趣味としての料理と、家事としての料理
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無水カレーを作って食べるの楽しみにしてたら、家族が勝手に水とルー追加してた
「無水カレーを作って食べるのを楽しみにしていたら、家族が勝手に水とルーを足していた」という投稿を見た。わたしの近辺では、誰かが作りかけの料理を勝手に変更する人を見たことがない。無水カレーに水を足すのは、料理の種類を変える規模の変更なのに、何を思ったらそうなるのだろう。
本人は返信で「一応伝えといた」とも書いている。無水カレーだと知らず、水分の少ない失敗作だと思った、という単純な行き違いでもなさそうだ。
最初に思ったのは、これって料理だけの問題ではなく、そういう行動パターンの人がいるのでは? ということだった。料理以外でも、誰かのやりかけのものを確認せずに直したり、続きを決めたりするタイプの人がいるのでは?
Togetterの反応を見ていると、似た経験は意外に多かった。氷出しのお茶を説明しても毎回捨てられた。漬け込み中の唐揚げを揚げられた。食べ比べるつもりで別々に買ったおでんを一皿にまとめられた。どれも、本人は片づけたり続きをやったりしただけのつもりだった感じの例が多い。投稿者たちからも、家族を「おかしな人」として強く嫌っている感じはあまりしなかった。
そこで想像したのが「趣味としての料理」という概念がない人、主に家事をメインでしてきた母親だ。料理は家族に食べさせるために毎日やらなければならない家事であって、楽しみで作るものではない。本人が何十年もそう扱ってきたなら、子どもがカレーを作っていても、「好きで試している料理」ではなく「今夜の家事をやっている」としか見えないのかもしれない。
そういう人からすると、鍋の中のカレーは誰かの作りかけの作品ではなく、途中で止まっている家事である。見慣れたカレーより水分が少なければ、水とルーを足して続きをやる。本人には他人の料理を改変した感覚はなく、家事の続きをやったつもりなだけ、ということはありそうだ。
一方、作っていた側にとって、その日の料理は単なる家事ではない。無水カレーを作って食べるところまでが楽しみであり、家事であると同時に、趣味としての料理だった。そこへ水とルーを足されたら、完成を手伝われたのではなく、やりたかったことを別のものに変えられたことになる。絵の途中に勝手に描き足されるのと同じだ、という反応もあった。そっちはもろに趣味の話だ。
同じ鍋を見て、一方は終わらせるべき家事と思い、もう一方は完成を楽しみにしている趣味だと思っている。この取り違えなら、なぜそんな行動に出たのか分かる気がする。
無水カレーだと伝えてあったのに水を足したというのも、「無水カレー」というものをあまり知らず、「ああカレー作ってるのね」程度にしか受け取らなかったのではないか。どういうコミュニケーションだったのか分からないが、もしも突然「無水カレー作ってるから」と言われたとして、どれだけの人が無水カレーの作り方を思い浮かべられるだろうか。聞き慣れない「◯◯カレー」の一種、としか受け取らない人も多いのではないか。
その人が料理以外でも同じことをするのかは、やはり気になる。掃除のやりかけとかだったら普通に続きをやって終わらせてしまいそうだ。そしてその場合でも、ちょっと変わった掃除道具や洗剤などを使って、わざと時間を置いてから続きをやろうとした場合などは、同じようなことが起きそうではある。せっかく水垢がよく取れる洗剤をつけて時間を置いておいたのに、十分染み込む前に洗い流されちゃった、みたいな。