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クソリプ禁止という雑な看板
「クソリプ禁止」と書いても、何をクソリプと呼ぶのかは本人にしか分からない。実態は「異論反論は私から見えにくいところでお願いします」ではないか。リプ欄を閉じる自由と、公開した意見が外で批判されることは別の話である。
善意のキャベツ
静岡大学馬術部の、馬の近くにキャベツと人参を置いていった人への注意喚起を見かけた。動物に食べ物をあげるのは良いこと、という雑な善意は、相手が管理している命に勝手に触る行為になる。善意はだいたい善意だが、勝手に置かれたキャベツは、もう善意ではなく管理外のリスクである。
「見ていて不快だから禁止」を公平に運用すると
同性婚を「見ていて不快だから反対」と言う人がいた。不快に思う自由はあるが、その感情を他人の禁止へ直結させると、最後には全員が何らかの理由で禁止対象になる。もちろん、わたしもかなり早い。
撮り鉄はフィジカル系オタクなのか
撮り鉄は、知識を集めるオタク趣味でありながら、遠征、場所取り、高価な機材、一期一会の撮影まで要求されるフィジカルな推し活である。アイドルライブとの違いは、その熱量を管理する運営者がほぼいないことかもしれない。
本物のファン証明を求める人たち
W杯を現地観戦した女性インフルエンサーへの誹謗中傷の話から。本人が昔からのサッカーファンだと説明するのは自然だが、本当はニワカでも現地に行っていい。観戦にファン資格試験はいらないのではないか。
空気警察がやって来る
SNSに持ち込まれる家庭内の「空気が読めない」問題を、釣りの後片付け、空気警察、空気裁判所として眺めた話。家庭内で読めない空気を、外部の空気警察に判定してもらう感じがある。空気は読めないのに、判決だけはよく出る。
SNS禁止より情報の免疫をつけたい
子どものSNS利用制限は各国で進んでいる。その流れの中で英国も16歳未満のSNS禁止方針を具体化した。禁止の是非はさておき、子どもがアルゴリズムに偏った情報を浴び続ける怖さはある。必要なのはSNS禁止だけではなく、情報の免疫なのだと思う。
視聴率は清らかなエンゲージメントだったのか
Reuters Digital News Report 2026でニュース源としてSNS・動画がテレビやニュースサイトを上回った。クリエイター批判は分かるが、視聴率と広告主、そして予算縮小に揺れる従来メディアがそこを言うのか、という話。
嫌な気持ちは判決ではない
Togetterで見た梅酒の瓶が割れた話から、「嫌だったね」と受け止めることと、「だから相手が悪い」と判定することは別ではないか、と考えた。感情は大事だが、判決文ではない。
実話怪談に警察が出てくる
ベトナムでSNSの実話怪談風投稿が虚偽情報として行政処分を受けた。日本の感覚だと、幽霊より警察が出てくるほうが怖い。観光地の信用、SNSデマ、表現の自由の境界を冗談半分で考える。
それは社会正義や常識ではなく、あなたの不便では
美味しそうなグルメ投稿に店名が書かれていないことへの指摘を見た。店名がないと不便なのは分かる。でも、その不便を社会正義や常識やマナーっぽい言葉に変換して人を責める感じには少し引っかかる。グルメ投稿は公共情報サービスではなく、まずはその人の感想なのではないか。
テレビではなく情報の日光浴が足りない
若者のテレビ離れと常識の話を見た。問題はテレビを見ないことではなく、受動的に広い情報を浴びる機会が減ったことではないか。SNSのパーソナライズ部屋から時々出て、NHKニュースくらいの情報の日光浴をしたほうがいい。
最初のシャッターが大事な人たち
Togetterで見かけた「高いカメラの最初のシャッターを他人に切られた」話から、新品の最初の一回、開封動画、古本育ちの機能重視の感性まで考えた。所有には儀式があり、勝手に触るなではなく儀式を奪うななのかもしれない。
4800万円のロゴと3000円の晩ごはん
IPAのリブランディングが4800万円超というニュースを見て、高い・無駄と反射する庶民感覚をいったん飲み込み、ロゴ制作、調達、受発注、制作費の妥当性を考えた。3000円の晩ごはん感覚だけで公共案件は測れない。
「もしも本当だったら」法を制定しよう
SNSや政治文脈でよく見る「もしも本当だったら」という論法に対して、「もしも本当ではなかったら」も同じ重さで語る義務を法律にしたい、という罰則つきネタエッセイ。雑な可能性がいつの間にか事実扱いされる怖さの話。