どんぶりの底からこちらを見ないでほしい
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Togetterまとめ: 昔からプレイヤー本人に干渉してくるメタ的演出が苦手なんだけど、応用として食べ終わった時に感謝してくるラーメンどんぶりも怖い→同意する人とむしろ嬉しい人で意見が分かれる
ラーメンを食べ終わったら、どんぶりの底に「食べてくれてありがとう」みたいなメッセージが出てくる。
これが怖い、という話を見た。
私はたぶん怖くない。そういうのが出てきたら、ああ、なんか書いてあった、くらいに思うだけだ。店の人のちょっとした遊び心だね、と処理すると思う。
ただ、怖いという感覚も何となく分かる。
たぶん問題は、書いてある内容ではない。ありがとう、は別に怖い言葉ではない。普通はむしろ良い言葉だ。ラーメン屋に感謝されて怒る理由もあまりない。
でも、こちらはただラーメンを食べていただけなのだ。
食べている間、どんぶりは道具だった。器だった。ラーメンを入れるための物体だった。そこに人格はなかった。関係性もなかった。
それが食べ終わった瞬間に、底からこちらに話しかけてくる。
ここで少しメタレベルが変わる。
自分は食べる側で、どんぶりは食べられる料理を入れる側だった。こちらが一方的に使う物だった。それが急に、こちらを認識していたものという相対的な関係性に変わる。
急に関係が発生する。
それが苦手な人はいるのだと思う。
ゲームや映画でも、似たようなことがある。
ゲームの中のキャラクターが、急にプレイヤー本人に話しかけてくる。映画の最後に、関係者への感謝に続いて「and you」と出る。画面の向こう側の話だと思っていたものが、急にこちら側を指す。
そういうメタ演出を楽しいと感じる人もいる。自分も作品に参加している感じがする。作品側に見つけてもらえた感じがする。
一方で、嫌な人はかなり嫌なのだろう。
自分は外側にいるつもりだった。安心して見ているだけだった。なのに、急に内側のものがこちらへ来る。
怪談でもよくある。
誰かが怖い話をしている。こちらは聞いているだけだ。すると最後に、語り手が急にこちらを指して「それはお前だー!」と言う。大声を出す。急に距離を詰める。
話の中の出来事だったはずのものが、いきなり聞き手の現実に接続される。
あれが苦手な人はたぶん多い。単にびっくりするから嫌、というのもあるが、それだけではない。自分とは関係ない話を聞いているという前提を、最後に壊されるから嫌なのだと思う。
子供の頃にそういう脅かされ方をして、それが強く残っている人がこういうことを嫌がるのではないか? などという完全な憶測を提示しておく。
安心して見ていたものが、急に自分に向かってくる。遊びの中にいたはずなのに、急に自分が対象にされる。そういう経験がトラウマに近い形で残っていると、ラーメンどんぶりの「ありがとう」でも、少し身構えてしまうのかもしれない。
貞子もそうだ。
貞子が怖いのは、長い髪や白い服だけではない。テレビの中の存在が、テレビの外に出てくるところが怖い。
テレビの中は、本来こちらとは別のレイヤーにある。見ている側と、映っている側は分かれている。怖い映像を見ても、画面のこちら側にいれば安全だという前提がある。
貞子はそこを破る。
画面の向こうにいたものが、こちら側に来る。
それはかなり直接的なメタレベルの侵入だと思う。
ラーメンどんぶりの「ありがとう」は、もちろん貞子ではない。どんぶりはテレビから這い出てこない。たぶん。
でも構造としては、かなり弱めた同じ方向のものではある。
自分はただ食べていた。すると、食べ終わった底からこちらに話しかけてくる。こちらを認識していたことが分かる。関係が発生する。
嬉しい人は嬉しい。
ありがとうと言われたら嬉しい。お菓子の箱をたたんだときに「たたんでくれてありがとう」と書かれているのを見つけたらちょっと嬉しい。店や商品と少しだけ良い関係ができた気がする。そういう感覚も分かる。
でも、苦手な人は苦手だ。
ただ食べたかっただけなのに、急に関係者にされる。
ただゲームを遊んでいたかっただけなのに、急にプレイヤー本人として扱われる。
ただ怪談を聞いていたかっただけなのに、急に自分が話の中に入れられる。
この「急に」がたぶん大事なのだと思う。
最初から参加型だと分かっていれば、そこまで怖くない。参加型の演劇、謎解きゲーム、接客のやり取り、誕生日サプライズ。そういうものは、程度の差はあれ、こちらが巻き込まれる前提で始まっている。
でも、ラーメンどんぶりは違う。
こちらは食事をしていただけだ。どんぶりと関係を結ぶつもりはなかった。
そこで急に話しかけられると、脳が一瞬だけ処理に困る。
私はたぶん怖くない。
ただ、食べ終わったどんぶりの底から閉じられた2つの目が現れる。それがギョロリと目を見開く。わたしと目が合う。
見つけた!
そこまでいけば誰でも怖いか。