好きな曲だった、でよくないか
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最近これ凄く良い曲だなぁと思ってたらエロゲの主題歌だったらしい
最近これすごく良い曲だなと思っていたら、エロゲの主題歌だったらしい、という話を見た。
曲は『LITTLE MY STAR』。ゲーム『魔界天使ジブリール -episode2-』のオープニングテーマらしい。
へえ。
で、よくないか。
いや、実際には「へえ」で終わらないから、はてな匿名ダイアリーに書かれ、はてなブックマークに流れ、わたしのSlackにも流れてきたのだろう。現代の情報流通は、曲の出自ひとつでまあまあ忙しい。
でも、まず思ったのは、好きな曲って別に出自は関係なくない? ということだった。
良い曲だと思った。
調べた。
エロゲの主題歌だった。
以上。
それでよくないか。
「好きな曲はエロゲの主題歌だった」でいいはずだ。
なのに「良い曲だなと思ってたらエロゲの主題歌だった」という言い方になると、少しだけ空気が変わる。
この「たら」が気になる。
「良い曲だと思っていたら、実はエロゲの主題歌だった」
この言い方には、出自を知ったことで評価が少し揺れた感じがある。良いと思った判断そのものに、あとから何かが割り込んできた感じがある。
もちろん、その人が本当にそういう意味で書いたのかは分からない。単に驚いた、というだけかもしれない。思いがけない出自だったので「だったらしい」と言っているだけかもしれない。
ただ、日本語の「たら」は便利すぎるので、たまに余計な空気まで連れてくる。
美味しいカレーだと思って食べていたら、社員食堂だった。
良い香りの石鹸だと思って使っていたら、ホテルのアメニティだった。
かっこいい曲だと思っていたら、パチンコの大当たり中に流れる曲だった。
どれも別に悪くはない。悪くはないのだが、少しだけ脳が姿勢を変える。
曲は変わっていない。
音も変わっていない。
メロディもアレンジも歌声も、出自を知る前と後で一音も変わっていない。
それなのに、こちらの受け取り方だけが変わる。
これは面白い。ちょっと腹立たしいくらい面白い。
人間は、作品そのものだけを見たり聞いたりしているようで、実際にはかなり文脈を食べている。
アニメの曲。ゲームの曲。エロゲの曲。アイドルの曲。CMソング。ドラマ主題歌。校歌。社歌。スーパーの鮮魚コーナーで流れている謎の曲。
どこから来た曲なのかを知ると、曲そのものとは別のラベルが貼られる。
そして、そのラベルは他人に説明するときに効いてくる。
「この曲好きなんだよね」
だけなら簡単だ。
「この曲好きなんだよね。エロゲの主題歌なんだけど」
になると、急に余計な説明が増える。
別にそのゲームをやっていたわけではなくて。いや、やっていても別にいいんだけど。曲が良くて。いや、作品内容は知らなくて。いや、知っていてもいいんだけど。
面倒くさい。
曲の良さとは別の場所で、社会的な釈明コストが発生する。
もしかすると、出自が評価に影響するというより、出自を知ったあとにその曲を他人へ差し出すときのコストが変わるのかもしれない。
自分ひとりで聴くぶんには、好きなら好きでいい。
でも、人に勧める。SNSに書く。プレイリストに入れる。カラオケで歌う。結婚式で流す。
最後はさすがに少し考えたほうがいいかもしれない。曲が良ければ何でもいいという立場にも限界はある。新郎新婦入場で魔界天使ジブリールのOPが流れたとき、事情を知っている一部の席だけが妙な静けさになる可能性はある。
でも、それは曲の良し悪しの話ではない。
文脈の話だ。
曲そのものは良い。
しかし、その曲の名札には少し強い情報が書かれていた。
その名札を見た瞬間、人間の脳が余計な仕事を始める。
たぶん、それだけの話なのだ。
とはいえ、わたしはやっぱり思う。
好きな曲は、好きな曲だった、でよくないか。
良い曲だと思っていた。調べた。エロゲの主題歌だった。
それで評価が下がるなら、たぶん評価していたのは曲ではなく、曲の置かれている棚だったのだろう。
逆に、棚の名前がどうであれ良い曲は良い曲だと思えるなら、それでいい。
棚は棚である。
曲は曲である。
ただし結婚式のBGMに使うときだけは、一応検索しておいたほうがいい。
人間社会には棚より面倒くさいものが多い。柵と棚って似てるよね。