額にハイ or ローを表示しても解決しない
【読むのに約 2 分】
「無い行間を読まない」「見えてない意図を想像しない」などはコミュニケーションにおける最低限の原理原則
「無い行間を読まない」「見えていない意図を想像しない」「妄想と思い込みをやめる」。ちゃんと言葉を発しているなら、そのまま受け取る訓練が必要だ、という話を見かけた。
言っていることは分かる。普通に質問しただけなのに、怒っている、責めている、謝罪を求めている、と勝手に意味を追加されたら面倒である。日本人は行間を読むことに慣れすぎて、存在しない行間まで作ることがある。最近は文章に句読点を付けただけで怒っていると思われたりもするらしい。
ただ、いつでも字面どおりに受け取ればよい、という話でもない。日本語の会話では、本当に行間があることも多い。家族との会話、仕事の相談、冗談、皮肉。全部を言葉どおりに受け取ったら、それはそれで会話が成立しない。
ハイコンテキストな会話が悪いのではなく、話す側と聞く側が別のモードになっていると面倒なのだと思う。
率直に質問しただけなのに、怒っていると受け取られる。遠回しに頼んだのに、ただの雑談として処理される。真面目に言ったのに嫌味だと思われる。冗談なのに説教される。
ローコンテキストとハイコンテキストのどちらかへ統一するより、場面によって切り替え、その切り替えを相手と共有できたほうがよい。
それならば、「今から率直に話すので、そのまま受け取ってください」と前置きすればよいのか?
そんなことを言ったら、「わざわざ率直に話すと言うなんて、これはかなり怒っているのでは」と受け取る人が出てくる。行間を読まないでほしいと伝えるための言葉の存在しない行間を読まれてしまう。
もう人間は、額に現在のモードを表示するべきではないか。「ローコンテキスト」「ハイコンテキスト」。これなら分かりやすい。
と思ったが、SNSを見ているとそれが通じないタイプの面倒な人を見かける。
読む側には十分伝わるように嫌味や攻撃を含ませておく。しかし批判されたら、「そんなことは一言も書いていません」「事実を述べただけです」「質問しただけなのに、勝手に深読みしないでください」と字面へ逃げる。
ハイコンテキストで攻撃し、ローコンテキストで防御する。十分に意図が伝わるけど、責任を問われたときは文字どおりの意味に逃げ込める。
こういう人がいる以上、「書いてあることだけを素直に受け取ろう」を絶対的な原則にもできない。行間を読みすぎる人もいるが、行間を書いておいて、そんなものは存在しないと言い張る人もいるのだ。
もはや公開する文章では、字面どおり読まれても主張が成立し、その行間を読まれたとしても別の嫌な意味にならないように書くしかないのかもしれない。疑問形に反語的なニュアンスを持たせない。関係ありそうな要素を並べて、何らかの結論を読者に想起させない。そこに含みを持たせたなら、それを指摘されたときに否定しない。
もちろん、それをやると皮肉や冗談は減る。どんな文章でも、悪意を持って読めば変な解釈はできる。全部の誤読へ対応するのは無理である。
諦めるか。