国防は苦手科目なので追試で、とはいかない
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最近、自衛隊をめぐる政治家の発言が燃えていた。報道によると、防衛省の子ども向け冊子をめぐる質疑の中で、自衛隊に行く子どもは経済的に厳しい子どもが多い、豊かな子どもは自衛隊にならない、という趣旨の発言が出たらしい。
まあ、燃える。
言いたかったことをできるだけ好意的に読めば、経済的に厳しい若者が、安定した職として自衛隊を選びやすい構造がある。その中で、子ども向けに自衛隊をきれいに広報することには慎重であるべきだ、くらいの話なのだと思う。
その問題意識自体は、分からなくはない。
学歴がなくても入りやすい。すぐにそこそこの収入になる。寮がある。食事がある。公務員として安定している。資格や訓練も得られる。そういう仕事は、経済的に余裕がない若者にとって、有力な選択肢になりやすい。自衛隊もその一つだろう。
ただ、そこで自衛隊だけを特別に取り出すと、話が少しややこしくなる。
行かなくて済むなら別の職業を選びたかった、という人は、自衛隊以外にもたくさんいるはずだ。
工場にもいるだろう。介護にもいるだろう。建設にも、飲食にも、警備にも、運送にも、営業にも、地方公務員にも、たぶんいる。
人間の職業選択は、そんなに純粋ではない。
夢。金。学歴。家庭。地域。体力。性格。求人。親の意見。たまたま近所にあった会社。友達が受けると言っていたから。高校の先生に勧められたから。なんとなく。
だいたい混ざっている。
だから、経済的事情で自衛隊を選ぶ人がいるとして、それは自衛隊固有の問題なのか、若者の職業選択全体の問題なのかを分けて考えたほうがいい。
もし後者なら、話は自衛隊広報だけでは終わらない。奨学金、学費、地方の雇用、職業訓練、住居、家族支援、若者の選択肢全体の話になる。
それなら議論としては普通にできる。
さらに言うと、お金がない若者が軍に吸い寄せられやすくなる構造をなくしたいなら、では軍をどうやって維持するのか、という話も避けられない。
若者全体を豊かにするのか。軍が小さくなることを許容するのか。あるいは全員にちょっとずつやってもらうようにするのか。
最後のやつは、名前を変えると普通に徴兵制である。
ところが、「豊かな子どもは自衛隊にならない」みたいな言い方をしてしまうと、どうしても別のものが漏れて見える。
若者の職業選択の話というより、「行かなくて済むなら自衛隊なんか行かないでしょ」という価値判断に聞こえてしまう。
もちろん、そういうつもりではなかった、と説明されるのだろう。実際、発言は撤回され、謝罪もされている。
ただ、うっかり出た言葉ほど、その人のものの見方が透けて見えたように受け取られがちだ。
軍事力への警戒や、反軍事のアンチテーゼを掲げること自体は、別に構わないと思う。軍事力は国家の暴力装置であり、放っておくと肥大化する可能性がある。そこに批判的な目を向ける人たちは必要だ。
ただ、本気で政権を取るつもりの政党なら、話は少し変わる。
政権を取ったら、自衛隊を運用しなければならない。災害派遣も、防空も、海上警備も、同盟も、周辺有事も、現実の制度として扱わなければならない。
そのときに、「自衛隊は本来、豊かな子なら行かない場所」みたいな価値観が漏れてくると、ああ、この人たちに軍の運営を任せて大丈夫なのかな、と思われる。
反軍事のアンチテーゼを掲げるなら、それはそれでいい。ただし、それは現実の一部をあえて強く批判する立場であって、政権担当能力とは別の話になる。
現実を無視した理想論なら、理想論として出せばいい。
現実的な政策論をやるなら、現実的な範囲で言葉を組み立てればいい。
その中間で、強い理想論を言いながら、現実論のふりをする。ここがたぶん、一番嫌われる。
「軍事力は必要だが、慎重に統制すべきだ」なら分かる。
「自衛隊は必要な公的職業だが、経済的事情でしか選べない若者が多いなら問題だ」も分かる。
でも、「豊かな子は自衛隊なんかにならない」みたいに聞こえる言い方をしておいて、「これは若者の経済格差の話です」と言われても、ちょっと無理がある。
本音が足を出している。
平和主義は大事だと思う。軍事力への警戒も大事だと思う。自衛隊広報が子ども向けにどう行われるべきか、という議論もあっていい。
でも、政権を取った瞬間に「自衛隊はちょっと苦手なので詳しい人に任せます」では困る。
国防は苦手科目なので後で追試お願いします、というわけにもいかない。
理想論を言うなら理想論として。
現実論を言うなら現実論として。
その切り替えが雑だと、また変なところから本音が出る。
そして隠しきれなかった本音は、だいたい燃えやすい。
火の用心。