い交通違反は刑事罰ではなく行政処分なので,あいにくわたしに前科はつかない。せっかく警察に捕まったのに,東北のうらぶれた酒場の片隅で酒を片手に,「女将さん,おいらぁ前科もんだ,ほれちゃあいけないぜ……」などとつぶやく権利は得られなかったわけだ。まあ,そんな権利は得られたところで放棄するけれども。
 といったわけで,たった今3000円を郵便局で支払って,きれいな身になってきました。でも1点引かれてしまったわたしの免許証は,次回からゴールドではなくなってしまいます。
 やっぱり原チャリは危険だから,早く中免を取って,せめて小型限定にステップアップしたいものよのー。
 ひとまず,できるだけ二段階右折を行わないように設定した通勤ルートを,さらに一つも二段階右折を行わないでいい通勤ルートに変更することを考えよう。ちょっと遠回りになるけれども,どうも二段階右折のトリッキー動きってのは性に合わないんだよな。

わたしは73歳ではありません

 精神年齢鑑定をしてみました。結果は,「あなたの精神年齢は51歳です」だそうでした。「実際の年齢との差22歳」です。ちなみにわたしは73歳ではありません。
 「あなたの精神年齢は完全に『中年』です。それどころか『初老』の兆しが見え始めています。人生経験が豊富なあなたは頼りになる存在です。しかし、精神年齢はもう少し若い方が人生は楽しいと思いますよ。」ということです。
 わたしなんかを頼りにしている人は世の中に存在しないと思っていたのですが,もしかしたらわたしの心得違いだったのかもしれません。バカさにつながる若さは排除したいと常々思っているけれども,だからといって好んで老成したいわけでもないし,そこまでコントロールし切れてはいないはずなんだけど。
 「幼稚度17%」「大人度71%」「ご老人度50%」ということですから,ちょっと老人よりの大人って感じですね。内心も本当にそれくらい老成できていれば,それはそれで素晴らしいことだと思います。でも,おそらく質問に答えるときのインターフェース部分で,ある程度自分の願望によってねじ曲げた回答を作り出しているはずなので,本当の自分はもうちょっと青い存在でしょう。
 こういう質問に正直に答えようとしても,いったいどういう状況下における自分が,もっとも本来の自分に近いのかがわからないため,毎回少しずつ違った回答を選んでしまいますよね。


ここで,So-netからBiG-NETへのサイト移動を行った。


1999年9月10日[*]

サイトの引っ越し[*]

 個人でインターネットプロバイダに初めて契約したのが,So-netだった。1996年の12月のことだった。
 契約の際はダイアルアップ接続だけでなく,オプションのUNIXシェルサービスにも入った。UNIXシェルというとなんだか大変そうに聞こえるが,要はホームページディレクトリサービスだ。当時のSo-netではUNIXシェル(telnet接続)サービスに付加する形で,ホームページディレクトリが提供されていたのだ。
 3Mバイトで1000円/月。今から考えると割高だが,当時はCGI/SSI/telnetをフルに活用できるサービスはまだまだ少なかった。一応PC業界の端くれに位置するわたしとしては,最新技術をばりばり試したりしようかなどと考え,So-netを選んだのだ。もちろんソニーが背後にいることによる,プロバイダに対する安心感というものもあった。
 それから2年以上が過ぎた。インターネットは爆発的に普及し,個人のインターネット接続に関するさまざまなコストも小さくなっていった。So-netも普通のホームページディレクトリサービス(U-Page)を始め,UNIXシェルサービスはU-Page Proと名前を変えた。当初は5Mバイトで500円/月と有料だったU-Pageはいつの間にか無料となった。しかし,U-Page Proは2年前と変わらない値段のままだった。
 巷では,数十Mバイトのディレクトリ容量でCGI/SSI/telnetも使えて,1000円/月程度のサービスがあると聞き始めた。調べてみると,確かにいくつも見つけることができた。そのようなサービスは,最初のうちは無名の小さなプロバイダが提供しているものが多かったので,あまり信用できなかったのだが,時間が経つにつれて生き残ったプロバイダに対する信頼感もあがっていった。So-netと比べると10倍ほどコストの差がある。
 もちろん,So-netであるという利点はある。いくら信頼感があがってきたとはいえ,小規模プロバイダよりもSo-netの方が,数年間というスパンで考えれば,サービスが存続する可能性が高い。また,回線速度の点でも,初めからソニーの企業向けプロバイダのバックボーンに接続しているSo-netの方が,最終的には高速であると評価できるだろう。さらに,今まで使ってきてそれなりにアクセス数があるURLを変更するのは,いろいろな意味でデメリットが多い。
 しかし,結局のところサイトを移動することを決意した。テキスト主体にも関わらず,すでにU-Page Proの容量3Mバイトはあふれていたため,複数のサイトにページを分割しなければならなかったし,So-netという知名度の割にはトラブルも少なくなかった。移転候補の一つであったBiG-NETの外部からのアクセススピードは,So-netと比べて特に劣るとは思えなかった。URLが変化することによるデメリットも,心機一転するきっかけと考えれば良い。
 と言うわけで,今日からわたしのホームページアドレスは,http://www14.big.or.jp/~ishinao/になります。So-netのホームページはここ数カ月以内で消えてなくなるでしょう。サイトの構成を根本的に作り直しているため,移転作業が終了するまでは結構時間がかかると思いますが,ひとまず形ができた部分から公開してきます。

新サイトの便利な使い方[*]

 なんだか仕事が忙しくなりつつある。自分が最終責任者のものは大してないので,多少多くても気分は楽なのが救いだ。ここ数ヶ月だらだらし続けた分を,ようやく取り返すときが来たってところか。たまには忙しい方が脳味噌が刺激されていい。

 サイトの引っ越しにあたって構成を大幅にいじったのだが,その使い勝手について解説しておく。
 うちのサイトの読者は,以下のような数パターンに分けられる。まずは全体を見に来てくれるありがたい読者。トップを見て,更新されている部分があったら,一応見てみようかなって感じの人たちである。そういう人たちは,いしなお@ホームページをチェックするといい。ここで各コンテンツの更新時間をまとめて知ることができる。
 収録されている,ある特定のコンテンツのみを見に来る読者も少なくない。これは主にF1と日記の読者だろう。その場合は「いしなお@F1」もしくは「いしなお@日記」をチェックするといいだろう。そこに最新の情報/日記が書かれている。
 また,サイトを引っ越しするついでに新しいコンテンツを立ち上げている。「いしなお@ニュース」は,従来日記で取り上げていたような時事ネタを,ニュース紹介&コメントという形で別扱いにしたものだ。従来F1ニュースを紹介していた形式で,時事ネタ・技術ネタを取り上げていると説明すると,F1ページ読者にはわかりがいいだろう。そういうネタが好きだった日記読者の方は,「いしなお@ニュース」の方もチェックして欲しい。
 もう一つ「いしなお@文章」というコンテンツも立ち上げた。これは日記とは違って,ある程度長文でテーマがある文章を掲載する場所だ。というつもりだったのだが,相変わらず日記の文章は長くなる一方で,十分に差別化ができる自信がなくなってきた。
 「いしなお@感想」は,前からやっているドラマや本などの感想を掲載するコンテンツだ。が,最近さっぱり更新していない。このページは死ぬほど大量の過去のデータがあるので,それらを現在の形式にコンバートし終わったら,新しいネタも掲載していきたい。
 そのほかまだ形になっていないが,いくつかのコンテンツを準備中だ。従来のメタ日記的な内容をWeb全体に一般化した「いしなお@Webウォッチ」というコンテンツの立ち上げも考えている。
 従来日記ページに書いていたほかのコンテンツの更新報告は,今回から行わないことにした。管理上の都合である(日記ページが更新されてしまうため)。それに加え,今までの日記に書かれていたネタが複数ページに渡って掲載されるようになったため,日記猿人への更新報告に張るリンクをどう表現するか迷った。そして,結局現在の形に落ち着けることにした。
 日記猿人には,本来の日記ページである「いしなお@日記」をURLとして登録しておく。日記だけを見に来る場合はそちらを読めばいい。
 ただし,その他のネタを見に来る人のために,一行コメントの中に[HOME]というリンクを用意しておく。こちらはいしなお@ホームページへのリンクだ。こちらから,すべてのコンテンツの更新状況を見ることができる。複数クリックを厭わない方は,こちらから日記に行くのもありだろう。
 ちなみに各BBSの更新状況についても,いしなお@BBSからチェックすることができる。もしもBBSが盛況になった場合は,そういう使い方をする人も出てくるかもしれない。ちなみに新しく立ち上げて欲しいBBSがあったら,リクエストをいただけると前向きに善処する所存であります。
 あと,各コンテンツからホームページへ戻るには,各ページの最下部にあるいしなお@というマークをクリックするといい。そのほかにも注意書きの部分に「いしなお@」という形でホームページへのリンクが張ってある。ブラウザの戻るボタンで戻れる限りは,そちらを使った方が楽だろう。
 というわけで,引っ越しによって使い勝手が変わってしまった本ページだが,何とか読者離れが起こらないで無事離陸できるといいなーという希望とともに,キーボードを置くことにする。って,キーボードは初めから置いてあるわいっ。

1999年9月11日[*]

ナンバー2は可哀想[*]

 不祥事が相次ぐ神奈川県警で,マスコミの矢面に立たされているのは,県警のナンバー2なんだそうだ。いわゆるナンバー2の悲劇って奴か。何かことがあった場合は,トップに責任を押しつけられたナンバー2が,あらゆる泥をかぶって動き回らなければならなくなる。
 昨日の夜ニュースを見ていたら,記者会見中にそのナンバー2が「公務だから」と言って,記者会見から退席しようとしたそうな。そして,それに怒った記者たちが「逃げるのか!」「ごまかすな」などと言いながら,ナンバー2をもみくちゃにしていた。
 そういう映像を勝ち誇ったように放送し,「このような不誠実な行動を……」などといったコメント付きで放送しているということは,マスコミ各社(少なくともわたしが見たニュースのテレビ局)は視聴者も同様の感想を持つと思っているのだろう。しかし,わたしはナンバー2よりもマスコミの方が醜悪に見えた。
 「知る権利」というのは確かにあることになっているし,その代行者であるマスコミがその権利を行使するのはかまわないだろう。しかし,「知る権利」は「基本的人権」なみに,あらゆる物事に優先して扱われなければならない権利なのだろうか。わたしにはそうは思えない。「知る権利」よりも優先する「公務」があるのならば,それを優先させてもかまわないと思う。
 あと,あらゆる不祥事に関して,「聞かれない限り,答えないのは不誠実だ」というマスコミの考え方もあるようだ。しかし,たとえば警察手帳をなくした警察官の話など,わざわざマスコミに記者会見の通知を回し,記者会見場に集まった記者たちの前で
「えー,このたび○×署所属の△□が警察手帳をなくすという失態を犯し,厳重注意処分を受けました。まことに申し訳ありませんでした」
などと言ったとしたら,それで満足したのだろうか。わたしだったら,「くだらないことで,わざわざ記者会見を開くんじゃないよ」という感想を覚える気がする。というか,そのくらいは記者が自力で調べろよと思う。警察番の記者たちは,警察発表を待っているだけで,独自の取材活動をほとんどしていないのではないかという不信感もある。
 もう一点,マスコミの矢面に立っているナンバー2を悪者扱いするのは,根本的に間違っているだろう。悪いのは,実際に不祥事を起こした当事者たちだ。そして,大きな組織で上に立つ人間が一人一人を監視することなどできないことは,誰にだってわかる。
 人は自分がやったこと・やらなかったことに対してのみ非難されるべきだろう。ナンバー2は,「調査の結果わかっていたのに虚偽の情報を発表したこと」あるいは「十分な調査をせずに,不正確な情報を発表したこと」のどちらかについては非難されても仕方ないが,神奈川県警の全不祥事について代表として糾弾される筋合いはない。
 さんざんマスコミに叩かれて,神奈川県警の不祥事を代表する映像イメージとなり果てた,あのナンバー2に限りなく同情する。どでかい貧乏くじを引いた気分だろう。

1999年9月12日[*]

H゛は何様のつもりだっ![*]

 DDIポケットがやっている,Hに「゙」をつけて,エッヂと読むらしい新しいサービスのCMは,携帯を越えたとか言い張っているから,てっきり新しいすごいサービスをやっているのかと思ったら,単に前に発表していた,複数基地局の電波を同時に受信して,基地局の切り替えを高速にした端末ってだけのことだと判明して,確かに技術的には一瞬cdmaOneと似ているような気がするけれども,根本的な部分はただのPHSなくせに,大げさな表現とCMを使って何様のつもりだ,JAROに訴えてやる!ってダチョウ倶楽部の口調で言おうかと思ったのだけれども,ただでさえ周りから変な人と思われていそうな今日この頃,さらなる色目の色を濃くするような行動は慎むべきであるという大人の判断が採用されることになり,仕方なくこの場でその旨を表明にするいたったわけで,後ろ向きに悪処させていただきますと言う表現を使う政治家を見てみたいよね。

1999年9月13日[*]

頭痒足裏臭水虫菌鈴木網[*]

 イエッフーッ! 頭が痒くてしょうがないと思ったら,もう一週間くらい風呂に入った記憶がなかとですか? って人に聞いてもしょうがありませんね。なかとですよ。記憶にないだけで,本当に入っていないかどうかは,髪のみぞ知っているのです。いや,神も知っているかもしれないけれども,髪の毛のフケ達が一番よく知っていると思います。です。ます。
 というわけで,久しぶりに風呂に入ったとですよ。シャワーだけじゃなく,湯船にお湯をためて浸かったのです。やっぱこれじゃないと,風呂って感じがしませんよね。とくに足の裏なんかは,こうやって湯船に浸かりながら,ふやけた足の裏の皮をごしごししないと,まともに洗った気がしません。まあ洗った気がしなかったところで実害なんて無いんですけどね。だって,もしもおれの足が臭かったとして,誰がそれを嗅ぎます? 普通の生活をしている限りは,多少足の洗い方が甘かろうが苦かろうがしょっぱかろうが,どうでもいいことなんですよ。ただし,水虫にならない限りは。
 ちなみにわたしは昔,海辺を歩いていてサンダルで靴擦れして,海辺の砂で汚れた足を洗う場所が無くて,数時間かけて家に戻ってからようやく風呂で足を洗ったんだけど,そのときに水虫菌をゲットして以来,まめに足を洗わないとふとした表紙に水虫菌が復活しそうになるので,うかうかとしていられないのですよ。
 ところで,ふとした表紙ってどんな表紙でしょうね? アイドルでいうと誰の写真が似合うかな? 鈴木網あたり? 鈴木網の整形前の写真ってのがネット上で出回っていて,それを前に見たことがあるんだけど,実はわたしゃ実物の顔が記憶になかったんで,それのすごさがよくわからんかったとですよ。鈴木網ってのも地引き網みたいでいいよね。多分亜美なのかな? 疑似美しさって意味? こりゃまた整形っぽい名前。
 それにしても,今朝の地震で思わずベランダの窓を開けに走ったわたしは,災害対策ナンバーワン? ああ,ちなみにこの日記ページと文章ページの差別化を図ろうかと画策中です。画ノ館市立策謀中学校って感じです。具体的には,このころのノリに少し戻そうかななんて思っているのです。真面目な文章はどこにしまうことにしよっかな。
 ところでやまかん,エアコンの外窓を閉めたままエアコンをフル稼働すると,わたしの席がメチャメチャ熱くなるので,以後気をつけなさい。そして,先生に礼。着席。

野球スパイクに関する悪文[*]

 この間の野球の試合でスパイクを履いてこないと今度から試合に出さないぞこの貧乏人めとののしられたわたくしはドンキホーテなどの安物量販店において3000円程度で野球用スパイクが購入できるとの噂を聞きつけ急遽近所にあるオリンピックという名の偽オリンピックマークが目印の安物量販店へと向かったのです。なんとかオリンピックにたどり着き野球用品売り場を探し出したところ確かに2900円程度の野球用スパイクはあったのですがよくよく調べてみたところある一つの事実に気がついてしまったのです。普通クツというものはある一つの種類のクツであったならばサイズが違っても同じ値段で売られているものなのです。しかし野球用スパイクというものはどうやらそういう文化圏とは隔絶した世界で成長してきたらしくサイズが大きくなればなるほど値段が高くなるという実にまっとうなような納得のいかないような文化を密かに育てていたのでした。というわけで27センチのわたしの足用の野球用スパイクには4500円という値段がついていたのでした。いやー読点がないと読みにくい文章は悪文だっていうけれども悪文だからどうしたっていうんだよっ!(逆ギレ)

いちゃもん[*]

 文章の終わりでもないのに,適当な幅で改行をしているページは,読みにくいので好かんのですよ。それって,あなたの環境では程良く改行されているのかもしれないけれど,わたしの環境ではたとえば

文章の終わりでもないのに,適当な幅で改行しているページは,読みにくいので好かんので
すよ。
それって,あなたの環境では程良く改行されているのかもしれないけれど,わたしの環境で
はたとえば

って感じに見えるのです。ね,読みにくいでしょ? って,「いやいつも通り読みやすいやん」って人が結構いそうやん。
 要するに,あなたの環境の文字サイズとWebブラウザの表示幅と,わたしの環境の文字サイズとWebブラウザの表示幅が違っているときには,読みやすく改行したつもりの文章が,逆に読みにくく伝わることがあるんです。わかってくさい,おのおのがた。
 まあ,パソコン通信時代の名残を引きずって,半角80文字以内で改行するくらいだったら,まあかわいげがあるんですけどね。10ポイント以下の文字サイズで横幅600ピクセルあたりを基準にされたんじゃ,たまったもんじゃないのです。
 あと,わたしはセンタリングされた文章はポエム以外読みたくないのですよ。長文をセンタリングして書かれると,なんだかがっくりするのです。適当な改行と組み合わされて,

文章の終わりでもないのに,適当な幅で改行しているページは,読みにくいので好かんので
すよ。
それって,あなたの環境では程良く改行されているのかもしれないけれど,わたしの環境で
はたとえば

な感じになっていたら,目も当てられません。せっかく内容は面白いのに,読み続ける気力を失って,以来読んでいない日記はいくつあることでしょう。いや,そんなにたくさんはないんですけど。ちなみにポエムがセンタリングされているセンスは認めますけど,ポエムをわざわざ読むことは普通ありませんので,センタリングされていてもいなくてもあんまり関係ありません。
 あと,ポップアップウィンドウが開く海外ジオもいやなのです。せっかく一回消しても,次のページに行ったらまた開いちゃったりすると,うざさ倍増です。規約違反をおしてでも,あのJavaスクリプトはカットしちゃってください。確か,HTMLタグの外側に呪文を書いておくと,あのJavaスクリプトを強制的に無効にすることができたはずです。海外ジオのポップアップウインドウよりも,スクリーンの上にへばりつく巨大な窓を開くページの方が恐ろしいですけどね。

1999年9月14日[*]

唇をつまんで口笛・放送事故の小鳥の絵・読書感想文[*]

 朝会社にやってきて昨日のソシスを読んで,まずは鼻をつまみながら口笛を吹いてみたわたしは大馬鹿者ですか? ちなみにわたしは最初から吹けましたよ。経験値が違うのですよ。ついでに言うと,わたしは唇をつまみながらでも口笛が吹けます。嘘です。吹けません。
 ところで,放送事故の時に流れる「まことに申し訳ございません」の映像には,なにゆえ小鳥がいるのでしょう? 放送事故における視聴者のいらだちの96%は,小鳥の絵で癒やすことができるという調査結果でも出ているのでしょうか? ともかく日曜日の昼間のフジテレビの,インド映画の番組の放送事故は長かったのです。復帰までに1分ほどもかかったってことは,担当者の首は間違いなく飛んでいますね。
 でもあれはあれで,インド映画の番組だっただけにある意味の臨場感が出ていて,なかなか良かったです。前にがくもんにっきで「〜だったです」みたいな日本語の是非が問われていた記憶があるんですが(「形容詞終止形+です」だったかも),この語尾は小学生の読書感想文の風情を漂わせる武器なのです。
 「とっても面白かったです。主人公は可哀想だったです。僕もああいう立派な大人になりたいと思いました。なんて書いたのは全部嘘です。」くらいのことを本当に学校に提出する作文に書いちゃうくらい,わたしはひねくれていたのです。しかもそれをみんなの前で読まされたりして。まあうけたからいいけど。
 そういえば,逆接の接続詞を逆説の意味もないのに乱用する使い方を攻撃する文章をどこかで読んだのですが,やっぱり逆接の接続詞で接続するのはとっても楽なのでそう簡単に使うのをやめるわけにはいかないのですが,わたしはそれらの格好の良くない文章を意識しながらも使うのをやめない確信犯なのです。屁っぷー。

あなたは社会に認められていますか?[*]

 池袋の通り魔さんが「社会に認められなくていらだった」から犯行に及んだと供述しているらしいけど,みなさんは「社会に認められ」ていますか? わたしは全然認められていませんよ。
 わたしの感覚では「社会に認められる」ってのは,最低でも1万人くらいには個体識別してもらえていないとダメなのですが,そんな人は多分世の中にそうはいないと思います。世の中社会に認められている人って何人くらいいるんでしょうね? 
 前に何かの本に,人が一生のうちに関わり合う個人の数は○○人だみたいなことを書いてあるのを読んだのですが,その細かい数字を忘れてしまったのが悔やまれます。が,確か大した数じゃなかったはずです。
 今自力で算出してみることにすると,小中高と1クラス+αで50人くらいに識別してもらえたとして,それが12年間で600人。親戚やご近所さんたちの数は100人くらいかな? 社会に出て働いたところで,年間20人くらいまでしか個体識別してもらえないんじゃないかな。セールスマンなどは,訪問先の人に個体識別されたとは言わないだろうし。で,40年間働いたとして800人。その他諸々入れても数千人レベルの前半が関の山?
 多分今まで算出した数の大部分がのべ人数的に重なり合っているんで,人によっては千人までいかないかもしれません。それに,わたし自身昔の同級生なんて9割以上忘れてしまっているので,そういうのは「現在社会に認められているか」を算出する人数に入れてはいけない気がします。
 というわけで,今のわたしを個体識別している人間は,せいぜい数百人の前半程度かなって気がします。Webとか出版物の世界を数えるともうちょっと行くかもしれないけれど,それはわたし自身を識別しているのとはちょっと違うだろうし。
 さて,どうやらわたしも社会に認められていないことが自覚できたので,無差別に人を殴ったり刺したりして殺してもよさそうな感じになってきました。わたしの場合は渋谷の東急ハンズがご近所なのであの辺を出歩いている人はご注意を。

1999年9月15日[*]

ブレードボードとパンチョさんのヅラとプロ野球のシナリオ[*]

 今日は仕事をするつもりだったのに,その前にキャッチボールをしていたら疲れ果てちゃったんで,そのまま仕事はばっくれ。代わりにオリンピックに行って,おニューのグローブとブレードボードを買っちゃいました。ブレードボードって言葉でピンときたあなたは,なかなかの通販通。右から読んでも通販通,左から読んでも通販通。それはともかく,ブレードボードってのは,よくしなるプラスチックの棒をぶるんぶるんさせると筋肉増強ができるというグッズなのですよ。アブストラクターとかのお友達ですね。ちょっとやってみたら思いのほかいい感じだったのですよ。球速130km/hの夢のためにがむばります。
 ところで,最近パンチョさんはやけくそ気味のばればれかつらを使っていませんか? もうどうせばれているけど,だからといって外す気はないし,でもばれているのに気づいていないと思われるのもしゃくだから,わざと目立つようなヅラをかぶって,これははげ隠しなのではなくファッションなのである,ファッショナブルな帽子をかぶるのと同様にこういうヅラで自己主張しているのである,と告げているような気がするのは,きっと気のせいなのでしょうね。でももしかしたら,フレンドパーク2でヅラ張り付け競争にチャレンジするのを狙っていたりして。
 それにしても,セリーグもパリーグも1.5ゲーム差とはエンターテインメントってものをよくわかっているじゃないか。ってことは,やっぱり長嶋−王対決を実現するつもりなのかな。不愉快な人もあちらこちらにいるだろうけれども,エンターテインメントとして一番喜ぶ人が多いシナリオはやっぱりそれだろうしなー。

1999年9月16日[*]

悪い人じゃないんだろうけどなんかイヤだ[*]

 ハウンドドッグの大友康平が,さまざまなスポーツ選手達の協力の下に,なにやら活動しているらしい。やたらとフジテレビ系のスポーツ番組などでその曲がかかっている。詳しくは知らないけれども,多分音楽活動の収益をスポーツ一般に還元する,ボランティア活動っぽいことをしているんだと思う。
 大友康平って,多分悪い人じゃないんだろうなーとは思う。今回のような活動も,恐らく自然な心の動きの元に出てきたんだとは思っている。そうは思うんだけれども,それでも行動を端から見たとき,なんだかイヤな感触を覚える。
 ああいう行動をやる人を嫌う場合,その裏にある売名もしくは偽善的心が透けて見えるため,というのが多い。また,その行動があまりにも濃すぎてイヤだ,という場合もある。しかし,彼の場合はそのどちらも感じない。だから,本来は好きでも嫌いでもないという位置にいておかしくない。それなのに,なんだかイヤな感じがするのは,その行動があまりにも表面的に思えるからだろう。深く物事を考えて,その結果としてああいう行動に出たという裏付けを感じない。
 そう感じてしまう理由の一つとして,彼の歌う歌詞(の特に英語の部分)から受ける印象というものが挙げられる。あまりにもシンプルで学校で習ったような英語単語や熟語とか。中高生がノートに書き付けた自作の歌詞集に使っていそう。彼を評価する人は「シンプルで力強い」と思うんだろうけど,わたしは「あまり考えていないのでは?」という印象を持ってしまう。あと,今まであの人がテレビなどで何かについて語っているのを聞いていて,一度もその内容に感心した記憶がないあたりも,ああいう活動をするだけの説得力を感じない理由の一つだ。ああいう活動をする人たちって,普通はもっと人の心を動かすような内容をずばずば言いそうだ。しかし,少なくともわたしが今まで見た限りでは,あの人の語りからはその場の勢い以外の何も感じることはなかった。
 まあそう言いつつも,積極的に嫌いと言うほどのこともないんで,わざわざ書くこともなかったかな。ただ,プロ野球ニュースでかかるあの歌と,それに付随してキャンペーンで回っていた時の姿が,何となく気になった(触った)だけのこと。あと,あんだけいろんなスポーツ選手に歌わせておきながら,ミックスダウンする段階で自分の声以外はほとんど消しちゃっているあたりも,なんだか不条理な気がした。
 ところで大友康平の持つ熱狂的ファンの数と熱狂度は,尾崎とか長渕と比べるとどの辺に位置するのでしょうね。わたしの感覚としては,長渕を10とすると,尾崎は7(死後ずいぶん弱まっている)くらいで,大友康平は2くらいかなって感じです。よくわかんないけど。

わたしってば繊細・正解は5・三度目の消磁器[*]

 家に帰り着き,帰り道にずっと我慢してきた小用を足そうとトイレに飛び込んだところ,便器に溜まった水の底に半分溶けかかったうんこがあるのを発見したら,かなりブルーになりますよね。いやたとえあなたがならなかったとしても,わたしはなったのです。たまりにたまった小便水も,なんだかちょぼちょぼとしか出ませんでしたよ。わたしってば繊細だと思いませんか? いやあなたが思わなくても,わたしが思うのです。わたしってば繊細。
 そういえば,昨日のhosokin's roomの「言葉」でうちの過去の日記が紹介されていたのを発見したのですが,今回のはいったい本文とはどういうつながりがあるんでしょう? まああそこの「言葉」は引用の要件(引用が従)を満たす気があんまりなさそうなんで,無関係というつながりがある可能性は否定できないのですが(三重否定表現),たいていの場合本文でも何かかにか関係した内容を語っているので,今回も本文のどこかに関係しているものと思われます。
 選択肢は以下の五つ,「コンクリート詰め女子高生についてどう思うか?」,「文学の意義の一つは,自分のせいではない原因で不幸になっている人の想像力としての機能だ」,「最近見ているサイトが固定されている」,「対象を明確化しない非難は不愉快だ」。やっぱ5番ですかね。っていう細かいボケも気づかない人は気づかない。っていうかみんなそんなに真面目に読んでない〜。
 それにしても,最近見知らぬ細田さんとかのださんとかのページからリンクされているのは,一種の三枝効果なのでショッカー??? そして細田さんは,前回は日記名変換間違い(いしなおの妄想的に地上記録)表記,今回はすでに五日前に引っ越したURLへのリンクと,どうにもうちへのリンクに関しては失敗するようです。3回目があったらそれは偶然ではなく,きっと必然なのでしょう。「三度目の消磁器」ってやつです。磁気を帯びて色味がおかしくなったモニターは,近く−遠く−遠くと三回消磁器をかけると直るのです。ゲームセンターなどで働いている人は,今度試してみてください。嘘だということがわかると思います。

1999年9月17日[*]

Perl隔靴掻痒・かわいい右翼[*]

 今日は久しぶりに電車で出勤。考えてみるともう一ヶ月くらい電車に乗っていなかった。夏の間はほとんど晴れていたし,数少ない雨はほとんど通り雨か週末ピンポイント爆撃だったから,ずーっと原チャリで押し通すことができた。というと,関西以西の人は「えーっ!」と思うらしい。関西以西ではこの夏はずーっとろくな空模様じゃなかったとか。関東以東とはずいぶん印象が違う。
 最近わちゃわちゃと細かい仕事が増えて,でもどれにも中途半端な関わり方をしているせいで,いまいち自分の仕事って感じがしないままに,体だけはやたらと忙しい。無責任でいてもいい立場は楽ではあるんだけど,ある程度の責任がないと意志と体の協調性が失われて,体と心の疲労が同期しない。というわけで,最近なんかだりぃー(今時の若者風)。そういやこの日曜日は草野球なんだけど晴れるだろうか。
 仕事でWebがらみのごちゃごちゃしたことをやらなきゃいけなくなったんで,今まで微調整するくらいしか触ったことのないPerlを真面目に触りだしたら,なんだかすごく腹立たしいことの連続だった。腹立たしいと言うよりは,隔靴掻痒と言った方が正確かも。あれだけC言語ライクな割には細かい部分が微妙に違うし,しかも独自の方言と省略がありすぎて,だいたいわかっているはずと思いつつ実際やってみると,何がなんだかさっぱりわからない挙動が返ってくる。しかも手元にあるPerlの入門書(アスキー出版局「入門Perl」)がこれまたダメダメで,実践的な入門書というスタイルはいいとしても,最低限の説明すら端折って話を進められたんでは,ちょっと応用しようとしたときに理解不能の部分が多々出てくる。
 それでも二日ほどいじり続けていたら,何となく基本的なところはわかってきた。ある程度わかり始めると使いやすくなってくるあたり,Perlってのはコンピュータマニア好みの言語っぽい。ジャーゴンばりばりのプログラミング言語。
 ってところで,臨時ニュースです。ただいま会社の窓の外を,大音量で音楽を鳴らしながら一台の車が通り過ぎていきました。窓に駆け寄ったときにはすでにかなり離れていたためはっきりとは見えませんでしたが,ワゴン車の屋根に大きな看板とスピーカーを掲げた街宣車のようです。あんなでかい音楽を鳴らしながら町中を走り回るのは,右翼の街宣車くらいかなと思っていたのですが,今聴いた音楽は女性の歌声のポップス風の曲でした。ちょっとアニソン風味もありました。もしかして,最近の右翼はそういう方向に向かっているのでしょうか?

街宣車の正体判明・いいふんいんき?・ふと思い出す恥ずかしい記憶[*]

 またさっきの街宣車が通ったので,今度は間に合うように窓のところまで走ってみました。んで,正体が判明しました。渋谷の南口側にあるストリップ小屋「OS劇場」の宣伝カーというのが答えでした。だからあんな悪趣味な音楽を大音量で鳴らしていたんだ。
 それにしても,あそこあんな宣伝を始めたんですね。確かもうそろそろつぶれそうって噂だったけど,つぶれることが確定したんで最後の興行の宣伝でもしているのかな?
 って書いていて,今「興行」って言葉を「きょうこう」で変換しようと思ったのに出ないんで,おかしいなーと考え込みつつ,頭の中に漢字の映像を思い浮かべてみたら,その読みは「こうぎょう」だったのでそっちで変換し直しました。
 「興行」という概念(+漢字)は頭の中で「きょうこう」という間違った音と結びつけられていたんだけれども,「興行」という漢字自体の読みは「こうぎょう」という正しい音と結びつけられていたわけです。漢字の読みを勘違いしているのはそんなに珍しくもないのですが,概念と音の結びつきは間違っているのに,漢字としての読みはあっているというのは,かなり珍しい勘違いのパターンです。
 確か子供の頃に一度間違って「きょうこう」と覚えて,途中で正しい読みを知って「こうぎょう」と覚えなおした漢字のはず。漢字の読みとしての修正は記憶の中で正しくおこなわれたのに,概念から思い描くの音の方は修正されていないということか。記憶の仕組みを考えるのにいい題材かもしれません。
 そう言えば,「ふんいき」を「雰囲気」ではなく「雰因気」と勘違いしている人も結構多いらしいですけれど,それはやっぱり「因」と「囲」,「んい」と「いん」の混同が原因と思われるわけなのですが,そういう人たちに聞いてみたいのは「ふいんき」と読んでいるのか,それとも「ふんいんき」と読んでいるのか,どちらなの?ってことなのです。そういう人たちが使っているパソコンでどっちの読みで変換するか試すことができれば,相手に知られずにどちらなのかを知ることができるのですけど。
 ちなみに,わたしはずっと「矩形」のことを「きょけい」とか「??けい」(自信がないので最初の部分を小さな声でごまかす)と読んでいました。「言及する」を「ごんきゅうする」と言ってしまった記憶もあります。そのときは「どうもおかしい」と思って家に帰って辞書を引いて,がっくりと肩を落としました。そういや,「描画」をどうしても「へきが」と読むやつもいたなー。そいつは「描写」も「へきしゃ」って読むんだろうか?
 でもそのくらいのことでは,家に帰って布団の中でふと恥ずかしい過去の記憶を思い出して頭を抱える,などといったことはありません。もっと恥ずかしい記憶は山のようにあのですから。この間なんか道を歩いているときに,ふとした拍子に恥ずかしいことベスト3に入る出来事を思い出しちゃって,思わず自分に腹が立って怒りの表情を露わにしつつ拳を握りしめたら,通りすがりの人に視線を逸らされてしまいました。相手が赤ギャン・青ギャンたちじゃなくて良かったです。

1999年9月20日[*]

「霞霧靄」読めますか?・草野球[*]

 土曜日は昼から焼き肉を食いまくりつつ,夕方過ぎにふと思い立ってドライブへ。本当は日曜日の試合のためにバッティングセンターに行くつもりだったんだけど,途中からはすっかり目的を忘れて奥多摩の湖まで。
 久しぶりの運転を十分に堪能したので,奥多摩湖に着いたところで引き返すつもりだったのだけれども,勢い余ってさらに霧の山道を抜けて大月へと向かってしまいました。そういえばあの辺にある,幽霊が出ると噂の廃トンネルは見つけられなかったな。前に昼間に通ったときにはそれらしき場所を発見したのに。
 ちなみに春は霞で秋は霧なのです。どちらかというと霧の方が広い範囲で有効です。ただし靄と言っちゃった方が使い分けを考えなくても良くて,面倒がない気もします。さて,霞,霧,靄の全部を読めますか? わたしは最後の一つは多分読めません。仮名漢字変換機能バンザイ!!
 で,車通りのない暗い山道を何とか抜けて大月までたどり着くと,後は高速を使ってすぱっと家まで戻りました。高速ではようやくリミッター解除の成果をきちんと確認することができました。これで冬場の雪山往復も安心です。
 日曜日の野球は,またも勝ってしまいました。次回は準決勝だそうです。しかし,わたしはまたも“参加しただけ”状態でした。今度はライトを守ったんだけど,またしても守備機会はほとんどなし。バッティングも二打席でセカンドフライとデッドボールという体たらく。デッドボールは,避けれる程度のカーブだったのに,前の球が同じくカーブで全然球道が見えずにひどい空振りをしてしまった後だったため,なんだか焦ってしまってよけることができなかったという惨めさ。
 球四つくらい曲がるカーブだと,わたしには対応しきれないようです。ストレートだったら130km/hくらいまでは見えるんだけどな。打てないけどね。

1999年9月21日[*]

ポジティブシンキング・実体験主義・本質的平等主義[*]

 わたしが常々嫌いと公言している「ポジティブシンキング」のほかにも,一見正論に見えるいやな感じの思想ってのは結構あるもんだ。って気分を味あわせてくれたのが,この間夜にやっていたニュース番組の特集「高学歴の女の子がアダルトビデオに出たりするのが増えている」とかいうネタ。
 まず最初にイヤだと感じたのは「実体験主義」ってやつ。「理屈だけでは本当のことはわからない。実際にやってみなくては」みたいなのね。有名大学に通う現役女子大生がアダルトビデオに出るっていうんで,なんでそんなことをするのかと番組側が聞いたら,「実際にやってみて,それがいいか悪いか自分で判断しないと……」などと答えていた。
 確かに想像の中だけ膨らんでしまったイメージは,実体験によってある程度修正されるだろう。でも,実際にやってみなくても想像だけでわかるべきことは,世の中には山ほどある。素直に金のためだと言い切らないあたりが,高学歴と言われるだけあって賢しげ。「お金のこともあるけど〜」じゃなくて,「お金のためです」と言い切りなさい。
 さらにそいつは「本質的平等主義」ってものも掲げていた。自分たちがアダルトビデオに出たり風俗業界で働いたりすることについて,マスコミが「高学歴なのに」という点に注目して取り上げるのはおかしいそうだ。なぜならば「高学歴だろうがそうでなかろうが,人はみんな本質的に同じなのだから」なんだって。
 確かに高学歴だろうが高学歴じゃなかろうが,本質的に人間としては同じ場合が多いだろう。でも本質以前の問題として,目の前におかれた現実が違うだろうが。
 自由とか平等とか,比較的当たり前のように正論とされているものをわざわざ主張する人間って,どこでもそれが成立すると考えているんじゃないだろうか。世の中のたいていの法則は,それがどんなに基本原則に思えたところで,やっぱり適用範囲ってものが存在するのに。
 あと,一見正論風に見える思想を,自己弁護のために使うやつってのは,ものすごくいやな感じだなーということを認識した次第です。などと言っちゃうと,自分が過去に同様のことをやっていないかものすごく気になるよね。見つけちゃったらイヤだから,過去の日記は読み返さないようにしよう。っつーか,うちのはエンターテインメントだから←言い訳になるか?。

負ける原因を作ることは,非人道的な行為だ[*]

 プロ野球をはじめとするプロスポーツの世界で,負け試合の原因になった人間を「戦犯」と呼ぶけれども,よく考えるとそれはすごい表現だ。
 戦犯ってのは,もちろん戦争犯罪者のことだ。戦争犯罪って概念自体の胡散臭さについてはここではおいておくとして,一般に戦争犯罪っていうと平和を乱して戦争を起こした人間(戦争当事国を率いていた人間たち)や,スポーツとしての戦争(戦争にルールがあるかどうかという大問題はみなかったことにして)に非人道的な反則行為を持ち込んだ人間を,処罰するためにある。
 戦争の原因云々って話はプロスポーツでは関係ないから,ということは「戦犯」という言葉を使っている人間は,負け試合の原因となった人間に対して「おまえは非人道的なとんでもない行為を行ったんだ」と告げているわけだ。すげーよな。
 ただし実際の戦犯ってのは,結局のところ戦勝国が敗戦国の人間に対して,恣意的に適用してもいいものとなっている。そこから敷衍して,「負けた者は好き放題蹂躙されるのだ」という皮肉を込めて「戦犯」と表現しているのならば,それはそれでおもしろい気もする。そういう皮肉マインドは嫌いじゃない。
 でもきっとそこまで考えていないんだろうなー。無意識の弱者への攻撃欲(いじめっ子マインド)が「戦犯」って言葉に転化しているんだろうなー。っていうか,最近は「戦犯」って表現を使っている人を見かけない気もする。そういう世代が野球解説者とかから減ってきたからか?

1999年9月22日[*]

長嶋一茂とデーブ大久保[*]

 この間プロ野球ニュースを見ていたら,オリンピック予選の中継に行っていたデーブ大久保に対して,司会の長嶋一茂が「この馬鹿,じゃまだ」的言葉遣いをしていた。「お前なんかがしゃべらずに,選手たちにもっとしゃべらせろ」とか。
 長嶋一茂がデーブ大久保に対して下っ端に対するような言葉遣いをするのは,“大”長嶋監督の御曹司であらせられる一茂様の,生まれもてる権利であるのかもしれないけれども,結局野球では大した結果を残せなかったくせして,調子こいてんじゃねーよ。
 野球界の人間,特に巨人関係の人間からは自然とそういう扱いを受けるんだろうけれども,相手がしたでに出ようとも,自分の判断で本来の相手との関係に見合った応対をするのが,まともな人間のやることだろう。まあ,あの一家は基本的にまともな人間でないところがウリなのかもしれない。でも,茂雄ならともかく一茂にそんな権利は与えたくない。
 といいつつも,デーブ大久保みたいな,最後にちょっと巨人にいただけのくせに,巨人OB代表みたいな顔をしてあちこちのテレビ番組で,巨人ファンですら呆れるようなおもしろくもないコメントをまき散らしている人間も,かなり嫌いなのです。
 一茂の言葉遣いを云々する以前に,デーブ大久保がテレビ画面に現れないことが,幸せへの近道かも。そういや,デーブ大久保が一茂結婚の報道にコメントを求められて「長嶋家の高貴な血筋をたやなさいように……」とかぬかしてたのも気持ち悪かったな。

1999年9月23日[*]

Win系マシンにおけるセットアップ周りの不具合最新サンプル[*]

 あーもう久しぶりにひどい目にあった。
 最近仕事でNTサーバー上でしか動かないソフトをいじることになったので,自分の作業用マシンにNTをインストールしなければならなかった。その結果,結局トータルで何回インストール作業を行わなければならない羽目に陥ったことだろう。
 まず,2台使っているわたしの作業マシンのうちの,予備の方のマシンにセットアップを行うことにした。
 Windows 2000の初期のベータのインストールに一度失敗したマシンでは,ブートローダー部分がおかしくなってしまっているため,Windows NT4をインストールすることはできなかった。これが挫折の第一歩である
 続いて,Windows 2000をインストールする際に,中途半端にネットワークオプションを変更してしまうと,インストール終了後に適切なネットワークオプションに再設定することができなくなってしまうようだ。いろいろ調節してみたのだが,結局最初にインストールしたWindows 2000環境ではネットワーク機能をまともに動作させることができなかった。ネットワークがまともに動かないWindows 2000など使いものにならない。
 そこで予備のマシンの方はあきらめ,メインマシンにWindows 2000をインストールすることにした。
 Windows 9xからWindows 2000にアップデートする際には,現在インストールされているOS環境をすべてチェックするという,馬鹿みたいに時間がかかる作業が行われる。セットアッププログラムはその作業のための膨大な待ち時間がようやく終わった後に,「このマシンにはすでに別のNTがインストールされているのでWindows 9xからのアップグレードはできません」などという,なめたメッセージとともにインストールを強制中断した。
 そんな項目は最初にチェックすればいいだろうが。チェックする項目の順番設定がおかしい。それに,そのマシンには過去にNTをインストールしたことはあったが,現在はもうそのOSイメージは消してしまっているのに。認識も何か変。
 仕方ないので,アップデートではなく新規インストールすることにした。そして,そこでももちろん新たな不具合に遭遇した。Windows 9xからは何のエラーも発見されないハードディスクを,Windows 2000のセットアッププログラムが「異常がある」と判断してしまうのだ。
 インストール作業の中で最初に時間がかかる「セットアップイメージを丸ごとハードディスクにコピーする」という部分が終わった後に,再起動してハードディスクのチェックを行ったNTセットアッププログラムは,そこまでの膨大な待ち時間など考慮に入れずに,突然「このハードディスクにはセットアップできません」とインストールを終了した。
 Windows 98やDOSからスキャンディスクをかけてみても,そのドライブには異常は発見されない。仕方ないので,今まで使っていた起動ドライブにWindows 2000をインストールすることをあきらめ,今までのDドライブを起動ドライブにつなぎ変えて再チャレンジすることにした。
 しかし,Dドライブのハードディスクをシステム付きフォーマットしてから,Cドライブにつなぎ変えただけでは,そのドライブからのブートはできなかった。「FDISK /MBR」でもダメだった。
 そこでフロッピーからCD-ROMドライブを認識させてブートし,ブートしないCドライブにWindows 2000 RC3をインストールしてみることにした。インストールによってWindows 2000のブートローダーに書き換えられるはずなので,それによってブートできるようになるだろうと期待していたのだ。DOSからのNTセットアッププログラムは,昔ながらの「WINNT.EXE」だ。
 しかし,結論は「ダメ」だった。Windows 2000のインストーラーはそこまで賢くないらしい。昔のDOS時代同様,一度ブート部分にほかのデータが書かれた(んだろう。ブートできないと言うことは)ディスクは,そのままではブートディスクにはできないようだ。
 その後のさまざまな試行錯誤の末,DOS起動フロッピーディスクからブートしてから,FDISKでパーティションを切り直し,さらにシステム付きフォーマットをすることで,なんとかそのハードディスクをブートドライブにすることができた。
 ちなみに,Windows 98で作成したDOS起動フロッピーでは,メモリ環境がいまひとつのため,10Gバイトのハードディスク(もちろんFAT32)をDOSコマンドでフォーマットするのはかなりつらい作業のようだった。きちんとメモリマネージャを設定した起動フロッピーを用意する必要がある。
 ここまでで十分時間がかかっているため,ちょっと楽する手段を思いついた。なんとか作成に成功した新しい起動ハードディスクに,XCOPYコマンドを使って今まで使っていた起動ドライブの中身をコピーしたら,今までのWindows 98環境が復活するかと思ったのだ。そこでその方法にチャレンジしてみた。全部のファイルをコピーすると時間がかかるので,ルートとWindowsフォルダ,Program Filesフォルダをコピーすることにした。
 そこでわたしは,Windows 9x付属のXCOPYコマンドは,実はロングファイルネームに対応していないことに気づくこととなった。長々と時間をかけてコピーを終了したわたしの目の前には,「Progra~1」という名前のフォルダをはじめとした,たくさんのショートファイル名&フォルダが発見された。これでは環境を維持できたとはとてもいえない。
 Windows 9x環境を復活させることをあきらめたわたしは,再びWindows 2000 RC3をインストールする事に決めた。そこで,長々と時間をかけて標準的なオプションでWindows 2000をセットアップした。下手にいじるとまたネットワーク設定がおかしくなったまま戻らなくなってしまうだろう。
 しかし,セットアップは無事終了したのだが,ネットワークアダプタが自動認識されなかった。前回セットアップ時にネットワークオプションをいろいろいじったときには認識されたのに。同じネットワークカードを使っているのにも関わらず,今回は自動認識されない。
 Windows 2000には,わたしが使っているプラネットのネットワークカードのドライバは標準で用意されていなかったため,仕方なくフロッピーでNT4用のドライバをインストールしようとしたら,はねられた。ドライバモデルがNT4と2000では変わっていることは知っていたが,それくらいの融通は利かせてくれると思ったのだが。
 それならばと,ネットワークカードが使っているチップがDECの21140であることを利用して,同チップを使っているネットワークカードのドライバを強制的にインストールすることにした。しかし,Windows 9xでは用意されていたチップレベルに対応したドライバは,Windows 2000 RC3には用意されていなかった。
 仕方なく,それっぽい名前のドライバを捜していろいろ試してみたのだが,どれもうまくインストールできなかった。最終的には,なんとかほかのメーカーのドライバ(名前からは全然類推できないカードのドライバだった。名称は現在Windows 9x環境で動作させているため確認できない)で動作させることができたのだが,そこに至るまでの苦労は大きかった。
 何とかまともに動作するWindows 2000環境を構築することに成功したわけだが,やはりまったくさらのWindows 2000を常用環境にするのはつらい。今までと同様のアプリケーション環境を構築し直すのに,どれだけかかることか。
 そこで,今度こそブートが可能になったドライブに,従来のWindows 98環境をコピーして復活させることにした。幸いWindows 2000からのコピーならば,ロングファイルネームを維持したまま,WindowsフォルダやProgram Filesフォルダを全部コピーすることができる。
 しかし,コピーしたWindows 98環境は正常に動作することはなかった。途中までブートしかかったところで,今まで見かけたことのない変わったエラーメッセージ(「なにやら領域が足りない」とかいう内容だった。細かい固有名詞は失念)を出して,強制終了してしまうのだ。
 そこで,その上からWindows 9x環境をアップデートインストールすることにした。手元にWindows 98のCD-ROMが見つからなかったので,手近にあったWindows 98 Second Edition RC1をインストールしてみることにした。
 結果として,Windows 98 Second Editionのアップデートインストールは不成功に終わった。なぜかわからないが途中で一度ブルースクリーンエラーが出てしまい,それ自体は何かキーを押すことでキャンセルできたのだが,基本的なインストール作業が終了した後の再起動途中でフリーズしてしまったのだ。
 仕方ないのでWindows 2000でブートしなおしたわたしは,インストール失敗したWindows 98 Second Editionが入っているWindowsフォルダを削除すると,あきらめ切れずに,前まで使っていたWindows 98のWindowsフォルダをもう一度コピーしてみた。そして再起動したところ,何事もなかったようにWindows 98が起動した。
 ラッキー。これで少なくとも従来のWindows 98環境は完全に復活したし,さらにWindows 2000でのブートも可能になった。
 そこでやめておけばよかったのだが,たまたまそのタイミングで,頼んでいたCeleron 466MHz+スロット1変換アダプタ(計15000円)が手に入ってしまった。今まではCeleron 300AMHzを375MHz(ベースクロック83MHz×4.5)で使っていたのだ。せっかくだから差し替えてみることにした。
 そのままCPUだけを差し替えたところ,Celeron 566MHzと認識された。はて? 83×7=583MHzなはずなのだがどういうことだろう? まあ一応動いているからいいかと思っていたのだが,しばらく使っていると途中でふいにフリーズするようになってしまった。
 以前もメモリ周りの不具合で同様の症状が出たことがあったので,試しにBy Speedに設定されていたメモリのアクセスタイミングを,多少遅めに設定してみたところ安定して動くようになった。メモリは一応PC100対応のはずなのだが,なぜに83MHz程度で安定動作しないのだろう。
 というわけで,昨日一日と今日の半日はPCを安定動作させることに費やしてしまった訳です。糞ほど仕事が詰まっているのにもったいない時間を過ごしてしまったことだなー,というのが現在の感想ですか。
 ちなみにマシンの体感速度は,思いのほかはっきりと上がっています。でも,わたし自身のアイドル(idleの方ね。idolじゃないよ)時間が現在の最大のボトルネックとなっているため,作業効率が変わるほどではないでしょう。
 でもまあ,NTベースじゃなきゃできないお仕事のための環境も整ったし,従来環境を維持したまま多少スピードが速くなったし,苦労の甲斐は多少はあったと思うことにします。ああ,疲れた。さらにこの文章を書くのにも無駄な時間がかかったことは,内緒です。

1999年9月24日[*]

Celeronのクロックアップ限界・ノーツドミノ・DHTMLとJavaScriptの非互換性[*]

 一昨日から昨日にかけて,さんざん苦労してセットアップしたマシンが,今朝会社にきたらブルースクリーンを出して止まっていた。どうやら,メモリのアクセスタイミングを遅めにしただけでは,一晩中の稼働には耐えられなかったらしい。仕方ないので,ベースクロックを75MHzに下げて,75×7=525MHzで駆動させることにした。これで,今のところ約10時間ほどの連続稼働に成功している。Celeron-466MHzのクロックアップ限界はさほど高くないのか。
 今日は一日ノーツドミノをいじっていた。何だろう,この癖の強さは。プログラムの作り方として,最初に美しい仕様をデザインしそれに沿って発達していくタイプと,まずできることを実現しそれに必要な機能を追加搭載していくタイプの二通りあるとすると,ノーツドミノは思いっきり後者に属しているように思える。細かい便利な機能が山のように搭載されているが,その全体像はというと混沌の中にある。いろいろ探してみたのだが,その全体像を美しくまとめた参考書は見つからなかった。実際に一つ一つの機能を試していきながら,使い方を覚えるしかないのだろう。
 というわけで,今日は一日ノーツドミノの基礎を学ぶだけで疲れ果ててしまった。F1もその他のニュースもネタだけは拾ってあるのだけれども,それをまとめる余裕がない。疲労困憊コンバトラーVって感じ(←どんな感じだ?)。
 さらに,それと同時にDHTMLとJavaScriptの非互換性の海にも漕ぎ出さなければならないらしい。試しにホームページビルダー2000を買ってきたのだけれども,こいつに搭載されているその手の機能は,テンプレートに用意されているものからほとんど離れることができないレベルのようだ。結局Dreamweaverに行かざるを得ないのか。前にちょっと使ってみたときには,ものすごく印象が悪かったんだけどな。
 なんだか今日一日でものすごく脳味噌の中心部に疲労が蓄積された気がするので,今日はあきらめてとっとと帰ろうかな。

1999年9月25日[*]

うやむや・腐敗・ネットスケープの凋落・未来像[*]

 スケジュールがきつきつにつまっていて,当初からその達成可能性が驚くほど低いことは,関係者すべてが知っていると思われていた仕事で,作業を始めるにあたってのキーとなるデザインの可否を尋ねる質問が丸一日放置されたまま担当者への連絡が付かなくなってしまい,ようやく今日になって連絡が取れたところ「あれ,OKってメール出してませんでしたっけ?」みたいなオチに終わることって,よくあるよね。まあ達成可能確率5%が3%に下がったところで,今更慌てる気にもなれないけれども。オレが最終責任者じゃないとは思うんだけど,いったい誰が最後の責任をとるんだろう? やっぱり日本人らしく,なし崩しのうやむや路線っすか?
 で,今週末がF1ウィークだってことはすっかり忘れていた。昨日一昨日と拾ったネタをため込んでおいたら,今日になってさらにネタの数が倍増する事態となったしまい,これ以上ため込んだら腐らせてしまうことは予想できたので,そういう事態はうちの冷蔵庫の中でたくさんだと言うことで,根性を出してF1関連のニュースだけでも整理。F1って,シーズンのこの時期が一番面白いかもね。
 久しぶりに使ってみたDreamweaverは,思ったよりも使い勝手が悪くなかった。前に試してみてダメだったのって,バージョン1.2の頃だったかな。バージョン2になってずいぶんよくなったのかも。それにしても,DHTMLとかJavaScriptとか使ってみるときって,一番ネットスケープの凋落具合を確認できるよなー。そういう技術が必要かどうかはともかくとして,元々はWeb技術の最先端を走っていたはずのメーカーが,ここまで世の中の流れに置いてきぼりを食らっているとは。ネットスケープの凋落の内部資料としては,「辞職そして追悼。」なんかが面白いかも。ネットスケープの生え抜きの社員が,mozilla.orgの運営に携わることになって山ほどの挫折に直面し,そしてAOLに買収されたネットスケープを辞めていく話。
 現在という状況は,ネットワークとシームレスにつながったデスクトップというものを創造できたソフトメーカー(&ポータルプロバイダ)が,OSメーカー(要するにマイクロソフト)を出し抜いて,ソフトウエア界の覇者になれるチャンスだと思うし,本来はその一番手として名乗りを上げるメーカーとなり得たネットスケープなのにね。今もっともそれに近い位置にいるのは,もちろんマイクロソフトで続いてはAOL(ネットスケープ色はほとんど前面に出ない)だろうか? desktop.comとかiDriveとかはきっと先行したメリットを生かせるだけの地力がないだろう。ソフトに力を注げばディズニー(Go.com)なんかも可能性があるのかな。ポータルとWeb関連ソフト技術の両方が必要だからな。ああ,ソフトバンク(Yahoo!GeoCities)もあったっけ。
 一番美しいのは,標準仕様が策定されて実サービスやソフトは様々なメーカーから提供される状態なんだけど,そんな夢は実現しないでしょう。でもなんとかマイクロソフト以外のメーカーががんばって,仕様策定に影響力を与えるだけの力を得て,マイクロソフト独占ではない形で実現する方向に向かってほしいなー。

1999年9月26日[*]

無間地獄・逃げ以外の昇華法を探す・F1は見る[*]

 なんだか無間地獄の気配を感じています。作業しても作業しても終わりの見えない徒労感。これって,本当に一人の人間が期間内に達成可能な作業量なのでしょうか? いや,いろんなものを捨て去れば可能なんだろうとは思うんだけど,達成するために捨てるものがあまりにも多過ぎる場合,それは達成というよりも,ただごまかして終着にたどり着いただけになってしまう気がします。それも達成のひとつの形と割り切れるのが,大人ってやつでしょうか。
 そういえば,今日は木曜日に雨で流れた野球の試合がありました。朝の試合に勝てば,昼から決勝戦だったのだけれども,残念ながら朝の試合に惜敗。わたし自身はエラーもしたし,エラーではないけれどもまずい守備を何度もしたし,三打席凡退だったし,最悪の内容でした。これだけ最悪の記憶はとっとと忘れて前向きに生きるのが,ポジティブシンキングの有効な活用法なのでしょうが,あいにくわたしはそういう逃げを是としない性格なので,いつまでも覚えておいてぐちぐちとことあるごとに後悔しながら,それを忘れ去る以外の方法で昇華するすべを探すつもりです。
 ああ,こんなもの書いているひまは本当にないのですよ。今回のF1はとっても面白そうなので,一応中継は見るつもりですが,F1ページの更新はいつやっているひまがあるのか,さっぱりわかりません。

1999年9月29日[*]

地獄の一丁目・キリンヤガごっこ・IME2000のバカ・対処じゃない療法

 地獄の一丁目を曲がって二丁目へと向かっている途中で一息ついてみることにしました。そして,地獄の監視員である某フランス人俳優の目を盗みつつ(「うまい,もいっぽん,もてこいっ!」),何を今さらな感じで「キリンヤガ」を読みました。わたしもキリンヤガごっこをしてみたくなりました。っていうか,キリンヤガごっこページを作るかもしれません。どういう内容かというと,ムンドゥムグが子供たちにするような寓話を語って遊ぶページです。含蓄があるようでないようで,重要なことを示唆しているようでいないようで,結局のところ人をうまくだまくらかすことが最大の目的なのです。ユートピアはあなたの心の中にだけ存在しており,それを実在化することは法律によって禁止されています。
 そういえば,地獄での日々で無性に腹がたった出来事があったので,書いておきます。地獄では自分の普段のマシン環境ではなく,Windows 2000ベータ版+いろんなサーバーという環境を強いられました。どうせ期間限定なので普段使っているアプリケーションをインストールせず,IMEはIME2000を使っていました。
 そういう環境で,あるメールを書こうとして「先週送ったメールの……」という文章を打とうとしたわけです。そうしたところ,「先週」という候補が出てきたのは,なんと50番目でした。第一候補は「千週」。以下,「千周」「千集」「千州」と続き,さらにその後ろには「千」という表記を,「1千」「壱〇〇〇」「1000」「1000」「壱千」「1,000」「1,000」など多種多様に変形したパターンが続き,そのどうでもいい候補の嵐が数十個も続いた後に,ようやく求めていた「先週」が現れたのです。
 マイクロソフトのIME開発者はバカですか。「ATOKに対抗する」と言っていろいろ宣伝活動やらなんやらしているのを目にしてはいましたが,こんな脳みその足りない文章解析アルゴリズムを搭載するくらいだったら,昔ながらのシンプルな辞書+使用頻度並び替えだけのIMEの方が使いやすいです。っていうか,MS-IMEの元になったWXII(でしたっけ?)の方が今のIME2000よりもましなんじゃないですか?
 このバカなアルゴリズムは,単にバカなだけではなく,無意識に人に文章作法を強制する意味もあります。「先週,送った」とか「先週に送った」などとすれば,きちんと「先週」を第一候補として変換するのです。要するに「先週送った」と助詞を省略した至極一般的な文章表記を,規制しているわけですね。これは,ATOKが「ら抜き表現」だとか「助詞の連続」などと指摘しつつも,それをそのまま無視して文章入力ができることと比べると,無意識なくせに強制力の強い,悪質な仕様だと思います。
 というわけで,すでに十分実感していたことではありますが,IMEとしてのATOKの優位性をさらにはっきりと確認できた出来事でした。でも,一太郎はいらないんです。Dash系はちょっと気になるけど。
 あと全然関係ない話ですが,「対症療法」を「対処療法」と勘違いするのは,比較的よく目にするし自分も何度かやったことがある気がするのですけれども,この勘違いは字面もその意味もあまり大きな違いがないため,よほどのきっかけがない限りはなかなか気づきにくい勘違いなのです。ですから,今この文章を読んで気がついてしまった人は,これを機会に記憶を修正しておくか,あるいはそれでもしつこく使いつづけて誤用が一般化した例を増やすために,あなたの清き一票を投じますか?

1999年9月30日[*]

それでもWindows 2000はいい・ついに登場! RealJokeBox

 地獄の2丁目は来週の週明けに迫っている。しかし,1丁目を乗り切ったときに焦燥感が薄れてしまったため,なんとなくだらけてしまっている。実際には目先の仕事を乗り切ったあとにも,たくさん積み上げられているものがあるのに。
 腐ったWindows&Office 2000環境にも,だんだん適応しつつある。結局それは,さまざまな腐っている部分をおしてもなお,Windows 2000の安定感が優れているからだろう。Windows 95/98では決して達成できなかった,OS自体が落ちないことへの安心感がそこにある。Windows NT 4.0ももちろん安定していたけれども,わたしが使うアプリケーション環境では,Windows NTのわずかに最新技術に乗り遅れた部分が致命的だった。要するに,DirectX3までしか対応していなかったから,Windows NT 4.0を常用できなかった。その点Windows 2000は標準でDirextX7まで載っている。
 ちなみに,ただいま多少酔っ払いである。うちの会社が無事つぶれずに5期までたどり着いた記念の乾杯があったためだ。ビール一杯と日本酒半杯だけしか飲んでいないのに,なんだかやけに酒が体に回っている気がする。時間が早かったため,体が驚いているのだろうか?
 などというごくごく普通の日記じゃつまんないんで,大きく話を変えてみる。
 RealPlayerで有名なRealNetworksという会社が,RealJukeBoxというソフトを作っている。RealAudioやMP3などに対応した音楽データ再生&管理ソフトだったはずだ。その体験版が,とある雑誌の付録CD-ROMに入ることになったそうな。で,「今回こういうソフトが入ります」という一覧表があったのでそれを見せてもらった。そこに「ついに登場! RealJokeBox」と書いてあった。そうか,ついに登場したのか。きっとさぞかしRealなJokeを飛ばしてくれるコンピュータソフトウエアなのだろう。っつーか,ジョークにリアルという形容詞はどうだと思うぞ。そういえばどこぞの研究所で自動的にだじゃれを生成するコンピュータを開発したとか言う話を聞いたことがある気がするなー。あれが市販されたのだろうか。
 などという妄想を小さな胸に秘めて,なおとは仕事に戻ります。そういや今日で9月は終わりだから,So-netのU-Page退会届を出して,原チャリの自賠責を買ってこないと。


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