最初のシャッターが大事な人たち

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https://togetter.com/li/2708294

高いカメラを買った。まだ一度もシャッターを切っていない。その最初のシャッターを、他人に「ちょっと貸して」と言われて勝手に切られた。それが許せない、という話が流れてきた。

Togetterを見ると、気持ちはわかる、という反応がけっこう多いらしい。

わたしは正直、全然わからなかった。

壊されたわけではない。汚されたわけでもない。雑に扱われて落とされた、ならわかる。レンズに指紋をベタベタつけられた、でもわかる。ストラップを持たずに片手でぶん回された、なら普通に怒る。

でも、普通にシャッターを一回切っただけなら、まあよくない?と思ってしまう。

よくないらしい。

世の中、難しい。

この話で面白いのは、元のポストを書いた人自身も「カメラの処女性を気にしてる感じになるからキモくて指摘できなかった」と書いているところだと思う。

たしかに、そういうふうに見えてしまう。

ただ、もう少し穏当に言い直すなら、これは「新品の最初の体験を自分でやりたかった」という話なのだろう。

新品のノートの一ページ目に、いきなり他人が適当な文字を書く。

買ったばかりのゲームを、最初のセーブデータだけ他人に作られる。

新車の最初の運転を、なぜか助手席にいた人が先にやる。

このへんになると、嫌な人がいるのは少しわかる。

少しはわかる。

でも、やっぱりわたしはたぶん「まあ消せるならいいか」「あとで自分でやればいいか」と思ってしまう側だ。物に宿る最初の一回への執着が、たぶん薄い。

そういえば、わたしは開封動画というものの価値観もあまりよくわかっていない。

中に何が入っているのか。どのように梱包されているのか。付属品は何か。そういう情報は気になる。そこは見たい。買う前に知りたいことはある。

でも、開封するさまには何も感じない。

もったいつけず、とっとと開けて中を見せろや、くらい思っている。

カッターで封を切る。箱を開ける。薄紙をめくる。おお、出てきました。

いや、知っている。出てくるだろう。箱なんだから。

もちろん、その「出てくる瞬間」に価値を感じる人がいるのだろう。新品の箱から、新品の物が、初めてこの世に姿を現す。その儀式感を楽しむ。わたしはその儀式感にあまり反応しない。

たぶん、今回のカメラの最初のシャッターの話も、この開封動画の感覚とつながっている。

新品の箱を開ける。

新品の物を取り出す。

新品のカメラで、最初のシャッターを切る。

その一連の流れが、ひとつの儀式になっている。

買った。箱を開けた。手に取った。最初に動かした。

その流れによって、ようやくその物が自分のものになる。

その途中で、他人が横から手を出してくる。

だから怒る。

そう考えると、わからないなりに構造は見えてくる。

わたしから見ると、カメラは写真を撮る道具だ。シャッターは消耗しないとは言わないが、一回切ったくらいで何かが大きく減るわけではない。だから「壊れてないならいいじゃん」と思う。

でも、その人にとってカメラは、まだ自分のものになりきっていない新品だった。最初のシャッターは、所有の儀式だった。そこを他人にやられた。

そういう話なのだろう。

たぶん。

では、なぜわたしはそこにあまり反応しないのか。

ひとつ思い当たるのは、若い頃にお金がなかったことだ。

わたしが若い頃、一番お金を使った対象はたぶん本だった。

ただし、その大半は古本だった。

新刊というものは、あまり買わなかった。買えなかった、と言ったほうが近いかもしれない。本は読みたい。でも新品を買うお金はない。だから古本屋で買う。ブックオフで買う。背表紙が少し焼けていても、ページに折れ目があっても、前の持ち主の気配が少し残っていても、読めればよかった。

要するに、自分にとって一番重要度が高いものが、中古で構成されていた。

ちゃんと読めること。

必要な情報や物語がそこにあること。

それさえ確保されていれば、それ以外はかなりどうでもよかった。

そういう生活をしていると、物に対する感性はかなり機能寄りになる。

新品か中古か。

最初に誰が触ったか。

最初に誰がページを開いたか。

最初に誰がシャッターを切ったか。

そういうことより、使えるかどうか、読めるかどうか、壊れていないかどうかのほうが大事になる。

もしかすると、わたしの感性はそのへんで育ったのかもしれない。

中古と新品に大きな違いを感じる人たちは、物の最初の一回にも大きな価値を感じるのではないか。

新品とは、まだ誰にも使われていないこと。

そして、その最初の使用を自分が行うこと。

そこまで含めて新品の価値なのだろう。

一方で、中古に慣れている人間にとって、物はすでに誰かが使ったあとにやってくる。最初の一回は、最初から存在しない。存在しないものを奪われることもない。

これはなかなか大きい気がする。

新品のカメラの最初のシャッターを奪われた怒りは、わたしにはまだ体感としてはよくわからない。

でも、それが単なる「処女性」みたいな話だけではなく、所有の儀式、新品の価値、最初の一回の権利、みたいなものの集合体なのだと考えると、少しだけわかる。

少しだけ。

それでも、やっぱりわたしはそこまで怒れない。

怒れないのだが、怒る人がいることは少しだけわかった気がする。

人間には、物の機能とは別に「最初の一回」を大事にする習性がある。

それは性能でも価格でも合理性でもなく、儀式の領域にある。

そして儀式の領域は、他人から見るとだいたい面倒くさい。

でも本人にとっては、かなり大事だったりする。

だから高いカメラを触らせてもらったら、最初の一枚を勝手に撮るのはやめておいたほうがよさそうだ。

わたしにはよくわからない。

よくわからないが、世の中には「最初のシャッター」という概念が存在するらしい。

またひとつ、人間の取り扱いが難しくなった。