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title: "本を全部血肉にしなくていい"
slug: "hon-wo-zenbu-chiniku-ni-shinakute-ii"
publishedAt: "2026-06-19T10:57:16.598Z"
updatedAt: "2026-06-19T10:57:23.037Z"
tags: ["essay","読書","本","Togetter","知性"]
excerpt: "Togetterで見た「本の内容を覚えていないなら読んだ意味がない」という話から。読書は知性の修行だけではないし、ちゃんとした本を噛み砕いて血肉にする以外の読み方があってもいい。"
canonical: "https://ishinao.net/hon-wo-zenbu-chiniku-ni-shinakute-ii"
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https://x.com/i/status/2066833316515606885

[Togetterまとめ: 「本の内容を覚えていないなら読んだ意味がない」というポストへの、「昨日の食事の内容を覚えていなければ食べた意味もないことになる」という意見 「実際は、覚えていなくても栄養になる」](https://togetter.com/li/2711073)

「本の内容を覚えていないなら読んだ意味がない」という話を見た。

こういう話になると、読書が急に道場になる。

本を読む。内容を覚える。自分の中で噛み砕く。血肉にする。知性が高まる。はい、次の本へ。

流れとしてはきれいだ。きれいなのだが、トレーニングジムみたいでもある。

ちゃんとした本を月に5冊読んで、しっかり自分の中で噛み砕き、血肉とする。

この言い方は、本というものへの信仰が強すぎる気がする。本は知性を身につけるために読むもの。本は人格形成のために読むもの。本はありがたい栄養なので、いただいたら残さず吸収しましょう、みたいな感じである。

いや、そういう本もある。

人生の後ろでBGMのように流れ続ける本はある。何年も前に読んだ一節だけが、変なタイミングで頭に出てくることもある。読んだときは分からなかったものが、あとから効いてくることもある。そういう読書はたしかにある。

ただ、本は全部そうではない。

しょうもない本もある。

暇つぶしの本もある。

読んでいる間だけ楽しくて、翌週にはきれいに消えていても別に困らない本もある。

途中まで面白かったのに、途中から明後日の方向に走り出す本もある。読んでる途中で「なんでこんな本読んでるんだろう」と思う本もある。それも読書の結果ではある。全部を吸収して血肉にするには強力な消化器が必要になる。

そもそも「本の内容を覚えている」とは何なのか。

一字一句覚えているのか。

章立てを言えるのか。

主張を3点で説明できるのか。

一箇所だけ線を引いた場所を覚えていればいいのか。

「なんか好きだった」「ちょっと苦手だった」「たぶんこの著者とは合わない」くらいでも、何かは残っているのではないか。

このあたりを決めないまま「覚えていないなら意味がない」と言うと、読書が急に小テストになる。

本を閉じた瞬間、うしろから先生が出てきて「では内容を300字以内で説明してください」と言う。嫌である。わたしは本を読んでいたのであって、抜き打ちテストを受けていたわけではない。

もちろん、勉強として読む本なら覚えたほうがいい。仕事で必要な本なら、あとで使える形にしたほうがいい。読書会の課題図書なら、多少は話せたほうが楽しい。

でも、それは読書の一部であって、読書全部ではない。

読書には、栄養もある。おやつもある。ジャンクフードもある。試食もある。買ったあとで「これは違ったな」と思う失敗もある。全部を健康食品にしなくていい。

本を神棚に飾らなくていい、ということかもしれない。

読んだ本を全部ありがたく覚えて、全部自分の中で噛み砕き、全部血肉にする。そうできたら立派だが、だいぶ消化器系が強い人の話である。

わたしはもう少し雑でいいと思う。

覚えている本がある。忘れた本がある。読んだことだけ覚えている本がある。読んだことすら忘れて、あとで本棚を見て「これ読んだっけ」となる本もある。

それでも、読んでいる間に少し楽しかったなら、それで十分な本もある。

本をいつも正座して迎えなくてもいい。
