ピントを外した写真はAIで救えるのか
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Togetterまとめ: 「ふざけんな」どうしても撮りたい構図があってリベンジの機会が巡ってきたと思ったらまさかのタイミングで...→「奇跡的な一枚」「お取込み中でしたか」
鳥の写真を撮ろうとして、構図もタイミングも立ち位置も完璧だったのに、手前の電線にピントを持っていかれた、という話を見た。
これはつらい。
しかも、ただ失敗しているだけではなく、完璧な構図でピントだけがズレているので、別の意味ではかなり奇跡的な写真になっている。撮りたかったものとは違うが、撮ろうと思ってもなかなか撮れないものが写っている。写真としての価値がないわけではない。むしろ別ジャンルのレア写真としてはだいぶ強い。
ただ、本人が撮りたかったのはたぶんそれではない。
手前の電線ではなく、奥の鳥にピントが合っていてほしかった。そこまで全部準備して、その瞬間を待って、カメラもそれができる性能だった。それなのに最後にピントだけ外れる。これはかなり悔しいと思う。
で、今となっては、こういう失敗写真もAIでかなり救えてしまいそうだ。
試しにChatGPTに「構図は変えずに、ピントを手前の電線から奥の鳥に変えて」と頼んだら、まあまあそれっぽい画像が出てきた。もちろん他人が撮った写真を勝手に加工したものなので載せない。載せないが、技術的にはそれっぽいことができてしまう。
ここで話が少しややこしくなる。
他人の写真をAIで加工して「こうすればよかったのに」と出すのは、かなり嫌な感じがある。著作権的にも、撮影者への敬意という意味でも、まあやらないほうがいい。
では、自分で撮った写真だったらどうか。
自分が撮った写真で、ピントが外れた。AIに頼んで、奥の鳥にピントが合っているように補正する。それは失敗写真の救済なのか。それとも、もう別の画像を生成しているのか。
従来の写真にも加工はあった。
トリミングする。露出を上げる。色を整える。肌を補正する。不要なものを消す。Photoshopでレタッチする。商業写真では、撮ったままの写真がそのまま使われることのほうがむしろ少ないのかもしれない。
だから、AIでピントを直すことだけを特別に邪悪なものとして扱うのも少し難しい。
ただし、ピントを直すというのは、露出や色を変えるのとは少し違う。ピントが合っていなかった部分には、本来その細部の情報がない。AIはそこに実在しなかった細部を作る。補正というより、生成にかなり近い。
その違いをどう扱うかは、写真を何だと思っているかによって変わりそうだ。
写真は記録である、という考え方がある。
その場にあった光、その場にいた被写体、その瞬間にカメラが受け取った情報。それをできるだけ正しく残す。報道写真や証拠写真は当然こちらだろうし、野鳥や鉄道やスポーツの撮影でも、一期一会の瞬間を捕まえることに価値を置く人は多いと思う。
この場合、AIでピントを直すのはかなり危うい。撮れていなかったものを、あとから撮れていたことにしているからだ。
一方で、写真は作品制作の素材である、という考え方もある。
現実の被写体や光を使って、最終的に自分のイメージに近い画像を作る。撮影はその最初の一歩であって、完成品はレタッチや合成や色調整を含めた結果である。商業写真の多くはこちらに近いと思う。
この場合、AI補正はただの道具になる。自分のイメージに近づけるための手段だ。
さらに、写真は思い出である、という考え方もある。
子供の顔が暗く写っていたら明るくしたい。旅行先の写真で邪魔な通行人を消したい。実際の光景より、自分の記憶に近い写真になってほしい。この場合、AI補正はむしろ自然に受け入れられるかもしれない。
そして、写真は機材遊びである、という考え方もある。
これはかなり大事だと思う。
カメラ、レンズ、AF、シャッターチャンス、連写、プロキャプチャー、撮影者の立ち位置。そういうものを組み合わせて、狙った瞬間を実際に撮る。そこにゲーム性がある。
この場合、AIであとから直すと、ゲームのルールが変わってしまう。
別に悪いわけではない。ただ、別の遊びになる。
最近のスマホ写真は、すでにかなりコンピュテーショナルフォトグラフィーになっている。HDR、夜景、顔補正、ボケ補正、不要物除去、ベストショット選択。撮った瞬間の画像というより、複数の情報を合成して、スマホが「たぶんこう見せるのがよい」と判断した画像が出てくる。
おそらく、この流れはスマホだけで終わらない。専用のカメラにも入ってくる。
将来的には、カメラが勝手に何パターンかの補正候補を出してくるのだろう。手前の電線にピントが合った写真。奥の鳥にピントを合わせ直した写真。鳥だけ少し明るくした写真。背景を少し整理した写真。撮影者は、その中から好きなものを選ぶ。
それは便利だ。
かなり便利だ。
しかし、そのとき写真撮影という行為は何になるのだろう。
シャッターを切った瞬間の勝負なのか。
それとも、現実から素材を集めて、あとから自分の欲しい画像を選ぶ作業なのか。
どちらが正しい、という話ではないと思う。
記録としての写真、作品としての写真、思い出としての写真、機材遊びとしての写真、商業素材としての写真。それぞれで許容される加工の範囲は違う。
だから、AI補正の話になると揉める。
同じ「写真」という言葉を使っていても、人によって見ているものが違う。
写真とは、現実の記録なのか。
それとも、現実を材料にした画像制作なのか。
カメラが勝手に失敗をなかったことにしてくれる時代になったら、その違いは今よりもはっきり見えるようになるのだと思う。
ピントを外した写真は、AIで救えるかもしれない。
ただし、救われるのは写真なのか、撮影者の未練なのか。
そこは少し考えてしまう。