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title: "善意のキャベツ"
slug: "zeni-no-kyabetsu"
publishedAt: "2026-07-10T15:07:30.741Z"
updatedAt: "2026-07-10T15:07:31.110Z"
tags: ["essay","動物","馬","SNS","Togetter"]
excerpt: "静岡大学馬術部の、馬の近くにキャベツと人参を置いていった人への注意喚起を見かけた。動物に食べ物をあげるのは良いこと、という雑な善意は、相手が管理している命に勝手に触る行為になる。善意はだいたい善意だが、勝手に置かれたキャベツは、もう善意ではなく管理外のリスクである。"
canonical: "https://ishinao.net/zeni-no-kyabetsu"
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https://x.com/i/status/2074664618346357041

[Togetter: 静岡大学馬術部、馬の近くに「キャベツと人参」を置いていった人に対し「キャベツは馬が食ったら最悪死にます」「本当にやめてください」と強く注意喚起](https://togetter.com/li/2718317)

静岡大学馬術部の、馬の近くにキャベツと人参を置いていった人への注意喚起を見かけた。

キャベツは馬が食べると疝痛になることがあり、最悪死ぬこともあるので本当にやめてください、という内容だった。馬にキャベツがよくないという話は、乗馬クラブなどの注意喚起でも見かける。アブラナ科の野菜はガスが発生しやすく、疝痛の原因になりうるらしい。

馬、草食動物じゃん。キャベツ、野菜じゃん。人参もあるし、なんか健康的じゃん。

という雑な連想は、まあ分からなくはない。分からなくはないが、その分からなくはない感じが怖い。人間にとって食べ物であり、なんとなく体によさそうであり、動物が食べたら喜びそうに見える。そういうふわっとした善意だけで、他人が管理している動物の近くに食べ物を置いていく。

これ、置いていっただけなのだろうか。もしかすると、一部は直接あげていったりしていないのだろうか。そこは分からない。ただ、置いていくだけでも十分に困る。管理している側からすれば、誰が置いたか分からない食べ物が、馬の近くにある。食べたかもしれない。食べていないかもしれない。量も分からない。混入物も分からない。善意かどうかより先に、リスクである。

動物に食べ物をあげるのは良いこと、みたいな感覚を持っている人はいまだに生き残っていそうで怖い。公園の鳩にパンをまく。池の鯉にスナック菓子を投げる。動物園の動物に勝手に何かを食べさせる。本人の中では、やさしい自分、かわいい動物、ほのぼのした交流、みたいな映像が流れているのかもしれない。

しかし、現実には、動物にはそれぞれ食べていいものと悪いものがある。健康状態もある。食事量の管理もある。病気の治療中かもしれない。アレルギー的なものがあるかもしれない。あるいは単純に、知らない人が持ってきたものを食べさせる運用はできない。

人間相手で考えると分かりやすい。知らない人が保育園の前に「子どもたちへ」と手作りおにぎりを置いていったらどうか。善意です。お腹が空いているかもしれないと思って。無農薬のお米です。梅干しも入っています。

いや、怖い。食べさせるわけがない。善意かどうかを審査する前に、まず怖い。

動物だと、そこが急にゆるくなる人がいるのだろう。人間には勝手に食べ物を渡さない。でも動物ならいいと思ってしまう。動物はかわいい。動物は素直。動物は自分の善意を受け取ってくれる。そんな感じで動物をだいぶ下に見ている気がする。

善意はだいたい善意なのだと思う。悪意でキャベツを置いていったわけではなさそう。

ただ、善意なら何でも許されるわけではない。特に、他人が管理している命に勝手に触れる場合、善意はかなり簡単に危険物になる。善意のキャベツ。字面はちょっとかわいいが、管理する側からするとまったくかわいくない。

動物に何かをあげたいなら、管理している人に聞く。聞けないなら、あげない。

それだけの話なのだけど、それだけの話を突破してくる善意が、たまにある。善意なので、自分ではブレーキを踏まない。そこが一番怖い。
