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title: "おつりは引き算だけではない"
slug: "otsuri-wa-hikizan-dake-dewa-nai"
publishedAt: "2026-06-22T09:44:48.711Z"
updatedAt: "2026-06-22T09:44:48.945Z"
tags: ["essay","算数","おつり","キャッシュレス","産経","X"]
excerpt: "産経記事の「おつり問題が消えるかもしれない」という話から。キャッシュレスで経験が減るならなおさら、おつりは引き算だけでなく貨幣の単位と支払い意図の問題として教えたほうがいい。"
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https://x.com/i/status/2068471410729812168


https://x.com/i/status/2066868408503939136

[産経ニュース: 「おつりはいくら？」が死語になる日　算数の定番が消える令和問題](https://www.sankei.com/article/20260621-3DZYUNNG35L3NC6CMEKEGIOKLA/)

最近のキャッシュレス化の影響で「おつりはいくら？」という算数の定番問題が、近い将来消えてしまうかもしれない、という記事を見た。

記事によると、根拠は「ある参考書監修者の伝だ」とのことだった。いまいち根拠が薄い伝聞だ。その割には「算数の定番が消える令和問題」というキャッチーなタイトルで扱っていて、新聞の割にはSNS並に浅い。

それはともかく最初に思ったのは、いや、それこそ学校で教えるべきなのでは？、ということだった。

子どもが現金を使う機会は減っているのかもしれない。おつりを実際に受け取る経験も、昔より少ないのだろう。ただ、だから概念として扱わなくていい、とはならない。フルキャッシュレスにならない限り、おつりは社会に残る。むしろ経験が減るなら、学校で教える意味は増す。

算数の文章題は、現実をそのまま再現するためのものではない。距離と速さと時間の問題だって、現実には信号も坂も混雑もあるのに、だいたい等速でまっすぐ進む。現実にはそんなきれいな徒歩も車もあまりない。それでも、概念を扱うための形式として出てくる。

だから「キャッシュレスでおつりが減ったから、おつり問題は不要」という言い方は、かなり雑に見える。

ただ、少し考えると、昔ながらのおつり問題が設問として窮屈なのはたしかだ。

たとえば「1000円で800円のものを買いました。おつりはいくらですか」という問題は、支払う側が商品の値段より大きい、きりのよい高額貨幣を出すことが前提になる。設問を作る側としても、使える数字がかなり限られる。自由に数字を置くと、急に不自然な買い物になる。

キャッシュレス決済なら、そもそもぴったりの金額がデジタルデータとして支払われる。1135円の商品に対して、1000円札と100円玉と10円玉と5円玉をどう組み合わせるか、という悩みは出てこない。

この意味で、おつり問題は単なる引き算ではない。貨幣の単位に依存した問題でもある。

そして、そこがむしろ面白いところでもある。

たとえば1135円の支払いに1535円を出して、400円のおつりをもらおうとする人は今後もいるだろう。1000円札、500円玉、10円玉3枚、5円玉1枚を出して、100円玉4枚を受け取る。これは引き算だけではなく、貨幣の単位と、支払う人の意図を読む話でもある。

もちろん、全員がこれをやる必要はない。セルフレジなら機械が処理するし、電子マネーなら最初から関係ない。小学生に「こういう支払いができると人生が豊かになります」と言うほどの話でもない。

でも、「おつり」という概念が分からなくなってきているから消す、というのは順番が逆だと思う。分からなくなってきているなら、なおさら教える。古い例題が現実に合わなくなっているなら、例題を作り直す。

「1000円で800円のものを買いました」だけがおつり問題ではない。差額を計算する話でもあり、貨幣の単位を扱う話でもあり、ときどき相手の支払い意図を読む話でもある。

おつり問題は、消すよりもっと現代化したほうがいいのでは？
