イヤミスみたいなエピソードトーク
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Togetterまとめ: 合唱コンクールの当日に、練習参加せずにいきなり来た男子…イントロの最中にフライングで歌い出して、そこから皆グズグズになり、優勝候補だったのに参加賞で終わった
合唱コンクールの当日だけ来た男子が、ピアノのイントロ中にフライングで歌い出してしまい、そこから全体が崩れて、優勝候補だったクラスが参加賞で終わった、という話を見た。
うわあ。
としか言いようがない。
この話、最初は普通に「ひどい話だな」と思う。練習に来ていないのに本番だけ来て、タイミングを知らずに歌い出して、全体を崩してしまった。真面目に練習していた人たちからすると、たまったものではない。
ただ、そのまま誰かを悪者にして終われる話なのかというと、それもよく分からない。
練習に来ていなかった理由は何なのか。学校に来られなかったのか。来たくなかったのか。クラスに居場所がなかったのか。本人が本番だけでも参加したかったのか。先生が参加させたのか。親が行けと言ったのか。誰かが「本番だけでも来なよ」と言ったのか。
そこは分からない。
分からないのだが、分からないまま、こちらの頭の中にはいろいろな筋書きが勝手に生まれてしまう。
本人に悪気がなかったのだとしたら、かなりつらい。
周囲が参加を断れなかったのだとしたら、それもつらい。
大人が「まあ本番だけでも参加するのは良いことだから」みたいに判断した結果だとしたら、かなり胃が重い。
逆に、練習してきた人たちの努力を守るために本番参加を断るべきだったのかというと、それもなかなかきつい。
「君は練習に来ていないから本番は出ないでください」
正しいような、でも重すぎるような、言わなかった結果が今回のような話なのだとしたら、じゃあどうすればよかったのか、という話になる。
口パクで参加させる?
端に立たせる?
当日朝に最小限の確認をする?
そもそも練習に来ていない人が本番だけ来る想定をしておく?
全部、後からなら言える。
そして厄介なのは、どの推論もそれほど確かにならないことだ。
どれもありそうではある。
でも、どれも決定打にはならない。
しかも、どれを採用してもあまりいい話にならない。
本人に事情があったのだとしたら嫌な話だ。
周囲が我慢した結果なのだとしたら嫌な話だ。
大人の判断ミスだったのだとしたら嫌な話だ。
練習した人たちの努力が一瞬で崩れた話として見ても嫌だ。
全方位的に嫌である。
これ、イヤミスみたいな感触がある。
イヤミスは、ミステリーとして真相が明らかになっても、読後感がすっきりしない。犯人が分かった。謎は解けた。でも気持ちは晴れない。むしろ、解けたからこそ嫌なものが残る。
このエピソードは、真相すら分からない。
分からないのに、嫌な感じだけは残る。
イヤミスならぬ、イヤエピソードトークである。略してイヤエピ。言葉としてはあまり流行らなそうだ。語感が弱い。
エピソードトークというものは、普通、何らかの形で落ちる。
ひどい人がいました。だから怒りました。
変なことが起きました。だから笑いました。
失敗しました。でも今となっては良い思い出です。
あのときは最悪だったけど、その後こうなりました。
だいたい話には、聞き手が置いて帰れる場所がある。怒り、笑い、教訓、成長、皮肉、あるいは「まあ人生いろいろあるよね」みたいな柔らかい箱。
でも、この話には置き場所がない。
怒り話にするには事情が分からない。
笑い話にするには、被害を受けた側の悔しさが重い。
教訓話にするには、情報が足りない。
いい話にするには、話の中に救いが少なすぎる。
ただ、何とも言えない。
そして、何とも言えないのに、頭から離れない。
たぶん話している人も、納得感のあるオチを持っていない。
「で、どうなったの?」と聞かれても、「参加賞だった」としか言えない。
「それでその男子は?」と聞かれても、分からない。
「先生は何か言ったの?」と聞かれても、分からない。
「じゃあ何の話なの?」と聞かれると、さらに困る。
何の話なのだろう。
たぶん、ふわっとみんな嫌な感じになる話なのだ。
こういう話は困る。
問題提起にもなりきらない。
不登校の話にできそうで、でもそれだけではない。集団参加の話にできそうで、でもそれだけでもない。責任の所在の話にできそうで、でもそれも少し違う。
ただ、巨大で曖昧な問題意識だけが残る。
ふと思った。
村上春樹なら、こういう話をどう扱うのだろう。
たぶん、誰かが誰かにその話をする。
「合唱コンクールでね」と彼女は言った。
「合唱コンクール」と僕は言った。
「練習に来ていなかった男子が、本番だけ来たの」
「それは良いことなのかな」
「分からない」
「分からないのに話しているの?」
「分からないから話しているの」
なるほど、と僕は思う。分からないから話す。分かっていることなら、ここで話し出さなかったのだろう。
「それで、その男子は何をしたの?」
「ピアノのイントロの途中で歌い出した」
「早かったんだ」
「早かった」
「どのくらい?」
「一拍くらい」
一拍、と僕は頭の中で繰り返す。一拍というのは短い。けれど、合唱を壊すには十分な間がある。
「それで全部崩れた」
「全部?」
「たぶん全部」
「たぶん?」
「だって私はその場にいたわけじゃないもの」
僕は黙った。そういう話はいつも、少しだけ遠いところからやってくる。遠いところから来るのに、なぜか靴の中に入った小石みたいに気になる。
「誰が悪かったんだろう」と僕は聞いた。
「それを聞きたいの?」
「聞きたいというより、聞かないと落ち着かない」
「本人かもしれないし、先生かもしれないし、クラスかもしれないし、誰も悪くないのかもしれない」
「それはずるい答えだね」
「でも、たぶん一番近い答えだと思う」
「一番近い答えなのに、何も解決しない」
「そういう答えってあるでしょう」
ある。かなりある。ありすぎる。
「優勝候補だったんだよね」と僕は言った。
「そう」
「それで参加賞」
「参加賞」
「参加したことは評価されたわけだ」
「そういう言い方をすると、かなり皮肉な感じになるね」
「もともと嫌な話だからね」
そこで会話は止まる。
怒ればいいのか、笑えばいいのか、教訓にすればいいのか、どこにもたどり着かない。
「つまり、何も分からないということだね」と僕は言った。
「そう。何も分からない」
「それなのに嫌な感じだけは残る」
「そこが厄介なんだと思う」
「まるで合唱の中で、ひとりだけ一拍早く歌い出したみたいに?」
「そう」
僕たちはしばらく黙った。
ただ一拍ぶんだけ、何かがずれた。
それは、もう戻らなかった。
戻らないのだが、今さら誰を責めてもあまり気持ちよくはない。
そういう話は、とても困る。
困るのだけど、なぜか少し文学っぽい顔をしている。
迷惑な話である。