いしなお@日記
1999年12月
すごいなー。
例の「お受験殺人」の動機は子供の受験失敗にあるのではなく,「お受験」仲間の主婦たちからのいじめにあったという説が浮上しているのだそうだ。
そのワイドショーの報道では,容疑者の主婦は「お受験」仲間の主婦たちに,
「あなた,そんな訛りじゃ東京出身じゃないってばれちゃうわよ」
「あなた4年制大学をでていないから,子供の受験も無理じゃない」
「あなたの家の部屋って汚いわね」
などと言われ続けていて,そのたまりにたまった鬱屈が殺人に至った主な動機だったんだとか。
これってどう考えても,被害者の母親がいじめの首謀者だったと報道しているのと一緒だよな。知り合いによる殺人で2歳の子供を失ったばかりの母親に,「おまえが(も)悪い」とマスコミが言葉で攻撃しているわけだ。
ちょっとわたしの感性では考えられない行為だな。そんなことがマスコミで流れていることを知ったら,自殺を考えたりしてしまいそう。
この辺,被害者のプライバシーが守られていて,実名で報道されていない状況だったら,ぎりぎりセーフかなと思う。でも,こんだけ子供も親も名前が露出しまくった後にやったんじゃ,被害者家族に降りかかる迷惑は計り知れない。
ってところから先の文章は,何度も書いたようなありふれたマスコミ批判になっちゃいそうだからパス。それにだいたい,その報道の事実をここに書くことによって,マスコミの1/10000(もちろん数字はてきとー)とはいえ同様の行為を行っているという自己矛盾もあるし。
一応うちのページの過去ログファイル命名規則は2000年問題に対応させている。「yyyymm(4桁西暦+2桁月)」という形で月ごとのファイルを保存しているのだ。
しかし最近,表記時間が先行している来年分のデータを扱い始めたところ,そういう命名規則でファイル名をつけた場合に問題があることがわかった。
たとえば2000年1月だと「200001.htm」のようになってしまうわけだが,これだと「0」が並びすぎていったいどこで区切られるのかがよくわからないのだ。これじゃあ,「200001」「200002」「20003」「2000004」って感じになってしまいそうだ。こんなことならはじめからハイフンを入れて「yyyy-mm」とかにしておけばよかった。
ところで昨日何かのテレビ番組を見ていたら,ロシアではY2K問題というのが何を示すのがさっぱり一般に伝わっていないとかいう報道をやっていた。「コンピュータの誤動作が云々」というレベルで漠然と把握している人の数すら,30%くらいしかいなかった。
このことから,「ロシアは危機意識が足りない」ととらえるべきか,それとも「日本(をはじめとする国々)は情報供給が過剰だ」ととらえるべきかは,迷うところ。
兵器関係とかライフライン関係(電気・水道ね)はともかく,それ以外のY2Kによる問題なんて,どうせ大したことにはなるまい。過剰な便利がもともとの不便に戻るだけだろう。しかも,どうせ短期間で復旧するだろうし。
わたしなんて,小さい頃は薪でたきつける五右衛門風呂+くみ取り和式便所な家に住んでいたし,町で一番大きな商店はそこらにあるコンビニ程度の品揃えのスーパーが一軒あるだけ(あとは小さな個人商店のみ)だったし,何か起きてもそれよりも不便になるとは思えない。日常で何かあるとしても,せいぜいATMでお金がおろせないとか,レジの機械が動かないとかその程度じゃないかな。
一応多少(二,三日分)の食料品の備蓄はするつもり(一応正月はね。今はコンビニがあるからあんまり気にしなくてもいいんだけど)だけど,それ以上のことは特にやる気はないな。
Web上に文化圏というものがあるとすれば,日記猿人というものは確実に一つの文化圏を作り出しているだろう。ReadMe!
JAPANにも同様な文化圏意識はあるような気がするが,日記猿人よりもその影響力は小さいように見える。もしかしたら,hosokin's
roomのレビューを中心と考えた方が影響力は強力かもしれない。
ある程度強力な個人ページならば,単体で文化圏を成立しているものもあるだろう。たとえば現実でもWeb上でも有名でアクティブな人物などは,そのWebサイトの周辺に単なる個人的関係を越えた文化圏を作り出している。また,個人Webサイト単独で文化圏を成立させるのではなく,同業者や同嗜好者のWebサイト集団を核にした文化圏を成立させている場合もある。
ここで「文化圏」としているものの,定義は明確ではない。たとえばある程度アクセス数の大きなWebサイトの周辺には,何らかのコミュニティが発生するだろう。Webサイト上に掲載した文章で他サイトへ言及したりリンクを張ったりすることでWebサイト同士の交流が生まれるし,BBSのようなものがあればそこにおいても交流が生まれる。それらコミュニティと文化圏はどこがちがうのか。
それはおそらく,単なる規模の問題に過ぎない。今までの文章においてわたしは,コミュニティと文化圏の違いについて,「単なる個人的関係を越えた」という表現を使っている。複数の個人的関係の集合が文化圏として評価されるに値するかどうかは,おそらく結果論的にしか定義できない。100人を越えた個人的関係の集合は文化圏だが,99人までは単なる個人的関係だなどと言えるはずがない。
Web上の文化圏というものの本質に関する考察は,まだまだ文章として成立させられるほどに熟していないので,このあたりまでで止めておくことにしよう。今度はより具体的な話について考えてみる。
文化圏を成立させるためには,そこに帰属するものの間でコミュニケーションが取られる必要がある。そのコミュニケーションの手段によって,文化圏というものを分類することが可能かもしれない。
たとえば日記猿人やReadMeなどの,Webサイト主催者たちによって成立する文化圏では,コミュニケーションの手段はWebサイト上に掲載する日記やエッセイなどの文章である。BBSやメールなどでのやりとりはそれに付属したおまけに過ぎない。オフラインミーティングなども,基本的はおまけだろう。日記猿人の投票ボタンや空メールボタンなどもコミュニケーションの手段であるが,これだけでは同時多数による相互交流という意味では効果は薄い。
個人Webサイトや個人Webサイトの集団によって成立する文化圏も,基本的には上記に準じる。ただし,投票ボタンやランキングなどは存在せず,その代わりに相互のWebサイト上での言及仕合が,コミュニケーションのより大きな割合を占めるだろう。また,Web上以外での人間関係(たとえば同じイベントに行くとか)も重要になってくる。
BBS系の文化圏というものも存在する。これらはまだ分類できるほど十分なサンプル数が得られていないので,かなりぬるい分類を試してみることにする。
まず大規模なコミュニティサイトでの文化圏というものがあるだろう。プロバイダなどが提供するサービスなどで,多数の話題ごとにBBSが用意され,それぞれに多数の常連が書き込みをしているものなどだ。そのような場では,どちらかというと世間話に近いような無難な会話が多くを占めているようだ。日常的コミュニケーションの場を,Web上に移しただけと言えるかもしれない。
議論系BBSの文化圏というものも結構あるようだ。ある程度狭いジャンルについて,深い議論を行うための場所。大規模コミュニティサイトと比べると構成人員は少なくなるが,その代わり一つ一つの発言とその影響力は大きいだろう。NetNewsやメーリングリストにおける文化圏も,それと非常に近い。
アンダーグラウンドに近い,匿名者たちの社交場も一つの文化圏を成立させている。ある種無責任な言いたい放題のBBS群だが,本当の意味での無責任な場はアンダーグラウンドに潜らない限りは寿命が短くなってしまうため,表で生き残っている場は無責任と責任の間で現実的な折り合いをつけ,それなりの秩序とともに成立しているようだ。その特徴は,個々の発言の質が非均一であること,か。無秩序の中の秩序,秩序の中の無秩序。玉石混淆。大規模サイトが表面的コミュニケーションであるならば,こちらは仮面を脱ぎ捨てた本質的コミュニケーションであると考えることもできる。
などという文章は,日記として書きとばすにはあまりにも重すぎる内容だったようだ。これ以上時間をかけている余裕がなくなったので,この話はここで終わり。打ち切り。
追記)
書きとばしたせいか,読み返してみると意図が伝わらない文章になっている文が結構多いなー。文化圏の要素としてみた場合の,日記猿人の投票ランキングって部分がすっぽり抜けているし,この主題では重要でない匿名者たちの社交場に関する記述が不必要なほど多い。やっぱり全面改稿が必要そうだな。
ふー……(ため息)。昼から長々と続いたミーティングの結果,結局例の仕事は終わらず,まだ来週の水曜日まで続くらしい。いい加減他の仕事に師匠出まくり(←まあ怖い)なんだけどなあ。
そういや,ここんとこずっと休みなしで働いているんで,「そろそろ休めそう?」と就業時間管理者的立場於社長に聞かれて,「まあ手持ちの仕事が一通り終わったら」と答えてから気がついたんだけど,世の中にはそういう考え方じゃない人も結構いるみたいだよな。要するに,締め切りがきつい自分の仕事がいろいろあるんだけど,それはそれとして休んじゃえ,って感じの人。
ってところから続く文章は,ただの嫌みに堕している文章だったので,割愛。うそ,全然惜しくない。ただの抹消。
で終わるとなんだか物足りないので,適当なネタでお茶を濁す。
ふといい考えが浮かんだときに,それをメモしておかず,そのまま時間が経ってその記憶が失われてしまうのは,とても悔しい。具体的内容はまったく覚えていないのに,それが「いい考えであった」という事実だけが,やけに強く記憶に残ってしまう。
忘れてしまった思いつきを取り戻そうと,脳の記憶領域に意識を集中する。なんだか脳のどこかに,そのヒントが残っているような気がしてくる。意識の触手を,そのヒントがあると思われるあたりにのばしてみる。すると,ヒントはまるで触手から逃げるかのように,先ほどまであった場所から移動してしまう。そして最後には,脳のすみの方,触手の届かない領域で落ち着いてしまう。そこに逃げ込まれると,もうわたしには追いかけることはできない。
わたしの場合は,後頭部のぼんのくぼの真下あたりに相当する部分が,その逃げ込み領域となっているようだ。もしもそのあたりに穴をあけ,ストローか何かでちゅーっと脳味噌を吸い出したら,きっとすばらしい思いつきの残骸の味がすることだろう。
ちなみになんとなくその味は,椰子の実のジュースの味に似ている気がするのだが,わたしは椰子の実のジュースを飲んだことはない。
ぶぎー,ようやく今日締め切りの仕事が一個終わった。
それにしても最近,気持ち悪い仕様を持つマイナーなプログラミング言語で苦しむパターンにはまっている気がするな。情報不足と問題のある仕様と言語のバグとプログラムのバグの複合によって,デバッグの際にどのレベルまでさかのぼればいいのかが見当つかなくなる。たいていその手のやつってデバッグ環境が充実していないし,本来はあまりないはずの言語のバグというものも当たり前のようにある。
普段はPascalを使っているから,自分のミスのときには比較的気がつくのは簡単だ。Pascalは型のチェックなどがかなり厳密だから,その辺をものすごく意識して組む必要があるので,変数操作などのミスはおきにくい。それに対して最近の簡易言語っぽいものは,何でもかんでも適当に書いてオッケーということになっているせいで,もしも問題が出たときにはどこに問題があるのかを追跡するのが難しくなってしまう。
それにしても,こうやって広く薄くいろんな開発環境を触っていったところで,行き着く先に何かいいことはあるんだろうか。DOS/Windows/データベース/ネットワーク/マルチメディア/コンシューマゲーム機などいろいろちょっとずつかじった結果,みんな何となくわかっているような気になっているけど,結局どれも完全に使いこなすところまではいけていない。
それに,最近ではそれぞれの細かい規則(宣言,代入,変数操作・制御命令,よく使うAPI等々)がごちゃ混ぜになりつつあって,「で,この環境で文字列の長さを得るにはどうすればいいんだっけ?」って状態になってしまうことが多い。まだそれでも何とかやっていけているけど,これ以上脳味噌の硬直化が進んだら,こんなやたらめったらとたくさんの言語を同時に使うなんてことはできなくなるんじゃないだろうか。
昔はよく,プログラマーの寿命は30代までだみたいなことが言われていたけれども,実際のところどうなんだろう? 現役で職業プログラマーをやっている人の最高齢っていったら,何歳くらいまで達しているんだろうか?
なんてことを書いている暇があったら,まだ手つかずの原稿1ページを仕上げてしまわないと。今日締め切りなのに,まだ何一つ書いていない。送ってもらった資料にも目を通していない。2時間で書きとばしたらどのくらいひどいものになるのか,試してみることにしよう。
追記)結局2時間で書きとばすことには失敗し,6時間ほどかかってようやく原稿と図をメールで送信しましたとさ。やっぱ,ようわからんネタは書きとばせないな。用語の正確な意味を調べているだけでも,1,2時間かかっちゃうもん。
土曜日は早朝に家に帰り着いて,それから昼頃まで睡眠。昼に起き出し,天気がいいので山のようにたまっていた洗濯物を半分ほど消化,している途中でお昼寝したら気がつくと夜の八時。あわてて脱水の途中と洗濯槽の中で洗いかけだったぶんをフィニッシュし,部屋の中に干した後,そろそろ賞味期限的にやばくなりかけていた肉を焼き肉にして消費。腹一杯になったら眠くなったので,またも睡眠。
夜中にいったん目を覚まして,日記の過去ログからもう一度ちゃんと書き直す価値がありそうなネタを拾いはじめ,1998年中盤までたどり着いたところで疲れたのでもう一度睡眠。
次に目を覚ましたのは結局日曜日の昼過ぎ。それからさらに二度寝して,最終的には4時頃に起き出した。トータル睡眠時間は何時間になったのだろう?
夕方から,月曜いっぱいまでが締め切りの仕事に余裕を持たせるために出勤。その途中,かねてから念願だった鉄鍋餃子(@109の8階)を食べる。うまかったけれども,一品あたりの量が多すぎて,たくさんの品数を食べるには多人数で行く必要がありそうだ。
それから会社に向かう途中で,CDを2枚購入。スガシカオ「Sweet」と山崎まさよし「SHEEP」。会社に着いてから久しぶりに2枚ともMP3化。半年以上ぶりなのでエンコーダがどこにあるのか探すところからスタート。ソフトの設定にとまどったりして,思いの外時間がかかった。
それにしてもこの手の作業はひたすらCPUパワーが効いてくるよな。Celeron-550MHzくらいでは,ほぼリアルタイム(対演奏時間)でエンコードできるようになっていた。使っているエンコーダが品質が高いぶんスピードが遅いやつなので,今ならほとんど待ち時間なしでいける環境もあるんじゃないだろうか。
といったところで,これから3時間くらい仕事をしてから帰る予定。本当は今日のネタとして,Webサイトのキャパシティとそのコントロールについて書こうと思っていたけれど,まとめている余裕がなくなってしまった。
文章と文体に関する,自分なりの定義をまとめてみることにする。ちなみに辞書的な意味は,
・文章……一つの主題でまとまった思想を表現するために、文(センテンス)を連ねたもの。主として、話しことばの談話に対して書きことばについていい、また、詩歌に対して音数、韻などの比較的自由なものだけをさすことがある。
・文体……文章の語句・語法・措辞などに特徴的に現れている作者の個性。その作者に特有な文章の特色、傾向。スタイル。
(1988/国語大辞典(新装版)小学館より)
となっている。
人の思考は,おそらく非常にさまざまなベクトルの情報を同時に持つ,複雑で混沌とした情報の集まりであろう。それを整理して秩序立てていくのが知能の働きだ。秩序立てていく際に使われる道具が,言葉だ。
脳の中に生まれたプリミティブな思考の混沌を,言葉という道具によってある程度ベクトルのそろった情報の塊へと変えていく。そのときの知能の働きを,文体という。
そして,文体によってまとめられた思考は,実際に書く(話す)ときに文章化される。思考を自分の中から表に出すときのインターフェースが文章である。
文章と文体は,似ているようで違い,違っているようで似ている。文章も文体も,言葉を選択する。文体は,漠然とした思考を秩序立てていく際に,それを示すもっとも適した言葉(概念)を選択する。文章は,さらにそれを具体的な表現に表す際に,どのような言葉(単語)を使うか選択する。
ただし,文体における言葉の選択には,表面的な技巧というものは存在しない。漠然とした思考に大枠としての秩序を与える際には,小手先の技術などというものはいらない。それはいわば,雑草の生い茂った混沌の藪をばっさりと刈り取っていく鉈のようなものだ。人は文体によって,世界観を構築していく。
それに対して文章は,園芸で細かな枝の形を整えるために使う剪定鋏に相当する。そこにはさまざまな技巧というものが存在し,ある一つの思考も技巧次第でさまざまな姿を持つ文章として形作ることが可能だ。
技巧にとらわれすぎる者は,本来文体が持つ形を技巧によってねじ曲げ,まったく別の内容の文章を作りだしてしまうかもしれない。しかしそれは,技にとらわれ本質を見失ってしまっている姿だ。
優れた文体を持つということは,優れた知能を持つということである。真に優れた文体はありとあらゆる思考を扱うことができる。つまりは,世界を脳の中に投影することができるのだ。
一方,優れた文章が即優れた知能には結びつくとは限らない。優れた技術を使えば優れた文章を書くことができるかもしれないが,それは単なる技術である。技術は規則を知ることによって真似することができる。優れた知能がなくとも,単に知識量が優れているだけで優れた文章を書くことは可能だ。
優れた文体を持ち,それを優れた文章によって表現できるのならば,それが一番いい。しかしどちらかが得られないのだとしたら,低劣な文体を優れた文章で表現できるよりも,優れた文体を低劣な文章で表現した方がいい。
つまりは,金粉をまぶした糞よりも,糞にまみれた金の棒の方がいい。多くの人に理解されることはないかもしれないが,真の価値は圧倒的に後者の方が高いはずだ。
などという比喩表現は,あまりにも古色蒼然としたかびの生えたような言い回しであり,ちょっと我慢の限界を超えた低劣な文章であるようにも思える。しかし,その背景に優れた文体があると信じ,今日もなおとは明日を見ながら生きていくのであります。まる。
FA宣言していた広島の江藤の巨人入りが決まったそうだ。
あららら,こりゃまたすごい打線が組めるようになったもんだ。今までの巨人の大型補強は,みんなどこか(主に守備)に穴がある人間ばかりで,「さすが長嶋,目の付け所がシャープ(過ぎて絞りがきつくて周りがよく見えていないよう)だねっ」って感じだったけれども,今回の江藤は巨人らしからぬちゃんと使える補強になりそう。ロッテに放出した石井が,界王拳3倍パワーで帰ってきたようなもんか。これで後はキャッチャーさえ何とかすれば,オールスターに限りなく近い戦力を持つことができるね。
来年のラインナップは,1.二岡6(.300/13),2.仁志4(.260/10),3.高橋9(.290/23),4.松井8(.290/37),5.江藤5(.250/28),6.清原3(.250/22),7.清水7(.290/18),8.村田2(.250/5),9.投手1って感じかな。んでマルチネスとか元木とか後藤とかが代打に出てくる,と。
こりゃまたえらい強そうなチームだな。いつもの「打線だけは強力だけど,守備(とか勝負強さ(得点圏打率))がね……」ってところがなくなっちゃったし。このスタメンだけでホームラン150本越えてるもんな。
まあピッチャーの方は,今年酷使された上原が多少落ちるだろうし,残りも老朽化しているのばっかりであんまり新鮮なネタはない。特にまともな抑えがいないのがかなり弱い。んでも,上原・ガルベスを軸にしつつ,斎藤,槙原,桑田なんて光り輝く過去の威光軍団がそこそこ投げるだろうし,岡島とか小野とか三沢とかの小物たちもわらわらいる。さらに横浜入り確定と言いつつもどうも挙動不審な小宮山とか,結局なんだかんだ言って巨人しか選択肢がなくなりつつある工藤が入っちゃったりしたら,えらい豪華な(だけで長持ちはしなそうな)先発陣が揃う。
さすがに来年は巨人がセリーグは制覇するだろうな。巨人ファン以外の人は来年だけでも巨人ファンに転向しておかないと,一年むかつきながら過ごすことになるんじゃないだろうか。まかり間違って佐々木も超裏技(大リーグとの交渉をFA期限切れまで粘って,自由契約選手扱いになってから,巨人と契約する。すると,巨人はFA選手の同時獲得は二名(江藤と工藤)までという制約をかわすことができる)を使って巨人に入ったら,本当に100勝くらいしてしまいそうだ。
まあわたしの来年の楽しみは,契約更改でもめててっきりさよーならだと思っていたウォーレンの残留が決まったロッテが,どれだけの結果を残してくれるかなので,セリーグの方は好き勝手やってもらってていいんだけどね。いや,来年のロッテはかなり強いよ。来年こそはAクラスに入れそう(←優勝するとは言えないあたりが激弱。でもいくらロッテが当社比1.5倍くらい強くても,西武,オリックスあたりには負けてるっぽもん。ダイエーは今年限りで落ちると予想するんだけど)。
うー,だりぃ。昨日は,早く会社に来たら早く帰れるかと思ってたのに,やっぱり結局日が変わる寸前に家に帰り着いた。今日も試しに早く来てみたんだけど,なんだかだるさ爆発で仕事をする気になれない。今日明日が本当にリミット(10日データ納品さ)の原稿1ページだけは,何とか仕上げないとあかんのだけどなぁ。
何はともあれおそらく今日は,ただいまもっとも手を切りたいプログラミング言語(というか環境)ダントツ1位の例のあれと,少なくとも今年いっぱいはさよならできる記念日なのです。いやー,よかったよかった。
これで似たような言語を三つ同時に使いわける必要も,CTRL+Zでアンドゥ連射するとメモリリークを起こして開発環境が落ちることも,ヘルプに書いてある命令が当たり前のようにサポートされていないことも,ダイアログ操作にバグがあるせいでウィンドウの無限切り替えループに入ってしまうことも,制御構造が使えないプログラミング言語でループを展開してずらずら書き連ねなければならないことも,「二択if文elseなし」しかないので複雑怪奇な条件判断式を書き連ねなければならないことも,数値を文字列に変換してから数値に戻して計算しなければならないことも,動作環境を移すと開発元すらわからない理由でプログラムが動かなくなることも,動作が怪しくなったらサーバーからインストールし直さなければならないこともなくなるわけだ。いやー,たまっていた宿便が出たみたいにすっきり爽快! たまっていた宿便を出した経験はないけれど。
ところで最近F1関連のニュースの動きが活発化しているんだけれども,だるくて英語を読解する根性が出ないので放置中。そういうときに,「いい翻訳ソフトがないかなー」ではなく「ほんやくこんにゃくないかなー」と思ってしまうあなたは,ドラえもん世代。でも,ほんやくこんにゃくってリーディングにも対応していたかな? ところでほんやくこんにゃくとタマシイムマシンの類似点は?
久しぶりに昼近くまで二度寝爆睡して,12時過ぎに出社。
今日もやたらといい天気だ。でも,気温の寒さに勝てなかった負け犬たちが,すでに自転車・バイク通勤を諦めてくれた結果,こんな時間に来てもバイク置き場に困ることはなくなった。
それにしても最近通勤時にやたらとパトカーやら白バイやら見かけるんだけど,世田谷・渋谷の警察合同で取り締まり強化でもやってるのかな? いわゆる交通安全週間ではなかったはずだけど。警視庁では何も発表していないし。
ってことで,そろそろ本格的に寒くなってきたので,スキー場の情報をまめにチェックする必要が出てきました。どこかのスキー場でどかっと雪が降ったタイミングを見計らって,来週の平日あたりに初滑りに行って来ようかと思っています。
というわけで,スキー場降雪情報チェック用リンク集。
So-netゲレンデ情報……群馬(玉原,水上),新潟(石打,かぐら,苗場,神立),福島(アルツ,猫魔),長野・白馬,長野・志賀
Yahoo!
JAPAN 全国ゲレンデ基本情報(降雪情報はCWW)……群馬(玉原),福島(アルツ,猫魔),新潟(苗場),長野・志賀,長野・白馬
その他スキー場……玉原スキーパーク,裏磐梯猫魔スキー場
そろそろ人工降雪機ではない雪が積もっている場所も増え始めているようで,あと一降りした瞬間を見計らっていくと,なかなかいいコンディションで滑れるのではないかって気がします。気温の方はもう十分低くなっているみたいだから,あとは一発大雪が降ってくれれば。
というわけで,ただいまわたしは突発的に会社を休む可能性が高まっております。関係者の方々は覚悟しておいてください。そのために,先月は二日くらいしか休んでいないんだから。まずは土曜日に,キャリアとスタッドレスを買ってこよう。
今日もだらだらと二度寝して,昼から出社。なんだかだらけてしまって,寝ても寝ても寝足りた気がしない。寝不足というわけではなく,単なる自堕落。
むかーし作った腐れプログラムの修正作業をだらだらやっていたら,昔の自分に腹が立ってきた。なんでこんなにひどい作り方をしたのか。今ならばもちろんもっときれいに作るし,今から全部作り直してもいいくらいの時間はまああるのだけれども,ほとんど機能が変わらないものをゼロから作り直すのはむなしすぎる。結局暗号を解読しながら(というよりも難読悪筆を読みとりながら,というのに似た作業だ)微修正を繰り返す。
んで夕方からは,初めて仕事をするところとの打ち合わせ。この手の比較的ふつうの雑誌で仕事をすることはあまりない。この手のところの仕事は,要求が低いようで難しいというのが一般的。価値判断の基準がいまいち噛み合わないことが多く,それはそれでこちらの方を修正すればいいだけなのだが,どう修正していいのかがわからないという場合も少なくないからだ。「技術的に違う」というのではなく「感覚的に違う」というのは,なかなかすりあわせるのが難しい。なんて地獄にはまらなければいいのだが。
ああ,腹が減ってきた。また時代屋で煮干しラーメンでも食ってくるかな。
(「だらしない」≒「自堕落」)≠(「だらだら」|「だるい」)[*]
おお,玉原が全面滑走可になったやないか。しかも,土,日と雪が降る予報だ。っつーことは,来週の前半が狙い目なわけやね。うけけけけけ。って来週の前半から休めたかな?
というわけで,今日も今日とて二度寝昼出勤コース。ここ三日ばかり0時頃に寝て8時頃に起きて,9時頃に寝て11時頃に起きるペースだ。毎日10時間睡眠。それでいてまだだるい。
そういえば昨日の日記を読み返して,「だらだらする」とか「だらしない」っつーのは,「自堕落」が語源なのかとふと思い立ったので,調べてみた。
まず「だらだら」は,「たらたら」を強めた表現で,「物事がきまりなく長びくさま」や「はっきりしなかったり、しまりのなかったりするさま」を表すのだそうだ。
んで「だらしない」は,「物事のけじめがつかないで、きちんとしていない。秩序がない。しまりがない」とか「気力や体力が弱すぎるさま」という意味だそうだ。その同義語に「しだらない」という表現もあり,もともとは「しだら」の「し」と「だら」を逆にしたのが「だらし」という言葉だという。要するに業界用語だ(何業界の?)。
んでもって「しだら」を調べてみたところようやく,その語源に「「自堕落(じだらく)」からとも、梵語の「修多羅」(秩序の意)からともいう」と書かれていた。
というわけで,「だらだら」は擬音的表現から転じたものであって,「自堕落」とは関係ないようだ。しかし,「だらしない」の方は「しだら」の語源その一を適用すれば,一応「自堕落」から出てきた言葉と考えていいようだ。
ちなみに「だるい」も似ているけど,これは「怠(たる)い」が元だから「だらだら」とも「自堕落」とも違う。
とかいいつつこのくらい似たような意味の言葉たちだったら,大元の大元までさかのぼればしょせん語源なんて似たようなもんなんだろうけどね。
※そういやなんで「自堕落」を「ない」で否定しているのに意味は否定されていないんだ? そう考えるとやっぱり「修多羅」(秩序の意)」の方が正解っぽいな。
最近,Microsoft Outlook(Express) with Internet Explorerのセキュリティの甘さをついたウイルスまがいのメールについて,いろいろな情報が出回っている。そんな中,すごくいやな感じの宣伝メールが二通舞い込んできた。
一つはよくわからないスパムだった。きっちりHTMLの装飾表現を使ったもので,そこで使われているイメージデータに関しては,Web上に置かれたリソースを閲覧するように作られていた。
最初,ダイアルアップでそのメールを受信し,ネットワーク接続を切断してから閲覧しようとしたところ,もう一度ダイアルアップしようとしたので,そういう仕組みになっていることに気がついたのだ。
もしかしたらJavaScriptでも使って何か情報を盗もうとしているのかと疑ったのだが,メールのHTMLソースを見た限りでは,単にWeb上にあるイメージリソースを読みとろうとしているだけのようだった。それでも気分が悪かった。
続いて,「EntryPoint」というソフトの宣伝メールがやってきた。これも同様に閲覧するときにネットワーク接続を要求したので,似たような仕組みになっていることに気がついた。
内容を読むと,一時期ブレイクしかけたプッシュ型情報配信の大手「PointCast」からのニュースメールだという。それならば,以前登録したことがあるのでニュースメールが届いてもおかしくはない。
しかしそのHTMLソースを見たところ,ものすごくたちの悪い仕組みになっていることに気がついた。HTMLソースには,
<img width=3D'1' height=3D'1' src=3D"http://www.m0.net/m/logopen02.asp?vid=
=3D120&catid=3D548279776&email=3Dishinao%40ga2.so-net.ne.jp" alt=3D" ">
というコードがあったのだ。
ちなみに「*.asp」というのはWindows NT上で動く「*.cgi」や「*.pl」のようなスクリプト(プログラム)を表し,その後ろに「?」マークで続けてある部分は,そのスクリプトに対して渡すパラメータだ。
要するに,このHTMLコードを書くことによって,PointCast側はどのユーザーがいつ(何回)このメールを見たかという情報を得ることができるわけだ。
Webにおけるアクセス解析をメールでやっているようなものだが,このやり方だと直接メールアドレスとユーザーの行動をリンクした情報が収集できるため,単なるWebでのアクセス解析(ではふつうブラウザ情報とIPアドレスくらいしかわからない)よりも直接商売に結びつけやすい情報を収集することができるだろう。
この仕組みをスパムに利用すれば,今までの一方的なメール配信だけでなく,そのメールに対するユーザーの反応も,ある程度収集することができることになる。
以前,RealNetworks社が,コンピュータミュージック(MP3)再生ソフトを使っているユーザーが,どんな曲を聴いているかという情報を,ユーザーに無断で収集しているのがばれ,問題になった。
今回のPointCast社のメールに関しては,そこまでたちが悪くはないが,それでもちょっとプライバシーに関する意識が低すぎる会社だ,という印象を持った。
それにしても,そろそろ本当にOutlook Expressを使うのはやめてしまうべきだろうか。
金,土,日の行動をざっと。金曜日は市場に出かけ,意図と朝を狩ってきた。トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャらトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャー。などと意味不明文を作って遊んでいる場合ではありません。いや,場合でないわけでもないんだけど,誰も臨んでいません。臨海副都心。ちなみにトゥリャトゥリャってものすごく入力しにくい@ローマ字かな変換だとおもいます。
金曜日は21時頃に会社を出て,晴海のオートウェーブに。スキーキャリアとスタッドレス&ホイールとパイオニアのDVDナビ(これはオレのじゃない)の値段をチェック。
キャリアは2000円で2枚積みっちゅうゲロ安なのがある。あと,斜め積みでボード×2+スキー×1いけるやつも10000円しない。どっちかを買うことに決定。ルーフボックスは50000円からって感じなんで,ひとまず却下かな。
スタッドレス&ホイールは,うちのムーヴくんは軽自動車のくせにタイヤが特殊なもんで,165/65R14っつーのは安売り商品一覧の中に見あたらなかった。ローダウン車だからふつうの軽自動車で使っている12/13インチのタイヤにインチダウンするのはかなり怖い。ただでさえ車高が足りな気味なのに,これ以上下げてたまるか。でもまあ取り寄せればないわけではなさそうで,ひとまず5万円くらいとみておけばいいのか。
パイオニアのDVDナビは,30万円近くしていた。ちょとおまけ付きだったけど,もう25万円近くまで下がっていることを期待していたので,がっくりと来た(ようだ)。いろいろ唆した(って漢字で書いた方がスネ夫っぽい。ちなみに「そそのかす」だよ)のだが,結局理性が物欲に買ってしまったらしく保留との結論。いや,物欲が資金力に負けたと言うべきか。けっ,ビンボー人が。
その後ちょとだけバッティングセンターに行こうかなどと考えたのだけど,やっぱり疲れるのはいやなんで,そのまままっすぐ帰宅。
土曜日は昼頃起床。そのままお買い物にいこうと思ったのだが,二度寝。気づくと夕方。さてお買い物に行こうかと思ったのだが,そこで突然ボーナス炸裂系おごられ寿司を食いに下高井戸へ。駅前のちょと大きい寿司屋は,結論として「二度と行くか」系。いくら忘年会シーズンで客が多かろうが,接客サービス悪すぎ。最高級一人前3500円の寿司も,ネタは良かったけどそれ以上の感動はなし。大きな失点はなかったのに,小さなマイナスポイントが累積して一気に出場停止って感じ。
その後,何を今更な「どこでもいっしょ」なんぞを買ってみたりする。グランツーリスモ2は買いかけたところやっぱりパスして,根性出して今更晴海へゴー!
オートウェーブでスタッドレスの取り寄せを頼むと,2,3日で何とかなるとか。結局6万円くらいかかるらしい。まあ安い方だろう。入ったら連絡してもらうことにして,今度はキャリア売り場へ。ベース(8000円)とキャリア(2000円)を買おうとしたところで,ふと気づく。そういや,バーが入っている形跡がないぞ? あわてて店員に聞いてバーもゲット。んで購入。取り付けは後日ってことでそのまま帰宅。
日曜日は,昼から野球の試合。ちょと早めに出たら,珍しく駐車場があいていた。1時間100円とものすごく良心的。しかし,競争率は30倍くらい。ラッキー。んで,試合が始まる前にキャリアの取り付け。いろいろ迷いつつも,結構簡単に取り付け完了。と思いきや,ベースキャリアは取り付けられたものの,スキーキャリアの方はドライバーがないと取り付け不可。仕方なく,途中まで取り付けていたのを外して終了。
その後すぐに試合。6番セカンドという面白い役を割り振られながらも,見事にノー活躍。三打数一四球二投手ゴロ。守備機会は外野からの中継と二塁牽制のみ。そして試合は一点リードで迎えた最終回,タッチアップで同点に追いつかれると,スクイズで逆転されてしまう。その裏の攻撃もあっさりと終わり,結局今シーズンはこれで終了。不完全燃焼とはこういうことを言うのです。一酸化炭素のにおいがするくらい。
その後三鷹駅そばの焼き肉屋で飯を食って,解散。不完全燃焼を少しでも晴らそうとバッティングセンターに行こうとするが,駐車場がなかったりしてうろうろしているうちに,なんだかゲロ混みの環八でただただ時間が過ぎていくモードに。結局あきらめて帰宅への途。家に帰り着いてから,キャリアの取り付けを最後まで終わらせ,その後風呂に入ってから一眠り。10時過ぎくらいに起きて,だらだらテレビを見たりして,それから就寝。
しようと思ったけれども眠れないままに,最近また面白くなりつつあるあとだま方面ウォッチング。その後,理想(理論)と現実(技術)についてだとか,哲学としての仏教についてだとか,いろいろ考えているうちに朝になりかかってきたので,強引に就寝。
昨日は会社を休んで初滑り@玉原スキーパーク。朝6時過ぎにうちを出て,ちょっと混んでいる環八を北上して関越自動車道に乗り,8時前にはあっさり沼田ICを降りた。さすが平日,渋滞知らず。
玉原スキーパークへ向かう山道は,見事な凍結道路だった。前日に「ノーマルタイヤでチャレンジする」か「根性出してスタッドレスに付け替えておく」かの二択を話し合った際に,強くスタッドレスへの付け替えを推しておいてよかった。あれはノーマルタイヤじゃ絶対無理。
スキー場の駐車場は,平日の割には結構混んでいた。といっても,もちろん休日と比べると全然空いているのだが。まだ全面滑走可になっているスキー場は少ないから,玉原に人が集中したんだろう。平日とは言っても,学生やフリーターにとってはほとんど関係ない話だろうし。
すでに営業開始時間になっていたので,車を停めてすぐに,1年ぶりに手入れもせずに持ってきたボードを降ろした。そして,着替え。3シーズン経ってぼろぼろになっているウェアの上はあきらめて下だけを身につけ,上は普段使いの上着でごまかしてみる。まあバイク用で買ったやつだから何とかなるだろ。
ゴーグルはべきべきに割れているので,使用を断念。荷物の中には,グローブも帽子もカードケースもちゃんと入っていた。適当に引っ張り出して雪山道具を準備をした割には,忘れ物はなかった。えらいえらい。
ちゃっちゃとリフト券を買い,ふもとのリフト乗り場前で軽く柔軟をする。「アキレス腱くん,切れないでね」と祈りつつ。
雪質は上々だった。雪の上を歩くとキュッキュッと音がする。雪の量も申し分ない。土が見えていたりするところもアイスバーンになっていたりするところも見あたらなかった。逆に新雪ゾーンがまだまだ残っているくらい。先週の週末に降った雪がまだそのまま残っている感じだ。
天気は最初薄曇りで,わずかに粉雪が舞っていた。風はリフトに乗っているときには多少あったが,滑っているときにはほとんど気にならない程度。そのうち,空模様は快晴に変わり,わずかな粉雪も完全にやんだ。それでいて,気温は氷点下を維持するという絶好のコンディション。
相変わらずシーズン最初には,「滑り方を忘れていないだろうか?」というわずかな不安を感じてしまう。特に,片足ボードでリフトから降りることにはいつまで経っても慣れない。が,とにかくとっととリフトを乗り継いで山頂へと向かう。
山頂でリフトを降りると,「いよいよ初滑り」という実感が沸いてきた。わたしのボードはFLOWのビンディングなので装着は一瞬。ゆるやかな坂でじわりじわりと加速を始め,そこから最初のターンへの体重移動をしたときに,ようやく確信とともに安堵感がやってきた。「大丈夫,滑り方は忘れていない」。
緩やかな部分が終わり,少し急斜面に変化するところの前で一旦停止。「うんうん,ちゃんと止まることもできる」。それから頭のなかで,滑り方に関する細かいポイントをおさらいしておく。
ロングターンは,板を踏み込んで湾曲させた跳ね返りのタイミングで,体重を抜いてエッジを切り替える。両手は大きく開いて上半身のバランスを整え,上半身を下半身とは逆側に倒して内倒を防ぐ。腰は曲げずに膝を曲げ,できるだけ上半身は前方を向く。
ショートターンはほぼまっすぐ進行方向を向き,膝を大きく曲げた状態のままリズミカルにエッジを切り替える。転んだときは受け身を忘れずに。後頭部と両腕だけは死んでも守る。まあ,そのくらい気をつければ大丈夫だろう。
「うりゃっ」と滑り始めたら,思いのほか雪面は荒れていた。単なる新雪というだけでなく,ちょっと堅い雪の固まりが混ざっている感じ。でもまあ,ちょっとぎくしゃくしながらもふつうに滑れた。
シーズン最初から変な癖はつけないようにと,一生懸命基本に忠実な形で滑ろうと努力をする。膝を大きく曲げ,あまりドリフトターンにならないように気を遣いながら,ボードをじっくりと雪面に走らせる。
そして,一本滑り終わる前に気がついた。ものすごく足腰の筋力が衰えている。膝を曲げた体勢をキープするのがつらい。すぐに腿の裏側の筋肉がやたらと自己主張を始めた。ショートターンを試してみたら,少しずつ足の動きがリズムから遅れ初めて,逆エッジになりそうで危ない。
ロングターンのときは,荒れ地で板が弾んだときに腿の筋肉にものすごい負荷がかかっていた。確か去年は多少の荒れは無意識のうちに吸収できていたはずなのに,今回は意識して足腰をうごかさないとボードが跳ね回ってしまう。どうもボードを完全にコントロールしきれていない。
仕方ないので,途中からはかなりドリフトを強めにして,あまりスピードがでないように気をつけながら滑った。単に滑るだけならばスピードを出しても大丈夫だが,それだと緊急回避をするマージンがなくなってしまうからだ。
世の中にはまったくマージン無しにかっとんでいくボーダーが多いので,自分の身を自分で守る余裕を持っていないと危険なのだ。はっきりってフリースタイルでかっとんでいるボーダーのほとんどはただの下手くそ。アルペンを履いている人にはうまい人も少なくないけど。
荒れた雪面でドリフトターンを行うと,荒れ地の振動が直接足腰に伝わってくるため,よけい足腰への負担が大きくなってしまう。ただでさえ弱っている足腰は,見る見るうちに限界を超えて動かなくなっていった。
一本目でのぎくしゃく感も二本目を滑り終わる頃にはほとんど消えた。しかし,三本目を滑る頃には肉体的にきちんと滑る能力を失っていた。もはや膝をちょっと曲げただけで,腰が砕けそうになる。あかん。
それでもスノーボード修行僧の我々は,滑ることをやめたりはしない。ちょっとさぼって楽な体勢をとりながらも,ひたすらに滑り続ける。膝を曲げなくても,上半身と下半身のバランスをきっちりとっていれば,そんなに不安定な滑りにはならない。
四,五回目には,シーズン中盤にはこぶ斜面になる,お気に入りの裏側ルートも回ってみた。まだこぶというほどの状態にはなっておらず,単なる荒れた新雪地帯となっていた。ほとんどそのルートを選ぶ人間はいないようで貸し切り状態だったのだが,笑う足腰ではそんなところを乗りこなせるはずはなかった。もうちょっと足腰が復活してからこぶにチャレンジしましょう。
十本ほど滑ったところで11時になったので,ちょっと早めに昼食タイム。玉原の飯はスキー場にしてはまあまあ。照り焼きチキンのランチと生ビール。
久しぶりに飲んだバドワイザーはえらい不味かった。苦い炭酸ジュースのような深みのない味。こんなもんだったっけ? 暑い時期に水代わりに飲むには良さそうだが,それ以外のときはちょっと飲む気がしない。午後のことも考えて,半分ほど飲んで残りは捨てた。そして11時半にはとっととコースに戻って,後半の修行開始。
後半の滑りは,もはやスノーボードの練習というよりは,スノーボードで使う筋肉に負荷をかけるための,筋力トレーニングの様相を呈してきた。しかも,一度後ろからスライディングタックルをされて,不可抗力の大転倒を喫してしまう。軽く後頭部を打って,周囲の風景が新鮮に見えてしまった。死ぬなら一人で死んでくれ>某。
そういえば途中のジャンプ台で,ジャンプミスして怪我をする瞬間を目撃した。距離ではなく高さを出す系のジャンプ台で,ジャンプした後に足が上がってしまい,そのまま尻から落下したのだが,よりによって左手をまっすぐ下に伸ばした状態で,尻よりも先に地面についたのだ。
そのまま倒れて動けなくなった人の上を,わたしはリフトで通過していったのだが,彼は結局そのまま救急スノーモービルで運ばれていったようだった。おそらくは左腕の手首か,あるいはそこから接続されている骨の細い方でも骨折したのだろう。
でもまあ,手でよかった。頭だったら本気でやばい。ジャンプする人もしない人も,受け身だけはしっかり取ろうね。要は,人間の体の壊れやすい部分をかばうために,積極的に壊れにくい部分をぶつけて衝撃を分散させればいいんだよ。壊れにくい部分ってのは,一点に力が集中しにくい部分ね。
まあそんなこんなで閉園時間の16時までには,合計で30本ほど滑り,2000年シーズンの初滑りは怪我もなく無事に終了したのだった。帰り道はデリカ君を初めて運転し,やはりでかい車はうちのムーヴ君とは乗り味が全然違うよなー,とか思いつつ20時には帰宅。「次は今度の日曜日か」などと言いつつ解散。
ちなみにその夜はじっくり風呂に入って,筋肉をほぐしてから早めに寝たのだけれど,夜中に体中をじわりじわりと責める疼痛に目が覚めてしまった。そして,その後しばらく苦しみ続け結局明け方にもう一度就寝。足だけでなく全身の筋肉痛で,特に腿と首がげろ痛い状態。
でもまあこれが治る頃には,冬用の筋肉もちょっと復活し始めるのではないでしょうか。少なくともスクワットだけはまめにやっておいた方が良さそう。今年はモーグルゾーンをふつうに乗りこなせるようになるのが目標だ。ボーダーでモーグル乗りこなせる人間って本当に少ないんだよな。
ちなみに現地で撮った写真関係はこっちの方に適当に載せていくつもりです。
昨日の昼,生ビール(ジョッキ)を飲んでいてふと気がついた。
炭酸飲料からは,次々と炭酸ガス(二酸化炭素)が沸き出してくる。その水中における発生位置を観察してみたところ,水中のランダムな場所から気泡が発生するのではなく,水中の数カ所(実際には数十カ所〜数百カ所だが)の決まった場所から発生していた。
その発生ポイントの多くはガラス容器表面(近く)に存在しているが,水中のまるでとっかかりのない場所からもピンポイントでガスが発生している。いったいどういう理由で,炭酸ガスが気泡と化すポイントは決められているのだろうか。
似非科学の徒として,その理由を解明してみることにした。と言っても,まじめに物理化学的に調査するのは面倒くさいので,ありものの知識と思考実験によって解釈してみることにする。
炭酸ガスは,水に溶ける。しかし,むかーしむかしの理科の実験を思い出す限りは,自然に溶かしただけでは,いわゆる炭酸水のようにはならなかったはずだ。ちなみに理科の実験ってのは,「石灰水に息(二酸化炭素)を吹き込むと白く濁る」ってやつだったよね,確か。
本来溶ける量以上の炭酸ガスを水に溶かすためには,おそらく密閉した容器内で大きな圧力をかけて,強引に炭酸ガスを溶かし込んでいるのだろう。それから,蓋をするとガスの逃げ道がなくなることプラス圧力が一定に保たれることによって,安定した炭酸水となる。
んで,それがジョッキなどに注がれることによって,液体に加わっていた圧力から解放され,本来溶けるぶんを越えた炭酸ガスが液体から気体に戻ろうとする。
炭酸ガスは,ほぼ均一に水に溶け込んでいる。圧力のくびきを脱したときにそれがガス化するとしたら,単純に圧力の大きさに逆比例してガス化していくような気がする。つまり,浅いところ(水圧が低いところ)では多く,深いところ(水圧が高いところ)では少なく,といった感じ。
といった思考を延長したら解決するかと思っていたのだが,どうも圧力の差にポイントを置いて考えていったのでは,ガス化ポイントが数カ所に定まる理由を説明できないような気がしてきた。
それでは,他にどういう科学的要因が考えられるだろう……(思考中)……たとえば気化熱のせいだとしてみたらどうだろう。
密閉状態から解放された炭酸水は,その全域においてほぼ同じ割合でガス化する可能性がある。つまり一番最初のガス化する場所は完全にランダムに定められる。
しかし,一度ガス化が起こったとする。すると,そのガス化が起こったポイントは気化熱を奪われ,周囲のガス化が起こらなかった場所と比べると多少温度が低くなる。
ところで一般に炭酸水は,温度が低いときはガス化する量が少なく,温度が高いとガス化する量が多い。冷えたビールの方が泡が立ちにくいことにより,それを体験できる。ということは,温度が低ければ低いほど水に炭酸が溶けられる量は多いということになる。
ということは,一度ガス化が起こったところは他よりも温度が低いので,ガスが水に溶けやすく……あれ? これじゃー,一度ガス化が起こった場所では次のガス化が起こりにくいことになっちゃうな。結論が反対になってしまう。
それじゃー,もう一度圧力の話に戻ってみよう。最初の一回目のガス化が起こったときに,周辺の圧力は変化する。液体よりも気体の方が圧倒的に体積が大きいのだから,そのポイント周辺にかかる圧力は高まるだろう。
圧力が高まったということは……えーっと,やっぱり炭酸ガスは溶けやすくなるのかな? それじゃあそのポイントで次のガスが発生する理由にはならないな。
ああ,気化熱で何とか説明できるつもりだったのに,なんだかうまくいかないようだ。知識不足によって,よけいな混乱へと突入してしまった。どうやら,ありものの知識と思考実験だけでは答えへたどり着くことはできないらしい。
というわけで,誰かこの答えを教えてください。っていうかもしかしたら,「炭酸水の中からガスが発生するポイントは数カ所に定まっている」という観察自体が,再現性のないものだったりして。帰ってから早速試してみないと(って言う理由がなくてもたぶん飲みます)。
って,ちょっと理数系っぽいことを書いたついでに思い出したことを一つ。
子供の算数・理科嫌いが進んでいるという話が,ちょっと前にあちこちで話題になっていたのだが,その中で「台形の面積を求める公式を教科書から削除する」という話があったのを聞いて,「なんじゃそりゃ,そこまでやるのか?」と思ったんだけれども,よく考えたら「(上底+下底)×高さ÷2」なんてのを覚えなくたって,台形の対角線に一本補助線を引いてできた,二つの三角形の面積を足したのが「上底×高さ÷2+下底×高さ÷2=(上底+下底)×高さ÷2」なんだから,基本公式から簡単に導き出せるような式をわざわざ暗記させる方がおかしいよなってんで,あんなものを最初に教科書に入れた人に問題があって,台形の式を教科書から削除するという考えの方がまともな気がしてきたとですばい。
うー,二日連ちゃんで長々と出先だったので,なんだか会社に帰ってから何もやる気が残らない。といっても,今手持ちの仕事(というか今年はこれで終わり)は原稿4ページとCD-ROM一枚だけだから,余力はありまくりなんだけど。
ちなみに昨日の出先は,まったく状況を把握していない状態での打ち合わせという,とても尻の据わりの悪い場所に3時間ほど拘束された,ある種の地獄でげした。はったりー星人に変身してくっちゃべるのもきついんで,断片的にわかるところだけをあまり自己主張しない程度につっつく程度。でも,技術的な話は全部わたしに振るのはやめてくれ。っていうか,わたしがその場で決めちゃって良かったのか?
今日の出先は,ほとんどわたしの仕事とは関係のない,頼まれたのでまあ行ってみようかという程度の,取材のおつきあい。某タッチタイピング練習ソフトの会社で,企画担当の方に入力デバイスの将来像について話を聞こう,というネタ。話自体はなかなか面白かったけれども,予想通り自分の仕事にはほとんど関係なかったっすね。
というわけで,今週も今日で終わり。注文しておいたスタッドレスが届いたという連絡が入ったので,今日は早めに帰ってタイヤを付け替えてくる予定。さらに日曜日には,土曜日の夜出発で今シーズン早くも2回目のスノーボードに行くつもりでげす。おそらくは裏磐梯猫魔スキー場に行くことになると思うけど,グランデコや羽鳥湖など全面滑走可のスキー場も増えつつあるので,状況によっては別の場所になるかも。
火曜日にダメージを負った首周りの筋肉痛は一段落ついているんで,もう一日休めば完治するでしょ。足腰は思ったよりもダメージを受けていなかったので,ひとまず毎日地道にスクワットをしていたりするのです。それにしても今シーズンはスタートが早すぎる気がするな。シーズン終わりまで金が持つだろうか。
ああだるい。
のような平仮名五文字のテキストを見ると,反射的に「あさぼらけ」とか「ひさかたの」などという言葉が連想されてしまいます。続いては「しんのすけ」とか「どらえもん」とかに移行するのです。わたしの脳内優先順位はそういうことになっているらしいです。
ところで「あさぼらけ」みたいな,短歌の1語目においてその後に続く特定の語(意味)を強調する定型テキストのことをなんて呼ぶんでしたっけ? 掛詞ってのは違うよな。巻頭言でもないし。えーっと……。ああ枕詞だったっけ(アップロードする前に読み返していたら思い出した)。
それはさておき,日曜日には予定通りシーズン2回目のスノーボードに行ってきました。場所は福島の裏磐梯猫魔スキー場。コンディションなどはなかなかよろしかったのですが,スノボ話に移行する前に,週末の行動を振り返ってみることにしましょう。
金曜日は早めに会社を出て,晴海までスタッドレスタイヤを取りに行きました。わたしの曖昧な記憶による数字が,オートウェーブのタイヤ係の人のチェックをすり抜けて,発注に回ってしまったため,実は注文していたタイヤサイズがムーヴくんの標準のタイヤサイズよりも一回り大きかったことが判明してしまいました。でもまあ「どこにも当たってないから大丈夫です」という店長の言葉を信じることにします。というわけで,どうやらムーヴ(エアロダウンカスタム)くんのタイヤは165/65R14ではなく165/55R14だったみたいです。で,1cmくらいは問題なくインチアップ(っていわねーか)できるみたいです。
土曜日は死ぬほどたまっていた洗濯物の一部を洗濯してから,久しぶりに新宿でお買い物しました。笹塚から引っ越して以来,新宿にはもう1年近くも立ち寄っていません。ものすごく久しぶりで,新宿駅の構造が把握できなくなっていました。南口に出ようとしたのに,なぜか真西に出現して新宿駅四分の一周ツアーを敢行する始末。ご飯を食べてからぐるぐる歩き回って,いろいろ小物を買いあさってからだるい足を引きずって22時頃に帰宅。
自分の買い物は,新しいゴーグルとボードに貼る滑り止めシール(正式名称はなんて言うんだろう? スケーティングするときにボードに固定していない足を乗せるところに貼るやつ)でした。新しいゴーグルはふつうのゴーグルだとじゃまくさいんで(邪険に扱っていたらべきべきに割れてしまったので),メガネの上からかけられるサングラス風のものを購入してみました。
で,家に帰り着いてから早速スノボに行く準備をして,1時間ほど仮眠をとろうと努力をしているうちに迎えが到着。深夜0時過ぎに家を出発し,ちょっと混んでいた首都高とがら空きの東北道を乗り継いで,1時過ぎには埼玉と栃木の県境までたどり着き,そこでもう一人拾ってから東北道を福島方面へ。磐越道の最寄りのI.Cで降りて,完全凍結道路を通ってスキー場にたどり着いたのが明け方の5時頃。
日曜日にもかかわらず,駐車場にはまだ50台も停まっていませんでした。わざわざ福島まで向かったのは,このシーズンならばまだ東京近郊から福島に向かう人は少ないだろうという読みだったのですが,それにしても人が少なすぎてちょっと不安になったり。
猫魔は6時からのオープンなので,軽く仮眠を取ろうかと努力をしていたのですが,このくらいの微妙な時間を仮眠に当てられるほど,眠るのは得意じゃありません。30分ほどで寝るのをあきらめて,とっとと着替えてスキー場へ。
猫魔あたりではここのところ雪/曇りが続いていたらしく,積雪140cmと十分な雪の量でした。最高気温も氷点下が連続していて,雪のコンディションもなかなかよろしい。アイスバーンまではいかないちょっと固い雪の上に,うっすらと新雪が積もっている感じ。これでこぶ斜面もできていればばっちりです。
夜明け前はリフトが一本しか動いていませんでした。しかし人間の数が圧倒的に少なかったのでほとんど待ち時間いらず。ただしつまんないコースしか選択肢がなかったのですが。
で,足慣らしコースのうちに基礎をしっかり確認しておこうと,姿勢に気をつけて滑ろうとしたら,なぜか大はまりしてしまいました。上半身・下半身の体重移動を意識したら,なんだかまともに滑れなくなっている自分を発見してしまったのです。ただ滑るだけならそれでも大丈夫なのですが,ちょっとでも段差に引っかかるとこてんと転んでしまう状態。
しかしその問題も,1時間以上苦しんだあとにようやく解決できました。結論は,十分スピードが出ない状態で十分に腰を落とした体勢を取ろうとすると,逆に不安定になる,ということでした。一生懸命まじめに滑ろうとしたのが敗因ってやつです。まだ体に染みつくほどスノーボードの滑り方が身に付いていないということなんでしょう。そんなことであっさりと滑れなくなったのは,結構ショックでした。
滑り初めて2時間ほど経った頃から,ようやくほかのリフトが動き出し始めました。すぐ隣の頂上まで行くリフトが稼働準備を始めたので,わたしたちはまだ入場口が開く前からそちらの順番待ちに並びました。そして,結局30分ほども順番待ちの列に並び続けた頃,ようやくそのリフトが動き始めました。
夜明け前のまだ気温が低かった時間帯です。おそらく氷点下10度近かったのではないでしょうか。そこで30分ほど何もできずに並び続けるというのは,いくら寒さに強いわたしにとっても辛い状況でした。
んで,その後はひたすらさまざまなこぶ斜面を滑り放題。時間が経つうちにちょっと混んできたけれども,それでもスキー場のキャパシティを考えれば空いている方でしょう。10時頃に30分ちょっと食事休憩をしただけで,あとはひたすらあちこちのこぶ斜面を滑り続けていました。ただし,滑り初めてすぐに足腰が弱ってきたため,後半ははた迷惑なこぶを削りまくる野郎状態になっていたのは内緒。
ぼろぼろになりつつも修行と称して滑るのをやめず,ついには黙って立っていることすらきつい状態になった14時ちょっと前に,ギブアップ宣言が出たので終了となりました。一応開いていたコースはすべて制覇したはずです。
あまりにきつい状態で滑り続けたせいで,終わってからの感想は「ああ楽しかった」ではなく,「う゛ー,スノーボードなんてもういい。吐き気がする。今年はもういいや」って感じでした。
帰り道は渋滞はしなかったけれども,結構車の量はいたようですが,その道中の大半を寝ていたのでよく覚えていません。寝ていたというよりは「オチていた」といった方が正確かも。東北道から都内下道への乗り継ぎに失敗してちょっと遠回りしながらも,19時過ぎには家に到着。風呂に入ってだらだらしてから23時頃に就寝。
今朝起きたら,筋肉痛は大したことないものの,なんだか軽い風邪っぽい感じがするのは,やはり序盤に30分ほど寒い中何もできずにリフト待ちしたせいでしょうか。ちょっと頭が痛くて全身がだるいのです。
しかし,すでに水曜日あたりには休みを取ってもう一度ボードに行こうという話が出ているのです。今年はちょっとペースが早すぎて,本当にシーズン中盤にいやになってしまいそうな気がします。
問題を起こした政治家(など有名人)が病院に入院するのは,人の命というものを盾に取ることができる病院だけが,唯一マスコミの表現(取材)の自由に対抗できる場所だからなのだろう。逆に言うと,「人の命」以外の理由(たとえばプライバシーとか)に関しては,もはやマスコミの取材に対する抑止力にはなり得なくなっているわけだ。
ただし,この間竹下元総理の入院先(だったよな)に,看護婦の格好をした記者を潜入させて,病室の写真を隠し撮りしたという話が問題になっていた記憶がある。まだそれが問題になっているうちはましだが,人の命さえも聖域と思わないマスコミ関係者がすでに存在しているということは明らかだ。
そのような人たちが大半を占めたときに,もはや日本中のどこにも,マスコミからの隠れ家として機能する場所はなくなってしまうのだろう。
などということを,ノック知事入院のニュースを見ながら考えた。ちなみに辞職を決意したそうだが,実際にわいせつ行為をしたにしろしていないにしろ,そのような問題にまともに対処できないような人物は,とっとと知事を辞めた方が無難だろう。いろいろな意味で覚悟の量が足りなすぎだ。
昨日はとてもいい天気だった。ここのところ寒い日が続き,外に出るのが億劫になりがちだったため,家族みんなで近くの公園まで散歩に出かけることにした。さすがに空気は肌寒かったが,日なたを歩いている限りは,太陽の恵みを体で味わうことができた。
公園をしばらく歩いているうちに,少し喉が渇いてきた。子供たちも喉が渇いたと言い出したので,子供たちをベンチに座らせ,近くの自動販売機で飲み物を買ってくることにした。すると,上の子が「ぼくが買ってくる」と言い出した。
どうやら最近自動販売機での買い物の仕方を覚えたようだ。それならと,わたしは家族四人分の飲み物代として500円を渡した。上の子はお金を受け取ると,喜び勇んで自動販売機の方へ駆け去っていった。
コイン投入口に背が届くかどうかが心配だったのだが,幸いちょっと背伸びしただけで無事お金を入れることができたようだった。わたしはそこまで確認すると,少し寒がり始めていた下の子に,持ってきていた上着を着せる作業を始めた。
上着を着せるのに手間取り,少し時間がかかったようだった。一段落してからふと自動販売機の方を振り返ったところ,上の子の様子がおかしかった。わたしは妻に下の子を任せて,自動販売機の方へと向かった。
上の子は,自動販売機の前で飲み物サンプルの並んでいるあたりを見上げながら,じっと立ちすくんでいた。「どうした?」と声をかけても振り向かない。顔をのぞき込んでみると,右手に500円玉をしっかりと握りしめたまま,涙目になっていた。
「どうした?」
もう一度聞くと,ようやく上の子はわたしの方を向いた。そして口を開いたのだが,こらえていた嗚咽が漏れだしてしまい,なかなか言葉にならなかった。
「なんかいやってもね……おかねがね……もどってくるの」
そこでわたしは気がついた。コイン投入口のそばに貼り付けられた紙には「偽造コイン使用防止のため,500円玉のご利用は停止させていただいております」と書かれていた。
ってのは,まったくの作り話である。わたしには妻も二人の子供もいない。
が,この間自動販売機で買い物をしようとしたら,500円玉しか小銭の持ち合わせがなかったにも関わらず,500円玉使用禁止自動販売機に当たってしまいちょっとむっとしたのは事実だ。
そこで,500円玉の使用を制限する自動販売機を批判する方法を考えてみた。いろいろ考えてみたのだが,理論的に批判するのはちょっと難しそうだった。
仕方なく,「いっぱいのかけそば」ライクなお涙ちょうだい路線を使ってみることにしたのだが,最後の「子供がかわいそう」→「500円玉の使用制限は間違っている」という論理の飛躍部分は,わたしの理性が許してくれなかったため書けなかった。無念である。
どんなにひどい感情(主観)の迷路に迷い込んだときにも,50%の客観性(理性)は維持してきた,と信じている。
自分の理想像というものを考えてみると,それはおそらく「主観にとらわれてしまうことなく,客観性を保ち続けることができるようになること」だろう。突き詰めていくと「自分の中を100%の客観性で満たす」ということになる。
などと言うと,まるで自分自身の中から主観(個性)というものを完全に排除することを望んでいるかのように見えるかもしれない。しかし,実際のところそうではない。自分自身という器の中身を100%の客観性で満たし,さらにそこからあふれた部分で主観を表現するのが理想なのだ。
それはおそらく,一人の人間としての限界を越えることにつながるだろう。究極的に突き詰めると,100%の客観性+100%の主観性という人間二人分の器が必要となる。
ちなみにそれは,50%の客観性+50%の主観性とは全然違うものだ。50%の客観性と50%の主観性で自身を満たした場合,自身の行動原理は客観性と主観性の両方に引きずられて,どっちつかずのものになってしまう。
しかし,100%の客観性で自身を満たしその外に100%の主観性を持った場合,行動原理は客観性によって律しながらも,主観性の自由を独立して保ち続けることができる。
100%の主観性と100%の客観性を同時に持つということは,言うなれば自分の頭の中で二つのまったく違ったプログラムを並列で走らせるようなものだ。基本的な制御は客観性プログラムによって行われるが,それとは独立した主観性プログラムによってまったく自由な思想を展開させることができる。客観性プログラムが許せば,主観性プログラムの思想を外に表明することも可能だ。
今のところわたしの内部ではまだ,二つのプログラムはメモリ空間(ワークエリア)を共有し,共通するグローバル変数を参照している状態だ。お互いの関連性は非常に強い。しかし,関数レベルでの独立性はずいぶん高まってきているような気がする。今後それぞれで使用する定数を分離し,ワークエリアを分け,グローバル変数への依存を低く抑えることで,相互の独立性は高まっていくことだろう。
ただし,あいにくわたしのメモリ(短期記憶)もハードディスク(長期記憶)もかなりエラー率が高い。たとえ理論上は独立した二つのプログラムを(わたしの中で)完成させられたとしても,それらを実用的に運用することは不可能なように思える。
おそらく実際には死ぬまで,論理バグだらけでメモリリークしまくりのプログラムを使い続けるしかないのだろう。
昨日はボード三回目。ちょっとペース早過ぎ。
夜中の3時に目を覚まし,ごそごそ準備をしてから,冬装備を身につけたばかりのムーヴくんで出発。2000円で買ったキャリアは,キーが勝手に戻ることがあったりして,ちょっと使いにくいことが判明。まあ致命的な問題ではないんだけど。
川崎方面で一人拾って,そのまま関越方面へ。今回は第一回と同じ玉原が目的地。4時過ぎに関越に乗ると,空いている道を燃費が悪いスピードでひた走る。途中で落下物注意の標識が出ていたと思ったら,道ばたにラダー用キャリアにスノボ2点セット付きが落ちていた。げげげげ。
でもまあ特に問題もなく,6時頃には沼田ICに到着。下道は完全凍結道路。雪道走行は初めて。安物スタッドレスくんの性能を信じつつ,いろいろ試してみたりする。
自分でペースを作るのが難しかったけれども,しばらく走っているうちに,やけにのろのろ運転しているランクル100に追いついてしまう。おいおい,軽自動車よりも遅いペースで走ってどうするよ。日本では雪道くらいしか真価を発揮することはできない車なのに。
でもまあ,ペースを考える心配がいらなくなったのでちょっと安心。少し車間距離を離し気味にして,アクセル・ブレーキ・ハンドルをいろいろ動かしてみる。12万円もかかったオプションのDVSが効きまくる。DVSってのはABSとTCSと横滑り防止の総称。つまり,足回りの不具合を電子制御でなんとかしちゃる機能。
あんまり無茶はしなかったので,その有効度がどのくらい高かったのかはよくわからなかったけど,少なくともタイヤがスリップしたことを感知してランプを点灯してくれるので,どのくらいに限界点があるのかを目で見て判断できるのは便利。
んで7時頃には駐車場に到着。それから映画鑑賞会。試しに車にHi8を積んで,ナビのモニターで映画を見れるようにしてみたのだ。まあ特に問題もなく見ることができる模様。ただし,モニターが9:6なのでソースも9:6のものじゃないと上下が切れてしまう。字幕付きで4:3のソースなんかだとダメっぽい。
バカ映画を途中まで見たところでリフトが動き出す時間となったので,着替えて出動。30センチほどの新雪を圧雪したゲレンデ。休日なのに人も少ない。一回ふつうの斜面で足慣らしをしてから,すぐにこぶ斜面へ突入。っつーか,こぶがない。いや,あるけど見えない。新雪が覆い被さった陰に隠れて,アイスバーンのこぶがある。
「ひえーっ」と叫びながら新雪を開拓し,少しずつこぶ斜面を露出させていく。その斜面にはほかに誰も近寄ってこない。仕方ないので自力で少しずつふつうのこぶ斜面へと変えていく。10本ほど滑った頃には,ようやくふつうのこぶ斜面っぽいルートも見つけられるようになり,他の人もその斜面にやってくるようになってきた。しかし,その頃には足腰はもうまともに動かなくなっていた。
どうもいつもの疲労よりもダメージが大きかったのは,前回,前々回のダメージがまだ癒えていなかったためだろうか。午前中3時間でこぶ斜面をギブアップし,30分の食事休憩を挟んでからの10本は,ふつうの斜面すらも休み休みじゃないとまともに滑れないというていたらく。午後2時ちょいまえに終了となったときには,心底ありがたかった。
ちなみに朝早くは空いていたのにその頃にはゲロ混みで,メインのリフトは15分待ちって感じになっていた。そっちはほとんど使わなかったから,どうでもよかったけど。
帰りの山道はすでに氷どころか雪もほとんど溶けており,一度もDVSが働くことはないままに無事下山終了。高速もまだ時間が早かったためか空いており,行きよりはちょっと燃費がいいくらいのスピードで帰宅。途中で一回給油したところ,行きの燃費は8km/lを割っていた。
んで午後4時過ぎに都内にたどり着いたはいいが,その後一人降ろすために川崎方面に向かったところ,環八&世田谷通り&二子多摩周辺の超渋滞コンボに行き会ってしまい,ようやく第一次目的地にたどり着いたのは午後7時過ぎ。家に帰り着いたのは午後8時になってしまった。
帰り着いたら風呂に入ってから寝ようと思っていたのに,疲れ果てていたためかそのまま睡眠。結局今朝の7時過ぎまで寝続けてしまった。10時間以上は寝ていたはずなのに,体の疲れはさっぱりとれていない模様。筋肉痛とかじゃなく,全身疲労って感じなのは前回と一緒。
朝風呂に入ってから会社に来てみたものの,まだ頭も体もぼーっとしている。今日はとっとと帰ろう。クリスマスイブだから,晩酌は日本酒からワインに変えておこうかな。
今日で仕事納め。大掃除して忘年会やって今年の仕事は終了となります。といっても,今年中にメールで提出の原稿は残っているんですけど。
年末から正月にかけての予定は未定。毎年恒例の親からの電話があったので,今年も正月の帰省はかなわない模様です。
ちなみに毎年恒例の親からの連絡とは「今年は○○に行っていて正月には家にいないから,帰ってこないでね」という内容です。一昨年は○○の部分に「アマゾン」という単語が入っていて,結構びびりました。去年は無難にヨーロッパ方面のどこかだったような気がします。
ちなみに今年は「ニュージーランド」でした。一応オプションとして「Y2Kが怖いから,一応年を越す前に帰ってくる予定だけど,まだチケットは取っていない」というコメントが付属していました。怖いんだったらチケットとっとけよ。
そういや昨日,今更「ビブリボン」を買いました。「グランツーリスモ2」を買おうと思ったのですが,発売日に買ってからまだ一度も起動していない「鉄拳3」のことを考えて,そちらは棚に戻してしまいました。今のところ1プレイが10分程度で収まらないゲームをやるのは難しそうです。
やらないゲームを積んでおく趣味はないので,年末から正月にかけて暇が沢山確保できることが確認できたら買ってきます。せめて二日徹夜してやるだけの時間がとれたら,買ってもいいんだけどな。
まあそんな感じで,今から大掃除にかかります。正月中の更新は,優先順位的に「スノボ>面白そうな本>ゲーム>Web>面白くなさそうな本>テレビ>映画」って感じのつもりなので,スノボと面白そうな本とゲームがなければ頻繁に更新する予定です。余裕があったら「いしなお@リンク」だけでも形にしておきたいな。
ところで全然関係ないですけれど,「朝○暮○」って四文字熟語は,「朝令暮改」と「朝三暮四」の二つがあるんですね。そういや日曜日の昼に思いついた面白い誤変換ネタは,メモするのを忘れたせいで完璧に記憶から飛んじゃったなー。
「理想(理論)」と「現実(技術)」は,本来同じステージに立つべきものではない。現実に理想を加味するのならばかまわないが,理想に現実の制限を加えるのには問題がある。
理想は形而上の問題として,頭の中でだけ成立していれば,それでいい。理想論に現実の観点から批判を加えるのは,無意味な行為だ。現実性が低いからといって理想を下げてしまっては,それは理想としての意味を失ってしまう。
過剰な現実主義者は,「理想」と聞くだけで拒絶反応を起こす。何でもかんでも「それは理想論だ」と批判すればいいと思っている節がある。しかし,理想が理想であるという前提の元では,理想は十分な意味を持つ。
理想があるからこそ,現実はその変革の方向を見いだすことができる。理想という羅針盤なしで,現実はどこへたどり着くことができるだろうか。
何となく「理想」の価値が下落しているように思える昨今,「理想」の復権を願っての一文。ただし,現実に対する理想の流入を,どこまで認めるかについては未考察である。