おばちゃんは日常のトリックスター

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Togetterまとめ: 1ヶ月検診の帰り、バスで我が子が世紀のギャン泣き… 乗客のマダム2人が声をかけてくれて、本当に救われた

1ヶ月検診の帰り、バスで赤ちゃんが泣き出してしまい、母親が家まであと3駅と耐えていたら、乗客のマダム2人が立ち上がって声をかけてくれた、という話を見た。

普通にいい話である。

が、わたしが少し気になったのは、マダムがその場の空気を書き換えているところだ。

赤ちゃんが泣いている。親は申し訳なさで縮こまっている。周囲の人は、たぶん全員が怒っているわけではない。むしろ「大変そうだな」と思っている人も多いはずだ。でも、誰も何も言わない。すると、沈黙そのものが圧になる。

そこでマダムが入ってくる。赤ちゃんは泣くものよ、元気な証拠よ、と勝手に宣言する。車内で正式な採決があったわけではない。バス会社のアナウンスでもない。ただの乗客が、いきなりその場の解釈を決めにくる。

強い。

おばちゃん、あるいはマダムという存在は、日常の空気に対するトリックスターみたいなところがある。みんなが「今は黙っているべき」と沈黙が支配している場を破壊するように「大丈夫、大丈夫」とルールを書き換える。空気を読んでいないように見える行動により、結果としてはその場の空気を救う。

トリックスターというのは、神話や昔話に出てくる、秩序を乱し、そのせいで世界が少し動いてしまうような役回りのことだ。ちゃんとした説明をしようとすると面倒なので、ここではかなり雑に使っている。

日本の八百万の神様みたいな世界観でも、神様はいつも清潔で善良なだけの存在ではない。荒ぶる神もいるし、祟る神もいる。人間社会の秩序の外側からやってきて、場を乱す。迷惑な場合もある。ただ、ちゃんと扱うと、その場を守る側に回ったりもする。

バスのマダムを小さな荒ぶる神と呼ぶと、さすがに話が大きすぎる。大きすぎるのだが、少しだけ似ている気もする。人の世の空気をそのまま守るのではなく、一回壊す。その壊れ方によって、場が少し回復する。

昔のカミナリオヤジも、少し近い存在だったのかもしれない。怒鳴ることで場の空気をかき乱し、子どもたちのちょっと悪い行動で崩れかけた秩序を強制的に回復する。

普通の人がやると角が立つ介入を、「そういう人」として引き受ける存在。カミナリオヤジは秩序を締める方向に空気を壊す。マダムは、場をゆるめる方向に空気を壊す。日常の例外処理。

こういう役回りは、誰がやっても成立するわけではない。下手な人が下手にやると、ただの距離感のおかしい人になりかねない。何なら揉め事のタネにもなる。だから、多くの人は黙る。黙ったほうが安全だからだ。

その点、マダム的なポジション取りは強い。多少予定調和を無視しても、「まあ、そういう人いるよね」で通る。年齢や性別そのものというより、社会的に許されている雑さがある。これを現役世代が素のまま真似するのは、けっこう荷が重い。日本人の空気読み能力と正面衝突する。

本当は、誰かが困っているときに、誰でも気軽に声をかけられるほうがいいのだろう。赤ちゃんが泣くのはしょうがない。親が悪いわけではない。周囲も案外そこまで怒っていない。そう思っているなら、言えばいい。

でも、その「言えばいい」が難しい。

きれいごととしては簡単だが、実際のバスの中では、最初の一言を誰が言うかが一番重い。全員が空気を読んでいる場では、全員が少しずつ動けなくなる。そこで、空気を読んでいないふりをして、空気を壊してくれる人がいる。

日常には、たまに小さな荒ぶる神の出番がある。

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