「自分の頭で考える」だけではゴミクズである

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この投稿を見て、前にも、「自分の頭で考える」ことの功罪という記事を書いたことを思い出した。

あの記事では、自分の頭だけで結論を出すより、正しい情報を探したり、分からないものを分からないままにしたりするほうが大事なのではないか、と書いた。

今回はもう少しはっきり言いたい。

「自分の頭で考える教」は、本当に良くない。

人間の文明は、過去の人々が考えたことを受け継いで、その上に少しずつ積み上げてできている。言葉も数字も科学も法律も、ほとんど全部が誰かの受け売りである。

過去に何が考えられ、どこまで検討されてきたのかをほとんど知らないまま、そこらの誰かが自分の頭だけで思いついた結論など、基本的にはゴミクズだ。すでに問題点まで指摘された古い間違いを、本人だけが新発見だと思っていることもある。

それなのに「自分の頭で考えた」と言うと、どこかの受け売りでも洗脳でもない、立派な意見であるような雰囲気が出る。

いや、「自分の頭で考えた」は出典でも根拠でも品質保証でもない。

意見なんて基本的には受け売りでいい。問題は、誰から何を受け取り、他の知見と比べ、どこまで確かめたのかだ。その上で結論を出せばいい。

過去の叡智をどのくらいちゃんと踏まえたのかは定かではないのに、「自分で考えた」という一点だけで立派な意見の顔をしようとするのはおかしい。

いや、自分の頭だけで考えるんじゃない。できるだけ多くの他人の頭を借りるべきだ。自分の狭い知見になんてそんなに過剰な期待をするものではない。

主体性は万能の免罪符にはならない。

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