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title: "それは社会正義や常識ではなく、あなたの不便では"
slug: "sore-wa-shakai-seigi-dewa-naku-anata-no-fuben-dewa"
publishedAt: "2026-06-17T11:14:57.488Z"
updatedAt: "2026-06-17T11:15:53.921Z"
tags: ["essay","SNS","グルメ投稿","Togetter"]
excerpt: "美味しそうなグルメ投稿に店名が書かれていないことへの指摘を見た。店名がないと不便なのは分かる。でも、その不便を社会正義や常識やマナーっぽい言葉に変換して人を責める感じには少し引っかかる。グルメ投稿は公共情報サービスではなく、まずはその人の感想なのではないか。"
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https://x.com/i/status/2066367035739869455

[Togetterまとめ: 美味しそうなグルメ投稿に「店名を書かないのはなんで？」と指摘したことに賛否→店主まで反応し「店名を書く派・書かない派」の考え方の違いが見えてきた](https://togetter.com/li/2710018)

美味しそうなグルメ投稿に店名が書かれていないことについて、「店名を書かないのはなんで？」という反応があり、そこから店名を書く派、書かない派の話になっていた。

これ、少し分かる。

美味しそうな店の写真が流れてくる。料理の説明もある。場所もなんとなく分かる。なのに店名がない。

気になる。

それはどこなのか。私も食べたい。今すぐではなくても、いつか行く店リストに入れておきたい。Googleマップに星をつけたい。脳内の「行きたい店」フォルダに雑に放り込みたい。

だから、店名が書かれていないと不便だ。

そこまでは分かる。

でも、そこで「店名を書かないのはなんで？」と責めるような空気になると、少し引っかかる。

その人は、グルメ情報サービスを運営しているわけではない。

ただ、自分が食べたものについて、美味しかったと書いているだけだ。

それを見た側が不便に感じるのは分かる。店名を書いてくれたら助かる。私も助かる。かなり助かる。

ただ、それは「私は不便です」という話であって、「あなたは店名を書くべきです」という話とは少し距離がある。

この距離を雑に詰める人が、SNSにはわりといる気がする。

俺が不愉快である。

俺が不便である。

俺が見たい情報が足りない。

そこまでは個人の感想だ。

でも、それをそのまま言うと少し弱い。だから、いつの間にか社会正義や常識やマナーっぽい言い方に変わる。

店にとって失礼ではないか。

情報を出さないのはマナー違反ではないか。

みんなが知りたいのだから書くべきではないか。

いや、そうなのか。

店名を書いたほうが親切なのは分かる。店側としても紹介されたほうがありがたい場合は多いだろう。気に入った店を応援したいなら、店名を書くのはかなり自然な行動だと思う。

一方で、店名を書きたくない人の気持ちも分かる。

混んでほしくない。

常連っぽい場所を大きく広めたくない。

予約が取りにくくなるのが嫌だ。

そもそも自分の感想を書いただけで、他人のための情報提供をしたつもりはない。

このへんも普通にあるだろう。

あと、単に面倒くさいというのもある。

店名を書く。住所を書く。営業時間を書く。予約可否を書く。メニューを書く。支払い方法を書く。席数を書く。子連れ可か書く。喫煙可か書く。トイレの場所を書く。

そこまで行くと、もう個人のグルメ投稿ではなく、食べログの下請けである。

人はそこまで背負わなくていい。

もちろん、「どこのお店ですか？」と聞くのは別にいい。

聞かれた側も、答えたければ答えればいい。答えたくなければ答えなくてもいい。

問題は、その質問が「自分が知りたい」ではなく、「あなたは書くべきだった」という方向へ変形していくところだ。

「店名も知りたいです」なら分かる。

「店名を書かないのはなんで？」になると、少し詰問っぽくなる。

さらにそこへ、店への敬意とか、情報共有のマナーとか、SNSの公共性とかが乗ってくると、だいぶ話が大きくなる。

いや、あなたが簡単に店名を知りたいだけでは。

もちろん、これはこれで雑なグルーピングである。

店名を書いてほしい派にもいろいろいる。単純に知りたい人もいる。店を応援するなら書いたほうがいいと思っている人もいる。写真だけで店を特定されるくらいなら最初から書けばいいのに、という人もいる。

それぞれ一理ある。

ただ、やはり個人の投稿に対して、他人が欲しい形式を強く求めすぎるのは、少し怖い。

SNSは公共の場ではある。だが、公共インフラではない。

誰かのグルメ投稿は、駅の案内板ではない。役所の広報でもない。観光協会のパンフレットでもない。

ただの「うまかった」である。

そこに便利さを求めるのは自由だ。

でも、便利ではなかったからといって、怒るほどのことなのか。

私はここで少し立ち止まる。

インターネットには、こういう小さな変換がたくさんある。

私が見づらい。

私が不便。

私が不愉快。

それがいつの間にか、マナーが悪い、社会的に問題がある、配慮が足りない、みたいな言葉に置き換わる。

そのほうが強いからだ。

でも、強い言葉を使うと、話はすぐ面倒になる。

「私は店名が知りたい」なら、かなり平和だ。

「なぜ店名を書かないのか」になると、少し角が立つ。

「店名を書かない投稿はどうなのか」になると、急に会議が始まる。

会議はだいたい長い。

グルメ投稿を見ていたはずなのに、気がついたらインターネット公共性検討委員会に出席している。

困る。

私はステーキの話をしていたかった。

店名を書くのは親切だ。

書かないのも自由だ。

知りたければ聞けばいい。

答えてもらえなかったら、まあそういうこともある。

それくらいでいいのではないか。

ところで、五反田でLボーンステーキと三右衛門豚と書かれていたら、かなり探せそうではある。

それはそれで、店名を書いていない意味とは。

いや、そこを考え始めると、また会議が始まる。

今日は解散でお願いします。

私はステーキの話をしていたかっただけなので。

ところで千駄ヶ谷にステーキが美味しい店があってさー。
