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title: "SNS禁止より情報の免疫をつけたい"
slug: "sns-kinshi-yori-joho-no-meneki-wo-tsuketai"
publishedAt: "2026-06-19T19:27:53.343Z"
updatedAt: "2026-06-19T19:27:53.254Z"
tags: ["essay","SNS","情報環境","子ども","メディアリテラシー","アルゴリズム"]
excerpt: "子どものSNS利用制限は各国で進んでいる。その流れの中で英国も16歳未満のSNS禁止方針を具体化した。禁止の是非はさておき、子どもがアルゴリズムに偏った情報を浴び続ける怖さはある。必要なのはSNS禁止だけではなく、情報の免疫なのだと思う。"
canonical: "https://ishinao.net/sns-kinshi-yori-joho-no-meneki-wo-tsuketai"
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子どものSNS利用を年齢で区切って制限しよう、という流れは、もう各国で前から出ている。

その流れの中で、英国政府も16歳未満のSNS利用を禁止する方針を具体化したらしい。[GOV.UKの発表](https://www.gov.uk/government/news/social-media-to-be-banned-for-under-16s-in-landmark-government-move-to-givekids-their-childhood-back)では、オーストラリア型のモデルを使い、Snapchat、TikTok、YouTube、Instagram、Facebook、Xなどを対象にする想定だという。[よろず〜ニュースの記事](https://yorozoonews.jp/article/16653691)では、見知らぬ人と交流できるオンラインゲームやライブ配信サービスも規制対象に含まれると紹介されていた。

かなり強い。

SNS禁止。

雑に強い。

実効性があるのか、抜け道だらけになるのではないか、子どものコミュニケーションや学習機会まで切ってしまうのではないか、年齢確認のために別のプライバシー問題が出るのではないか。考えることはいくらでもある。

ただ、それでも「子どもにSNSアルゴリズムを浴びせ続けるのは危ない」という問題意識自体は、かなり分かる。

以前、[テレビではなく情報の日光浴が足りない](https://ishinao.net/terebi-dewa-naku-joho-no-nikkoyoku-ga-tarinai)という文章を書いた。テレビを見ろという話ではなく、XやYouTubeやTikTokのようなパーソナライズされた情報空間にずっといると、自分が選んだ情報、自分が反応しやすい情報ばかりを浴びることになる、という話だ。

これは大人でも危ない。

怒りやすい話。怖くなる話。誰かをバカにできる話。自分が正しいと思える話。自分の不安を補強する話。そういうものをアルゴリズムは見つけてくる。なかなか気が利く。気が利きすぎる。

その人が何に反応するかを見て、さらに似たものを出す。見たらまた出す。少し強いものを出す。もっと強いものを出す。

気づいたら、自分の部屋の壁一面に、同じ系統のポスターが貼られている。それを眺めながら毎日生活することになる。

怖い。

それを子どもの頃から浴び続けるのは、かなり危ない。

子どもの頃は、まだ世界の形が固まっていない。どの情報がよくある話で、どの情報が極端な話なのか。どの人がまともなことを言っていて、どの人が目立つために強いことを言っているのか。どこまでが意見で、どこからが事実なのか。

そのあたりの区別がまだ育っていないところに、反応が良い情報だけを大量に流し込む。

かなり洗脳に近い。

いまのところ、それは特定の誰かが子どもを洗脳しようとしているというより、滞在時間を伸ばすための仕組みが結果としてそう見えている、という話なのだと思う。思想ではなく、最適化の副作用である。副作用にしてはだいぶ強いが。

ただ、そういう仕組みがあるなら、そのうち意識的に悪用する人たちも当然出てくる。政治でも、商売でも、詐欺でも、カルトっぽいものでも、使えるものは使われる。人間はそういうところは無駄に勤勉である。

洗脳という言葉は少し強いかもしれない。でも、少なくとも「自分で選んでいるように見えて、実は選ばされている情報環境」ではある。

だから、英国のように一気に禁止したくなる気持ちは分かる。

分かるのだが、禁止で済むなら苦労しない。

子どもは抜け道を探す。親の端末を使う。年齢を偽る。別サービスに移る。規制の弱い場所に逃げる。インターネットは、だいたいそういうことが起きる。

しかもSNSには、友人関係や学習機会や趣味のコミュニティもある。全部が悪いわけではない。むしろ、子どもによっては学校や家庭よりも大事な居場所になっている場合もあるだろう。

だから、本丸はたぶん禁止そのものではない。

偏った情報を大量に浴びたときに、「これは偏っているかもしれない」と思える力を身につけることだと思う。

この人はなぜこれを言っているのか。

これは事実なのか、意見なのか。

反対側の意見は何か。

数字はどこから来たのか。

怒りたくなるように作られていないか。

自分が気持ちよくなるから信じているだけではないか。

そういう、かなり面倒くさい確認作業を、少しずつ習慣にする。

情報の免疫みたいなものだ。

もちろん、免疫があっても風邪はひく。メディアリテラシーがあっても普通にデマを踏む。大人だって毎日踏んでいる。わたしもたぶん踏んでいる。踏んでいない顔をして、靴の裏についたものをそっとこすり落としながら生きている。

でも、免疫がまったくないよりはマシだ。

SNS禁止は、ひとまず危ないものから遠ざける対応としては分かる。包丁を幼児の手の届かないところに置くようなものだ。

ただ、いつまでも包丁を見せないまま大人にするわけにもいかない。

どこかで、これはよく切れる。便利。でも雑に持つと危ない。人に向けるな。使ったら洗え。そういうことを教えなければならない。

SNSもたぶんそれに近い。

危ない。便利。楽しい。人を傷つける。自分も傷つく。たまに人生を救う。たまに人生を壊す。

面倒くさい道具である。

16歳未満のSNS禁止が本当にうまくいくのかは分からない。多分、かなり難しい。

でも、子どもをアルゴリズムの前に丸腰で置いておくのも、かなり怖い。

問題は、画面時間だけではない。

何を見ているか。なぜそれが表示されているか。それをどう信じるか。そこまで含めた話なのだと思う。

SNS禁止より、情報の免疫をつけたい。

ただし、今のところいい方法論は見つかってなさそう。

今現在、子どもだけでなく大人もSNSにやられっぱなしのように見えるし。

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