いしなお@日記
1999年11月


1999年11月2日[*]

わたしの記憶バッファの処理[*]

 先週の金曜日から四日ほど更新を休んでいたわけだけれども,その間にはいろいろなことがあった。いろいろなことがありすぎて,すでにわたしの記憶バッファはいっぱいだ。
 新しいデータが続々と入力されていくのに,バッファ容量自体に限界がある場合,もっとも単純な対応はバッファーオーバーフローエラーを起こして,処理を中断してしまうことだ。しかし,そんなことをしていたのでは人間として世の中を生きていくのは難しそうだ。
 次に思いつくのは,現在までのバッファをどこかに出力してバッファ容量に空きを作るという方法。要するに,四日も間をあけずにどこかで更新しておく,という手段だ。しかし,そんな面倒なことはやっていられなかった。
 単純に古いデータを捨てて空き容量を作り,そこに新しいデータを入れていくという方法を採る人が,もっとも多いのだろうか? いわゆるFIFO(First In First Out:最初に入ったデータが最初にでていく)バッファなわけだ。しかしわたしはもったいないお化けの信奉者なので,そんなもったいないことはできない。
 わたしが標準的に採用しているのは,バッファオーバーフローが起こりそうになったときに,バッファ内のデータを圧縮して容量を確保する方式だ。さすがにいまどきのOSだけあって高度なファイル管理がなされている(?)
 データの圧縮方式としては,
・後で推測によって詳細を埋められる場合は,詳細を省く
・不必要な(面白くない)情報は省く
・短い代替表現で置き換えられる表現は置き換える
・あらすじをリフレッシュレートが高い短期記憶に置き,あらすじ以外のデータは長期記憶に任せる(忘れるかもしれない)
などといったやり方を採用している。もちろんこれは不可逆圧縮(完全に元に戻すことはできない)だ。
 さらにデータの圧縮率があまりに高くなって,あらすじからの詳細再現能力に自信がなくなった場合は,
・いつも持ち歩いている小さなメモ帳にキーワードを書いておく
という補助記憶装置を採用することもある。
 というわけで,現時点ではまだ最後の手段に頼ることなく,すべては脳内に圧縮記憶として保存されているわけだが,圧縮率はかなり高くなっているため,詳細込みで再現(展開)する場合にはかなりのノイズが混ざるものと思われる。
 ただしわたしは記憶を展開する際に,圧縮率の高低とは関係なく,意識的にノイズを混ぜる場合が少なくない。だから,多少古い記憶だろうが新しい記憶を元にした話だろうが,どちらにしろ信憑性はあまり高くないのだ。

全日本仮装大賞のテーマ[*]

 空白の四日間のことを書くと言いながら,また別の話。
 今朝通勤中にずーっと,とある音楽が頭の中を回っていた。その音楽はと言うと,「全日本仮装大賞のテーマ」である。どんなやつかというと,
「ぜんにっぽんかそうたいしょーでは,かそーにんげんをだいぼしゅー。……(前の部分を繰り返しか?)。ゆうしょう,しょーきん,ひゃくまん,えーん。みんなはがきでもーしこもう。じゅーしょしめーでんわばんごーをかき,とうきょうこうじまち,ししょばっこ,ししょばこごじゅうごーですよ。……かそうたいしょうですよ」
ってやつだ。
 途中「……」となっている部分は,完全に歌詞を忘れてしまっている部分だ。また,最後の「仮装大賞ですよ」と言う部分は,当時からそのように聞こえているものの「実際にはそうじゃないのでは?」という疑問が,肩胛骨の裏側に刺さったとげのようにちくちくと痛み続けていた代物だ。もちろんちゃんと書いている部分の中にも,間違いがある可能性はある。
 というわけで,フルコーラスすべて覚えているかたの一報をお待ちしております。欽ちゃん自らのメールもオッケーですよっ(と欽ちゃんジャンプ)

「まもなく○番線に,山手線新宿方面行きが参ります。あっ……」[*]

 いつまでたっても四日間のことを書かない天の邪鬼。
 さっき出先から帰ってくる途中で,JR五反田駅を使った。ホームに立っていると毎度おなじみの女声の構内放送が流れた。
「まもなく○番線に,山手線新宿方面行きが参ります。あっ……」
 途中で放送が途切れた。思わずわたしは隣にいた人と顔を見合わせた。「あっ」で途切れるとは,いったいなにがあったのだろう? 誰かが線路に飛び降りたのだろうか? っていうよりも,この放送って録音テープなんじゃないの?
 放送が途切れてから一瞬の間をおいて,今度は駅員らしい男声の放送が流れた。
「山手線はいります。白線の内側でお待ちください」
 まったく先ほどの「あっ」のフォローはない。わたしが眉間にしわを寄せて考え込んでいると,隣の人がうなずきながら言った。
「ああ,『足下にお気をつけください』の「あ」で放送が切れたのか」
 なるほど。そういやふつうはそう続くわな。途中で現場の駅員の放送が割り込んだんで,途中で途切れただけか。

四日分ダイジェスト版[*]

 もう今日はたくさん文章を書いたので,四日分は詳細版ではなくダイジェストにすることにします。
 まず,金曜日は会社を休んでモーターショーに行きました。平日なのにたくさん人がいました。たくさん写真を撮りました。F1カーは3,4台置いてありました。トヨタとホンダが面白かった以外は,いまいちな印象でした。どこもかしこも,小型でスペース効率のいい車とハイブリッド/電気自動車ばかり置いていました。洋車はあまり興味がないので見ませんでした。あとバイクの方も,疲れてたのでちゃんと見ませんでした。ホンダの新しい250ccスクーターがいまいちっぽかったのが残念でした。
 モーターショー見物を早めに終えた後は,市川のダイエー日本一セールに行きました。ソーテックの10万円パソコンを1割引で買いそうになりました。服とか食い物とかを2万円分くらい買って帰りました。王監督の背番号89円/890円セールくらいしか,割引率の高いものはありませんでした。モーターショーとダイエーで歩き疲れて,足がだるくなりました。
 土曜日は早朝から草野球トーナメントの3回戦でした。先発して6回まで投げ,4点とられました。試合は7回に同点に追いつき,延長8回にサヨナラ勝ちしました。より詳しい試合内容はこちらの下の方をどうぞ。勝ったのはうれしかったのですが,試合後に次の試合日程を聞いたところ,翌日である日曜日の昼からと言われてしまいました。中6日でも肩の張りが残っていたのに,わたしには連投は無理です。かなりぐったりした気分で球場を後にしました。
 野球から家に帰ってきてもまだ昼過ぎだったので,それから久しぶりに洗濯をしました。洗濯機を4回お代わりしました。真っ赤なシャツの染料に染まった,ピンク色のタオルやパンツがたくさん生産されました。なんだかぐったりしました。夕方からはF1鈴鹿GPの予選を見て,それからとっとと酔っぱらって寝ました。
 日曜日は渋滞に巻き込まれるのをおそれて,かなり早めに動き出しました。しかし全然道が混んでいなかったため,大宮の野球場には予定よりも2時間ほど早く着いてしまい,それからしばらくのんびりしていました。しかし,結局全員そろったのは試合開始予定時間から10分ほど過ぎた後になってしまいました。わたしはろくにアップもしないままに,先発のマウンドに立ちました。
 前日の疲労が蓄積されていたことに加え,まだ肩と肘が十分に回らない状態でのピッチングは,かなりひどいものでした。変化球もストレートもどちらもコントロールが定まらないので,自分で見切りをつけて1回途中でピッチャーを交代してもらいました。しかし,交代した方もアップが不足していたため,結局二人合わせて3回までに12点とられてしまい,勝負が決まってしまいました。
 また,相手チームはピッチャーが良く,こちらのチームは最終回に何とか1点を取っただけで終わってしまいました。初参加の公式トーナメントでベスト16という結果は,結果だけを見ればなかなかの好成績でしたが,最後の試合があまりにも不本意すぎて,満足度はさほど高くありません。だいたい相手チームは前日不戦勝で,ピッチャーを温存できていたというのは,あまりにも戦力に差がつきすぎです。わたしがベストピッチをしていれば,もうちょっとましな試合にできたのに。ちなみにより詳しい試合内容は,先ほどと同様こちらの下の方をどうぞ。
 その後,戸田の焼き肉屋で打ち上げをしました。もちろんわたしは車で行ったのですが,かなり大量に飲みました。と言っても,どれだけ飲んでもわたしは酒に飲まれるタイプではないし,夜の10時からF1鈴鹿GPの決勝があるため,それに間に合うように帰れることも考えていたため,多少手心を加えてしまったのは心残りです。それでも,日本酒2,3合とワイン3杯とビール中ジョッキくらいは飲めました。
 打ち上げが解散した後,2時間ほど車でコーヒーを飲みながら休んで,それから半分酔いが残った頭で家まで運転して帰りました。判断力系のスペックが半分くらいに落ちた脳で運転するのは,やっぱり少しスリルがありました。しかし,警察に捕まる以外の危険は特に感じませんでした。F1の放送開始にはちょっと間に合わず,放送の前半は車の中で見る羽目になりました。
 予想通り,月曜日は上半身がまともに動きませんでした。体をぎしぎし言わせながら,なんとか会社までたどり着き,体をぎしぎし言わせながら仕事をして,体をぎしぎし言わせながら,家に帰りました。今日になってもまだ多少体がきしきし言うのですが,昨日に比べればずいぶんましなようにも思えます。
 といった感じで,ダイジェストで書いてもなかなかの文章量だったのですが,詳細バージョンならばツクリを含めて,この10倍以上のストーリーに脹らませることが可能です。書く方も読む方もうんざりといった感じでしょうから,やめておいたのは正解でしょう。

 ついでに私信を返しておきます。
 H2さん,わざわざの逆リンク紹介ありがとうございました。ちなみに三枝ウォッチは飽きます。でもちょっと間をおくと,また面白くなってきたりします。2ch予報を信じれば,月末だけウォッチするのが効率のいい楽しみ方のようです。周辺のキャラクターまで粒ぞろいなところが,ほかの一過性のイベントと違うところでしょうか。ウォッチ対象を本人一人に絞ってしまえば,もはやさほどの面白みはありません。
 餌子さん,なんだか無理矢理にコメントをつけさせてしまったようで,すみませんでした。事実の列挙的ふつうのコメントなのですね。もっとひどいのがつくかと思っていました。
 ニューロマンサーな方,正体を明かしていただいてありがとうございました。ちゃんとトップへ戻るリンクもつけていただけたので,今後惑うことなく生きていけそうです。中途半端な言及の仕方で失礼しました。
 日記ベクトルさん,おすすめ日記に選んでいただきありがとうございました。なかなか地味な日記紹介ページですが,地味に長く続けるのもかっこいいものです。

 といった感じで,明日からは平常通りに戻るような戻らないような。っつーか,平常通りってなんやねん。

1999年11月4日[*]

人柱ぼしうちう[*]

 最近ここ10万円で液晶ディスプレイがついてくる省スペースデスクトップか,あるいはソーテックe-one500Aかのどちらかを買おうかと,思い悩んでいる。
 10万円の液晶ディスプレイ付きPCは,3万円程度(本体は6万円分くらいの価値だろう)でXGAまで映る液晶ディスプレイが手に入るという点が魅力だ。本体の方はどうでもいいマシンなのだが,そちらもメモリを足してやれば1年程度は使えるだろう。
 ただし,液晶ディスプレイの品質はやはり気になる。3万円程度なのだから大したことないことはわかっているが,それでも少なくとも常用に耐えられる程度の品質ではあってほしい。
 昔,液晶ディスプレイがさほど一般化していなかった頃に,ものすごい低品質の液晶ディスプレイをさわったことがある。その品質は液晶のドットが倍程度の大きさににじんで見えるという代物だった。そこまでいくと文字を読むのが苦痛になってくる。
 最近は液晶ディスプレイもずいぶんと一般化しつつあり,おそらく最低レベルというものも底上げされていることだろう。現在の最低品質の製品だとしても,あのころの最低レベルなどはとっくに上回っているかもしれない。しかし,そうでなかったら困る。
 迷いをさらに深めるのは,10万円+αを出すことによって液晶ディスプレイをさらにグレードアップできるようになっている点だ。おそらく飯山電気あたりのOEM製品であるように見える,ちょっとまともな液晶ディスプレイに差し替えたモデルが13万円程度で入手できるようになっている。これも液晶ディスプレイを単体で買うことを考えるとお買い得そうだ。
 ただし,このPCセットを作っているメーカーのWebサイトというのが,ものすごくひどい代物なのだ。ここまでひどいWebサイトをホームページとして使っているメーカーを信用していいものだろうか。製品を扱っているオンラインショッピングサイトの方も,頻繁にサーバーが落ちるような代物で,とてもまともなところとは思えない。買うにはかなりの勇気が必要だ。
 一方のe-one500Aに関しては,製品自体にはまったく問題はない。ソーテックのノートPCは過去に2台所有していたので,品質に関する信頼感はある。ただし,問題は納期だ。
 ニュースリリースを読む限りは,すでにe-one500およびe-one500A(メモリ128Mバイトモデル)は出荷が始まっているように見える。しかし,それは事実ではないらしい。ここから始まるツリーを見る限りは,一番早い人ですら11月下旬出荷というのが現在のスケジュールのようだ。それはちょっと気が長すぎる話だ。
 ただし,e-one500(64Mバイトモデル)ならば,すぐに入手するのは不可能ではないようだ。ここに入手した人の話があるように,LAOXなどではある程度入荷して,店頭在庫として持っている場合があるらしい。
 しかし,実はe-oneはRAMソケットが用意されておらず,メモリはマザーボード直づけになっている。64Mバイトモデルを買った場合は64Mバイトのまま使い続けるか,あるいはソーテックがメモリ増設サービスを行うのを期待するしかない。できればどちらも避けたい状況だ。
 おそらく現時点での正解は,e-one500Aの生産が正常化して入荷時期が見えるまで待つことだろう。それまで待つことによって,他社から値段と性能が競合するほかのマシンが登場するかもしれない。しかし理屈では説得できないのが,一度燃え上がった物欲の炎というものなのだ。
 とかいいつつも,わたしは理性が勝つタイプなのでたぶん待ちにはいることでしょう。できれば,どなたか怪しげな液晶ディスプレイ付きPCの方を,人柱になって購入してくれる物好きはおりませんでしょうかね。すごい気になるんですよ。どのくらい使えるディスプレイなのか。

あなたの趣味は何ですか?[*]

 仕事の進捗状況がどうにも思わしくないし,しかもその内容もどうにも面白くないので,現実逃避気味にもう一回更新しておこう。
 さっきわたしの席の後ろの方で,ウェディング系ソフトのサンプル用音素材を録音していた。ちょうど新郎紹介のアナウンスを録音しているときに,「新郎の趣味はスポーツで……」と言っているのを聞いてわたしは,
「『趣味はスポーツ』って表現は『毎日呼吸しています』ってのと同じくらい内容のない紹介だよなー」
と言った。すると隣のやまかんが
「じゃー,『趣味は乗馬とテニスで』とかならいいですか?」
と反応した。
 なるほど趣味といえば,やはり乗馬とテニスだよな。わたしのこれからの目標は「趣味は乗馬とテニスです」と答えられるようになることにしよう。ついでに「特技はドライビングで,国際A級ライセンスを持っています」とかいうのもつけたい。さらには皇族風に,「大学では蝦夷大ナマズの人工培養を研究していた」とかもいいかもしれない。
 ところでまじめに自分の趣味を聞かれた場合,わたしはなんと答えるのが正解なのだろう? 「生きていること」と答えるのが,もっとも正直かつ妥当に思えるのだが,あまりにも抽象的かっこよさで修飾されている表現なので,そんな答えを口にする人間のそばに寄りたくない気もする。
 深く考え出すと,結局「多趣味」か「無趣味」かのいずれかに集約されてしまう。興味のあることをすべて列挙するのは不可能なので「多趣味」。あるいは,どれも趣味といえるほど濃くはないので「無趣味」。
 そういえば「仕事はなんですか?」って聞かれた場合も,答えがなかなかみつからないんだよな。「パソコン関係いろいろやってます」とか「文章書いてます」とか「プログラマーです」とかいろいろ答えてきたけれども,どれも実質を表しているとは言えない答えばかりだ。
 「できることを適当にやってます」ってのがほぼ正直な答えなんだけど,もっと正確に表現すると「生きていること自体が趣味で,そのうちお金になっていることが仕事」ってことになる気もする。もっと効率よく趣味がお金に替わってくれたら,と思わないでもないけれど,比較的お金に替わりやすい趣味だというだけでもありがたいことなのかもしれない。

1999年11月6日[*]

簡単に語彙数を測定できるテスト[*]

 どちらかというと「いしなお@ニュース」なネタだが,あっちはすでに予約(ネタのストック)がたまりすぎて身動きがとれない状態になっているので,こっちに書いてしまおう。
 NTTコミュニケーション科学基礎研究所で,簡単に語彙数を測定することができるテストを作ったのだそうだ。たったの50個の単語を知っているかどうかチェックするだけで,その人が持つ語彙数を推定できるのだという。
 以下がそのテスト単語。
1 チャンピオン 2 祝日 3 爆発 4 ライン 5 さつま芋
6 毒ガス 7 枝豆 8 過ごす 9 朝風呂 10 そもそも
11 見極める 12 香ばしい 13 本題 14 エンゲル係数 15 泊まり込む
16 預け入れる 17 言い直す 18 たしなみ 19 英文学 20 はまり役
21 ごろ合わせ 22 労力 23 忍ばせる 24 勃発 25 宿無し
26 目白押し 27 請負い 28 塗り箸 29 気丈さ 30 茶番
31 大腿骨 32 術中 33 泌尿器 34 血税 35 悶着
36 腰元 37 裾模様 38 旗竿 39 かんじき 40 すっこむ
41 迂曲 42 告諭 43 辻番 44 ライニング 45 輪タク
46 懸軍 47 陣鐘 48 泥濘 49 釜がえり 50 頑冥不霊

 1から順番にチェックしていって,10まで全部知っていて残りは知らなかった場合は,推定語彙数8800語。以下,15までで13000語,20までで18000語,25までで23000語,30までで30000語,35までで39000語,40までで50000語,45までで60000語,50までで70000語なんだそうだ。途中で知らない単語が混ざったりすると,ややこしい計算で語彙数を計算することになるんだそうだ。
 というわけでチャレンジしてみると,わたしの場合は「裾模様」で引っかかった。たぶん文字通り服の裾の模様のことだとは思うんだけど,一つの単語としては理解していない。山のふもとの様子を表す暗喩として使われていたような記憶もうっすらあるが,定かではない。というわけで,連続でわかっているのは36までだからだいたい40000語くらいってことかな。
 ちなみにその後ろでは,「すっこむ」が「すっこんでろ!(引っ込んでろ!の変化)」の意味じゃないのだとしたら,わからない。あと,「ライニング」(さっぱりわからん)「懸軍」(懸かった軍? なんじゃそりゃ)「釜がえり」(なんか古い行事の名前かな?)「頑冥不霊」(読み方すら不明。がんめいふりょう?)もよくわからない。
 ところで並んでいる単語をつらつら眺めていると,このテストではよく使われる単語から,だんだん現在ではあまり使われない古い単語(日本文化)や,(なぜか医療を中心とした)専門用語の方に寄っていくラインナップをそろえたようだ。
 まあそれはそれで一つの見識だけれども,正確に語彙数を測定しようって言うのならば,最近の技術系用語や流行言葉などの方向にも対応したバージョンがあってしかるべきだよな。
 たとえばこのテストを50個目まですべてクリアした人でも,「Eコマースに対応するビジネスソリューションとしてアプリケーションサーバーを導入することにより,全社的にシェアできるナレッジベースを基幹システムに加えることが可能になります」なんてセールストークは理解できないだろう。いや,理解できなくてもいいけど。

この人はいったいなにを言いたいんだろう?[*]

 ところでこの人はいったいなにを言いたいんだろう? 個人ページでの日記とかでだべっているのならばそういうのもありだとは思うんだけど,金もらってるコラムとしてはちょっとひどい内容のような気がする。
 「生命に危険のあるスポーツは存在を認めん!」と言い切るのならば,わたしとは相容れない考えではあるにしろ,そういう人もいるだろうなとは思える。しかし,「もちろん、モータースポーツやレースそのものに反対しているわけではない」などと,変に保身に走ったような防御策を採るもんだから納得いかなくなる。
 ちなみにF1では毎年のレギュレーション(規則)改正で,そのスピードを落とす方向に向かっている。レギュレーションによる減速策を上回って技術が進歩した場合は,前年よりもスピードが上がる場合も珍しくないが,すでに「スピードを見直す」ということは当たり前のように行われているわけだ。モータースポーツとはいえ,ただただスピードを追求しているわけではない。
 ただし,そのような処置でモータースポーツが安全になると言うことは,もちろんない。最高速を300km/hから200km/hに落としたところで,事故が起こって人が死ぬ可能性は残るだろう。モータースポーツがモータースポーツである限りは,人が絶対に死なないスピードまで最高速を下げることは不可能だ。
 だいたいこの人モータースポーツに詳しいのだろうか? すでに修正されているが,最初に見たバージョンではセナやラッツェンバーガーが激突死したスピードを,時速約300マイル(時速約480キロ)などと書いていた。その辺を間違えるような人に,モータースポーツのスピードを云々することができるのだろうか。うっかりミスだとはいえ,この内容のコラムにおいてはかなり致命的だと思うのだが。あと,ラッツェンバーガーの名前はロナルドじゃなくてローランドだったと思う。
 さらにいちゃもんを続けると,この内容のコラムでペイン・スチュアートの飛行機事故死を同列に並べて扱うのは妙だ。一応「スチュワートの悲劇と、モータースポーツの過剰なスピード競争とを単純に比べるべきではないだろう」と防御線を引いてはいるが,そう書いたところでその奇妙さは消えない。どう考えてもこの人は,「プロスポーツ選手の事故死」というくくりで,無理矢理関係ない話を関係あるように見せかけているように見える。
 また,このコラムのタイトルにもなっている「ドライバーの皆さん,棺おけの用意を」というせりふは,コラムの最後でジム・マレーという昔の有名なコラムニストの言葉であると明かしている。何のひねりもなく借り物の言葉を使っているあたりもあまり趣味がいいとは思えないし,またこのコラム自体が借り物の言葉から無理矢理内容をひねり出したものであるようにも思える。
 この人がどういう人なのかはよく知らないし,積極的に知りたいとは思わないんだけど,とにかく今後「マーティ・キーナート」という名前を見かけた場合,「ああ,MSNでうさんくさいスポーツコラムを書いていた人」というふうにわたしの記憶には刻まれていることだろう。

追記@1999年11月9日)
 今見たら,ラッツェンバーガーの名前も「ロナルド」から「ローランド」に修正されていた。特に修正についてのコメントはない。
 Web上で発表した文章は後からいくらでも修正・削除することは可能だが,ノーコメントでそっと修正するのはなんだかなーといった感じ。まあ誤字・脱字レベルの間違いはノーコメントで修正してもかまわないと思うが,今回の場合は修正に関するコメントを多少つけておいた方が誠実な対応だと思う。ますますこの人に対する評価は下がった。

1999年11月8日[*]

来年のロッテを考える[*]

 いなくなるのは小宮山と河本,ウォーレン。そういや園川もいなくなったっけ。入ってくるのは石井と新人たちってところか。トレードやFA選手での補強はあまり期待できないだろう。中日からお古の選手を何人かもらえるかもしれないが。
 先発陣は,小宮山の穴を小林が埋めてくれることだろう。黒木,小林を軸に回せば,後は中の上程度の先発,中継ぎピッチャーがたくさんいるので,それなりの試合を成立させてくれるはず。武藤,後藤,礒あたりがそこそこ計算できるし。
 ただし,抑えはどうしたもんだろう。藤田はさほど強い球を持っていないから,強力な抑えとしては使いづらい。小林はコントロールが悪すぎて抑えに戻してもいい結果を残すことはなさそうだから,先発の駒として使った方がいい。成本が復活してくれるか,あるいは新人で抑え向きの選手が入ることを祈るしかない。ストレートが強い近藤が,三振を獲れる球を覚えてくれると使えるのだが。
 抑えが決まらない限りは今年よりも全体としての投手力は落ちる。先発も一人強い左の投手が欲しいところ。何か新しい要素が追加されない限りは,戦力30%ダウンといったところか。それでも他チームと比較してそれほど悪い投手陣ではない。
 打撃は,石井が入ることによって大幅なパワーアップが期待できる。諸積,小坂,初芝,石井,ボーリックと5番まで並ぶことによって,かなり強力な打線をくむことができる。そこにもう少し安定感を増した大村が続くと,他球団と比べても遜色のない打撃陣が揃うことになるだろう。
 ただし,問題は石井,初芝,ボーリックの守備位置だ。おそらく一塁,三塁,DHをこの三人で分け合うことになると思うのだが,せっかく巧守で定着した三塁酒井を変えて,守備に不安のある石井,初芝を入れるのはもったいない。三人のうちの誰かが二塁あたりを守れるといいのだが。酒井はできればスタメンで育てていきたい選手だ。
 右翼は,おそらく来年は平井からサブローがスタメンを奪取することだろう。どちらにしろ打力はちょっと物足りない。サブローは来年中に少なくとも.270程度は打てる選手になってほしい。
 二塁は,堀の代わりはいないのだろうか? 堀もそんなに悪い選手ではないのだが,巧さがあまりにも足りなすぎる。守備も打撃も,もう少し安定してくれないと安心してみていられない。ライト前のフライを堀が追いかけていくと,思わず手に汗を握ってしまう。また,早いカウントで追い込まれたときに釣り球に手を出して中途半端な空振りをするのも,わかりやすすぎていただけない。
 捕手はまあ清水でいいだろう。あまり打撃がいいとは言い難いが,キャッチャーならば許されるレベルではある。ただし,今年前半のように.250程度は打ってくれるとうれしい。打撃でも吉鶴に負けちゃあかん。
 そういやボーリックとウォーレン以外の外国人選手はどうなっているんだろう? ピッチャーもバッターもほとんど活躍しなかったが,来年は新しい外国人をとるのだろうか? ウォーレンの代わりの抑えか先発の柱,右翼か二塁を守れる中長距離砲あたりをほしいところ。
 総合的な戦力を考えると攻撃力は間違いなくアップするだろうが,投手力と守備力が落ちるため,今年よりも安定感がないチームになってしまうだろう。つぼにはまると強いだろうが,今年よりもいい成績を残せるかどうかは運次第といったところ。石井という強力な選手の加入も,現在のロッテのバランスのいい布陣を見ると,単純に喜ばしい結果をもたらすわけではなさそうだ。
 優勝争いをするためには,左の先発投手,強力なストッパー,二塁,三塁の守備,あたりが重要なポイントとなるだろう。

追記)
 いしかわさんから,「酒井と小坂で二遊間を作る」案が提示されました。なるほど,その手もあるかも。堀の打力を失う(酒井は打率はそこそこだが,長打力がなさ過ぎ)のはちょっと痛いが,内野に二つ(二塁,三塁)穴をあけるよりは,堀と酒井を交換した方がいい。それにどこでも守れる(けれども下手な)堀はライトスタメン(サブロー,平井よりも打力は上。守備はちょっと落ちるがライトならば内野よりも下手さが目立たない)か代打で使う手もある。
 ちなみに広沢はすでに阪神入りがほとんど決まっているらしい。あとロッテで獲れそうなのは吉永くらいかな。獲れたら無理矢理キャッチャーで使いたい。あと,個人的には福浦を二塁にコンバートして欲しいんだけどな。あいつを一塁手/DHとして育てるのは,出場機会が少なくなってもったいなすぎる。

企業クレームページへの転身[*]

 怪しげな液晶ディスプレイ付き低価格パソコンを買おうか,それともe-oneを買おうかという葛藤は,ひとまずキーボードが壊れたノートPC,NEC LavieNXを復旧させたことによって一段落つきました。
 このノートPCは,一年くらい前にキーボードに日本酒をこぼしてしまったもので,内部でキーがいくつか通電してしまった状態になっているらしく,キーボードがまともに使えなくなっていたのです。
 「それならば外付けキーボードをつなげばいいじゃん」と思うかもしれませんが,なかなかそう簡単なものでもありません。
 キーが押しっぱなしになっていると,OSが起動する間中ずっとビープ音が鳴り続けて非常にうるさいのです。また,キーが押しっぱなしと言うことはハードウエア割り込みが入りっぱなしということにもなり,起動にかかる時間は平常の十倍程度長くなります。さらに,運が悪いと起動プロセスの途中でタイムアウトが起こるのか,ハングアップしてしまいます。
 うまくOSが起動してしまえば特に問題なく外付けキーボードで使えるのですが,常用するにはちょっときつい不具合です。
 というわけでしたので,実は壊した当時にすぐにNECのサービスセンターに修理に出しました。わたしの見立てでは,キーボード以外に不良は見あたらなかったので,中身を洗浄してキーボードを交換するだけだから,せいぜい数万円程度の修理費で済むと計算していました。
 しかし,NECの返答はわたしの予想を大きく覆すものでした。マザーボード交換も必要なので20万円近く支払えというのです。キーボードだけではなくマザーボードもいかれているという診断だったのです。
 はっきり言って,修理に20万円は出せません。25万円も出せば最新のノートPCが買えるのですから,20万円出すくらいならば新しいマシンを買った方がましです。
 キーボードだけ交換してくれるように頼んだのですが,「それじゃーちゃんとは直りませんよ」などと脅され,結局修理をあきらめたそのノートPCは,1年近く放置されていました(本当はそのほかにもいろいろあったのですが説明が長くなるのでここでは触れない)
 しかし,最近思い立って自力での修理に挑戦してみたのです。前にもチャレンジしてみようと思ったのですが,キーボードをきれいに外す自信がなくて途中で挫折していました。しかし,このまま放置して腐らせてしまうよりは,多少のリスクを負ってでも自力修理したほうがましだと判断したのです。
 結局本体裏側手前のねじを数個外して,パームレスト部分を外し,それからキーボードの手前側にあるストッパー部分のねじと奥側にある爪を外すことで,キーボード部分をきれいに外すことができました。キーボードはたいていのノートPCで使われているぺらぺらのプラスチック製フラットケーブルで接続されており,破壊することなくきちんと外すことができるようになってしました。
 で,内蔵キーボードを外したところ,まったく問題なく外付けキーボードで完全動作するようになりました。酒をこぼしたあたりをチェックしてみたところ,キーボード以外はほとんど汚れておらず,キーボードとマザーボードの間は保護金具で覆われていたので,どう考えてもマザーボード不良と診断する理由は見あたりません。
 NECの修理担当係は,本当に中身をあけてチェックしたのでしょうか? はっきり言ってその能力をわたしは疑います。ちゃんと調べるのが面倒くさかったので,絶対確実な全交換を強引に押しつけようとしたのではないでしょうか。確か調べれば,当時の担当員の名前もわかるはず。うちのページも企業クレームページとして生まれ変わろうかしらん。
 まあそれは冗談として,キーボード交換だけで完全復活できることが確認できたので,今度こそキーボードのみの交換で修理に出そうかとも思うのですが,もう一度窓口で細かい事情を説明するのがなんとなくいやな感じです。できればパーツのみの取り寄せをしたいのですが,どなたかNECのノートPCのパーツを取り寄せるつてを持っている人はいませんか?

1999年11月9日[*]

誰かに評価されるとしたら,ある程度批判的な内容の方がうれしい[*]

 誰かに評価されるとしたら,ある程度批判的な内容の方がうれしい。
 誉め言葉はあまり印象に残らない。誉め言葉には鋭さというものが欠けており,その内容はぼやけてしまう。また,誉め言葉はそれに対する反論が来る可能性が低い分,あまり真剣に書かなくても何とかなりそうだ。
 一方,批判は鋭い言葉で構成される。その鋭さが無用な部分を傷つけるのではいただけないが,何かを切る(評価する)道具としてまっとうな鋭さというものは有用だろう。また,批判の言はそれに対する反論が予想される分だけ,熟考した内容になっている可能性が高い。
 「何も切れないナイフを持っているよりは,切れるナイフを持ちそれを正確に扱える方が望ましい」という表現を使ってしまうと,いろいろ問題があるか。
 ただし批判するのならば,少なくとも批判されている当人(わたし)に,その批判の内容を納得させられるだけの説得力は必要だろう。「おまえの顔が気にくわないから刺したんだよ!」などと通り魔のようなことを言われても,逆に批判した人間をバカにしてしまいそうだ。
 また,あまりにも切れ味の鋭い批判で骨(理性)まで断たれてしまいそうな場合は,せっかくの有用な批判も防御壁(感情)で遮られてしまうかもしれない。だから,「ある程度」批判的な程度で抑えておく必要が出てくる。

 などという思想を文章化するときには,できる限り不必要な内容を削ったシンプルな文章を書くのが美しい。端的に述べた場合に生じうる陥穽をおそれて,一文ごとに山ほどのフォローを入れてしまうと,ごてごてと着飾ったような醜い文章ができあがってしまう。元々のシンプルな思想が,無惨に破壊されてしまう。
 だから,自然と入れてしまうフォローを自分の意志で一つ一つ削っていく。一つ一つ身にまとった鎧がはがされ,柔らかい皮膚がむき出しになっていく。無防備の寒さが身にしみてくる。
 どこまで削ることに耐えられるのだろう? 試しに,自分で柔らかい皮膚を軽く針で刺してみたりする。痛い。しかし,このくらいならば耐えられる。だがもしも,自分が予想できなかった強さで刺されたときに耐えられるだろうか? わからないが,試してみることにしよう。
 という葛藤を生じるような文章は,毎日書いていると疲れそうだ。などと話がそれてしまったので,削る作業は途中で放棄。端的に語ると数多く敵を作りそうな思想は,文章化するのがつらいという話でした。

小細工された投票ボタンについて[*]

 小細工された投票ボタンに関するネタもとページと,それに言及した主要ページをようやく発見した。どの意見もくだらない。まじめに思索する意義など見あたらない話だ。自分の中で想像をふくらませつつ推測していた話題の展開と比べると,実際の話はあまりにも下世話すぎる。話題に興味を持った自分に腹が立つくらい,くだらない。ばからしいのでこの話題では更新報告をしないでおこう。

1999年11月10日[*]

それってレイプなのか?[*]

 今朝目覚ましがわりにテレビのワイドショー番組をつけていたら,「また中大の学生が女子高生をレイプ」などといった話題をやっていた。ちょっと前に,海でナンパした女子中学生を中大の学生数人がレイプした(と被害者が訴えた)事件があったので,それに引き続いて「また」という話だ。
 この手の報道には,「有名大学の学生のくせに」という響きがある。それは制作者側が「有名大学の学生=頭がいい=知性があるなら理性もあるはず=理性があるのに犯罪を犯した」と考えているからのように思える。
 しかし,実際問題として知性と理性の間に,強い相関関係は存在しない。それらは基本的にまったく別の要素だ。特に学生という子供の範疇に入る人間が知性で理性をコントロールできるなどという幻想は期待できない。
 で,何が言いたいのかというと,中大の学生がレイプ事件を起こしたことを報道するな,と言っているのではない。中大の学生が起こしたレイプ事件も,街のチンピラが起こしたレイプ事件も,同程度に報道して欲しいというのが本旨だ。
 もしも有名大学の学生が起こした事件の派手な報道が,将来有望だった人間が堕ちていくさまを「さらし者にして楽しむ」という意図のもとに行われているのではないのならば,誰が起こしたレイプ事件も同程度にさらし者にするべきだ。
 レイプ事件を起こした学生をかばう気はさらさらないが,そんな報道にあれだけのパワーが使われている裏で,犯人の立場が異なるだけの報道されない同様の事件が山ほどあるかと思うと,ものすごく納得いかなくなくなる。
 ちなみにさんざんさらし者になった今回の犯人だが,その「レイプ」の内容というのは「道を歩いている女子高生に,後ろから襲いかかって胸を揉んだ」ということらしい(ワイドショーに映っていた新聞を速読しただけなので,ちょっとネタもとの信頼性は低い)。そう聞くと,彼がやったことよりもマスコミが彼に対してやっていることの方がひどいようにすら思える。っつーか,それって「レイプ」なのか?

マイクロソフト/ジャストシステムに圧力を[*]

 Windows 2000日本語RC1では不具合多発で困っていた某開発環境が,RC2に変えたらすっきり爽快問題なく動くようになって幸せなのです。これでめちゃめちゃ納期が厳しくなっている仕事を始める準備が出来ました。
 もともと一ヶ月ほどを見込んで予算をとってある仕事を,実質一週間ちょっとで仕上げなければならない時に,自分の作業単価が高くなったという風に考えるのが,ポジティブシンキングってやつですかね。
 つまり,わたしの一分一秒が○×円に相当するわけですね。いやーん,すごーい。そしてここで無駄話をすると,さらに単価は上がっていくのですね。いやーん,すごーい。
 ところで11月20日には新曲「SEX」が発売になる岡村靖幸ですが,世の中には「靖幸」ちゃんを「靖之」と誤表記しているページが目立ちます。
 それに対する抜本的な対策としては,世の中のFEP/IME(日本語入力ソフト)における「やすゆき」の第一変換候補をすべて「靖幸」にしてしまうのがよろしいでしょう。というわけで,マイクロソフト/ジャストシステムなどに圧力をかけるあてがある方は,是非とも実行に移してください。
 権力を持たないあなたには,身近で見かけたPCにそっと「やすゆき」と入力し,「靖幸」と変換してしまうゲリラ活動を推奨します。昨今の学習機能が充実しているFEP/IMEならば自動的に第一候補に格上げしてくれることでしょう。
 でもやっぱりわたし的には,岡村靖幸は「家庭教師」でピークを迎えたと判断しており,それ以降の楽曲はあまりぴんとこないのです。「SEX」もたぶん買わない。アルバムが出たら買うので,無事アルバムまで発売されることを,草葉の陰からお祈り申し上げております。でも「SEX」が売れなかったらアルバムの発売はやばいだろうな。

恥をさらす以上の何かを得られるのか?[*]

 おお,Windows 2000をアップデートしたら,今まで動作に異常を来していた空メール送信もまともに出来るようになった。っつーんで,むやみに押して回ったり。
 RC1を使っている人はすぐにでもRC2にした方がいいっす。思ったよりも大きく改善されているみたい。え,RC2はどこで入手できるかって? そんなもん秋葉原の裏通りあたりで外国人風の人を探して○×△※◇(以下自粛)。いや実際のところ,Photoshopなら売ってるだろうけど,Windows 2000RC2は売ってないと思う。
 話はがらっと変わる。
 朝のワイドショーでは「中大学生またレイプ」ネタの後に,最近よく見かける視聴者からの相談にタレント陣が答えるコーナーがあった。
 相談者は30歳半ばの独身女性。つきあって10年の彼がいる。彼は今まで何度も浮気をしているが,そのたびに「あれは遊びだ」という言葉にほだされ許してきた。彼女は以前一度妊娠したことがある。そのときに彼は「将来のことを考えよう」と言ってくれた。しかし,そのすぐ後に彼の浮気が発覚し,怒った彼女は彼の前から姿を消すと子供を堕ろした。だが半年後にやつれた彼が彼女の前に現れ,結局再びつきあいだしてしまい,今に至る。そろそろ真剣に将来のことを考えたい。彼女は彼と結婚したいのだが,自分から結婚を言い出すのはいやだ。彼から言って欲しいのだが,彼は何も言わない。この番組に出たのは,彼に結婚する気があるのかどうかを聞き,ないのならば別れようと思ったからだ。
 という前ふりのところまで見てテレビを消したので,結末は知らない。結末なんかはどうでもいい。
 それよりもこの手の番組に出たがる奴らは,単にテレビに出ているだけの(才能(タレント)なんてものは見あたらない)タレントどもに相談することによって,くだらない番組に出て恥をさらしたぶん以上の何かが得られると,本当に思っているのだろうか?
 だいたい今回の話なんて,自分で「結婚する気はあるの?」なり「結婚しよう」なり言えばいいだけじゃないか。「自分からはとてもそんなことは……」という態度と,ワイドショーに出て日本全国に恥をさらすことを是とする神経とは,どこをどうすれば噛み合うんだ?

Webに顔写真を載せる理由[*]

 うちのページでも,昔自己紹介ページに顔写真を載せていた。わたしの場合は少なくとも,その理由は「自己顕示欲とうぬぼれ」ではなかった。
 Web巡りを初めてしばらくの間,わたしは「見知らぬ無名の個人の文章を大量に読む」ということに,何か違和感を感じていた。
 個人Webページでは,自己主張の強い暴論のたぐいが山ほどある。そんなものは,個人Webページ以外ではふつうお目にかからないものだ。市販の雑誌・書籍などではある程度コントロールされた内容の文章しか載らない。テレビ・ラジオなどではある程度有名な人間しか勝手な発言は出来ない。それまで,唯一個人の暴論を耳にする機会というのは,個人的に親しい人と話しているときくらいだった。
 そして自分でWebページを作りはじめ,自分なりの暴論をWeb上でまき散らすようになってから,ふと考えた。Web上で個人の暴論を見かけるときに感じる違和感は,その発言の主体に対しての情報不足が原因なのではないか,と。本来知り合いとの会話でしか出てこない内容が,見知らぬ人の口(キーボード)から出てくるためではないか。
 だから,わたしは出来るだけ自己紹介ページを詳しく用意するよう心がけた。ページ作成者であるわたしの趣味嗜好が,自己紹介ページを見たらすぐにわかるようにしたかった。そうすれば,わたしの暴論は見知らぬ他人の暴論ではなく,知り合いの暴論として受け入れられるような気がした。
 写真の公開に関しては,それによって生じるさまざまなリスクを考え,しばらくは悩んだ。しかし,顔を知っている人間と知らない人間では,その人に対する親しみやすさの度合いは大きく違うだろう。多少ごまかしは入れつつも,顔写真も公開した。
 それからずいぶんとWeb上での経験を積み,今では個人Webページで見知らぬ人の暴論を読むことにも慣れたし,そのことに違和感を感じることもなくなった。うちのページからは,相次ぐ引っ越しのあおりで自己紹介ページがなくなり,顔写真も公開しなくなった。
 今でも個人のWebページは,その作者に関する情報を詳しく知っている方が面白いと思う。同程度の内容ならば,知り合いのページの方が面白い。
 だが,今更自分のページで自己紹介を充実させる気にはなれない。すでにWebページ上での人格は,実際の自分とある程度ギャップが生じてしまっているため,今更実際の自分の自己紹介を充実させたところで,Web上での面白みが増すとは思えない。また,中途半端な自己紹介ページよりは,日記の過去ログの方が自己紹介の役に立つ用に思える。
 というストーリーを考えたのだが,この説はいまいち自分自身すらも説得できていない。

1999年11月11日[*]

アンリンクフリーってのはどうだろう?[*]

 リンクフリーという表現が英語的には間違っているという話は結構有名だが,ひとまずその件についてはおいておくことにしよう。ここでは日本式用法である「リンクはご自由に」という意味であるとして使う。
 わたしは「リンクフリー」という言葉も「無断リンク禁止」という言葉も基本的に無意味な言葉として読み過ごすことにしている。このような見解を支持しているので,相手先にどう書いてあろうとも,基本的には張る側が判断して決めるべきことだと思っているからだ。もちろん法律違反でなければ何をしてもいい訳ではないということは,わざわざ確認しておくまでもないことなのだが,一応書いてしまうのがわたしの弱さだ。
 ともかく,リンクを張ること自体の行動指針については,すでにわたしの中で解決している。問題は,リンクを外す権利についてだ。
 たとえばリンク集を作ったとしよう。リンク集を作る目的にはいろいろあるだろうが,ここでは自分が好きで面白いと思っているページたちを,集めて紹介したいという目的の元にリンク集を作ったとする。
 そして,リンク集を作ってからしばらくの時が流れる。ある日,リンク集に入れていたページを自分はもう読んでおらず,それが面白いと思えなくなったとする。
 そこで,何事もなかったようにそのページへのリンクを外せる人は,この文章を読む意義はないのでどこへでも(←ランダムリンク)行ってもらおう。一般に,そこでリンクを外すことに躊躇する人は少なくないのではないか。少なくともわたしは躊躇する。
 そんな人のために考え出したのが「アンリンクフリー」(unlink free:リンクを外すのはご自由に)という表示だ。「リンクフリー」という表示によってリンクをするときの相手の気遣いをあらかじめ省いておくのならば,「アンリンクフリー」とあらかじめ表記しておくことによって,そのリンクを外したくなったときの相手の気遣いをもあらかじめ省いておくべきではないか。どちらかというと後者の方が,相手により大きな負担をかけることになりそうだし。
 というわけで,わたしのページは「リンクフリー」であると同時に「アンリンクフリー」でもあります。好きにリンクをしてかまわないし,いやになったらいつリンクを外してもかまいません。

佐々木収情報[*]

 ところで昨日のボタンコメントで触れていた,元MOON CHILDの佐々木収くんの現在の状況がわかりましたよ。SCRIPTなるバンド(?)をくんで活動を再開するらしいです。オフィシャルホームページもありました。11月7日には川崎でLIVEをやったらしいです。12月1日には下北でもLIVEをやるらしいです。下北ならば近所なんで行こうかななんて思っています。二人バンドということは,前よりも岡村靖幸色(要するにめちゃめちゃ度)が強まった楽曲になっているのでしょうか?

本当にいやなやつ[*]

 最近なんだか「ネタがない」というネタの日記がやけに目に付くなーと思っていたら,同様に思っていた人がいたのか。
 「ネタがない」という日記は,正確には「ネタがない」というネタしかない日記なのであって,つまりは「ネタがない」わけではないのです。などと,多重否定を繰り返しても何も言わないATOKのくせに,どうして「ネタがないわけではない《否定の連続》」と細かいことを気にするのでしょう。もっとおおらかに生きようよ。鉤括弧の有無なんかで左右される人生なんてつまらないぞ>ATOK。
 っつーか,ATOKの校正支援機能を自分へのつっこみとして楽しんでいるわたしは,どこか間違っていますか? 文体の統一機能までオンにしつつ,文体を統一してませんか? ところで「走れない《ら抜き表現》」「来れない《ら抜き表現》」「生きれない《ら抜き表現》」のうち,仲間はずれはどれでしょう? 正解は,ページの下にある日記猿人投票ボタンを押すと現れます。と言ったらわたしは非難囂々ですか? ヒロミ,ゴーゴーですか? ニューヨークシティマラソンを3時間40分で完走しますか? どうしても答えが知りたいという方は,次のボタンをどうぞ。

 というわけでした。えっと,「もしかしてブラウザの非互換性の問題で答えが出なかったのかな?」とか思ってソースまで見ちゃった人もいますか? 残念ながらボタンを押しても答えは出ません。まあ裏切りってのは世の中あちらこちらに転がっているものですし,ボタン一つ押すだけでなんでも答えがわかるなんて思ったら大間違いなのですよ。それにしてもおれって本当にいやなやつですね。
 ああ,話がそれたまま終わってしまうところでした。「ネタがない」というネタの日記についての話題でしたね。えっと,そんなことオレもどうでもいいです。それでは,さようなら。

 で終わった方がネタとしては面白いのだけれども,別にわたしは日記に最大限のおもしろさを求めているわけではないので,話を続けます。蛇足蛇足というけれども,ヘビだって足があった方がうれしいかもしれません。始終のたうち回る人生なんてつらそうじゃないですか。ヘビさんにも歩かせてあげましょうよ。
 また逸れはじめた話をすぱっと戻します。「ネタがない」というネタ自体は,「非常につまらなく」はありません。「ネタがない」というネタと,「朝起きて学校行って帰って寝た」というネタとでは,まだ前者の方が面白いような気がしませんか? 「ネタがない」というネタを深く考察することによって,なかなか面白いメタ日記を構築することが可能のように思えませんか? 思えませんか。そうですか。まあそういうこともありますよね。
 って無駄話をだらだら続けた後で,まじめに「ネタがない」ということについて考察しようと思ったのですが,いい加減長くなったのでまたいつか気が向いたらってことにして,本日の会合を閉めさせていただきます。本日は遠いところわざわざのご足労まことにありがとうございました。帰られる際には入り口で引き出物をお受け取りになってください。

みなさん,さようなら[*]

 ふと振り返ると,他に誰もいなくなっている午前1時。いつもは机の下で寝ているやまかんも今日はいない。マシンノイズが静けさを強調する,ひとりぼっちの会社。外は寒そうだが,そろそろ原チャリで家路につこうか。ああ腹が減ったなー。
 などというふつうの日記ネタも,最近では減って来ているこのページ。「このページは日記なのか?」あるいは「日記とは何か?」という疑問に取り込まれてしまってはいけません。
 投票ボタンの使い方の問題と同様に,そんなものは各人が各人なりに判断すればいいのです。たとえレギュレーションで規制されたとしても,それを守るも破るも各人の自由なのです。もちろん規則を破ったかどによって追放されたとしても,それは各人が選んだ道なのです。
 などというアナーキー(スカイウォーカー(一部爆笑))な思想も存在するのです。というかわたし自身は,この程度がアナーキーだとは少しも思っていないのです。でもテロリストの論理と似通ってはいますよね。
 と書いたところで背後で足音がしたので振り返ってみると,VB研所長がてくてく歩いてきました。帰ったのではなく,上の階で休憩していただけのようです。これでわたしは戸締まりを気にせずに帰ることができますね。これ以上だらだらと書いていて先を越されてしまわないように,素早く帰ることにしましょう。
 先生,さようなら。みなさん,さようなら。

1999年11月12日[*]

エッチな一行コメント[*]

 おお,早速「アンリンクフリー」に賛同してくれる方が!!! というわけで調子に乗ってこんなページを作ってしまいました。みんなで広げよう「アンリンクフリー」のわっ!(←さぶっ)
 ところでふと思ったのですが,「買ってはいけない」側は「『買ってはいけない』は買ってはいけない」に対して,「『買ってはいけない』は買ってはいけない」は買ってはいけない,という本を出さないのでしょうか。やはり三十鉤括弧が存在しないのが敗因なのでしょうか。なんだかやるせないですね。ところで「やるせない」って言葉の使い方はこれであっていますか? 「やらせない子ってやるせないですよね」って使い方はあっている気がします。
 話は変わります(←最近話題の転換接続詞に食傷気味なのです)。客引きコメントとして,ちょっとエッチ風の文章を使う人はよくいますよね。
 「もうびしょびしょに濡れちゃって……」とか「やりまくりてー」とかいうコメントに釣られて行ってみると,そこには「キッチンの蛇口が壊れてしまって,あわてて水道屋さんを呼んだんだけれども,水道屋さんが来るまでの間にキッチンはもうびしょ濡れになってしまいました」とか「ようやく買った○×ゲームなのに,忙しくて全然やる暇がない。ぢぐじょおはやくやりてぇよぉ」とか書いてあるわけです。そういえばわたしも昔こういうネタを書いたこともあったっけ……。
 そういうときに,「だまされた」とか「裏をかかれた」とか思ってしまったあなた,ちょっと考えてみてください。今まで読んだその手のコメントがついている日記では,実は「エッチな内容ではなかった」日記の方が多かったように思えませんか? そうです。実はもう「エッチな一行コメント→実はエッチじゃない内容」というのは,「裏をかいている」のではなく「ごくごく当たり前」のものになってしまっているのです。
 しょせん裏表なんてものは時流に沿って移り変わっていくものなのです。かつての革新が今や保守となったり,かつて非難されていた行為が今では賞賛されたり,華原朋美が浜崎あゆみに取って代わられたり,裏日記のつもりで書いていた日記がいつの間にか表よりもメジャーになっていたりするのです。
 ところでコインの裏表っていまいちよくわからないですよね。ひとまず10円玉に関しては,わたしが裏と思った方が表であると経験則によって証明されています。
 というわけで,わたしは今後「もうびしょびしょに濡れちゃって……」とかいうコメントで,「もう最近若い男を見るといつもお○んこがびしょびしょに濡れちゃうの。電車の中なんかでそばに男子高校生なんかが立ってたりすると,その子と○○することを考えちゃったりして,思わず電車が揺れた振りをして胸を押しつけちゃったりするんです」などといった内容の,裏をかいた日記が出てくることを期待するわけです。嘘です。期待しません。

追記)
 harunoさんから,『「買ってよい」という本がでたみたいですね。』とのコメントが。えっとそれってどういう立場の本なのでしょう?
1.「買ってはいけない」で否定されてた商品は,本当は「買ってよい」のだという批判本
2.「買ってはいけない」筆者陣が書いた,「買ってよい」商品の紹介本
3.便乗した第三者による,「買ってよい」おすすめ商品紹介本
ってあたりが思い浮かんだのですが,正解はどれ?

妬み嫉み怒り恨み[*]

 他人に対する妬み嫉み怒り恨みなどのネガティブな感情を,そのまま表に出す人は滅多にいない。ポジティブな感情ならばそのまま表出させても問題ないが,ネガティブな感情をそのまま表に出すと,人間関係に支障を来してしまい,社会生活を営むのが困難になる可能性が高いからだ。自分の感情をそのまま表に出してそれで済むのは,小さな子供のうちだけだ。
 ネガティブな感情を表に出さない方法はいくつかある。
 単純に自分の感情を胸の奥にとどめ,欠伸をかみ殺すように胸の奥に押しつぶしてしまうというのが,その一つだ。感情が表情や態度に影響を与える前に,ファイアーウォールで食い止めてしまう。
 それと似ているが,感性を鈍化させてしまうという方法もある。わき起こった感情を押しつぶすのではなく,あらかじめわき起こるべき感情の度合いを低く抑えるように制御するのだ。そうしておくと,たとえネガティブな感情を誘発するような事態が起こっても,心を動かされることは少なく,態度にも出なくなる。
 どちらの方法も目的を達成するためにはなかなか有効なのだが,あらゆる感情に対して影響を与えてしまう可能性が高く,ネガティブな感情だけでなくポジティブな感情の動きをも阻害してしまう。
 より高度な操作としては,昇華という方法もある。これはネガティブな感情をある変換操作を通してポジティブあるいはニュートラルな感情へと変化させる方法だ。その具体的な方法は幾通りもあるだろうが,そのうちの一つとしては視点の移動があげられる。
 感情というのは,自分の持つ個性・立場との相関が強い。そこで,ある危険な感情がわき起こりそうになったとき,自分という個性や自分の置かれている立場から脱却し,危険な感情の元となった相手や第三者の個性・立場における視点に立ってみる。
 自分以外の人間による状況のシミュレートに成功すれば,危険な感情は他者の持つポジティブもしくはニュートラルな感情によって,相殺もしくは緩和されるだろう。自分が強いネガティブな感情におそわれていたとしても,たいていの場合,自分以外の人間までも同じような感情を持っていることは少ない。
 ただしこの手法を取るためには,自分と異なる立場の人間に対する感情移入に習熟しておく必要がある。自分が嫌いな人間の思考を真似するなんて,「絶対にいや!生理的にいや!」といった場合はこの手法を採用することはできない。そういう場合は,別の方法による悪感情の昇華方法を身につけることを考えた方がいいだろう。

 という話に持っていきたかったのではなかった。本当は,日記上で他人に対する悪感情を飾らずそのまま吐き出しているような人々は,実生活でも同じようなことをやっているのか,それとも匿名のWeb日記上でのみやっているのかどうかが気になるなー,と思っただけなのでした。

1999年11月12日
アンリンクフリーってのはどうだろう?
 リンクフリーという表現が英語的には間違っているという話は結構有名だが,ひとまずその件についてはおいておくことにしよう。ここでは日本式用法である「リンクはご自由に」という意味であるとして使う。
 わたしは「リンクフリー」という言葉も「無断リンク禁止」という言葉も基本的に無意味な言葉として読み過ごすことにしている。このような見解を支持しているので,相手先にどう書いてあろうとも,基本的には張る側が判断して決めるべきことだと思っているからだ。もちろん法律違反でなければ何をしてもいい訳ではないということは,わざわざ確認しておくまでもないことなのだが,一応書いてしまうのがわたしの弱さだ。
 ともかく,リンクを張ること自体の行動指針については,すでにわたしの中で解決している。問題は,リンクを外す権利についてだ。
 たとえばリンク集を作ったとしよう。リンク集を作る目的にはいろいろあるだろうが,ここでは自分が好きで面白いと思っているページたちを,集めて紹介したいという目的の元にリンク集を作ったとする。
 そして,リンク集を作ってからしばらくの時が流れる。ある日,リンク集に入れていたページを自分はもう読んでおらず,それが面白いと思えなくなったとする。
 そこで,何事もなかったようにそのページへのリンクを外せる人は,この文章を読む意義はないのでどこへでも(←ランダムリンク)行ってもらおう。一般に,そこでリンクを外すことに躊躇する人は少なくないのではないか。少なくともわたしは躊躇する。
 そんな人のために考え出したのが「アンリンクフリー」(unlink free:リンクを外すのはご自由に)という表示だ。「リンクフリー」という表示によってリンクをするときの相手の気遣いをあらかじめ省いておくのならば,「アンリンクフリー」とあらかじめ表記しておくことによって,そのリンクを外したくなったときの相手の気遣いをもあらかじめ省いておくべきではないか。どちらかというと後者の方が,相手により大きな負担をかけることになりそうだし。
 というわけで,わたしのページは「リンクフリー」であると同時に「アンリンクフリー」でもあります。好きにリンクをしてかまわないし,いやになったらいつリンクを外してもかまいません。

1999年11月13日[*]

コピペ感想メール例文集[*]

 風邪を引いた。喉が痛く,頭が重くて熱っぽい。まだ初期症状なので思考能力に問題は出ていないが,このまま悪化させると二,三日は使い物にならなくなりそう。来週いっぱいかけて一ヶ月分の仕事を終わらせなければならないのに。
 ところで昨日うちに来た,ネットワークビジネスなWebページを作っている人からの感想メールは,やはり日記猿人登録日記に片っ端からコピー&ペーストして送っているんだろうか。
 もうちょっと定型文っぽさをなくした本文ならば,それなりに楽しめると思うのに。なんならわたしが「日記猿人向け」「README向け」の,ぱっと見はコピー&ペーストに見えない例文を作ってあげようか? って,本当に使われたらいやだからやらない。
 それにしても,あの手のものに手を出す人にとっては,インターネットメールや掲示板ってものは,宣伝目的で使うにはとても便利でお金のかからない道具,というのが第一義になっているような気がする。
 ひとまずわたしは,マルチ商法(たとえそれが合法であろうとも)や宗教(特に現世利益を謳うもの)とそれに関連する人々を,ほぼ無条件で斜めに見てバカにした言動を取るよう設定されているので,その手の方々はメールでも掲示板でもあまりわたしに近寄らない方がいい。それはネット上に限らずオフラインでの知り合いですら,真綿にくるみつつも同様の態度をとってしまうのだから。

ちと蛇足)
 下のボタンコメント遊びの『じゃあ「石+石」はなーんだ?』というなぞなぞについて,『「木+木」は「林」とか「森」になりますが、「石+石」ではどっちかというと「砂」になるような気がするんですが。』というコメントをいただきました。
 が,まああれはもともと,「いしたすいしは?」っていう音の響きが「いちたすいちは?」と似通っていることを利用して,「2」と答えた人に「へー,1じゃなくて石だもんねー」と言うだまし遊びなので,答えの理屈はあまり気にしていないのでしょう。
 でもまあ「砂」という答えに持っていくのならば,「礫」の方が正確かも。「礫」よりももっと大きな粒を表す言葉ってあったかな?

1999年11月14日[*]

理想のWeb日記[*]

 わたしが思う理想のWeb日記(あるいは個人Webページ)の条件は,以下のようなものだ。

○その人なりの思想性・個性が表現されていること。事実の列挙や他人の受け売りだけで終わっていない。たとえ日常生活を書いたとしても,そこに自分独自の批評は盛り込めるはずだ。
※「その人なりの思想性・個性」について,その内容については条件に書いていないことも注意してほしい。わたし個人は「突飛でひねくれ気味の思想・個性」を好むが,しかし「理想のWeb日記」の条件にそういう趣味を入れていない。わたしの好みではない思想・個性だろうと,その人なりの思想・個性が表れていればそれでいい,という考えだ。

○匿名でなければ書けない内容を書いていないこと。あるいは本名で書くこと。匿名である無責任に甘えて好き放題書いているのは見苦しい。どうせ好き放題書くのならば,せめてその文責を本名によって保証するべきだ。
※ちなみにうちのページは,トップページに本名を記載しているので,そのぶんかなり好き勝手なことを書いている。

○物理的に文章を読みやすい環境を整えておくこと。たとえば背景色と文字色のバランスを考える。不必要な画像・オブジェクト(音楽・ムービー・Javaアプレット)は使わない。HTML的に無駄な改行,何となくのセンタリングは使わない。自分の環境前提の修飾指定(フォントサイズの変更など)はしない。できるだけ広い環境で不具合なく読めることが望ましい。
※もちろん十分意味のある画像やオブジェクトならば,あってかまわない。「HTML的に無駄な改行」とは,自分の環境のウインドウの横幅にあわせて,文章の途中で改行を入れているようなものを指す。「自分の環境前提の修飾指定」とは,自分のWebブラウザにあうようにフォントサイズを変えることによって,ほかのWebブラウザでは読みにくくなっているような場合を指す。

○最低限の推敲はしてあること。Web日記は「日記」なのだから,ある程度書きとばしてもかまわないとは思う。が,せめて「てにをは」誤字脱字レベルの間違いは,できるだけ少なくあってほしい。著者モード・読者モードではなく,校正モード(内容よりも文字レベルチェック重視)で一度読み返せばたいていは直せるはずだ。

○リンク集(日記猿人など)からリンクを張る場合,最新の日記へたどり着きやすいリンクを用意しておくこと。フレームで組んである場合は,フレーム内の最新日記ページ単独でも成立するように作るか,あるいはフレームへのリンクで自動的に最新日記がフレーム内に表示されるようにしておく。

○複数のテーマが同一文書内で扱われているときには,できるだけテーマごとにアンカーが用意されていること。他のWebページから言及するときの便利のためである。また,そのアンカーは恒久的に有効である必要がある。

○過去ログは時系列の昇順ではなく,降順で並んでいること。もちろん同一ページに複数日付分の内容を収録する場合の話だ。過去ログを部分で参照するためだけに用意しているのならば昇順でもかまわないが,まとめて読み返したい人のために降順にしておいた方が親切だ。

 後でほかにも思いつくかもしれないが,ひとまず現段階で浮かんだ条件は以上のようなものだ。一応上にあるほど重要度が高い条件である。
 ただし,これはあくまでも理想である。自分のページでは基本的に上記のような理想を追求しているが,それでも「アンカーが恒久的に有効である」という点は守られていない。これはなぜかというと,「最新日記と過去ログを同時に更新するのが面倒くさいから」である。理想が怠惰に負けているわけだ。
 ちなみにこのような条件を公表することによって,この条件に合致していない日記ページを非難しているのでは,もちろんない。ただ,「この条件を読み,その条件に合致するよう合わせてくれるページが増えたら,わたしが好きなタイプのページが増えるだろうな」という淡い期待は抱いている。

リンク集を作ろうか[*]

 風邪の状態は,悪くもなく良くもなく。
 昨夜は軽く酒を飲んでから無理矢理寝たのだが,夜中に一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けなくなった。体の節々が微妙に痛み,鼻が詰まり,喉が痛む。頭も重い。
 寝付けないままに枕元のノートPCの電源を入れ,上の文章を書いてアップロードする。そのうち朝も近くなってきたので,無理矢理寝ることにする。
 いろいろと楽な体勢を探して寝返りをうつうちに,毛布も布団も体に巻き込まれてどこかに行ってしまった。しかし起きあがって布団を整え直す気力もないままに,いつの間にか就寝。
 昼前に起きると,特に体調は良くも悪くもなっていないようだった。今日も休日出勤なので,その前にゆっくり風呂に浸かっておくことに。書棚から適当に引っ張り出した「深夜特急」の4巻を読み終えるまで湯船に浸かり,梅風味鶏肉ソースでスパゲッティを食べてから会社へと向かう。
 そういえば昨日の夜眠れない間,うちのページにリンク集を作ることを考えていた。今までもサイトデザインを変更するたびに,様々な形でのリンク集を作ってきた。今度こそは引っ越しで消してしまわないようなリンク集を構築したい。
 わたしにとっての理想のリンク集は,自分のブックマークとしての利便性が高いことと,他人に推薦したいページをわかりやすく紹介していること,の二つの目的を高いレベルで両立しているものだ。メンテナンスの手間をかけたくないので,できるだけアンリンクの呪縛にもはまりたくない。
 基本的には恒久性が高いリンクを一通り網羅し,その中から特におすすめのものをコメント付きで紹介するという形になるだろうか。季節ネタなどの鮮度が肝心なものは,日記やWebウォッチで紹介することにすることになるだろう。
 などといった方向性は見えてきたのだが,まだまだわたしの中で理想のリンク集の具体的な形は見えて来ていない。今回作ったものもきっとしばらくするとつぶすことになるだろう。あと数回の実践的試行錯誤を繰り返さないと,リンク集というものの本質は見えてこない気がする。

1999年11月15日[*]

子供の頃の遊び[*]

 子供の頃に遊んださまざまな遊びについて,記録に残しておきたいと考えた。
 たとえば鬼ごっこやかくれんぼとその派生型,メンコやビー玉などだ。今どきの子供は,おそらくそのような遊びは,もうほとんどしていないだろう。テレビゲームという娯楽が,その位置に取って代わってしまったものと思われる。
 また,その手の遊びはもともとが口伝えに伝えられてきたルールに基づいて行われていたため,競技人口が減るとともにルールを知っているものの数も減り,ますます衰退の方向に向かってしまう。地方独自の細かいルールの違いや,あるいはオプションルールの存在なども面白みの一項目であったのに。
 というわけで,できる限り細かい部分を思い出しながら,わたしが子供の頃(1970年代半ばあたり)に遊んださまざまな遊びについて,ここに書き残しておきたい。ある程度数がそろったら別コンテンツとして分離させる予定だ。

メンコ[*]

 わたしがメンコをやっていたのは,1975〜9年(幼稚園〜小学校3年生)あたり熊本の田舎町においてのことだ。それ以外の地方ではほとんどやった覚えがない(北海道でもちょっとやったような気がする)ので,その地方のローカルルールしかわからないことになる。
 メンコの札というと,ふつうは厚紙でできた円形のものを使うのがふつうだ。しかし,わたしがいた地域ではそのようなふつうのメンコのほかに,もっと小さくて長方形をしたカードを使ったメンコ(こちらは「カード」と呼んでいた)遊びも流行っていた。どちらかというとカードの方が隆盛を誇っていた。
 メンコもカードも,どちらもその表面には当時流行っていたマンガ,アニメ,特撮の絵が描かれていた。当時使われていた絵としては,「宇宙戦艦ヤマト」「仮面ライダー」「仮面ライダーV3」,後期には「機動戦士ガンダム」などもあった。メンコは一枚数十円,カードは20円一袋に2枚入っていたような記憶があるが,あまり正確な記憶ではない。
 メンコを行う競技スペースは,できるだけ平坦なコンクリート面が望ましい。もっともよく使われたのは,家の玄関前にあるコンクリート部分だった。まれに廊下などの板の上で行うこともあった。学校の床や廊下でもやっていた記憶がある。
 参加人数は最低二人からで,競技スペースが許す限りたくさんの人数で同時に遊ぶことができた。たいていは三,四人で遊んでいたような気がする。
 まず参加者は自分のメンコを競技スペースにおく。そして,じゃんけんで順番を決める。後は順番に自分のメンコを持ち,スナップを利かせてほかの人のメンコに叩きつける。
 もしも自分のメンコが相手のメンコをひっくり返すか,相手のメンコの下に一部でももぐり込む(すくう)か,あるいは競技スペースから外に出せば,そのメンコを自分のものにできる。メンコをとることに成功すると,連続してプレイすることできる。とれなかったときは次の人と交代だ。
 ふつうのメンコよりも薄い紙で作られているカードで遊ぶことが多かったので,相手のメンコをひっくり返すというルールはほとんど有名無実と化していた。基本的には「すくう」ことを狙い,よほど端っこにあるメンコに対しては「出す」ことも狙った。
 「すくう」判定としては,ほんのわずかでもすくわれていればよいことになっていた。1ミリ以下の微妙な「すくい」については,参加者全員で協議して判定した。ときどき一見すくえているように見えるが,実は多層の紙で構成されているメンコの隙間に挟まっているだけのこともあり,そのような場合は上になっているはずのメンコを持ち上げると,挟まっている自分のメンコも持ち上がってしまう。そのような場合は「すくわれていない」ことになった。
 そのように,多層の隙間に挟まるメンコは勝負の妨げになる。そのため,多層構造の一部が浮き始めているようなメンコは,ノリやセロハンテープで修繕した。そのような修繕するとメンコ自体が重くなり,偶然的に強いメンコが現れることがあったため,問題がないカードもわざと「浮かせて」からノリで補強する場合もあった。
 ロウを塗るというのも,メンコの強化方法として採用されていた。ロウによって滑りをよくしつつ,さらにメンコを重くすることができる。ただしロウソクはそれほど簡単に手に入らなかったことと,ロウを塗り込むのにはかなり時間がかかったことから,自分のもっとも強力なメンコにしかそんな手間はかけなかった気がする。
 とったりとられたりと賭け事的要素が強いメンコだが,特に学校で禁止になったりはしなかった。喧嘩ゴマが学校で禁止されたのとは対照的だ。おそらくメンコは数十円単位のもののやりとりだが,喧嘩ゴマは数百円〜千円程度するという値段の問題だったような気がする。
 小学校3年生で転校したのをきっかけにわたしはメンコをやらなくなったが,もしもずっと同じところに住んでいたら何歳くらいまで遊んだものだったのだろう? せいぜい小学校5年生くらいまでかな?

警察車輌の見分け方[*]

 そういえば,この間の帰り道にふと気づいたことを,忘れないうちに書いておこう。たまたまパトカーの後ろをしばらくついて走ったので,じっくり観察してみたのだ。覆面ではなくふつうのパトカー。ミニパトでもない。
 8ナンバーであるのは当たり前。最近では覆面パトカーで8ナンバーではないのもいるというのは本当だろうか? 車種は三菱のマイナーなセダンだった。名前の聞き覚えがない車種。警察車輌はほとんど車種を統一していないように見えるが,不公平にならないように各メーカーからバランス良く購入しているのだろうか? 高速警備隊ではGT-Rのパトカーもいるというが。
 警察官はもちろん二人乗っている。公務執行中は二人組ってのは基本。ただし街を走っている一人乗りのパトカーもたまに見かける。あれは公務執行中ではなく,移動や帰り道の途中などだと思っているのだが,そういうパトカーの目の前で交通違反した場合は捕まるのだろうか? ときどき試してみたくなる。まあパトカーは基本的に自分の公務以外の仕事には手を出さないと聞いているので,交通違反検挙目的のパトカー以外ならばよほど悪質でない限りは見逃すだろう。
 警察車輌だから,もちろんドアミラーではなくフェンダーミラーを採用している。と思いきや,ドアミラーのみだった。フェンダーミラーでないパトカーもあるのか。覆面パトカーを見分けるポイントとして使ってきたのだが,あまり重要ではない要素なのかもしれない。ただし,左ドアミラーおよびバックミラーが運転席用と助手席用の二つずつついている。右ドアミラーだけは助手席用はないようだ。その理由が追い越し車線を走っているスピード違反者に警察車輌だということがばれないため,だったらいやだな。
 無線機は,運転席と助手席のちょうど中間あたりに設置されていた。どちらの人間が使うかわからないからだろう。無線機の送話機は携帯電話の倍くらいの大きさあり,夜間なのでオレンジ色に光っていた。ライトのスイッチと連動しているのだろうか。ボタンはふつうの電話よりも多いくらいあったが,恐らく短縮ダイヤルのような機能を持つものがいくつも用意されているのだろう。そういえば,携帯電話などによる話しながらの運転に関する新しい交通法規の対象には,パトカーの無線も含まれるのだろうか。
 などと観察したところで,わたしの帰り道から逸れていくパトカーとお別れしてしまった。じろじろ中をのぞき込んで観察していたのだが,特に不審には思われなかっただろうか。まあじろじろ見られるのには慣れているのかもしれない。
 その後の帰り道では,バイクの低速走行における安定性が自転車の低速走行における安定性よりも劣るのは何故かを考え,恐らくバイクの方が車重が重いためバランスを崩したときにバランスを取り戻すために必要な力が大きいことと,自転車は左右の足に交互に力を入れて漕ぐぶんバランスを取り戻すきっかけがつかみやすいこと,あたりが理由なのかなと思い当たった頃に家にたどり着いた。
 ひとまず車・バイクを運転しているときに,よけいなことを考えすぎるのは危険なので,良い子のみんなは真似しないでね(はぁと)。

ルールに対する考え方[*]

 じじ臭い話だし,どこかで誰かが書いていそうなネタではあるが,思いついちゃったから書いておこう。
 わたしが昔遊んでいたような遊びは,社会的学習の場として有用だったように思える。
 たとえば先ほど書いたメンコのルールは,大枠は誰か(たぶん友達の兄さんあたり)によって教えてもらったが,細かいルールは自分たちが遊んでいる中で決めていったものだ。
 基本的なルールが決まっていたとしても,実際に運用する際にはさまざまな問題が生じるのがふつうだ。そういうときのさまざまな対応を,遊びを通して経験していった。
 何か不具合が起こった場合には,たいていの場合ローカルの追加ルールによって解消した。誰かが解決策を唱え,それをみんなが承認するという形式がもっとも多かったように思う。ルールの策定,改訂を自らの手で行っていたのだ。不具合の解消のためだけでなく,よりゲームを面白くするための改訂も積極的に行った。
 さらにルールの運用についても身になる経験を持つことができたと思う。自分たちで決めたルールなのだから,自分たちの責任で運用する必要がある。多少問題があるルールだったとしても,その欠点を自ら解消する代案が出せない限りは,誰かに文句を言えた筋合いではない。
 ルールを破る,という点についても自己責任の度合いが強かった。ゲームをする際に細かいズルをしたくなることはさほど珍しくない。しかし,自分で決めたルールを自分で破るのは自己否定に等しい。だからルールは自主的に守ろうとするし,出来心で破ってしまった場合も自省の度合いが強くなる。
 また,ルール違反に対する明示的な罰則制度は設けられていなかったが,ルールを頻繁に破るような人間は友達の中での評判が悪くなり一緒に遊んでくれる人が減るという,自然な罰則も適用されていた。
 しかし,現代の子供たちの一般的な遊びであるビデオゲームでは,そのような余地はほとんどない。ルールはコンピュータプログラムとして厳密に定義されている。ルールの破綻(バグ)すらも厳密に定義されており,修正が効くことは少ない。そういうものでしか遊ばない子供は,ルールを絶対的なものとしてみているのではないだろうか。
 「だからどうだ」という結論的部分は,文章化すると語弊が生じまくりすぎてどうともならない感じだったので,削除。
 と書き終わってから読み返してみると,ますますじじ臭さが身にしみる。

1999年11月16日[*]

オカルト麻雀を試してみよう[*]

 11月23日は,麻雀大王を決める第4回大王戦の日なのです。
 第一回の結果は日記には残っていませんが,確か何とか決勝卓に残ったもののそこでぼろ負けし,結局後ろから数えた方が早い順位で終わった記憶があります。第二回はトータル-10ポイントでほぼ中位と麻雀屋のメンバーになれるくらい無難な結果に終わりました。第三回も何とか決勝卓に残りつつも,そのままずるずると落ちて中位に終わっています。
 というわけで今回こそは最後まで勝ちきり,優勝賞金百万円(嘘)を手に入れたいとも思ったのですが,実は大王戦ルールでは浮きの二着が一番効率のいい勝ち方なのです。なぜならば大王様は優勝賞金でみんなにおごらなければならず,過去の例を見る限りでは優勝賞金なんか結局残らず飲まれてしまうようなのです。
 ところで麻雀にはいくつかのプレイスタイルがあります。
 初心者に多い自分の手の内優先全突っ張りスタイルは,頭を使わないでいい割には気持ちよくあがれることの多い,わたし的には好みのスタイルです。しかし,何も考えていないぶん結果は大荒れに荒れ,勝つときも負けるときもものすごいことになりがちです。よほど運がいい人でない限りは,トータルではマイナスになるのではないでしょうか。
 絶対に振らない堅実スタイルがその正反対の位置にあります。自分の手作りよりも周囲の手の進行具合に注目し,振る可能性がある場合は手を崩してでも振らない方を選びます。手の進行も安全牌を残しながら進めるぶん遅くなります。大きい手をあがれることは少ないし,だいたいあがれること自体が少ないプレイスタイルですが,面子にツモりまくりの大ラッキー君がいない限りは,大負けすることはあまりありません。
 早あがり&早降りスタイルというのが,わたし的には一番損が少ないスタイルだと思っています。手の高さは捨てできるだけ早そうな手を作ることを狙い,とにかく人よりも先に1000点でもいいからあがることを狙います。そして,地味にかき集めた点棒を手放さないために,少しでも周囲に不穏な動きがあったらすぐに降りてしまいます。もちろんリーチ棒がもったいないので滅多にリーチもかけません。終盤は鳴いてでも形式テンパイを作ります。このスタイルが一番負けない打ち方だと思います。ただし大勝ちすることは考えにくく,トップを狙うにはもの足りません。
 もっとも理想的なプレイスタイルは,一打一打の状況変化に応じてプレイスタイルを自由に変化させる万能型でしょう。自分の手の進め方と相手の手に対する降り方のバランスを,現在の状況のみならずその後の展開まで予想しながら,自由自在にコントロールするわけです。しかし,わたしにはそこまで思考能力を使った麻雀を半荘数回分も続けることはできません。一局すら完全にはできない気がします。
 というわけで,今までのわたしは最初の三つのプレイスタイルをその場に応じて適当に使い分けながら戦っていたわけですが,今回の大王戦ではちょっと違ったやり方を試してみようかと思いました。それは運と流れを重視した打ち方です。
 わたしはもともとが理系の徒ですから,運や流れなどのオカルトな要素は基本的に信じていません。ただし,人間そこそこ長く生きているとその手のオカルトな事象に出くわすことはそう少なくないため,基本的には信じていないけれども方法論としてそういうものはありかな,という程度には譲歩しています。
 今回採用しようと思うのは,桜井章一の雀鬼麻雀理論の一部と,片山まさゆきの「ノーマーク爆牌党」における色読み理論です。前者は,人にははじめからある地運と状況によって変化する天運があり,その二つの運の動きによって麻雀の展開が決まっていく,というものです。後者は,麻雀の流れの中では色(牌の種類)の偏りというものが存在し,それをうまく活用することによって確率を超えた麻雀を打つことが出きる,というものです。
 ひとまずこれから11月23日までの間,もう長らくやっていなかった東風荘(いつの間にかプログラムやシステムが多少変わったみたいですね)で修行をしようかと思っています。「いしなお」で登録しているので見かけたときにはよろしくネ。

楽しいキャラクター紹介「ピーポくん」[*]

ピーポくんの姿を,無断で個人ページに掲載しちゃうと,警視庁から怖いおまわりさんたちが送られてくるかもしれないよ! 危険だから,良い子のみんなは真似しないでね! 楽しいキャラクター紹介コーナー。本日紹介するキャラクターは,警視庁のマスコットキャラクター「ピーポくん」です。できれば左記のリンクを,「新しいブラウザで開」いてこのページと並べてみながら楽しんでください。
 まずピーポくんは,警察庁のキャラクターではなく,警視庁のキャラクターです。ですから,東京都近郊に住んでいる方以外にはあまりなじみがないかもしれません。東京近郊に住んでいても知らなかった人もいるかもしれませんが,せっかくですので今日覚えて帰ってください。
 ピーポくんは,「親しまれ,信頼される警視庁」をテーマに昭和62年に誕生しました。その名前の由来は,人々の「ピープル」と警察の「ポリス」の一部を取ってつけられたものです。間違っても,パトカーのサイレンの音である「ピーポー」が由来ではありません。ここ,試験に出るので覚えておいてください。
 ピーポくんのデザインは,「いろいろな動物のかわいらしい部分をイメージ化して」作ったそうです。要するにキマイラみたいなものでしょう。キマイラは「獅子」「牡山羊」「ドラゴン」「ヘビ」の合成動物でしたが,ピーポくんは何と何から合成されているのでしょう? ところで夢枕獏の「キマイラ」シリーズはどうなっているのでしょうね? もう完結したのでしょうか? わたしは確か菩薩編あたりまでついていって挫折しました。
 続いて,ピーポくんの持つ能力を紹介しましょう。まず,頭頂部にある不可思議なとんがりは,「社会全体の動きを素早くキャッチするアンテナ」だそうです。動物だと思っていたのですが,アンテナが内蔵されているあたりから察するに,実はピーポくんはロボットだったようです。さらにその耳は「都民の声を幅広く聞く耳」で,目は「社会のすみずみまで見渡す目」と,なんとも世の中に媚びた……あわわわわ,世の中の人々の役に立つ能力をピーポくんは持っているようですね。それにしても,「アンテナ」「耳」「目」で能力紹介が終わってしまったあたり,デザイナーさんは途中まで設定を作ったところで放り出しちゃったのかな?
 さて,ページの下の方ではピーポくんの家族が紹介されています。おじいさん,おばあさん,おとうさん,おかあさん,おとうと,いもうととなかなか大家族みたいです。洋服を取り替え,変装グッズを身につけたピーポくんの一人芝居ではありませんよ。ところで,おじいさん,おばあさんのデザインにサザエさん一家の影響を感じるのはわたしだけでしょうか? っていうか,単におじいさんが波平カットなだけなんですけど。
 さて,最後にとても重要なポイントを紹介しておかなければなりません。ページの最後に強調して書かれている一文「警視庁シンボルマスコットは商標登録してあります。」なのです。ピーポくんキャラクターを勝手に使ってはいけないのです。もしかしたら,うちのページも摘発されてしまうかもしれません。というか,すでに警視庁から怖いおまわりさんがうちに向かって出発している頃かもしれないのです。怖いですねー。良い子のみんなは真似しちゃいけませんよ。

1999年11月17日[*]

わるくち[*]

 風邪の調子はほんのちょっとだけ回復。ただし連日労働時間長めにつき,夜遅い時間にはぶり返す予定。このくらい軽い風邪だったら,本当は一日ゆっくり休めれば完治するのにな。とかいいつつ,実は昨日大変なことが判明したのであった。と一応書いておこう。後での覚え書きとして。どういう大変なことなのかはいずれ機会があったら。
 それにしても今仕事で使わされている,某国際事務機器会社の子会社が作っているまか不思議な仕様のデータベース風味サーバー&クライアント&開発ツールは,何でこんなに使い勝手が悪いのだろう。
 書いたコードが思った通り動かないことがあまりにも多く,そのうちのいくつかはバグであったり仕様であったりすることが判明しつつあるのだけれども,しかし大部分はヘルプに書いてある説明を読んだ限りでは動かない理由が納得できない。
 仕方ないので,同内容のプログラムを論理表現の対偶に置き換えて書き換えてみたら動いちゃったりして,それっていわゆる論理把握の不自由な人的素養を持っているツールなのですか。そんなプログラム開発環境ありですか?
 複数の計算から成り立つ式をまとめて書いたらうまくいかないのに,ばらして書いたらうまくいったりすることも多い。たとえば「1+1+2×3+4」みたいなのを,わざわざ「A=1+1」「B=2×3」「C=A+B+4」みたいにしなきゃならんのだ。ああ面倒くさい。
 あと,数値属性の場所に数値を入れたら「そこはテキストにしろ」エラーが出て,おかしいなと思いつつも数値をテキスト変換したら「そこは数値じゃなきゃダメ」エラーが出たりするのもやめて欲しい。っつーか,結局どっちやねん。
 ヘルプの出来の悪さもまたいかしている。わざわざ自前のエンジンにヘルプを載せているせいで基本的な動作パフォーマンスが悪い上,書かれている内容も笑っちゃうような直訳翻訳で意味が取りにくい。
 さらにアルファベット順の命令一覧はあるけれども,機能別命令一覧は用意されていないため,ある目的に使いたい命令が存在するのかどうかを,目的から命令名を推測しながら探し当てていかなければならない。たとえば配列の要素数を得る命令を探すとすると,Length,MAX,Last,Bottom……などとそれっぽい単語を思い浮かべながら,命令一覧を見ていくのだ。やってられっか。
 などと,たまった不満のガス抜きをしつつ,仕事に戻るのであった。まる。

1999年11月18日[*]

ライフスペースの論理[*]

 例のミイラは生きている団体について,ここのところ忙しくて情報を集めていられなかったのだが,今朝たまたまテレビをつけていたらワイドショーで5分ほど,その団体の代表者たちの記者会見の模様をやっていたので,それでわかったふりして書いてみることにしよう。
 ライフスペースと呼ばれているが,正式な団体名はSPGFというらしい。「シャクティ・パット・グル・ファウンデーション」の略。彼らの唱える説の根幹は,要するに「定説」=「世界の常識」を元に判断・行動しようというもの。彼らの発言を聞いていると「てーせつてーせつ」とうるさい。
 でもまあ,それ自体は納得できる話だ。要するに自分の知識・判断能力に自信がない人間は,常識に基づいて行動しろというのだろう。「人格改造セミナー」畑出身の団体だから,その手の(自分に自信のない)構成員が多いのだろうし。
 ただ大問題なのはその「定説」とやらの出所。彼らの指導者であるグル(高橋……下の名前なんだっけ?)は,その「定説」を瞬時に答える能力を持っており,つまりは高橋の言葉が「定説」なのだ。それはふつうに考えれば「世界の常識」ではなく,グルの「個人的意見」であるように思える。
 ただし,信者(と言ってしまおう)たちはそうは考えていないようだ。その「定説」は,必ずどこか(日本以外の国の場合が多いように思える)の論文なり法律なり慣習なりで支持されている,ということらしい。確かに彼らの「定説」は,ある程度その出所を付記されている場合が多いようだ。
 わたしは,世界中のどこかの国のいくつかの文献で支持されている説だとしても,それが世界の常識だなどとは思わない。各国・各地域・各業界固有の常識というものは世の中にはたくさんあるし,それらが他国・他地域・他業界においても通用するなどとは考えない。
 しかし彼らの理屈を聞いていると,「定説」はいくつかの文献で支持されている(と解釈できる)ならば,それだけで十分に「世界の常識」として有効らしい。そして「世界の常識」である「定説」は,ありとあらゆるその他のルール(常識・法律)よりも優先されてしかるべきだ,ということらしい。
 依って立つべき理屈の根幹が,そのようなうさんくさいもので定義されている以上,そこから発展した理屈はそれがどれだけ理に合っているように見えたとしても,正しい答えにはなり得ない。たとえば「1+1=3」だと思いこんでしまっていると,どんなに正しい計算操作をしても正しい答えには行き着かないのと一緒だ。
 という前提を忘れて,彼らの言う目先の理屈に反論しても無意味だ。彼らの理論操作はおそらくその根幹以外に関しては,さほど間違っていないだろう。だから,記者会見などで彼らの言葉に対して言葉で戦っても,彼らを言い負かすのは不可能に近い。逆に理論武装が甘い記者たちの方が負けてしまいかねない。

 ってだらだら書いていたら疲れてしまったので,後は要点だけ。
 表面に現れた事件の異常性だけを見て,彼らをオウム真理教の近似として扱うのは,ただの感情的条件反射のように思える。少なくともわたしはもうちょっと情報が集まらない限りは,安易に「オウム真理教と一緒だ」とは言いにくい。近代医療の拒否程度は,他の宗教団体でもしていたはずだし。
 とかいいつつも,記者会見に臨んだSPGFの関係者たちは,オウム真理教の上級幹部たち同様の確信に満ちた表情をしていたように見えた。世の中のほとんどの人は知らない「正しい知識」を知っている(と思いこんでいる)ことから来る自信なのだろう。
 科学的発想として,「この宇宙のあらゆる物理法則をたった一つの計算式によって表現する」ということには魅力を感じる。また文学的発想として,「世界の真実の姿を表現する究極の言葉」などがあったら面白いだろうとは思う。そういう「世界究極の秘密」の独占は,団体の求心力として有効に働いているようだ。
 そういえばグルの書く文章は,一般的には使われない漢字の使い方(彼らは「当て字」というと怒るらしい)をしている。またあちこちに英単語(しかも綴りはかなりいい加減。でもたぶんあれは間違いなのではなく,定説による真実の単語の姿であると主張するのではないか?)も混ざるため,非常に読みにくい文章だ。接続詞や助詞などまでを漢字にするためか,そこで書かれている論理自体も読みとりにくく,それを理解しながら読みとろうとすると頭がぼーっとしてくるくらいだ。
 睡眠不足や視覚刺激によって脳の働きを麻痺させ,そこに知識を刷り込むというのがマインドコントロールの基本的なやり方だが,グルの書く文章はその文字表現と論理の難読さによって脳の働きを麻痺させつつ,しかも文章の内容によって情報を刷り込んでいくという,なかなかに効率のいいマインドコントロール手法であるように思える。オリジナルのスタイルなのだろうか?
 などと列記したところで,これらをちゃんと文章としてまとめる気力が出ないので,ぶつ切りのようにおしまい。

<逃避行動>[*]

 さあ,いよいよ追いつめられてきました。明日の第一次提出までにどこまで進捗率をあげられることができるかな?
 ちなみにさっき「進行具合はどうですか?」という問い合わせのメールが来たので,読まなかった振りをして返事を書いていません。ともかく明日の3時の段階でそれなりにできていればいいのです。だいたい向こうが今の段階で細々と仕様変更を言ってくるから,話がややこしくなってくるのだし(言い訳)。
 それにしても,日に数回落ちる開発環境は嫌いです。しかもこの開発環境,異常終了するとシステムを再起動しないと再立ち上げができません。そのたびにサーバーをシャットダウンし,Windowsを再起動し,サーバーを再起動し,開発環境を再起動しなければなりません。うざいです。
 あんまりむかつくので,開発環境が異常終了したときには自分へのご褒美として,再起動前に東風荘で麻雀をやっていいルールを採用していました。今までの成績は,-10の3着,-8の3着,+25のトップ,+29のトップ,+31のトップ,+6の2着,-25のラス,+44のトップとなっています。
 最初の2回は一昨日インストールしたときに試しにやったぶんなので,その後の6回は再起動したわけです。しかしそれは「少なくとも」です。何回かは麻雀する代わりに,外に出かけたりして気分転換を図ったはず。
 さて今日は会社に泊まりの可能性が濃厚なのですが,明日までにあと何回麻雀ができるかな《文体が変化》?←ATOKうるさい!

</逃避行動>

1999年11月19日[*]

Backれる[*]

 久しぶりに会社の床で寝たけど,あんまり寒くなかったよ。すでにバイク用グローブは冬用に変えてしまったぼくだけど,まだまだ寒さは本格的じゃないんだね。
 ところで最近寝起きはいつも喉が痛いよ。風邪を引いているかどうかとはあんまり関係ないみたいなんだ。てっきり家ではエアコンをつけっぱなしにしているからかと思っていたんだけど,そうじゃないみたいだね。やっぱり冬だから根本的な湿度が不足気味なのかな?
 そういえば今日の三時に締め切りだった第一次期限がなくなったんで,今朝のぼくはほっと一息ついているんだよ。第一次期限がずれたんじゃなくて,なくなっちゃったんだ。ということは,ぶっつけ本番で行くってことなんだね。
 3人がちがうデータベースを構築して,それを一日で一つにまとめて動作させるなんて,とても一発でまともに動くとは思えないよね。スキーマすらまともに定義されていないってんだから笑っちゃう。たぶん名前と型との不整合があちらこちらで発覚することだろうさ。でもぼくは最後にはばっくれるつもりだから関係ないね。
 ところで「ばっくれる」って言葉はもちろん「しらばっくれる」の省略形だよね? 今ふと「Backれる」のかな?なんて思っちゃったよ。「後退する=逃げる」みたいな意味ととらえれば,それなりにあっている気もしてくるよね。
 そうそう,昨日たった5分見たワイドショーの情報だけで,ライフスペースについて適当に書き散らしちゃったけど,こんなところにもっとリアルで深い考察が書かれていたことを知ったよ。こういうのを読むと,浅薄な知識(以下かも)を元に書き散らしちゃったことをちょっと後悔するよね。でも,どうせわたしのこの日記は基本的に「フィクションかもしれない」という逃げ腰な体勢で書いているので,後悔は後にも先にもあんまり勃たないのさ。最近年だし。
 それにしても,この「ぼくちゃん」口調は体に合わないな。

「しらばくれる」の語源[*]

 さっき出てきた「しらばっくれる」という言葉についてちょっと考えてみた。もちろん本来は,「促音」など入れない「しらばくれる」が正式な表現だろう。その意味はまあ「ごまかす」とか「知らなかった振りをする」といった感じか。
 「しらばくれる」の語源を考察する場合,それをどこで区切るかがまず第一にポイントとなる。まず「しらば−くれる」と分けて考えることにしよう。
 「しらば−くれる」と分けてみた場合,正体不明の「しらば」というものを,万能性の高い曖昧な動詞「くれる」で修飾していると考えることができる。それでは「しらば」とは何か? それは実は「白刃」なのだ。
 江戸時代の後期,商人からの借財で生活していたとある侍は,その借りを返すあてを持たないままに利息だけをつもらせていた。期限が来てもいっこうに借金を返そうとしない侍に,商人は最初はさりげなくそのうちは強硬に借金の返済を求めた。
 しかしもちろん返せるわけもない侍は,度重なる催促に逆ギレし,借金の取り立てに来た商人に対して,これはまだ質に入れていなかった腰のものを抜いた。そしてそれを商人の胸元に突きつけながら,借金の破棄を要求した。
 つまり,「白刃」をくれて借金を強制的に免除しようとしたわけだ。このことから,「しらばくれる」という言葉が生まれた。というのが仮説その1。
 続いて,もう一度「しらば−くれる」という分け方で考えてみることにしよう。「しらば」は実は「知らば」なのだ。つまり「知っているならば〜する」という仮定の話である。そして「くれる」とは実は「暮れる」である。「暮れる」とは「日が陰ってしまうように,何か悪いことが起きる」という意味を持つ。
 つまり「知っているならば,悪いことが起こる」から,「知らなければ,悪いことは起きない」ことになり,結論としては「たとえ知っていても,知らない振りをする」方がいいことになるわけだ。これが仮説その2。
 続いて「しら−ば−くれ−る」と分けてみることにしよう。これは「しら」を「ば」,「くれ」にす「る」という意味になる。「しら」とは「白」だ。そして「くれ」とは「暮れ」から「黒」を意味する。つまり,「白いものを黒とする」ような暴論のことを「しらばくれる」というのだ。というのが仮説その3である。
 などと適当に仮説を三つ並べてみたところで,辞書で調べてみた。
 すると,本当のところは「白(しら)ばくれる」であった。「白(しら)」はいわゆる「しらを切る」の用法に準じ,その意味するところは「うまく、または、とぼけていつわること」となる。つまり「とぼけたいつわり」を「くれてやる」わけだ。
 というわけで,せっかく三通りも仮説を考えたのに,正解にはかすってもいませんでしたとさ。はじめから辞書を引いた方が早いやね。

1999年11月20日[*]

日記猿人のおもひで[*]

 そういえば,うちのページもそろそろ3周年なのです。1996年の11月あたりにSo-netのアカウントを取ると同時にホームページスペースを取得し,それからすぐに実験的暫定公開を始めたはずですので。
 正確な日付は覚えていませんが,現在も残っているもっとも古いページは1996年12月9日づけの映画の感想ですから少なくともこれ以前には始めていたはずです。これ以上前は,ログを残しておくような内容ではなかったのでしょう。ちなみに日記ページの一番古い日付は1997年2月13日となっていました。
 日記猿人に登録するよりも,ReadMe JAPANに登録した方が早かったようです。日記の記述によると1997年5月29日にReadMeに登録しています。ちなみに,So-netのユーザーホームページ紹介以外のところで宣伝をするのは,これが初めてだったようです。
 日記猿人に登録した日付は不明です。最初に日記で日記猿人の存在に触れたのは,1997年10月22日のことでした。そこには「日記猿人への投票はほとんどなさそうなので、ボタンを削除。」と書かれてあります。ということは,それ以前には登録を行っているはずです。
 ちなみに現在は2698番で登録されていますが,その当時は1200番台で登録されていました。
 ……と思っていたのですが,今正確な登録番号を探しに過去の日記読み日記を探し回っていたら,「新着さんいらっしゃ〜い!」の1206番に「おいらはドラマー」という名前でテレビドラマ感想ページに関する紹介が書かれていました。そして,そこには「どこかで見たようなページ構成かと思ったら、「921番:最近はこんな感じ」の方だたんですね。」との表記が。
 あら,921番台で登録したのが最初だったのか。ずいぶん記憶に誤差があったようです。その後,別登録していたドラマページと日記ページを統合し,さらにサイトの引っ越しやら構成変更やらいろいろごちゃごちゃ変えて,結局現在の2698番までたどり着いたわけですね。
 ちなみに現在登録しているのはこの2698番のメインページの他,ニュースの更新報告専用に取ったけども使うのはやめてしまった4698番,そして夏休みの絵日記がわりに一時つけていたが,今は更新が止まっている「画(え)と字(じ)」が4021番になります。ええ,ジオシティーズで裏日記っぽくやってみたかったのです。誰かこのページがわたしの裏日記だと気づいていた人はいますか?
 今となってみれば,昔の登録番号を抹消せずに残しておいた方がよかったかな,なんて思ってしまったりします。日記猿人コミュニティの中では,登録番号で古株だ新顔だと判別する人が多いらしいし。
 と日記猿人ネタを書いて,最近落ちつつあるアクセス数にカンフル剤をうつとともに,休日出勤の憂さを晴らしてみたのでした。

1999年11月22日[*]

ドクターえんど〜日本襲来オフレポート,は書けません[*]

 なぜなら出ていないから。
 なんかそういうタイトルが流行りらしいんで,真似してみただけなんですよ。流行りものは真似するのが基本じゃないですか。え? ポリシーなんてありはしませんよ。わたしは今どきの日本人の若者なんですから,訳が分からなくても流行りものにはついていくんです。今度はオウムをやめてライフスペースにはいるんです。尊師を導師(グル)に,真理を定説にすればいいんでしょ。簡単です。
 などとというわけで,今日は会社に二連泊が確定しているのでした。
 今日(えっと日曜日のつもりです。ただいま11月22日AM1:00)あった草野球の試合には,当然出られませんでした。っつーか,会社の机の下で目を覚ましたら,すでに試合が始まる時間はとっくに過ぎていました。ちなみに試合の結果は6対6の引き分けだったそうです。前半押し気味に試合を進めていながら,最後に追いつかれてそのまま終了だとか。けっ,おれが行ってたら勝っていたものを(暴言←そうそう足をハの字に開いて,斜面を大きく使って滑るのがコツですよ)。
 そういえば,わたしを含めたわたしの周囲の人間には,その精神の疲労度はだじゃれの多さとそのくだらなさによって推し量ることができる人が多い気がします。まあ,単に頭がいかれているだけの人もいたりはするんですけどね。でもこの人,Web上では結構普通の人みたいに装っているのがなんかいやですね。本物は2秒に一回ずつだじゃれ(にもなっていない妄言)を頻発する,グル並の変なやつなんですけど。
 ボーゲンと言えばもうすぐボードシーズンですね。ええ,わたしにはスキーシーズンというものは3年前からなくなったので。すでに苗場を始めいくつかのスキー場はオープンしているはずなんだよな。来週あたりは一段落ついているだろうから,思い切って平日休んで早々と初滑りして来ちゃおうかしらん。ぼろぼろの人工雪ゲレンデだとしても,平日空いているときに行ったらそれなりに楽しいかも。でも一度行っちゃうとモードが切り替わっちゃったりして,連続で行きたくなったらもったいないなー(お金が)。車も買っちゃったし,今年はいろいろお金的に辛いのですよ。ふりふりカラムーチョ並に。
 そういえば,グインサーガの新しいのが出ていたので買ってきました。前回のトーラスのオロの遺言解決編に続き,今度はマルス伯の遺言解決編が始まったようです。10年以上前(だよな?)の伏線(っていわねーか。「因縁」のほうが正しそう)を今頃になって解決されても,もはやカタルシスなんてびた一文感じませんよ。
 長編ハードSFとかで,前半に張られていた伏線がじわじわと収束しつつ,最後には大団円を迎えるという展開は結構好きなのですけどね。さすがに50巻以上前の伏線にはついていけません。では,いったい何巻くらい前までの伏線には耐えることができるのでしょうか? さあ?(←解決しない。っつーか他にサンプルがない)
 などとやけに饒舌な感じなのは,この一週間死んできた仕事がようやくめどがついたからなのですよ。一歩進むたびに巨大な(不条理な)壁にぶちあたって1時間悩むという地獄の日々は,ようやく終わりを告げるのです。この辛い体験を元にWebアプリケーションってものの現状について,一家言ぶちたい気分ですね。っつーか,このネタはどこかで金に変えることができるんじゃないだろうか? でもあんまり楽しそうな仕事じゃないから,やりたくはない。
 さてと,そろそろ最後の仕上げをするために仕事に戻りましょう。これで明日一日かけて最終調整を終えれば,あさっては無事麻雀大王戦に臨むことができるのです。ちなみにあれからかなりの回数東風荘に顔を出しましたが,後半は睡眠不足のせいで集中力を欠き(言い訳)レートは1520程度まで下がってきてしまいました。無念です。

屁理屈と理屈の違い[*]

 いろんな人がいて,いろんな考えがある。
 ふつうに自己主張がある人にとっては,世の中には自分と同じような考えを持つ人より,自分とは異なる考えを持つ人の方が多くなるだろう。人と意見が違っているのは,ごく当たり前のことだ。
 自分と異なる意見に対して,反発心を感じる人は多い。それは自然な心の動きではある。しかし,異なる意見が大勢を占めることが前提の世の中では,いちいち反発心を表に出していても仕方がない。わき起こった反発心は,自分の内で解決するのが本道だろう。
 しかしあらゆる反発を,自分の内部で解決しなければならないわけではない。ある考えが自分に対して不利益を与える可能性がある場合は,反発を表に出してもかまわないだろう。ただし反発心を表に出すのならば,自分の主張を相手をはじめとした他人に理解させる必要がある。
 超能力者でないのならば,意見は言葉を使って伝えなければならない。意見の異なる相手に自分の主張を理解してもらいたいのならば,言葉からは感情を排しておいた方がいい。異なる意見を持つ人間に対して感情を露わにすることは,理解の妨げにこそなれ理解を助けることはないだろう。
 またあらかじめ自分の相手への反対意見が,感情以外の論理から発していることをも十分確認しておいた方がいい。異なる意見への反発心が,「単に自分と異なる意見だから」という感情的(条件反射的)理由から発せられていることは少なくない。
 感情抜きでは相手への反発心が成立しないのならば,それを相手に理解してもらうのは難しい。それはあなた固有の問題にすぎないのだから。そして,それを主張し相手に受け入れさせようとするのは,ただのわがままである。
 もちろん世の中二元論的に割り切れるものではないので,「これは論理からの反発心」「これは感情からの反発心」と区分けすることはできない。それぞれがさまざまな割合で混ざり合って存在していることがほとんどだろう。
 ある程度論理操作ができる人間ならば,ほとんどが感情によって引き起こされた反発心をも,表面的に論理で覆って表現することもできる。しかし,しょせんそのようなものは屁理屈にすぎない。そこからは議論とは名ばかりの言葉遊びしか発生しない。
 ただし,人間の行う行為・感情においては,純粋な論理などは存在し得ない。自分がどれだけ論理的に考えていると思っても,それは自分の狭い視野の中でのみ通用する論理にしかすぎない。屁理屈と理屈の差は,結局のところ限りなく小さいのだ。
 ……ああ,結局このような思考を追求していくと,いつも論理というものに対するあきらめにたどり着いてしまうのだなあ。

ちょっといい話[*]

 納品しに行ったにもかかわらず,品物をお持ち帰りでいったん帰社。いや,べつに突き返されたんじゃありません。わたしが悪いんじゃありません。悪いのはたぶん社会とか政治とかだと思います。ええ,きっとそうです。
 眠さも極限に達しつつある中,山ほどやらなければならないことを抱えてしまったし,しかも19時にはもう一度納品に行かなければならず,そのときには「今日は23時まで君を帰さないよ(はぁと)」などと言われてしまっているので,もう何もやる気が起きません。だって,サーバーの再インストールからやり直すんですぜ,おやっさん。
 というわけで,逃避するための現実が記されたこの場へと駆け込んできたわけです。では,逃げ場を探しながら無駄話をいくつか。
 さっき,今度のSCRIPTのライブをやる「下北沢Club Que」がどこにあるのかを調べようと,「infoseek」で検索をかけたつもりが,よく見たら「シソーラス」で検索をかけていました。類義語なんか調べてどないするねん。それにしてもClub Queのホームページは役に立ちません。せめて地図を載せてくれ。
 ところで昨日の夜,徹夜疲れを解消するために甘いものを取ろうと,ココアを買ってきたのです。一杯分ずつ包装されているタイプのものです。一杯飲んだら癖になってしまい,二杯,三杯と飲み続けてしまいました。
 ところでわたしはインスタントコーヒーなどを飲むときにも,スプーンを使ってかき回したりはしません。コーヒー程度ならばそれでもなんとかなりますが,ココアはそう簡単には溶けません。二杯目,三杯目と飲んでいるうちに,溶け残ったココアの粉がカップの底に堆積していきました。
 と言うわけで,三杯目を飲み終わった後には,粉を追加することなくお湯だけを追加して,十分な濃さのココアを飲むことができたのです。最終的にはカップの底に二センチほどもココアが積もっていたようでした。三杯分の粉で四杯のココアが飲めるなんて,ああ無精ってすばらしい。
 ところで昨日の夜は,ココアと一緒に夜食のカップラーメンも買ってきました。買ってきて早速,お湯を沸かしながらカップラーメンの準備をしました。ふたを開け,具を載せ,粉末スープを入れ,液体スープは横に置いておきます。そして,今度はココア用のカップを出すとカップラーメンの隣に置きました。一袋のココアを取り出し封を切り,そして先ほどまでの惰性でカップラーメンの中に注ぎ込んだのです。
 粉末スープと具がココア色に染まっていい具合でした。すぐにお湯が沸いたので,その上からお湯を注ぎ入れました。九州とんこつスープ味のラーメンなのに,なぜかしょうゆラーメンのような色になっていました。味は,まあココアとんこつ味といった感じですか。
 などというのは,実は途中から騙りなのです。本当は封を切ったココアの袋をラーメンの上に傾けかけたところで気がつき,その隣のカップにふつうに注ぎ入れたのでした。人生そんな毎日毎日面白いことばっかりあってたまるものか。

1999年11月25日[*]

23時間くらい眠った[*]

 大変だった。
 いつの間にか今日は25日になっているらしい。前回更新したのは22日だったわけだが,会社への泊まり込みは20日土曜日から始まっていた。22日の朝までかかって仕事を完成させて昼に納品に行ったところ,先方の都合で納品を翌日の昼間でのばしてくれと言われた。しかし23日は大王戦がある。そこでわたしは22日の夜も泊まり込んで最後の微調整等を行い,わたし無しで納品が行われる準備をしてから,ほとんど寝ずに大王戦に向かった。
 大王戦はあまりいいところがないままに,微妙に浮きの3着(+22くらい)という結果に終わった。眠かったので詳細についてはよく覚えていない。それから夕方になって新大王様を称える宴が始まったところで,電話が入った。納品でトラブルが起こったのですぐに来い,とのこと。というわけで,わたしの場合は高いチャーハンになってしまった。
 結局トラブルというのは,ほとんどがこちらが作った部分以外にあった。それでも向こうの環境で向こうの言うとおりに動くように修正し,その後まだ完成していなかった向こう受け持ちのパートが完成するまで待機することになった。そして,最終的には本来こちらの仕事でなかった部分までやらされた後,朝の5時になってようやく解放された。
 そのままいったん会社に戻ってから原チャリで家に帰り,24日早朝から25日昼にかけてだいたい23時間ほど眠った。それだけ寝たのでさすがに寝不足は解消されたのだが,なんだかまだ頭がぼーっとしている。

1999年11月26日[*]

衝撃のあまりに……[*]

 昨日は一段落ついた安堵感から終日ぼおつと過ごし,夕刻になつてさてそろそろ帰らうかと思つた矢先に一通のメエルが舞い込んだのです。その内容は先日納品した品を二十九日月曜日の朝までに修正してくれといふものでした。もはや金曜日一日しか実働勤務時間は残つていないといふのに。わたくしにこの土曜日と日曜日も働けといふのですね。しかも修正する元デエタは金曜日の夜にならないと手に入らないといふではありませんか。たっぷり三日分くらいはある作業を丸二日間で行へといふのですね。といふことは日曜日にある野球の試合も出られないといふことなのですね。思はず衝撃のあまりに旧仮名遣いになつてしまつたのですが,実はよく旧仮名遣いの規則をわかつていません。漢字を平仮名に開くともうちょつといい感じになりさうなのですけど。

PCは道具かおもちゃか[*]

 今のままの環境で追加の仕事をするのがつらいので,ごねてマシンのメモリを足してもらった。256Mバイトあると,さすがにウィンドウを切り替えるだけで10秒単位の時間がかかるなどといった劣悪な開発環境が改善された。メモリの値段がひとまず落ち着いているときでよかった。これが一時期の128Mバイト/3万円近い頃だったら,いくらストレスを感じていてももうちょっと待っただろう。自分の金ではないにしろ,無駄金は好きじゃない。
 256Mバイトのメモリともなると,いくらNT(正確にはWindows 2000)とはいえほとんどのプログラムがオンメモリで動いているようだ。新しいプログラム/データにアクセスするとき以外は,ほとんどディスクアクセスの気配を感じない。そうなってくると,ディスクアクセススピードはその意味を失ってくる。もはやハードディスクは値段と容量だけで選んでかまわないだろう。
 本当は昨今の大容量ハードディスクについては,耐久性を重視して選ぶべきだとは思っている。しかし,あいにく耐久性はこちらが選ぶのではなく向こうが選ぶもの(運)だから,自分の意志ではどうにもならない。せいぜい発熱量が少なそうなものを選ぶくらいか。その点では逆に低速のハードディスクの方が正しい選択のようにも思えてくる。
 などとPCハードよりの話をしつつも,実は全然最近のPCハードの話には興味がない。ただの道具として十分に一般化したPCは,もうコストパフォーマンス以外の観点から論じても,さほど面白みがある存在ではなくなった。各人が使う道具として便利であればよく,それ以上の趣味心などの持ち合わせは必要ではない。昔はスペックや価格よりも,各人の趣味が重要な文化だったのだが。
 などと書きつつも,別にそうなった現在を残念がっているわけではない。PCが便利な道具なのか趣味のおもちゃなのかは,使う側が決めればいいことだ。便利な道具として広まり,コストパフォーマンスが高まったPCを,わたしは趣味のおもちゃとして使うだけのこと。
 とここまでたどり着いた話の展開は,脈絡あるようなないような……。

1999年11月27日[*]

反発するということ[*]

 反発心の源を,以下の三種類に分類してみた。
 一つは理論的反発。理論的に間違っているから反発する。もう一つは感情的反発。個人の感覚として気に入らないから反発する。そしてもう一つは,常識的反発。これは感情が私的なものなのに対して,公的反発と言い換えてもいいかもしれない。社会的な一般通念(理論・感情)から外れたものに反発する。
 理論的に間違っていることに対しての反発は,理論によって説明することができるし,反発された相手も理論によって納得することができる。純粋に理論的な反発に関しては問題が生じる可能性は少ない。ただし,理論的であると判断するのが各人であるから,それが本当に理論的であるのか,またその理論はどの範囲まで有効なのか,といった点から問題が生じる可能性はある。
 感情的反発は,それはそれで正しいと思う。個人の裡において,理論と感情のどちらが優れているというものではないはずだ。ただし,感情は個人の中の閉じたルールに過ぎないことも事実だ。それを他人に説明したところで,ある程度の共感以上のものは期待してはいけないだろう。説得して相手の感情を変えようなどとは,考えるべきではない。
 三番目の常識的反発というものが一番のくせ者だ。常識というものは非常に曖昧で,そこには理論も感情もごちゃ混ぜに存在している。そこにおける理論は適用範囲が狭いし,感情の共通基盤は明確に定まっていない。本当の意味で共通の常識などというものは存在しないのだ。常識をまるで公理のように使って一見理論的風に反発したところで,それは理論とはほど遠い代物になる。

 今度はもう一つ別の分類の仕方を考えてみる。反発心の源と,それの表出方法に関する分類だ。反発心の源を感情と理論,それの表出方法も感情と理論の二つの分けてみる。すると以下の四つのパターンが現れる。
一,理論の問題を,理論の問題として反発する
二,理論の問題を,感情の問題として反発する
三,感情の問題を,理論の問題として反発する
四,感情の問題を,感情の問題として反発する
 一はまったく問題なく真っ当な話だろう。四もその結論が永遠の平行線であることを前提とするならば,ごくごく当たり前の話に過ぎない。問題は二と三だ。
 二は本来一に収束するべき話を,四の形で発散させてしまうことだ。わたしはどちらかというと感情を過度に肯定する派なので,それはそれでありだと思っている。しかし,突然土俵をすげ替えられたのでは,理論の問題だと思っていた相手はたまったものではないだろうから,そういうことをやる人間は理論の問題には口を出さないほうが周囲に親切だ。
 三は一番話をややこしくする。まあ当然のことだが,世の中では感情よりも理論が重んじられる。そこで,本来個人的なものである「感情」の問題すらも,世間に通用する「理論」にすり替えるテクニックがよく使われる。しかしそれは本来の問題に対しての自己欺瞞である。

 感情を過度に肯定する派のわたしとしては,以上のどんな場合でもそれなりに正しいと思っている。ただし,「常識を背景にした反発」や「感情に理論の皮をかぶせた反発」などについては,その背景にある個人的な思いこみや自己欺瞞の可能性について,自分で意識しておいて欲しいとも思う。
 と書いていて気がついたけれども,どうやらわたしは「過度に感情を肯定する」派というよりも,「意識さえしていれば何でもあり」派の信者のような気がしてきた。個人の意志による選択の結果ならば,それがどんなに愚かしい行為にみえたとしても,人として正しい行為である,といった感じ。

1999年11月28日[*]

草野球日記[*]

 昨日は0時過ぎまでお仕事をして,その後カラオケ3時間。この詰まっているときに何やってるんだろうと思いながらも,今日の野球のためにノンアルコール。でも結局家に帰ってから軽く飲んで5時就寝。
 8時半の目覚ましで目を覚ましながらも30分ほどごろごろし,根性決めて出発。今日の試合は武蔵野だから行くのは楽。ただし,いつも駐車場は満車だから路駐確定なのがちょっといや。停める場所のすぐそばに交番もあるし。まあ設備を整えていない行政の問題でもあるし,その辺は広い道路で通行のじゃまにもならないから,駐禁取っているところは見たことないけど。
 一ヶ月ぶりくらい間があいたので,前の2連投の疲れも完全になくなっていた。けれども,今ひとつ肩の調子はよろしくない感じ。キャッチャーはきてると言っていたけれど,投げている感触はどうも八分以上の力が入らない。
 んで予定よりちょっと遅れて始まった秋季大会第一回戦は,8対3と見事な勝利に終わった。わたしは三塁を守ったのだが,一度も守備機会がなかった。バッティングも三打席中,一打席目(右打席)はキャッチャーゴロ,二打席目はピッチャーゴロ,三打席目(左打席)はライトフライ。守備も打撃も見事に貢献無し。
 試合が終わってからもまだ体力が余っていたので,ちょっとだけピッチング練習をした。ストレートとカーブはもう安定したので,他の球種を使えるようにしようというのが,今日のテーマ。もっとも有望だったフォークボールは,一ヶ月間があいたせいか,ボールを挟むと指が痛くてとても多投できる雰囲気ではなくなっていた。
 最近コントロールがつき始めたシュートは,ストライクゾーンのそばまでは行くのだが,それ以上の微妙なコントロールはつかない。また,球筋が素直に横に曲がるだけなので,右バッターに対してはホームランボールになりかねないという欠点もある。シンカー気味に落とそうとしたら,ストライクゾーンのそばにも寄らなくなったので,結局これも却下。
 という持ちネタ二つが却下されたのだが,予想外に二つ球種を増やすことができた。それはカーブ。わたしはもともとスローカーブ(70km/hくらい)と超スローカーブ(60km/hくらい)の二種類のカーブを持っている。今日久しぶりにふつうのカーブ(90km/hくらい)を投げてみたところ,ちゃんとしたカーブになっていた(前までは曲がりもコントロールもいまいちだった)。さらにその握りを微妙に変えることで,スライダー気味のカーブと曲がって落ちるカーブの二種類を投げ分けられることがわかった。次の登板機会に実践で使ってみることにしよう。
 などというただただ事実だけを列記した日記をWeb上に載せることに対して,違和感を感じるようになってしまったのでは,Web日記書きとして問題がある気がする。だからたまにはこういうのも載せる。
 ちなみに野球から帰って風呂入って一眠りして,ただいま会社。今から明日の朝までの仕事を終わらせないといけない。

1999年11月29日[*]

「おざなり」と「なおざり」[*]

 「おざなり」と「なおざり」の違いはわかりますか?
 「どうちがうの?」と聞かれたのですが,脳味噌の中から(口から出任せすら)答えが見つからなかったので,辞書を引いてみました。ぱっと聞いた感じではどちらも「いいかげんに」という意味のような気がしますよね。
 んで辞書に書いてあった意味は,以下のような感じでした。

・なおざり[等閑]……(「直(なお)去り」の意かという)深く心にとめないさま。本気でないさま。大事に思わないさま。かりそめ。「福祉行政を等閑にする」*後撰‐四〇三「なをさりに秋の山べを越えくれば」
・おざなり[御座形]……いいかげんに物事をすること。その場のがれで誠意のないさま。*雑俳・柳多留‐五八「お座なりに芸子調子を合はせてる」
※国語大辞典(新装版) 小学館 1988より

 一応ちゃんと違いはあるみたいですね。「なおざり」の方は心の持ちようがいい加減なことを表し,「おざなり」の方は行動のやり方がいい加減なことを表しているようです。ただし,きっちり使い分けろと言われると,なかなかいい例文も思いつかないのですが。まあ「なおざり」の方は特に使う機会もないかもしれません。
 といったわけで,また明日の朝までが締め切りの仕事が入ってしまったのです。しかもその後午前中からセミナーの前準備に出かけなければならなかったりと,なんだかいろいろぐったりしています。
 それにしても,制御構造も配列変数もなく,条件判断命令の後に代入文を書くこともできないようなプログラミング環境で,ソートを実現する方法はあるのでしょうかね。いろいろ試してみたのですが,わたしにはどうしても実現させることができませんでした。
 単にループの内容を展開するだけでいけるかと思ったのですが,if文のあとに代入文を書くことができなかった段階で挫折しました。だって,if (a<b) {temp=a;a=b;b=temp;}すら言語仕様的に書けないんだぜ。やってらんないよ。

1999年11月30日[*]

日記猿人のランキングって客寄せには有効なんだなー[*]

 ふー……(深いため息)。
 連日帰るのが遅い(0時頃)のに,今日は朝っぱら(8時)からどたばたしつつ,イベント会場でデモが始まる寸前(30分前)まで(本来自分の仕事でもない)セットアップ作業を行い,何とか無事デモが終了する(1回操作ミスあり)のを見届けて,たった今(19時)会社まで戻ってきたところです。
 疲れ果てたってほどではないけど,ひとまずわたしの中のやる気のストックはもう残っていません。わたしが作ったパートにはもうトラブルは(ほとんど)出ていないようだし,今度こそ本当にこの仕事は終了ってことになるといいな。ひとまず締め切りを過ぎてもまだ手つかずの原稿でも書こう。ネタ拾いから始めないと。
 そういえば,ここのところちょっとがんばって,日記猿人の得票数を増やそうかと画策していたんですよ。がんばったっつっても,多少更新頻度とキャッチーなネタの割合を増やしただけなんですけどね。
 ここ二ヶ月くらい継続して(くそ忙しかったので休みも多かったんだけど)がんばったところ,従来は月に100票も入らなかったのが,月250票くらい行くようになったみたいです。んでわかったのは,思ったよりも日記猿人のランキングって客寄せには有効なんだなーってこと。
 うちは最近結構詳細なアクセスログを取っています。従来はUltra Rankingで取っていたのですが,トラブルが多いらしいので自前に変えてしまいました。で,それによるとここ最近は日記猿人のランキングページからのアクセスがものすごく増えているのです。
 確か以前までは,手動新作Top200新作Top200(+My Nikki Engineからのアクセスがほとんどで,それ以外の日記猿人ページからはほとんどアクセスがありませんでした。しかし得票数が増え,Daily rankingWeekly rankingMonthly rankingなどでそこそこ上の方に表示されるようになったところ,それらのページからのアクセスがものすごく増えました。当社比で10倍は軽く越えています。もっと詳細に観察していれば,その閾値(順位)が解析できたことでしょう。わたしの勘では200位くらいあたりが境目だと思うんですけど。
 わたし自身は,「日記猿人の得票数が多いページは得票数に比例して面白い」などという幻想ははじめから持っていなかったので,はっきり言ってランキングページなどを使ったことはほとんどありません。それって「視聴率が高い番組は面白い」というのと同じ話なんでしょうけど,経験上「わたしの好みは視聴率のような多数決的判断とは異なる」ということがわかっているので。
 しかし世の中には思ったよりも,たくさんの人が面白いと思った(であろう)ページを読みたいという人が多いのですね。もしかしたら世の中の多くの人はわたしとちがって,多数決的判断と自分のおもしろさの判断が一致しているのでしょうか。それとも,多数決的判断=自分のおもしろさの判断だと思いこもうとしているのでしょうか。
 ああ,なんだかいやな感じの皮肉な物言いですね。もうちょっと書きようがあったんだろうな。どうせ毒を蒔くならば,こんな中途半端な書き方じゃない方が潔いのに。と思いつつも,面倒くさいので書き直したりはしません。最近こういう終わり方が多いな。


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