出生体重米は、映像などでは記録できない「重さ」を再生する
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Togetter: 結婚式したとき、親への贈呈品に自分の出生体重の米がすごく人気があって貰ってもなぁと思って、花束だけ渡したが今ならわかる… 受け取った瞬間泣き崩れる自信あるわ
結婚式で親に渡す贈呈品として、本人が生まれたときと同じ重さの米を用意する、というものがあるらしい。出生体重米。
最初に聞くと、米をもらってもなあ、と思う。写真や名前が印刷されているとはいえ、米である。しばらく飾るのか、普通に炊いて食べるのか。食べたらなくなるし。
でも、子どもが生まれたあとなら、これを受け取った親が泣く理由も分かる、という話だった。
なるほど。出生体重米が再現しているのは、赤ん坊の見た目ではない。抱っこしたときの重さなのだ。
赤ん坊の写真なら残っている。今なら動画も大量に残っているだろう。泣き声も、寝返りも、初めて歩いたところも、スマートフォンのストレージとクラウドに入っている。
しかし、生まれたばかりの子どもを抱いたときの重さは残せない。
親は出生体重米を持って、単に「3キロくらいだったのか」と数値を確認するわけではない。その重さを腕で受けた瞬間、昔の抱き方や、腕に力を入れた感じや、落とさないように妙に緊張していたことまで思い出すのかもしれない。
もちろん米袋は赤ん坊とは全然違う。硬い。冷たい。手足も動かない。赤ん坊としての再現度はかなり低い。
それでも、重さだけで何かが戻ってくる。というか想像してみると、ぐっすり寝てしまった赤ん坊に近い抱っこしにくさをいい感じで再現していそう。
こういう、視覚や聴覚ではない五感の記憶はほかにもある。
昔住んでいた東北の実家で、冬の廊下を歩いたときの足の裏の冷たさ。とっくに亡くなった秋田の祖父母の家に入ったときの、何が混ざっているのかよく分からない独特の匂い。似た匂いをどこかで嗅ぐと、家の間取りや薄暗さまでもが急に戻ってくることがある。
匂いが古い個人的な記憶を急に呼び起こす現象は、プルースト現象として研究されているらしい。匂いをきっかけにした記憶は、言葉や写真をきっかけにした記憶より古く、感情を伴いやすいとも言われている。匂いによる自伝的記憶についてのレビューを読むと、子どもの頃の記憶が出てきやすいという話もある。
ただ、こういう感覚はなかなか保存できない。
科学技術は、視覚と聴覚の記録と再生がとても得意だ。カメラとマイクがあり、ディスプレイとスピーカーがある。昔の映像も音声も、かなり高い精度で残せる。最近ならば3Dで撮影してVRで再生したりもできる。
一方、匂い、味、手触り、温度、重さは難しい。祖父母の家の匂いをファイルにして保存することはできない。廊下の冷たさを録画しても、足の裏は冷たくならない。赤ん坊の重さをクラウドにアップロードすることもできない。
だから、そういう感覚は本人の中にしか残っていない。似た匂いを嗅いだり、同じ冷たさに触れたりするまで、再生ボタンも押されない。
写真や動画は何度も見返せる。そのたびに記憶を確認したり、少しずつ作り直したりもする。ところが、足の裏の冷たさや家の匂いは、何十年も再生されないまま残っていることがある。だから偶然再生されたときに、古い記憶がまとめて出てくるのかもしれない。
出生体重米は、そんな記録しにくい身体感覚から「重さ」だけを取り出して再生している。ものすごく低解像度なのに、それで十分らしい。
科学技術は、子どもの写真を何万枚も保存できる。4K動画も残せる。音声も残せる。
でも、生まれた日の重さは保存できない。
仕方がないので、米を詰める。
今のところ、その記憶の再生装置は米袋である。