本体は使う人が決める

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赤ちゃん用のおもちゃについているタグが、実は赤ちゃんにとっては本体だった、という話を見た。

大人からすると、タグは邪魔である。ぬいぐるみや布のおもちゃに、白いタグがぴろっと付いている。見た目としても少し気になる。赤ちゃん用なのに、なんでこんな目立つところにタグが付いているのか。切ってしまったほうがいいのではないか。そう思うのは自然だ。

しかし赤ちゃんは、どうやらそのタグを好きだったりするらしい。つまむ。しゃぶる。噛む。引っ張る。大人が付属物だと思っていたものが、当事者にとってはメインコンテンツになる。

本体とは何か。

大人はぬいぐるみを見ている。赤ちゃんはタグを見ている。大人はキャラクターや布の質感を見ている。赤ちゃんは端っこや縫い目やカシャカシャ音を見ている。いや、見ているというより、口で読んでいる。赤ちゃんは世界を口で読む。だから、大人が「そこじゃない」と思うところが、赤ちゃんにとってはむしろ本体になる。

こういう想定外使用は、赤ちゃんに限らない。

傘は雨を防ぐ道具だ。でも高齢者が杖代わりに使うことがある。傘の本体は布部分のはずなのに、ある人にとっては柄と先端が重要になる。雨が降っていなくても傘を持つ意味がある。設計者が「これは雨具です」と言っても、使う人の身体が「これは支えです」と決める。

レジ袋もそうだ。買い物袋として受け取ったものが、家ではゴミ袋になる。段ボール箱は梱包材として届くが、子どもには家になり、ロボットになり、秘密基地になる。テーブルの下は大人にはただの空間だが、子どもには部屋になる。大人が家具を買ったつもりでも、子どもは床下物件を見つけている。

スマホは逆方向に面白い。スマホはもともと電話である。名前にも phone と入っている。にもかかわらず、今のわれわれはスマホを電話として持っている感じがあまりない。地図、カメラ、財布、SNS、動画再生機、メモ帳、目覚まし、認証デバイス。便利機能が増えすぎて、電話機能が奥のほうに埋もれている。iPhoneのPhone部分は、名前に残った化石みたいになっている。

犬用のおもちゃもだいぶそうだ。

人間は引っ張りっこのロープを買ったつもりでいる。犬は投げろと言う。人間は噛むおもちゃを買ったつもりでいる。犬は枕にする。人間は知育玩具を買ったつもりでいる。犬は破壊する。設計者の想定、人間の想定、犬の判断がそれぞれ別に存在していて、最終的な決定権はだいたい犬にある。なぜなら遊ぶのは犬だからだ。

子どもがブランケットに執着するのも、少し近いが少し違う。あれは用途というより意味の話かもしれない。親から見れば布だが、本人から見れば安心装置である。移動式の家であり、匂い付きセーブポイントであり、感情の外付けストレージである。

小さい子が服の袖を噛んだり、指をしゃぶったりするのも、同じ棚に置けそうだ。大人にとって服の袖は着るものの一部で、指はものをつかむための身体の一部だ。でも小さい子にとっては、袖も指も口で確かめる対象になり、落ち着くための道具になる。身につけているものどころか、自分の身体までコンテンツ化している。

こうして並べると、ものの用途は作った人が決めているようで、実際には使う人が決めているのだと思う。

赤ちゃんはタグを本体にする。高齢者は傘を支えにする。子どもは段ボールを家にする。犬はロープを投げるものにする。われわれは電話を、ほとんど電話ではない何かとして使う。

本体は使う人が決める。

問題は、使う人がまだ言葉を話さない場合、その決定がだいたいよだれで示されることだ。

本体は使う人が決める