誕生日ケーキに引き算の美学
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Togetterまとめ: 子供の「無駄なものはなにもいらない、好きじゃないものが混ざってるのは嫌」という理由で選んだ誕生日ケーキが漢らしすぎる、美味しいけどこれでいいのか…?
子どもが誕生日ケーキとして、かなりシンプルなケーキを選んだという話を見た。
理由がよい。
無駄なものは何もいらない。フルーツは好きだけど、好きじゃないものが混ざっているのは嫌。
強い。
誕生日ケーキというものは、かなり記号の食べ物だと思う。丸い。白い。クリームがある。フルーツが乗っている。チョコプレートに名前が書いてある。ろうそくが立っている。箱から出すと、ちゃんとお祝い感が出る。
だから大人はつい思ってしまう。
せっかくの誕生日なんだから、もっと誕生日っぽいやつにしなくていいのか。もっとフルーツが乗っているやつとか。もっとクリームが盛られているやつとか。チョコの飾りがついているやつとか。
誕生日っぽさを盛ろうとしてしまう。
しかし本人にとっては、誕生日とは誕生日っぽい記号を消費する日ではない。好きなものが食べられる日である。
好きじゃないものが混ざるくらいなら、シンプルでちゃんとおいしいもののほうがいい。
これはかなり正しい。
実際、ゴテゴテとデコレーションされたケーキより、シンプルなケーキでしっかり作られたもののほうがおいしい、ということは結構ある。もちろん店によるし、ケーキによる。豪華なケーキがちゃんとおいしいこともある。
でも、盛られていることと、おいしいことは別である。
このへんはサービスやプロダクトにも似ている。
オプションがたくさんある。機能が多い。いろいろできます。全部入りです。そう言われると、なんだか得をしたような気がする。
しかし実際に使うと、メインの機能がぼんやりしていたり、画面がごちゃごちゃしていたり、いらない通知がたくさん来たりする。いろいろ入っているのに、肝心なところが気持ちよくない。
逆に、できることは少ないけれど、メインの機能がきちんと強いサービスのほうが満足度が高いことも多い。
ケーキで言えば、フルーツもチョコも飾りも控えめだけれど、スポンジとクリームがちゃんとおいしい。そういうやつである。
とはいえ、そういうことに気づくのは、だいたい色々経験したあとだ。
子どもの頃は、見た目の派手さにだまされる。というか、だまされたい。すごい色のクリーム。たくさんのフルーツ。チョコの飾り。謎のゼリー。サンタみたいな砂糖菓子。あればあるほど、すごいケーキに見える。
そして食べてみて、あれ、思ったほどではないな、となる。
でも、そこで素直に「これは見た目のわりに微妙だ」とは思わない。いや、こんなに豪華なんだからおいしいに違いない。たぶん自分の味覚が追いついていないだけだ。そうやって自分を説得する。
誕生日ケーキに認知的不協和を持ち込むな。
そう考えると、好きなものだけを選ぶ。好きじゃないものが混ざるくらいなら、盛られていないほうがいい。という判断は、子どもにしてはかなり大人びている。
大人びているというより、余計な欲に濁っていないのかもしれない。
大人は「せっかくだから」と言いながら、よくわからないものを足しがちである。せっかくだから上位プラン。せっかくだから全部入り。せっかくだから記念日っぽいやつ。せっかくだから限定版。
せっかくだから、で足したものが、だいたい邪魔をする。
その点、この子は強い。
無駄なものはいらない。好きじゃないものが混ざるのは嫌。
いい判断基準である。
将来SaaSの料金表を見ても、たぶん一番まともなプランを選ぶ。
誕生日ケーキからそこまで話を広げるな?
でも、だいたいこういうことはケーキに出る。
たぶん。
知らんけど。