いしなお@日記
1999年10月
久しぶりに会社で夜明かし。何はともあれ,地獄の日々は明日で終わりを告げるはず。結果はともかくとして,一段落だけはつくはずだ。
久しぶりにこういう状況になったな。2年くらい前まではそういうのもあたりまえだったけど,最近は定期の仕事ばかりやっていたから,スケジュールも仕事の質も自分でコントロールすることができていた。
最近みたいに単発の仕事の連続だと,スケジュールはその場その場で変更されるし,仕事の内容はぎりぎりになるまではっきりしないし,おれ的には全然いいことがない。
そういえば,今回はおれの嫌いな仕事のパターンというものを認識するよい機会になった。
まず,達成しなければならないゴールがはっきりしないままスタートする。そして,途中経過を見せるたびに,暫定的な達成目標が上積みされていく。しなければならないことと,したほうがよいことの区別がついておらず,漠然とした要求が積み重なる。といった感じだ。
だいたいおれは,余裕がない展開というのは大嫌いだ。だから,ある仕事が割り振られた場合は,自分の目一杯の能力の50%未満で可能なスケジュールを立てる。そして,与えられた期間の7割程度で90%以上を完成させておき,残りの3割の期間はけつ合わせモードに入る。しかし,スケジュールも仕事内容もはっきりしない場合は,このようなペースで仕事をすることは不可能だ。
また,早めに完成寸前まで持っていき,後半に余裕を入れるというペース配分を狙っても,途中経過を見てから,ゴールに上積みがなされるようでは意味がない。おれ的には期間の最後の3割はフェールセーフのためにとっておきたいのだが,せっかく最後に余裕を持てるように最初飛ばしておいても,そんな余裕は簡単に消し飛ばされてしまう。結局最後までばたばたし続けるしかない。
おれは一歩一歩を踏みしめて歩くタイプではなく,急ぎ足で一通り通り過ぎたあとに,自分の通った跡をそれが間違っていないか確認してみるタイプなのだ。プログラムを書いてコンパイルしても,絶対に一回では思ったように動かない。細かい間違いを山のように積み重ねつつ,ひとまずゴールまでの道筋をつけてしまうのがすきなのだ。ざっと一通りストーリーを作ったあとから,伏線を挿入するタイプというか。
だんだん何が言いたいのかよくわからなくなってきた。これはきっと眠いからだろう。まだ完パケに達しているわけではないので,いったん仕事に戻って,一通りチェックしなおしたら一眠りしよう。ここを更新できていない間に,いろいろネタにしたいニュースがあったけれども,もうネタが古くなっちゃったね。
さて,今まで一週間ちょっとたまっていた鬱憤をはらすモードに入ろう。OSもWindows
2000ベータ2から普段のWindows 98環境に戻ったし,それに付随して細かいアプリケーションも使えるようになったし,なによりもIMEがIME2000からATOK11に戻れたのがうれしいねー。
とかいいつつ,まだ何かあったらすぐに地獄に引き戻される瀬戸際なんだけどね。
さて,ようやくうざい交通安全週間が終わった(のはもう先週末の話)のだが,交通安全週間中の事故発生率は,ちゃんとそれ以外のときよりも有意に減っているのだろうか? わたしが交通安全週間中に感じることは,ただただ「渋滞がいつもよりもひどいなー」という感想のみだ。
あれだけ普段と比べての交通の流れを阻害しているのだから,交通安全週間中の都内における時間あたりの交通量は減っていることだろう。その減っている分以上に事故率が減少していないと,あんな運動は「ゆっくり走ろう○○県」という標語並に意味がない。「どうなんだ,減っているのか,おいっ?」って言うだけ言っても自分で調べる気はない横着者。
それにしても,期間中はどうでもいいような違反で捕まっている人はたくさん見かけるが,本当に危険なドライビングをしているごく少数の人の数は,特に減っていない気がする。逆に,警察官等の目がないところでは,鬱憤を晴らすかのようなドライビングをするため,普段よりも周囲に与える危険は増しているような気すらする。
ともかく,普段は捕まえないような細かい違反を,交通安全週間中のノルマを達成するためにだけ捕まえるのは,なんだかなーって感じ。交通法規にはあやふやな部分が多すぎるから,もうちょっとかっちりとした線を引いてほしいところ。
白バイだって普段はすり抜けをやっているくせに,時々捕まえるモードに入っていたりするから危険だよなー。あと,原チャリの速度規制もどこまで本気で捕まえにかかるか,予測がつかなくてイヤ。
臨界事故のニュースの第一報を見たときに,そのさりげない論調の割には実はちょやばな事態なんじゃないかと思った。そして情報が集まるにつれ,実は日本が滅んでもおかしくない事態が起こっていたことを知った。
事故の原因について薄く知り得た情報を元に覚えた感想は,「核物質の危険性なんて,まともな知能を持っている人間ならば誰でも知っているだろうに,それを理解できないような低脳どもに,核物質を取り扱う作業をやらせるな」というものだ。
長年その仕事をしていたという話なので,「作業慣れすることによって,危機意識が薄れた」ということがあるとしても,「地球人類を滅ぼしかねない」危険が作業の習慣化によって薄れるとしたら,やはりそいつらは低脳だ(それにしてもATOKは本当に差別用語を変換してくれないなー。2回変換してようやく「低脳」を覚えてくれたよ)。
ただし,「地球人類を滅ぼしかねない」危険な作業を日々の仕事として行うには,その事実を実感として理解できないくらいの無神経さが要求されるのだろう。だから,まともな感受性と知能を持った人間では,なかなかそういう仕事に就かないという事情はあるのかもしれない。
でも,人間なんでも金に変えられるものなのだから,まともな感受性と知能を持った人間にそういう仕事をやらせるくらいの金を出してでも,信頼できる作業者を捜すべきだろう。
そのくらいの覚悟が,原子力に関しての世界的な共通認識だと思っていたのだが,日本だけは違ったのだろうか? 関連ニュースを見るにつれ,当事者たちは「使うと外野がうるさい便利なエネルギー」くらいにしか考えていなかったように思えてくる。
ところで,ちょっと前の「吠えろゴリさん!」で「原発を国会議事堂の隣に作ればいい」という発想は「幼稚園児レベル」という説が唱えられていたが,わたしは「原発を皇居の中に作ればいい」派なので,それに異論を唱えておく。
日本のような狭い国土では,僻地に関連施設を追いやったところで,核爆発を伴うような事故が起こってしまえば,それは日本の破滅と隣り合わせとなる。もっとも電力を消費する東京に電気を供給することを考えると,原子力発電所の施設を万一の時に東京まで被害が届かない場所まで遠ざけることも難しい。
絶対に起こってならないことならば,絶対に起こってはならないことを前提とした設置・稼働を行うべきだ。その覚悟がないのならばやるべきではない。それに,堪え忍ぶことが商売の皇族の方々ならば,そういうひどい決定にも堪え忍んでくれそうな気がする。
ムンドゥムグの教えによれば,「一本の指でバランスを取った棒は,その指を少しずらしても大きくずらしても,結局地に落ちてしまうのだ」ということになる。この説に納得できる人は,いいキクユ族になれることだろう。ところで,キリンヤガごっこの癖はいつになったら抜けるのだろうか?
ちなみに被曝(放射能にさらされる)を被爆(爆弾の被害を受ける)と間違うのはさほど恥ずかしくないけれども,やはり臨界を臨海とするのはかなりなんだかなーといった気分ですね。臨海で飛瀑ならば,何となく水つながりでいい感じ?
今日はとっとと帰ろうと思ったのに,なにやら人が来るのを待ってデータを確認して帰れと呼び止められてしまい,仕方ないので日記をもう一ネタ書くのに,その時間を費やすことにした。ネタがないので,この間書きかけてやばい展開になったのでやめた,ゾマホンのネタを書いてみることにしよう。
ゾマホンってのは,「ここが変だよ日本人」とかいうテレビ番組に出ている,変な外人だ。番組自体も数回斜め見しただけなので,番組タイトルの正確な表記も知らないし,ゾマホンがどういう人物なのかもよくわかっていない。おそらくアフリカの小国家の人なんだと理解している。
彼は,自分が思うところの日本人の変な部分について,それが絶対的に究極的に変であると,へたくそな日本語を激した感情でさらにへたくそにしながら,主張する。半分くらいはなにを言っているのか聞き取れないが,残りの半分を解読する限りは,「わたしやわたしの祖国の人がしないことは,みんなおかしい」と言っているようだ。
彼の主張は基本的に田舎者や老人など,時代の流れについていけなかったものの主張とほぼ等しい。いまどきの日本には真の田舎者は存在していないし,時代遅れの老人はマスメディアなどとは無関係に生きている。だから,アフリカの小国家のゾマホンに,彼らの代わりのキャラクターとして,田舎者や老人の主張を代弁させている。
もしも老人や田舎者が同様の発言をしたら,古くさい固定観念に呪縛されている人として,バカにされることだろう。しかし,日本人は基本的に外国人に弱い。また「差別」という言葉に強い禁忌感を持っているため,黒人の少数民族などという存在には弱い。
だから,彼はなにを言っても許される。それは本当のバカやキチガイには,なかなか面と向かって「バカ」とか「キチガイ」などと言えない,という状況にも似ている。彼がどんなに異常なことを言っても,根本から否定されることはない。そういう背景があるからこそ,逆に大いに笑い者にさらし者にすることができる。
ゾマホンの主張にはほとんど同意する気がないが,彼を出演させているテレビ局や,彼の言動を笑い者にしている視聴者には,なんとなくイヤな感触を覚える。ゾマホン本人がそういう役割だと知ってやっているのならばいいが,そうでないのならばものすごく悪趣味な出し物だと思う。
っていう認識は,もしかした間違っているのかもしれないと,書き終えてからふと不安になってきた。あの番組ってトータルで30分くらいしか見てないからな。でもゾマホンに対してはサンコンに対するものとは違った,陰にこもった嘲笑の気配を感じるんだよな。
今度こそ,本当に一段落ついた。これで一月くらいは例のナニ関連から離れることができる。でも,ほかにも締め切りがきつい仕事がいくつかあるし,さらに例のナニ関連の仕事が来月には復活する気配もあって,結構うんざり。
というのはさておき,また臨界事故の話。事件そのものについてはともかくとして,その前提となる臨界事故に関する知識がいまいち足りていない気がしたので,その辺について情報をまとめてみることにした。
程良い資料が見あたらなかったので,わたしの漠然とした記憶とあちらこちらで聞きかじった知識から,文章としてまとめてみる。細部の正確さについては,保証できない。あちらこちらの情報を参考にしたが,もっとも多くの情報はSF作家野尻抱介氏のホームページにある伝言板の書き込みから得ている。
原子力発電所では,核燃料をコントロール可能な範囲で核分裂反応させ,そのときに起きる熱エネルギーを使って電気を起こしている。その基本的な仕組みは,原爆がコントロールしない核分裂反応によって,爆発的なエネルギーを得ているのと変わらない。
核分裂は,核燃料にエネルギーを集中的に与えることによって起こる。たとえば原爆では,火薬を使った爆発のエネルギーを核燃料に集中させることによって,核分裂反応を引き起こす。核分裂の際に発生する放射線(主に中性子線)は,物質(核燃料)にぶつかるときに,それにエネルギーを与える。そのエネルギーによってさらに核分裂反応が引き起こされ,核分裂は連鎖反応となる。逆に,連鎖反応にならないレベルの核分裂は,核分裂ではないとも言ってもいいかもしれない。
「臨界」とは辞書的な意味で言えば,「物質がある状態から別の状態へ変化する,そのきわ」という意味である。核反応においては,「核分裂反応が連続して起こりつつある状態」を意味する。核分裂反応を起こすつもりがないときに,誤って核分裂反応が起こり始めてしまい,核分裂反応で放射された中性子線自体がエネルギー源となって,核分裂反応が連鎖的に持続してしまう。それが臨界事故だ。
今回利用された核物質は,ウラニウム235(以降省略してウランと表記することもある。また原子力発電の燃料としては,安定した物質であるウラニウム238も含有したものを利用するらしいので,その辺の意味も含めてある)である。それを硝酸に溶かしたものが,今回の事故で扱われていた硝酸ウランだ。工場で行われていた作業は,ウランを硝酸に溶かし,それを濾過して硝酸に溶けない物質を取り除き,再び固体化させることによって,より純度の高いウランを生成する作業だ。
本来ウラニウム235は,純粋なものを一カ所に49kg集積しない限りは,臨界に達しない。しかし,硝酸ウランは水に溶けた状態にあり,その状態では臨界条件は緩くなる。つまり,より少ないエネルギーで臨界状態を持続することができる。今回はウラン16kg分に相当するウラン溶液を一つの沈殿槽に集めたことによって,臨界に達した(ウラニウム235の含有率がどのくらいだったのかはよくわからない)。
中性子線は,減速材である水の中で空気中よりも大きな力を持つ(おそらく,物質を透過するのに時間がかかる分,よけいに物質にエネルギーを与えるのだろう)。また,水は中性子線の反射体となるため,外に出ていこうとする中性子線を反応している場所に封じ込める働きも持つ。今回の場合は,臨界事故が起こった沈殿槽の外側を冷却水が囲んでいたため,それが反射体として働き,臨界状態が持続する一因となった。
事故が起こった物理的な要因はいくつか挙げられる。まず,本来の手順で作業した場合は,それだけ大量のウランを一カ所に集めるはずはなかった。しかし今回作業員は必要な量の数倍のウラン溶液を,一カ所に集積させた。
また本来ウラン溶液を入れるべきだった溶解塔とそこから続く貯塔は,細長いパイプ形状をしていた。そのため,容器表面から中性子線が逃げる率が高く,連鎖的な反応は起きにくいはずだった。しかし,作業を省略して直接ウラン溶液を入れた沈殿槽は,ずんぐりしたタンク形状をしていた。そのため底にたまったウランは一カ所に固まった状態となり,しかも大量の水に囲まれるため,中性子線も逃げにくかった。
今回の事故では核爆発は起こらなかったため,爆発による被害はまったくなかった。爆発が起こらなかったと言うことは,爆発の影響によって外部に放射性物質が飛び散ると言うこともなかった。原子力事故の二大要素である,爆発の被害と放射性物質による周辺の汚染はほとんどなかったことになる(ほとんどというのは,作業員や救急隊員など現場に入った人間が,服や体につけて放射性物質を外に持ちだした可能性があるからだ)。
ただし,臨界状態になったということは,さまざまな放射線が発生したということだ。中でも物質透過力が大きく,生物に大きな被害を与える中性子線が外部に漏れたため,その影響が懸念される。臨界状態は,9月30日午後10時30分頃から翌午前5時前後まで観測されており,その間中性子線をはじめとしたさまざまな放射線が発生していたことになる。
現場で事故を起こした作業員は,最大12シーベルトの放射線により被曝したという。また,臨界状態を停めるために冷却水を抜く作業をした18人は,20mシーベルトから103mシーベルト被曝している(法令では年間50mシーベルトまでの被曝限度が設けられている)。
大まかな被曝線量と健康被害の関係としては,以下のような報告がある。被曝線量1シーベルト以下の場合で,3〜4週間後に脱毛や食欲不振,全身倦怠を感じる。2〜6シーベルトで被爆直後から吐き気や全身倦怠が起き,一ヶ月以内の死亡率は4シーベルトで50%,7シーベルトならば100%に達する。7〜10シーベルトの場合は1〜2週間以内に100%の死亡率。20シーベルト以上ならば,早期死亡率100%。
ただし,この報告はあくまでも大量の放射線を短期間に浴びた場合の被害であり,放射能汚染のもう一つの側面である,長期的な健康への影響は考慮されていない。半減期の長い放射能汚染は,長いスパンで健康に害を与えることが多い。
というところまで書いたところで結構疲れはてたし,その途中で会社のネットワークがいかれて,それの修復作業に追われてしまったりしたので,ちょっと中途半端だけれどもここまでとしておく。これでもずいぶんと臨界事故に関する情報が,自分の中で整理されたと思う。嘘の含有率ができるだけ少ないといいな。
久しぶりにのほほ〜んとした一日。今日のノルマは原稿1ページと調べものだけにしておこう。
そういえば今,外から帰ってくるときにエレベータの脇に貼ってあったカレンダーに,「火事後の火の用心」ということわざが書かれていた。いわゆることわざカレンダーってやつだ。前にそのことわざを見かけたときには,漠然と「火事が起こってしまった後にも気を抜いちゃいけない。また新たな火事が起こるかもしれないのだから」という意味なんだろうなーと思っていた。今日はエレベータがくるまで時間がかかったので,わざわざそばによって小さな字で書かれた解説まで読んでみた。そしたら全然違う意味だった。
「火事が起こってしまった後に,火の用心をしても手遅れだ」という意味だそうだ。同義語に,「葬式に行った後に,健康に気をつける」みたいなことわざもあるらしい。確かに一理あるけれども,後者はともかく前者は「過ちを二度と繰り返さないように注意するのはムダだ」と言っているみたいで,なんかあんまりいいことわざとは思えない。単純に「備えあれば憂いなし」と言った方がいい気がする。
ところで,「備えあればうれしいな」と言っていたのは誰だったっけ?
Show's Hot Cornerに「たしかに、あの事故、筒井康隆「アフリカの爆弾」だよなあ。」って書いてあった。そういやそうだなあ。
ちなみに「アフリカの爆弾」ってのは,核兵器が飽和してしまった近未来,アフリカの弱小国家ですら核兵器を入手することができてしまうようになり,文化されていない腰簑つけたような原住民族(って表現は,いわゆる差別表現だけれども,特定の実在する誰かを差別するために使っているのではなく,差別的な言葉で表現されるような架空の誰かを表現するための,メタ差別表現である。のか?)が,狩りの大きな獲物を運ぶような,昔ながらの危険きわまりない方法で,えっちらおっちら核ミサイルを運んでいく話だったと思う。ミサイルを落っことしそうになったり,曲がり角でぶつけたりとか。
あと「廃墟通信」に「数十年間かけて、我々の父祖と我々自身が営々と築き上げてきた「メイド・イン・ジャパン」への信頼感が、地に落ちてしまった。これに何より腹が立つ」と書いてあったのを見て,なるほどそういう効果もあるんだということに気づいた。
精密で繊細な作業によって作られた信頼性の高い日本製品というイメージは,今回の原子力燃料に関するいい加減な作業内容によって,一発で崩されたかもしれない。その辺のリサーチをマスコミにはしてみてもらいたいものだ。もしこれで日本製品の貿易取引が大幅に減るようなことがあったら,JCOさんにはその分の損害賠償もやってもらいたいところ。
ちなみにわたしが臨界事故に関して一番最初に思ったのは,今後テロリストたちが核によるテロの標的や材料調達の現場として,日本をターゲットにするんだろうなーってこと。ふつうの工場のふりをしている核燃料施設で,しかもその中ではバケツとスプーンで適当な量の核燃料を混ぜ合わせているってんだから,核によるテロなんかは簡単に実現することができそう。
総括すると,わたしにとって今回の臨界事故は,あまりにも面白すぎて笑えないリアルジョークと言った感じでした。
「My
Fuckin' Valentine」の10月5日付けの日記で,「漫画アクション、全員5000円プレゼントだって。なんか手違いでスクラッチを削ってあたりが出たら5000円プレゼントというのが、全部当たりになってたらしい。」ってのを読んで,実際に該当の雑誌を入手してみた。
実は上記の記述はちょっと間違っていて,実際には「懸賞ハガキでは、一部印刷物の隠ぺいインキが基準以下で印刷され、強い光線にかざすと下絵が透けて見えてしまうことが商品発送後に判明しました。」ということだった。
懸賞の内容は,5×5(6×6だったかも)のスクラッチの升目に四つ(五つだったかも)のキャラクターが隠されており,はずれを引かずに全部のキャラクターを当てたら5000円をプレゼントする,というもの。確かに蛍光灯にかざしてみたら簡単に正解がわかった。
この手の企画ってあちこちでよくやっているのに,凸版印刷ともあろうところが何でこんなくだらないミスをやっているんだろう。チェックしきれなかった編集部もかなりダメだけど。
ところで,双葉社(あるいは凸版印刷が責任をとったのかも)側は,応募された中から抽選で200名を当たりとすることで対処することに決めたそうだ。漫画アクションが何万部売れているのかは知らないけれども,おそらく数十万部は発行されていることだろう。
仮にかなり多めに見積もって50万部売れたとして,全部当たりの応募があったとしたら50万部×5000円=25億円。さすがに全部払うわけには行かないだろう。それを200人×5000円=1,000,000円としたわけだ。
このスクラッチで当たりが出る確率は,(4/25)×(3/24)×(2/23)×(1/22)=約0.000079となる。だから,期待値は50万部×0.000079=約40人。200人ってのは,期待値よりも十分に多い人数だから,不当な設定というわけではなさそうだ。でも,50億円がたったの100万円になっちゃったのか,って考えるとちょっとがっかりする。
ちなみに本来40人×5000円=200,000円程度の予算で済んでいたものが,絶対に100万円払うことになってしまったのだから,その損額は約80万円となる。やっぱりその分の責任は,現場の誰かが取らされたかな?
このニュースを聞いてこんな計算をしてみた人は,世の中にどれくらいいるのだろう? っつーか,せっかく該当の雑誌を入手しながらも,計算する段階になってものがどこかに行ってしまって,細かい数字があやふやになってしまった段階で,わたしにはこのネタを書く資格がなかった気がする。
前に「投票・空メールボタンを押すルール」というネタを書いたけれども,最近あちらこちらで見かける日記猿人のランキングに関する話を読んで,またちょっと思考してみた。
わたしは日記猿人関連で一行コメントなどをいじって遊ぶのは好きだし,その一環として自分の得票数の増減を試してみたりもした。でも,ランキングトップnに入ろうとか,誰かの日記よりも上位にあがろうとは考えたことはない。あくまでも自分のやった(書いた)ことと得票数の増減の関係にのみ注目して(遊んで)いる。
日記猿人のランキングはある種の競争ではあるが,それは一般的な競争のように何か決まった評価軸に沿った優劣を競うものではない。ある種,人間としての総合力を競っているようなものだ。
昔どこかで読んだネタ(確か講談社系のマンガだったと思う)で,「今の入試は間違っている。こんなクイズみたいな記憶力を試したり,実用性のない計算をやらせても,そんなので人間の価値なんてはかれない」みたいなことを言うやつに,「じゃー,全人格をテストする試験なら受けるのか? もしそれで落ちたらどうする?」と切り返すものがあった。
日記猿人のランキングを競うのは,それと似ている気がする。全人格の評価をかけて日記猿人のランキングを競い,そしてランキングの結果を日記作者の間の人格評価順位と考える。ランキングを過剰に気にしている人は,無意識にそういう考えにとらわれているのではないだろうか。
実際には,全人格をテストするような試験は存在しないし,日記猿人のランキングは非常に複雑な要素で決まっていくものの,それと人格の評価との関連性は非常に薄い(ということは,もちろんある程度はそういう意味があるとも,わたしは思っているわけだが)。
結局,ちはる先生の「日記猿人でWeb日記を書いて得票数を競うというのは、一種の並列型スポーツだ。しかし、これも見る側の楽しみにとどめておく方がいい。得票数がいったいその日記の何を反映しているかは要因が多すぎて特定できないからだ。」に,同感したというだけの話であったりする。
昨日の漫画アクションのネタ「80万円の損失」について,訂正。
雑誌を確認してみたら,5×4の升目から四つのキャラクターを当てるというのが正確な数字でした。というわけで計算し直すと,(4/20)×(3/19)×(2/18)×(1/17)=0.000206が正解の確率。50万部売れたとしたら103人が当たることになります。
ただし,今朝のワイドショーでこの話題を取り上げているのを聞いていたら,当選者数見込みは200人だったということです。ということは逆算すると,漫画アクションは100万部近く発行していると言うことなのでしょうか? わたしの多めに見積もって50万部という予測は少なすぎたみたいです。まあ余裕を持って予算を取っていただけかもしれませんけど。
と考えたところで,ふと怖い考えがよぎってしまいました。
今回のような,だいたい計算通りに現実の結果を予測できるはずの,ほぼ理想的な条件下でも,なぜか数学的予測を裏切った結果が出ることが時々あります。そういう事象はオカルティックな出来事として,その手のテレビ番組や雑誌などで取り上げられたりします。
もしも本当はわたしの見積もり通り,漫画アクションは多くて50万部程度しか発行されておらず,それなのに当選者見込みは200人とされていたとしたら。そして,編集部がそういう数値に決めた根拠は,実は今までの経験によるものだったとしたら。
ある程度の額が当たる懸賞では,その当選確率は数学的確率よりも大きくなる,という経験則がマスコミに蓄積されているのかもしれません。人間の無意識の透視能力・予知能力の存在は,そういったテストによって実は実証されているのです。そういえば,マスコミの世界にはオカルトを信じる人が多いよなー……。
などという都市伝説を作って遊ぼうかと思ったけれども,切り口が回りくどくて明快じゃないので,あんまり広まりそうにもありませんね。
ちなみにくだんの漫画アクションは,まとめ買いをした人もたくさんいたらしく,すでに応募数は1万件に達しているそうです。大手新聞何紙かにお詫びの広告を出して,その料金が700万円くらいかかっているそうなので,担当者の出した損失は80万円程度じゃすみませんね。
フジテレビ系で吉本が始める新番組のCMが,最近頻繁に流れている。
吉本所属タレントを総動員する「新番組のタイトル,ついに決定!」と煽ってもりあげておいてから,「わらいのじかん」という何の変哲もない名前を発表して,オトしているつもりなんだろう。
けれども,前半の盛り上げ方は中途半端だし,タイトル発表での落とし方も全然オチきっていない。カリスマお笑い事務所(とはいわねーか)であるべき吉本が,本気(なんでしょ,出演メンツから考えて)でやってこの程度でいいのか?
でもきっとわたしが大阪人だったら,CMのオチで「わらいのじかん」と画面に出たところで,「って,なんでやねん!」とか「そのまんまやないかぁ!」とか,手振り込みでつっこみを入れているのだろう。
というのは,わたしの大阪人への偏見でしょうか? っていうか,偏見でんねん。
追記)うげっ,「わらいのじかんはテレ朝っすよ。」との素早いつっこみあり。最初の一行は読み替えてください。
追記2)さらに「自信をもって言います。それは偏見です。」というコメントも。でも「そんな人もいなくはないけど」という部分が重要な気がするんですよ。だって,ほかの地方出身者にはそんな人は一人もいないと思うから。
一時期うちの日記ページで「うんこ」とか「ちんこ」とか「まんこ」とかを連発していたのは,世の中にあるさまざまな情報発信メディアの中で,今のところ唯一不透明な用語統制のないインターネットの世界では,つまらない自主規制で表現を自粛する必要などは(自分が責任をとれる限りにおいては)ないのだということを,暗に主張していたつもりだったのだけれども,もしかしたらその行動の成果は,その手の単語を見かけた人たちのWebサイト一般に対する評価を,エロサイト並の基準に引き下げただけだったのかもしれない。
不言実行と有言実行と不言不実行と有言不実行では,その順番に評価が高いと思っていたのだけれども,効果の対象が自分自身以外の場合は,不言実行の効果は期待できない可能性も十分にあるということだ。もちろん,別枠の結論として「戦略ミス」と考えた方が正確なのだが。それはそれとしても,不言実行と有言実行の評価の順位を自分の中で変更することを考えておいた方がいいのかもしれない。
でもまあわたしの基本行動指針は「不言不実行」なのだ。当たり前だけど。基本行動指針がそれ以外の人は存在するのだろうか?
土曜日はだらだらと一日を過ごしたような気がする。なにをしたのかよく覚えていない。
日曜日は洗濯と掃除をして,246方面をドライブ。それから晴海のオートウェーブまで車のメンテナンスに。走行距離が約1万キロということで,エンジンオイル,オイルエレメント,ATFオイルの交換。
エンジンオイルは3300kmごとに交換することにしている。軽自動車なんで一回3000円もしないし。オイルエレメントは初交換だったが,1000円もしないものだったのでもっとまめに交換してもいいかも。ATFオイルの方は1万円もするものだったのか。でもまあ次は3万キロの時に交換だ。それだけ交換してからの帰り道は,さすがに車のパワーが体感できるだけ向上していた。
晴海から戻ってから,近所のちゃんぽん屋へ。地元(北九州)ではちゃんぽんにウスターソースを入れるという話を聞き,ちょっとびびりながら入れてみた。別にまずくはならなかった。なんだかちゃんぽんがソース焼きそば風味になった感じ。
店内のテレビで「インデペンデンスデイ」をやっていたので,中盤のところだけを見た。記憶がものすごく「マーズアタック」と「アライバル」と混ざっていた。エイリアンを倒す方法を発見したというところで,「そうそう確かある種の音楽を聴かせると,(スキャナーズ)あたまがぼん!になって死ぬんだよな」と思っていたら,全然違った。また,主人公らしい技術者が出てきたときに,「確かこいつは,ケーブルテレビだか衛星放送だかのアンテナを使って,エイリアンの情報を得ようとしていたハッカーだよな」と思ったら,全然違った。ところでID4って,「Independence
Day」で「ID」はいいとして,「4」は「7月4日」の「4」なの? そうだとしたら,なんでわざわざ「4」だけつけるの? アメリカではそういう言い回しが使われているの? などと今更な疑問。
んで,月曜日は掃除・洗濯の続き。その途中で洗車をしてみた。車を買ってからまだ3回目。しかも,ワックスなんかは使わず単に水洗いするだけ。車を大事にしないわけではないけれども,車を美術品のように磨く趣味もない。必要最低限のメンテナンスの一環として,錆や故障の原因となりそうな汚れを取り除くのみ。あとは,半年から1年に一回コーティングをしてやればいいでしょう。
その後に軽くキャッチボール。2週間休んだおかげで,肘と肩の調子が戻っていた。ストレートを全力で投げても痛まない。ただし,変化球の練習をする前に,公園に子供たちがやってきてしまったので退散。
それからふと思い立って,群馬県は赤城山までドライブ。連れがバイクで高速道路を走ったことがないとのことだったので,初チャレンジをかねて。16時半頃に出発して,ちょっと混んでいた環八経由で関越までたどり着くと,下り方面道路は空いていたものの上り方面道路は行楽帰り渋滞でゲロ混みだった。さらにしばらく行くと事故渋滞がひどいことになっていた。おそらくへたくそなサンデードライバーのせいだろう。
途中寄ったサービスエリアでは,隣に駐車しようとしていた家族連れおっちゃんが,ふらふらと切り返しまくって,ぶつけられそうで気持ち悪かった。こっち側の方が近寄ってきているのに,反対側をずっと見続けていてチェックすらしねーんだもん。小刻みに動こうとするたびに,急発射と急制動で車が前後にがくがく揺れているし。
途中で飯を食ったりしつつも,赤城高原サービスエリアまでは,結局家から2時間ほどの時間ほどでついた。到着時間はだいたい18時半過ぎ。軽自動車と250CCバイクのくせに,140km/hくらいで巡航していたりしたもんだから。こっちはリミッターカットしても140km/hちょっとくらいしか出ない。バイクの方は160km/hくらいからもアクセル回せば加速するそうだ。やっぱ違うもんだなー。まあ下り坂でずっと踏んでりゃ,こっちももっと出るんだろうけど。
赤城高原に着いた頃には,もうとっくに暗くなっていたんで紅葉を求めて山に登るのはやめて,そのまま帰ることに。高速も下道(17号)も混んでいたんで,下道の抜け道をナビに頼って探しつつ帰ることに。どうせだったらと,加須の友達のところを経由するルートを選ぶ。
回避ルートで多少ショートカットはできたが,それでも結構時間がかかって,22時半頃に加須に到着。それから,明日は健康診断再検査のために夕飯抜きだという友人を連れてファミレスで食事。結局我慢できずにアイスクリームを食べてやんの。だっせー。
だらだらとしてから,日付も変わった0時半頃に帰路に就く。連れが,寒いからバイクで高速使うのはいやだというので,下道で帰る。さすがに空いていた(けど,車自体は結構多い。道のキャパシティを考えると密度が低いというだけのこと)んで,すっ飛ばして家には2時頃には帰り着いた。そのまま爆睡。
そして,今朝会社に来たら,なぜか机の上に小山ゆうの「スプリンター」愛蔵版全5巻が置かれていた。忙しくて読む暇がないままに一日を過ごし,出先から帰ってきて高速で5巻まで読んだら,実は全5巻ではなく,まだ続きがあることに気がついた。しかし,今更スプリンター愛蔵版の続きを入手するのは可能なのか。以下,次号(嘘)。
ネットバトル(ネット上の伝言板などでの論争)を戦うことは,地雷原の中でダンスを競うのに似ている。たくさん埋められている地雷を踏まないように,どれだけすばらしいステップを,論敵とそして観客に魅せることができるかどうかを競うのだ。
どれだけすばらしいダンサーでも,まったく地雷を踏まずに踊り続けることは難しい。地雷を踏むことをおそれるダンサーは,おそるおそるといったステップしか踏むことができず,それはダンスといえるレベルに達しない。無謀なダンサーは地雷を踏みまくり,(論理の)傷だらけになって去っていく。また,未熟なダンサーだと,激しいダンスを踊るたびにその足下に新しい地雷が振りまかれていくことも多い。地雷を踏まないぎりぎりのステップで,すばらしいダンスを見せられるようなダンサーは滅多にいない。
まれに,地雷を踏んだことに気づかない(気づけない)ダンサーも存在する。そういった彼らの中には,地雷の存在をまったく気にとめることなく,すばらしいダンスを繰り広げることができる者もいる。しかし,そのようなダンスは,一般的常識から外れた動きとなって,ほかのダンサーにとっては大きな迷惑となる。また,一緒に踊っているダンサーだけでなく,それを見ている観客席にすら被害をふりまく場合もある。
Web日記を書くことも,それと似た部分がある。どれだけ地雷を踏まずに(あるいは地雷を踏みながら),激しいステップを踏む(歯に衣を着せずものを言う,というのは美しすぎる表現か。「放言する」と言った方がいいかも)ことができるか。そういう自虐的な楽しみかたもできる。
ただし,Web日記は伝言板などとは違って,基本的に独りのステージだ。だから,多少奇妙なステップを踏んだところで,ほかのダンサーの迷惑になることはない。せいぜい観客席に飛び込まないように注意するだけでいいだろう。
などというWeb日記のポジショニングも,ありかなとは思う。ときどきそういうことを意識しすぎて,どこまで行くと観客席にまで飛び込むのか,チキンレース的な実験を試みたくなる欲求に負け(そうにな)る。でも,なかなか虎の尾を踏んだ実感がわくことは少ない。かみそりメールもまだ(って,おい)2通くらいしかもらってないし。あっ,別に募集中なわけではないよ。
先日作家の三浦綾子さんが亡くなりました。
わたしは今まで三浦綾子さんと曾野綾子さんは同一人物だと思っていました。三浦さんの旧姓が曾野だと思っていたのです。なぜなら,三浦さんのご主人が三浦朱門氏だと思っていたからです。
しかし,三浦綾子さん死去のニュースをあちらこちらとチェックしてもそのようなことは書かれておらず,おかしいなと思って自力で調べてみた結果,三浦綾子さんと曾野綾子さんは別人で,しかも曾野綾子さんのご主人が三浦朱門さんだということがわかりました。
ややこしいです。何とかしてください。とくにキリスト教つながりってあたりが,話をややこしくしています。
ところで,「こころのともしび」に出てくる外国人宣教師たちの語りは,ムンドゥムグほどの説得力を持っていませんよね。っつーか,聖書自体にまったく説得力を感じないのは,わたしが信者ではないからですか。
あと,暴走列車を止めるために自分の体を犠牲にするってのは,あまりにもリアリティがない気がしますよね。もうちょっと壊れにくい(ちぎれにくい)素材を探した方がいい気がします。でも,原作を読んでないんで,根本がそういう問題じゃないのかもしれません。
他人の日記を批判する日記を批判する日記,を批判する日記[*]
他人の日記を批判する日記を批判する日記,を批判する日記。なんてネタを書こうかと思った。けれども,面白いけど面白くないのでやっぱりやめた。概論だけ書いておくと,他人を批判するのはダメだと批判するあなた自身の批判は,本当に棚の上に上げてもいいものなのかい?ってことね。
ある日ふと我に返って,そんな自分を一歩引いて客観的にみたならば,自分が批判していた対象は,自分の似姿であったことに気づくはず。気づけないようだと,かなりの重症。
そういうところまで含めて遊ぶのは,わたしは嫌いじゃない。でも,たとえ自分自身ではそのことに気づいているつもりだったとしたところで,ある程度の格好悪さは残るものだ。いくら斜に構えたところで,「真正面を向いたときの格好悪さ×cos(斜に構えた角度)」程度は格好悪いことになるのだ。←ほんとか?
ところで,格好悪さって連発しているうちに,「(ルパン三世愛用の銃-P38)」なんて表記を思いついたんだけど,あんまり面白くないっすか。そうっすか。
昨日の夜,目黒通りを酔っぱらい運転をしていたら,学芸大学付近の対向車線にランプを点灯したパトカーがいた。「何をしているんだろう」と思いつつ横を通り過ぎ,その後の挙動をバックミラーを通して見ていたら,そのパトカーは突然次の交差点でUターンすると,ぼくの車の後ろを追いかけてきた。
「なんでぼくが酔っぱらっていることがばれたんだろう?」などと半分本気で考えながら様子を見ていたら,そのパトカーは信号待ちしていたぼくの車を一気に追い越して,そのままあっという間に見えなくなってしまった。
そしてその数分後,ぼくの車はそのパトカーに追いついた。目黒通りと環七が交差するオーバーパスを降りたところの道路の真ん中に,男の人が一人横たわっていた。その周囲を警察官が囲み,その脇にパトカーが停まっていた。さらにその先には,斜めを向いて停車しているセダンとさらに先には倒れたバイク。どうやら交通事故のようだった。
倒れている男はぴくりとも動かなかった。あたりは暗かったので,血が出ているのかどうかなどはわからなかった。男はスーツを着込んでいた。もう0時近いという時間帯を考えると,会社帰りに飲んで酔っぱらった男が,道路をわたろうとして車かバイクにひかれたというストーリーが思いついた。オーバーパスでは車はスピードを出しがちだ。その下り坂付近を酔っぱらいが無理矢理わたろうとしたら,停まりきれない可能性は十分に考えられる。
これだから判断力がなくなった酔っぱらいはたちが悪いよな,まったく。こんな危ないところを適当に渡ったんなら,轢かれるかもしれないことくらい気付よ。
などと,当たっている可能性が低い推論を元に死んでいるかもしれない人を責めながら,ぼくは酔いでいまいち定まらない視点をなんとか固定しつつ,家までの道をたくさんの車を抜き去りつつ帰った。
などとたまには「ぼく」という一人称を使ってみたのだが,いまいち「ぼく」らしさがない内容だったため,「わたし」で書いたのと比べても,細かい言葉遣いが違っている以上の差は出なかった気がする。もうちょっと「ぼく」を乗りうつらせれば,ストーリー自体から組み変えられただろうに。
というところから,「人称代名詞や語尾の統一というルールと,それらを乱すことによって得られる文章表現力の拡大について」という話に持っていこうかと思っていたけれども,面倒くさくなったのでそのネタはまたいつか。
Hにてんてんをつけて「H"」なDDIポケットのエッジは,PHSをちょっと拡張しただけにもかかわらず今までとは別物というイメージを訴えようと派手に宣伝しているのだが,H"というネーミングにはあまり説得力のある理由がないらしく,いくつかのHから始まる英単語に語源を求める説が有力で,それを聞いたところでどうもあとからのこじつけ臭い匂いしかせず,きっとさまざまな命名案が出た中から英単語に濁点をつけた「H"」という表現が一番格好いいという意見が大勢を占めた結果,ああいう名前になったのだろうと思われるのだが,もしもDDIポケットが携帯電話メーカーだったのだとしたら,「H"」は「携帯"」になったのかもしれないなどとふと考えてしまい,もちろんそれは「ゲイタイ」と読むのだが,もしかしたら「ゲイダイ」なのかもしれない。
などと久しぶりに句点のない文章を書いてみたわけだが,なんだか最近のんびりWebなんかを作っている暇がないらしく,F1ニュースもその他ニュースもネタだけがたまっていく一方で,腐る前にすべてを吐き出すことは不可能だろうと思われる今は,せめてちょろちょろとでも出す努力をするほかはなく,なんとなく残尿感にさいなまれているようないないような,ってどっちやねん,って自らつっこみを入れるのもむなしい文章を書いている自分を,端から眺めて愛おしく思えるほどの自己愛もなく,ともかく明日あさってと乗鞍方面へと旅立つ計画が進行しており,それを実現するためには今日締め切りの原稿をとっととあげて,家にかえろっと。
追記)沙実さんから『携帯゛は「ケイダイ」かと思ってしまった。』とのコメントが。確かに「帯」の方に濁点をつけているんだから,「ケイダイ」の方がふつうの読み方だーね。
この週末は,乗鞍岳方面へ紅葉を見るツアーへ。中央高速を突っ走り,長野道松本ICで降りて,あとはひたすら細い山道を乗鞍岳方面へ向かう。なんだかやたらとでかいバスとすれ違う,結構走りにくい道だった。トンネルのライトの光量が足りなくて,やたらと暗かったのが印象に残った。
ぎりぎりで適当に決めた宿が,しょぼいスキー宿だったのはちょっと残念だったが,まあ白骨温泉と同じ白濁した硫黄臭いお湯の,いかにも温泉らしい温泉だったんで,まあいいかといったところ。飯もそこそこうまかったし。
肝心の紅葉は,乗鞍の標高の高いあたりまで行くと,そこそこ色づき始めていた。その辺はさすがに寒くて,ふつうの長袖だとちょとつらいくらいの気候。土曜日夕方着いてそのまま一泊してから,翌日に景色がいいという乗鞍スカイラインをぐるっと回るつもりだったのだが,なんと日曜日は積雪通行止めになってしまっていた。しかたなく代わりの林道を通ったのだが,いまいち納得がいかなかった。
そこで乗鞍から長野中央部に戻ってから,今度はこちらも景色がいいとされている白樺湖の方にあるビーナスラインへと向かった。なんだかやたらとお金を取られる有料道路だったが,なかなか景色は良かった。近郊で一番高い山々の尾根沿いに走っている道路といった感で,見晴らしのいいきれいな舗装道路を走り続けることができる。ただし,外に出るとかなり寒かった。
その後,行きと同じ道を通るのをさけて,上信越道へと向かい,しかし途中で事故渋滞の嵐に巻き込まれたので,結局最後は下道をずっと使って帰宅。かなり疲れていたのだけれども,根性でF1マレーシアGPを最後まで見て,その勢いでベネチア−インテル戦まで見てから寝た。今日は軽く飲んだらかえってすぐに寝よう。
昨日は「今日は軽く飲んだらかえってすぐに寝よう。」などと書いたくせに,結局家に帰ったのは3時過ぎだった。久しぶりに量を飲んだ気がするけれども,でもしょせん日本酒4合程度だった気もする。だらだら飲み続けていたから,量がよくわからないや。
そんだけ飲むと,さすがに帰りの原チャリが危険かなということで,1時間ほど休んでから帰宅の途についた。んで,帰り道に初めて「なんでんかんでん」に行った。ずっと近所(ってほどでもないけど)に住んでいながら,一度も行ったことがなかったのだけれども,さすがに3時過ぎだと空いていたんで,思わずふらっと入ってしまった。
初めて食べた感想は「まずくはないけど,別にうまくもないかな」くらい。なぜいつもあれだけ人が並んでいるのかよくわからん。スープはそこそこうまかった気はするけど,でもくさかったな。あの辺だったら,246と環七の交差点あたりにある九州ラーメン屋の方が好きかも。
なんてことを書いていたら,昨日の「どうなってるの?」のギョウザ特集を見て以来沸き起こっていた「ラーメン&ギョウザが食べたい欲求」が復活してきたので,近所の天下一にでも行って食べてこようかな。そういや,渋谷でギョウザがおいしい店ってあんまり聞かないなー。
花ってものはいまいち好きじゃない。木や草,葉っぱなどは,どちらかというと好きな方であることを考えると,どうもわたしは,花というものに対しては特殊な感情を持っているようだ。
その原因を考えてみたところ,一つ思い当たるふしがあった。それは,前にどこかで見た「花は植物の性器である」という表現だ。確かに,植物にとって花とは花粉(精子)をまき散らしたり,それを受粉したりするための,動物にとって性器に相当する器官だ。
そう考えると花を愛でるという行為は,むき出しの性器を鑑賞して楽しむ行為のアナロジーとなり,非常に悪趣味な行為のように思えてくる。そういえばわたしは,特にぼってりと厚ぼったいような花弁を持つ花を,特に好きじゃないような気がする。
などと書くことによって,これを読んだ花好きの人たちを自分の同類にしようという画策は,功を奏すことができたでしょうか? って,このくらいじゃ無理か。というよりも,なぜ意味なく仲間を増やそうとするのでしょう? これも日本人気質ってやつ?
ある日記的ページで,虚偽と思われる内容が実際に起こった話のような形式で書かれていた。それに対して,そのような虚偽を事実のように書くのは,ある人々(業界)に対して迷惑だと,非難しているページがあった。
ところで,わたしは日記にはやまほど嘘を書く。事実をそのまま書くこともあるが,事実を元にちょっと脚色した文章を書くことが多い。それは厳密に言えば「嘘」だろう。また,ある思想を表現するために,あり得そうな架空の出来事を,特に「フィクションである」という断りなしに書くこともある。
わたしは,日記(に限らず個人的なWebページ)には嘘を書いてもかまわないと思う。情報ページでわざとデマを流すというのはさすがにまずいと思うが,それもネタとしては「あり」だとすら思っている。犯罪を構成するくらいの誹謗中傷じゃない限りは,自ら書いた嘘への贖いとしては,自らのWeb上での評判(悪評)だけで十分済むと思う。
だいたい公開されたWeb日記に嘘を書かないというほうが,難しいことなのではないだろうか。個人情報をぼやかした段階で,ある程度の嘘は混ざる。また文章を書くときには,表現技法上,ある程度の嘘(誇張,省略,一般化)が混ざるのがふつうだ。
わたしの場合は,「真実なんてものを文章で表記できるわけがない」などという多少斜めに曲がった信念すら持っている。また,「境目が明確でないルールは適用するべきではない」という信念もあるので,以上二つを適用させると,「Web上に嘘を書いてもかまわない」という結論が出てしまう。
まあ,「それは嘘だろう」とつっこまれても,「はい,嘘です」と答えないのは往生際が悪いとは思う。わたしの場合は,もしもつっこまれたら「はい,嘘です」と答えちゃうだろう。でも,「ある程度嘘だという前提の元に書いていたのに,それに厳密な訂正を求められてもなー」という気持ちも持つかもしれない。
なんてことを書くと,いろいろな自己矛盾が出てくることになるのだが,細かい微調整分を文章化するのは面倒くさいので,それはそのまま放置。基本的にわたしのWebページをは,清濁併せ飲む度量付きで読んでくだされ。
この間乗鞍に温泉旅行に行ったときに,妙なものを発見した。松本市から山道を抜けてビーナスラインへと向かう途中,温泉小屋に寄ったときの話。温めの風呂にのんびり浸かった後,髪を洗おうかと洗い場に向かった。そして,そこに置いてあったシャンプーらしきの容器を手に取り,本当にシャンプーかどうかを確認してみた。しかし,そこには「リンス」と書いてあった。
「ちぇっ,シャンプーじゃないのかよ」
しかしよく読んでみると,そこにはこう書いてあった。
「髪を洗えるリンス」
いろいろキャッチコピーなども書いてあったのだが,とにかく基本的には髪をしっとりさせるコンディショニング効果が主眼なのだが,髪を洗う用途にも使えるということらしい。つまり,「シャンプーインリンス」ってこと。
なかなかコロンブスの卵的発想というか,ニワトリとたまごの命題的というか,これを考えた人やオッケーを出した人たちは,頭がいいんだろうか悪いんだろうか? ちなみに使ってみた感触は,ただのリンスインシャンプーだった。
といったところで,ふと考え込んでしまったのだが,「ほにゃららインほにゃらら」という表現においては,どちらが主でどちらが従なんだろう。含有する方が偉いのか,される方が偉いのか。これを男と女のアナロジーにするのは危険。
ネタの出し方として,「よくある考えを一歩ひねったり,わざと逆をいったりする」というのはよくある。特に思索系の日記などでは,わざと一般論の逆をいく思想を開陳しているところが少なくない。
しかし,その手の手法を用いる場合には,その背景となる思想を十分に作っておかないと,それは「おもしろいネタ」ではなく「ただの天の邪鬼」になってしまう。反対のための反対でないのならば,せめてありがちな思想をうち破れる程度の背景を備えておかないと,ただのバカに見えてしまう。
なんて文章を他の人のページで読んだとしたら,「げっ,もしかして俺のことを書いているのかも?」などと思ってしまう可能性は,わたしの場合75%くらいありそうだ。わざと対象をぼやかして批判的文章を書くことの弊害である。
しかし,対象をぼやかして書くことの利点は,それによって起きる弊害を補って余りが多少ある(←多少だけかい!)と思うので,こういう書き方は否定しない。
ただし,相手がほぼ特定されているのにわざとぼやかすというやり方は否定する。最後の言質を取られないための逃げをうつ,卑怯な手段としか思えないからだ。そういう場合は,相手を特定して批判するか,あるいはまったく批判しないかの二択から選ぶべきだ。
ああ,もちろんこの「べきだ」ってのの対象読者は自分ですので,よけいなお気遣いなく。
多少仕事が忙しくてもWeb日記くらいは書けるのです。しかし,Web日記よりも優先度が高い趣味に集中してしまった場合は,Web日記なんて書いてる暇があったらそっちに時間を割いてしまいます。というわけで,しばらく更新は滞りそうな予感です。
そのような場合,よく「ああ,一日が30時間くらいあったらいいのに」みたいなことを言う人がいます。しかし,あいにくわたしは一日が30時間あったところで,16時間ほど行動したら8時間ほど休息しないと体力ややる気が持ちません。一日の長さが何時間に延びようともうれしくも何ともありません。
ところで,Web日記を書くこと自体は後回しにするとしても,活字中毒者の一人としては,手軽に大量の活字を得ることができるWeb,特に更新が頻繁なWeb日記ウォッチというものを欠かすことはできません。Web日記を読み始めたおかげで,ある程度書籍購入費を浮かすことができているのですから。
しかし,メインの環境をWindows 2000に移行してしまったため,Web環境はすべてリセットがかかってしまいました。面倒くさいのでMy
Nikki Engineの登録データもゼロからやり直しです。以前は50を越えていた日記も,今やたった16個しか登録されていません。ちなみに,
「ハラにイチモツ」「ワンルーム日記」「ちん子のらぶらぶ奥様奮戦記♪」「野生の雄叫び・吠えろゴリさん!」「今日の花ちゃん」「ちはるの多次元尺度構成法(日記)」「後悔日誌」「軍艦沈没破裂」「のれん日記」「コンビニ日記2000」「しまふく日記」「日記文化人」「MADE
IN JAPAN!」「My
Fuckin' Valentine」「ボージャック夫人」「にっき」
というのがその16個の日記です。
それ以外の日記は,ふつうの更新報告から読んでいますが,できるだけMy Nikki
Engineに登録する数は減らそうというのが,現在の方針です。日記猿人系は関連性のマトリクスを追い始めると,読む日記数が膨大になりすぎて大変ですから。
ついでにわたしが日々読んでいるページをばらしてしまうことにしましょう。
毎日更新チェックをしているページは,
「Prompt Diary」「THE
俺様日記」「SHOW」「Show's
Hot Corner」「Stay
with HNGR」「PaperDog
Explosion」「やぎコラム」「やらか堂本舗」「退職記念改め 引越記念」
自力で巡回して更新をチェックしているのは,
「.今日の必ずトクする一言
-- TODAY'S REMARK --」「★−狂言回し−★」「Fast
& First」「のらりくらりの旅行記」「みんなの伝言板」「秘密シークレット団」
わっちりんく(す) SF 編の更新報告から更新をチェックしているのは,
「風虎日記」「廃虚通信」「読冊日記」「[間歇日記]
世界Aの始末書」「近況報告」「明示的に宣言されます。」「仕事に明け暮れる日々について」
ミステリ系更新されてますリンクから更新をチェックしているのは,
「hosokin's roomへようこそ」「小説家鈴木輝一郎は締切厳守」
その他,伝言板系,
「あとだま系更新されてますリンク」「2ちゃんねる掲示板」「幻想的掲示板」
ニュースサイト,
「auto-ASCII24」「ASCII
24 」「asahi.com top」「BizTech」「CNET
Briefs」「PC Watch Title
Page」「ZAKZAK」「ZDNet」「日刊スポーツ」「毎日新聞」
F1サイト,
「Atlas F1 News」「Daily
F1 Main Page」「F1
Today - Latest News」「Formula
One News」「News3」
あたりです。恣意的に抜いたページはほとんどないはずです。
このようにブックマークの内容を公開すると,けつの穴をのぞき込まれたような恥ずかしさを感じるかと思っていたのですが,実際に公開してみても大して後悔しないもんですね。
※)なんだかリンク先が腐っていたものがたくさんあったので,やまほど修正。どうもURLショートカットのドラッグ&ドロップ時の挙動がおかしいな>ホームページビルダー
逆リンクチェックというのがあります。CGI/SSIなどによるアクセス解析プログラムを使って,Webブラウザが返す環境変数「HTTP_REFFERER」をチェックすることにより実現できます。「Ultra
Ranking」みたいに指定されたタグを貼り付けるだけで細かい解析を行ってくれるサービスを利用する方法もあります。
というわけで,Ultra Rankingのアクセスログを使って,うちのページの1999年9月10日(金)14時25分〜1999年10月27日(水)19時18分までの逆リンク先を集計してみました。総アクセス数が10591で,その約1/4の2518がほかのページからのリンクをたどってのアクセスとなっています。
リンク集・ランキング
1362: http://wafu.netgate.net/ne/
177: http://www02.so-net.ne.jp/~enchy/MyNEnew.cgi
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4: http://210.229.150.28/~tnagae/metababoo/simple100.html
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三枝氏関連
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検索エンジン
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38: http://www.infoseek.co.jp/
45: http://infonavi.infoweb.ne.jp/
個人リンク集
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16: http://www.twin.ne.jp/~setopi/rinku.html
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13: http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/7051/diarycollect.html
7: http://www.north-wind.ne.jp/~yoshino/link/3.htm
5: http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/1913/linktank.html
2: http://home.highway.ne.jp/yes96/diary/link-index.html
文中リンク
190: http://www2c.biglobe.ne.jp/~hosoda/index2.html
78: http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2919/
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20: http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/7619/diary.htm
17: http://aqua.marine.osakafu-u.ac.jp/~hosono/diary/new.html
18: http://member.nifty.ne.jp/Sweet_Little_Sister/essay_new.html
5: http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1857/new.html
3: http://member.nifty.ne.jp/eme/vec/index.html
伝言板
3: http://www60.tcup.com/6010/kenkyaku.html
2: http://www.tcup5.com/516/cva.html
2: http://www.cam.hi-ho.ne.jp/hfuru/bbs/index.shtml
逆リンクチェック
4: http://ultra.wink.ne.jp/cgi-shl/nph-ultralog.exe
うちのページの読者は,そのかなりを日記猿人に依存しています。My
Nikki Engineもあわせると約1500アクセスが日記猿人からのリンクとなっています。同じような存在なのですが,ReadMe!
Japanからのアクセスはほとんどありません。まあ,あちらには更新報告をしていないというのもありますが,昔更新報告をしていたときも大してアクセスはなかった覚えがあります。
続いては,三枝貴代氏関連ページである「こだまのあとだま研究所」からのアクセスが300を越えています。これだけ見ても,氏一人をどれだけたくさんのウォッチャーが取り囲んでいるのかがわかります。うちのページまできているのはウォッチャーの一部だけであると思われるのに,それだけで300なのですから。掲示板での発言の個性だけでこれだけの注目を集めるというのは,考えてみるとものすごい存在です。
検索エンジンからのアクセスは,あまりありません。というのは,おそらくうちのページが引っ越したばかりだからでしょう。以前はロボット系検索エンジンからのアクセスがもっとたくさんあった気がします。Yahoo!からのアクセスは,Yahoo!が個人ページをカテゴリ登録してくれなくなって以来激減してしまいました。昔はF1やテレビドラマがらみのアクセスがもっと多かったのに。
個人リンク集からのアクセスは,さほど多くはありません。わたし自身,ふつうのリンクページというものはあまり利用した覚えがありませんし。ところでニューロマンサーな方はいったい何者なのでしょう? ああいうメンツが集まったリンク集に入れてもらえるのはなかなか光栄なのですけど,さっぱり正体が分かりません。あと,餌子さんのところでうちのリンクにコメントがないのがめっちゃ気になります。いったいどんなコメントがつけられるのでしょう?
文中リンクに関しては,さすがに細田氏のところが圧倒的です。あそこは伝言板からも数十件のリンクがありました。続いては「ぢょしゅとほほ日記」さんのところからのリンク。単なるニュースのネタ元としてリンクされただけなのに,これだけのアクセスがあったのには驚き。「カクエガク」さんところもさすがに多いですな。結局アクセス数が多いところからのリンクは多いという,当たり前の結論に落ち着いてしまいそうです。
あとは三枝氏関連の見知らぬ伝言板への書き込みとか,わたしと同様逆リンクチェックでたどり着いた人とか。
PC関連用語をはじめとする専門用語では,その意味を云々する以前の問題として,読み方自体がわからない場合が多々ある。各種用語が外来語に基づく場合が多いため,それをカタカナ表記する場合に揺らぎが生じることも,話をややこしくする一助となっているだろう。
PC黎明期においては,CPUやRAMなどといった今では一般的な用語すら,読み方がはっきりしていなかった。CPUが「シーピーユー」でいいのならば,RAMも「アールエーエム」でいいのではないか。しかし,CPUを「くぴゅ」とは読まないのにRAMは「らむ」である。ではRDRAMは「るどらむ」なのかと思いきや,「あーるでぃーらむ」などと重箱読み(いや,湯桶読みでもいいけど)のごとき読み方をする。
だいたいSCSIが「すかじー」というのは,あまりにも飛躍しすぎなのではないだろうか。SASIが「さじー」だからなどというのは言い訳にはならない。ちなみにわたしは話に聞く「SCSI=すくわーじ」派を見たことはないが,本当に存在したのだろうか?
そのほかのものとして,いまだにあまり納得できていない読み方に,Pentiumがある。もはや「ペンティアム」という読みが完全に定着したPentiumだが,わたしは当初から「ペンティウム」派だった。「〜ium」をカタカナ表記した例として思いつくのは,カルシウム,マグネシウム,プラネタリウムなど皆「〜ウム」だ。いくら英語では「〜アム」に近い読みをするからと言って,カタカナ表記は日本語風にアレンジした方がふつうなのではないか。
ちなみにPentiumの後継CPUは,Itaniumである。これは今のところ「アイテニアム」と読む方向で話が進んでいる。もっとも綴りが似ている単語であるTitaniumが英語で「タイテニアム」と読むので,それから類推して決まったらしい。しかし,Titaniumをふつうカタカナ表記するときには「チタニウム」と書くのではないだろうか? だったらItaniumも「イタニウム」でいい気がするのだが。「アイテニアム」が定着しないうちに「Itaniumはイタニウムと呼ぼう!」キャンペーンを張ればまだ間に合うかもしれない。
なんて話は,実は全然本題ではない。わたしはItaniumなんかを誰がどう呼ぼうとも,大して気にはならないのだ。どうせわたしがItaniumなんぞに実際にふれるのは,まだ数年先のことだろうから。わたしがこの文章を書き始めたのは,現在PC業界でもっとも注目を集めているビデオチップ,NVIDIAのGeForceに関して言及したかったからだ。
PC系の人ならば,NVIDIAというメーカーは知っているだろう。RIVAシリーズなどでブレイクしたビデオチップメーカーだ。それではこのメーカー名はなんと読むのか,知っている人はどれだけいるのだろう? わたしはずっと「エヌヴィディア」と読んでいた。しかし,その読みには自信がなかったため,人前で読むときには「エヌヴィディア」と頭を濁して読んでいた。
そして,今回登場した新チップGeForce。これに関してはどういう読み方が正しいのか,さっぱりわからなかった。読み方としては,「ジーイーフォース」と「ゲフォース」という二つが思い当たった。しかし,どちらも人前で口にできるほどの確信が持てる読み方ではない。また,最初の音があまりに違いすぎるため,どちらにでもとれるような曖昧な発音をするのも難しい。
そこで,今まではNVIDIAのGeForceについて話す場合は,「あのエヌヴィディアの新しいチップ」とか「ハードウエアジオメトリ演算に対応した最近のチップ」などといった婉曲表現に頼らざるを得なかったのだ。困ったものだ。だれか読み方を知っている人はいませんか?
と書いている途中でやまかんが,公式なメディアでカタカナ表記しているものを発見してくれた。なんと「ヌビディア」で「ジーフォース」なんだそうだ。「ヌ」から始まるとはびっくらこいた。NVIDIAさんは,ヌクレオチドとかヌルハチとかの仲間だったのですね。あと,GeForceは「ジーイーフォース」でも「ゲフォース」でもなかったのか。まあこっちは納得いくけど。
といったわけで,秋葉とかに買い物に行って店員に「すいませーん,エヌヴィディアのゲフォースありませんかー?」とか聞いて,「ああ,ヌビディアのジーフォースですね」などと言い直される前に,みなさんきちんと覚えなおしておきましょうね。いや,わたしは買わないんですけどね。