友人という言葉の賞味期限
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Togetterまとめ: 高校時代の友人から “絶対に儲かる投資話があるので乗らないか” という電話があり大興奮でこう返したら切られた「これは上手い返し」
高校時代の友人から、絶対に儲かる投資話があるので乗らないか、という電話が来た、という話を見た。
それに対して「すごい、10口やりたいから200万円貸して」と大興奮で返したら電話を切られた、という話である。
返しとしてはうまい。
相手の「絶対に儲かる」を額面通り受け取ったら、じゃあその種銭を貸してくれ、となる。絶対に儲かるのだから問題ない。貸す側も安心。借りる側も安心。全員が幸せになる。ならないから電話が切れる。
そこは分かる。
ただ、私は別のところが気になった。
こういうときの「友人」って何なのだろう。
高校時代の友人。
言葉としては自然だ。文章も短くなる。読者にもすぐ伝わる。知らない番号から電話が来たけど、出てみたら高校時代の友人だった。なるほど。昔の知り合いから急に連絡が来る。そこから投資話。だいぶ嫌な展開である。
でも、友人ならそんな話をしてこないのではないか。
いや、してくる人もいるのだろう。人間はいろいろである。高校時代には普通に仲が良かった人が、その後なんらかの投資話やネットワークビジネスや不思議な水やすごい健康器具の方向へ進むこともある。
だが、その瞬間に、友人というラベルは少し剥がれないか。
友人から投資話が来た。
そう言うと、まだ友人関係が続いているように聞こえる。
でも実際には、高校時代の同級生、昔の知人、かつて友人だった人、くらいのほうが近いのかもしれない。
「高校時代の友人」と「高校時代の同級生」はかなり違う。
同級生は、たまたま同じ学校の同じ時間帯に配置された人である。クラスが同じだった。廊下ですれ違った。体育祭で同じ色だった。卒業アルバムの近いページに載っていた。
友人はもう少し近い。休み時間に話した。放課後に遊んだ。くだらないことを言い合った。何かを貸し借りした。別に定義はないが、少なくともただ同じ校舎にいただけでは友人とは言いにくい。
ところが、昔の話になると、このあたりのラベルが雑になる。
高校の友人。大学の友人。昔の友人。地元の友人。
便利である。
いちいち「高校時代に同じクラスで、当時はそこそこ話していたが、卒業後は特に連絡を取っておらず、現在の親密度としては知人未満だが名前と顔は一致する人物」と書くわけにもいかない。長い。小説の人物紹介みたいになる。
だから友人でまとめる。
分かる。
分かるのだが、絶対に儲かる投資話を持ちかけてきた瞬間に、その人は友人から別の何かに変化している気がする。
人間関係の肩書きは、少し遅れて更新される。
昨日まで友人だった人が、今日突然、投資話を持ちかけてくる人になる。
でもこちらの頭の中の名札は、まだ「友人」のままで残っている。
「友人から投資話が来た」と言うと、友人関係の中に投資話が入り込んできたように見える。
でも実際には、投資話が来た時点で、その人は友人関係の外へ片足を出している。
友人関係を使って金を取りに来る。
これはなかなか重い。
単なる営業電話なら断ればいい。知らない番号なら出なければいい。だが、昔の友人というラベルがついていると、人間は少しだけ話を聞いてしまう。
そこが狙われる。
詐欺や怪しい勧誘は、関係性の残り香を燃料にする。
昔同じ教室にいた。昔一緒に遊んだ。昔少し仲が良かった。その記憶のぶんだけ、電話を切るのが遅れる。
だから、この手の話で「友人」という言葉が出てくると、少し引っかかる。
本当に友人なのか。
元友人なのか。
同級生なのか。
知人なのか。
高校時代に同じ学校に通っていた人は全部友人扱いなのか。
そのあたりは人によって違う。
私はたぶん狭い。友人という言葉をわりと狭く使う。昔のクラスメイトを全部友人とは呼ばない。顔と名前を覚えていても友人とは限らない。
一方で、広く使う人もいる。
高校で同じ学年だったら友人。何回か話したら友人。LINEに残っていたら友人。年賀状を出したことがあれば友人。SNSで相互フォローなら友人。
それはそれで悪くない。人類みな友人に近づいていく。だいぶ平和だ。
ただし、その中から絶対に儲かる投資話が生えてくる。
平和は難しい。