安土桃山時代の侍は安土桃山時代を知らない
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昔の超常現象番組で、イタコか誰かが討ち死にした侍を呼び出したらしい。
そこで呼び出された侍が「自分は安土桃山時代の者だ」という趣旨のことを言った。するとスタジオのゲストが「安土桃山時代の人は自分たちの時代のことを安土桃山時代って呼ぶんですか?」と突っ込んだ、という話が流れてきた。
いい。
こういうツッコミはいい。
言われると、そりゃそうだ、となる。安土桃山時代というのは後世の歴史区分であって、その時代に生きていた人が「やあ、私は安土桃山時代の者です」と名刺に書いていたわけではない。たぶん。
現代人で言えば、自分たちの時代を昭和、平成、令和と呼ぶことはある。そこは普通に言う。ただ、何百年か後の歴史学者がこのあたりをまとめて「IT発展期」とか「ネット移行期」とか「AI前夜期」と呼ぶようになったとして、今を生きている人間はそんな名前を知らない。
将来の口寄せで、令和のサラリーマンの霊が「私はAI前夜期の者です」と名乗り始めたら、だいぶ怪しい。せめて「なんかChatGPTとか出てきた頃です」くらいであってほしい。
だが、歴史用語としては便利なので、ついそれを当時の人も共有していたような気持ちになる。
縄文人は「縄文人」ではない。弥生人も「弥生人」ではない。鎌倉武士も、いまは鎌倉時代だからなあ、とはたぶん言っていない。言っていたらちょっと嫌だ。歴史に自覚的すぎる。
この手の話で思い出すのが、歴史系バカネタである。
たとえば「義経公ご幼少のみぎりのしゃれこうべ」みたいなやつ。言い回しが古風で、なんとなく由緒ありげなので、一瞬ふむふむと受け取りそうになる。
いや、受け取るな。
幼少のみぎりのしゃれこうべが残っていたら、その後の義経公は何で動いていたのか。予備の頭か。平家を討つ前に、すでに人体構造がかなり攻めている。弁慶もそりゃ困る。橋の上で刀を集めている場合ではない。
でも、こういうものは歴史っぽい言葉をまとうと、脳の一部が勝手に礼儀正しくなる。
源義経公。ご幼少のみぎり。しゃれこうべ。
全部の単語が、なんとなく博物館のガラスケースの中に置かれていそうな顔をしている。中身は完全におかしいのに、表面だけが古文書の顔をしている。
安土桃山時代の侍も同じである。
「安土桃山時代」という言葉自体には歴史の教科書的な安定感がある。だから、侍の口から出てきても一瞬流してしまう。だが、本当にその時代の人なら、その分類名を知っているはずがない。
もちろん、ここで反論はできる。
イタコが現代人にわかるように翻訳したのだ、と。
たしかに、恐山のイタコだって、九州出身の死者を呼んでも東北の言葉でしゃべりそうな気はする。実際の口寄せは、死者本人が口から音声を出すのではなく、イタコという媒体を通して語られるものだろう。そう考えると、そこには何らかの翻訳がある。
霊界語から東北弁へ。
戦国武士語から昭和のテレビ視聴者向け日本語へ。
なるほど。便利である。
しかし、その便利さを認めると、急に何でもありになる。
侍が「私は安土桃山時代の者です」と言っても、現代人向けの翻訳です、と言える。縄文人が「私は縄文時代にサステナブルな狩猟採集生活を営んでおりました」と言っても、現代人向けの翻訳です、と言える。平安貴族が「当時の都心部における文化資本の偏在が」と語り始めても、現代人向けの翻訳です、と言える。
強い。
強すぎる。
ここで問題になるのは、霊界の歴史認識である。
歴史の教科書は時代によって変わる。昔は鎌倉幕府といえば1192年だった。いい国作ろう鎌倉幕府である。ところが今は1185年説のほうが重く扱われることも多い。大和朝廷はヤマト政権と書かれることがある。聖徳太子も厩戸王と習うことがある。
では、鎌倉武士を呼び出したら、霊はどちらの教科書に準拠するのか。
「拙者、1192年に成立した鎌倉幕府に仕えし者にござる」なのか。
「いや、実質的には1185年成立と見るべきでござる」なのか。
霊界では学習指導要領の改訂通知が回覧されているのだろうか。
「各位。今後、鎌倉幕府成立年については1185年説にも配慮した発言を行うこと。なお、現世の受験生への混乱を避けるため、口寄せ時には相手の年代に応じて適切に調整すること」
霊界文部科学省。
ありそうで嫌だ。
もしそうだとすると、霊言や口寄せにはバージョン管理が必要になる。
この口寄せは昭和版の歴史教科書に準拠しています。この霊言は令和最新版です。この侍は旧課程です。この公家は新課程対応済みです。
ややこしい。
霊を呼び出す前に、まず依存パッケージを確認してほしい。
この話で避けて通れないのが、大川隆法の霊言である。
あれはもう、歴史上の人物や海外の政治家や思想家や宗教者が、ものすごい勢いで現代日本の言論空間に接続される。ナポレオンも孔子もイエスも、だいたい現代日本語で現代日本向けの話をする。すごい。霊界には同時通訳だけではなく、時事問題解説班までいるらしい。
もちろん信じている側からすれば、霊が現代人にわかるように語っているのだ、と説明できるのだろう。
しかし、その説明は便利すぎる。
本人が知るはずのない言葉を使っても翻訳。本人が関心を持つはずのない現代日本の政局を語っても翻訳。本人の思想と妙に違うことを言っても、霊界で理解が深まったのです、と言える。
無敵である。
そして無敵の理屈は、だいたい信用してはいけない。
霊言というのは、本人が何を言ったかではなく、語らせたいことを本人っぽい名前で語らせる仕組みだったのだろう。そう考えると、安土桃山時代の侍が安土桃山時代を自称する問題も、かなり似ている。
過去の人物そのものを呼び出しているのではなく、現代人が理解しやすいラベルを貼った人形をしゃべらせている。
安土桃山時代の侍。
義経公幼少のみぎりのしゃれこうべ。
令和最新版にアップデートされたナポレオンの霊。
みんな、本人というより、現代人の頭の中にある便利なラベルのかたまりである。
もちろん、これは超常現象番組だけの話ではない。
わたしたちは、過去の人に限らず、外国の人、地方の人、若者、老人、男、女、いろいろな相手に、自分が持っているラベルを貼ってしまう。そしてそのラベルを、相手も当然共有しているものとして扱う。
でも、そこで急に真面目な話にすると、この記事が社会派になってしまう。困る。こちらは霊界文部科学省の話をしているのである。
というわけで、結論としてはこうだ。
もし口寄せで昔の侍が出てきたら、まず名乗りに注意したほうがいい。
「安土桃山時代の者です」と言ったら、少し怪しい。
「拙者、旧課程では戦国時代後期、新課程では安土桃山時代相当の者にござる」と言ったら、もっと怪しい。
「1192年説にも1185年説にも配慮して発言いたします」と言い出したら、それはもう霊ではなく予備校講師である。
イタコも大変だ。
霊を呼ぶだけでは足りない。
時代考証と教科書改訂への対応まで求められる。
霊界もDXが必要である。
参考: Togetter / 恐山公式 夏季例大祭と秋季祭 / 下北ナビ 恐山のイタコ