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title: "本物のファン証明を求める人たち"
slug: "honmono-no-fan-shoumei-wo-motomeru-hitotachi"
publishedAt: "2026-06-24T08:26:48.999Z"
updatedAt: "2026-06-24T08:26:47.241Z"
tags: ["essay","サッカー","W杯","SNS","誹謗中傷","ファン"]
excerpt: "W杯を現地観戦した女性インフルエンサーへの誹謗中傷の話から。本人が昔からのサッカーファンだと説明するのは自然だが、本当はニワカでも現地に行っていい。観戦にファン資格試験はいらないのではないか。"
canonical: "https://ishinao.net/honmono-no-fan-shoumei-wo-motomeru-hitotachi"
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[集英社オンライン: 「パパ活？」「サッカー興味ないだろ」W杯現地観戦の女性インフルエンサーへの誹謗中傷に本人が反論「４年前からお金をためて夢を叶えた」](https://shueisha.online/articles/-/257921)

W杯を現地観戦した女性インフルエンサーに対して、「パパ活？」「サッカー興味ないだろ」といった誹謗中傷があったという記事を見た。

本人は、昔からサッカーが好きで、4年前からお金をためて夢を叶えたのだと説明している。これは当然の反論だと思う。自分の好きなものを疑われ、金の出所まで勝手に下品に想像されたら、そりゃ腹も立つ。

ただ、同時に思う。

本当は、そこまで証明しなくてもよいはずだ。

「わたしは昔からのサッカーファンです」と言ってもいい。もちろんいい。だが、「わたしはニワカだけど、W杯で盛り上がっているから現地に来ました」でも、別に何も問題ないはずである。

W杯は、コアなサッカーファンだけの集会ではない。普段はJリーグを見ない人も、海外リーグを追っていない人も、ルールを細かく知らない人も、急に代表戦だけ見て盛り上がる。そういう人たちまで巻き込むから、W杯はW杯なのだと思う。

四年に一度、世界中でにわかサッカーファンが大量発生する。これは欠陥ではなく、イベントの力である。祭りに来た人へ「お前は普段からこの神社に参拝しているのか」と詰める人がいたら、だいぶ面倒くさい。

もちろん、ファン歴の長い人には長い人なりの思い入れがある。積み重ねた観戦歴、応援してきたクラブ、悔しかった試合、好きな選手。そういうものは大切だ。

しかし、通行証ではない。

趣味の世界では、ときどき「本物のファン証明」を求める人が出てくる。いつから好きなのか。どの試合を見たのか。誰を知っているのか。ルールを分かっているのか。どれくらいお金を使ったのか。そういう質問で、相手がこちら側の人間かどうかを判定しようとする。

それが単なる雑談ならまだいい。しかし、相手を見下したり、追い出したり、資格がないと責めたりする方向に行くと、急にいやなものになる。

今回の件では、さらに性別の偏見が乗っている。若い女性が現地観戦して、自分の写真を投稿している。すると、サッカーが好きなのではなく目立ちたいだけだろう、金は男が出したのだろう、という妄想が飛んでくる。

これはファン資格の審査というより、かなり性別に由来した偏見による宗教裁判に近い。サッカーの場にいてよい女性かどうかを、勝手に値踏みしている。

そもそも、現地観戦に必要なのはチケットと移動手段と時間であって、古参ファン証明書ではない。ルールを全部知らなくてもいい。選手を全員知らなくてもいい。初めてでもいい。盛り上がっているから行ってみたい、でもいい。

むしろ、そういう入口を許さない趣味は廃れる。新しく来た人に対して、まず試験を受けさせるジャンルはだいたい空気が悪くなる。詳しい人が偉いのではない。詳しい人が門番になるのはただただうざい

「本当に好きなの？」と疑う前に、「楽しかった？」でいいだろう。

もしそこで「楽しかった。よく分からなかったけどすごかった」と言われたら、それで十分ではないか。そこから次の試合を見るかもしれない。クラブチームに興味を持つかもしれない。あるいは、その一回だけの思い出で終わるかもしれない。それでも何も悪くない。

趣味やスポーツイベントは、本来そのくらい雑に開いていてよいものだと思う。

本人がちゃんとサッカーファンであることを説明するのは、もちろん尊重されるべきだ。努力してお金をため、夢を叶えた話は、普通にいい話である。

しかし、その反論が必要になってしまう状況自体がおかしい。

ニワカでもW杯に行っていい。昔から好きでも、昨日から好きでもいい。現地で見たいと思い、行ける条件がそろった人が行く。それだけの話である。

本物のファン証明を求める人たちは、たぶん自分の好きなものを守っているつもりなのだろう。だが、守っているのはたぶんサッカーではない。
