ミニマリストはエコというより空間効率厨なのか

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Togetter: ミニマリストに憧れて本とか読んだけど、結局あの暮らしは「必要になったらまた買えばいい」という余裕があるおかげで成り立ってる大量消費社会の極地にいない?

ミニマリストという言葉には、なんとなくエコな響きがある。

持たない暮らし。少ないもので生きる。余計なものを買わない。部屋はすっきり。床が見える。棚に謎のケーブルが溜まっていない。

かなり立派である。

私の部屋にも、何に使うのか分からないケーブルはある。かなり捨てたんだけど、まだまだある。たぶん何かに使う。いつか使う。

そういう立場から見ると、ミニマリストはかなり高度な存在に見える。

ただ、ネットなどでミニマリストの生活を見ると、それは昔ながらの「物を大事に長く使う」というエコとは少し違う気がしてくる。

今使わないものは持たない。必要になったら買う。借りる。外部サービスを使う。コンビニで済ませる。サブスクで済ませる。レンタルで済ませる。都市のインフラを使う。

これは、物を大事にしているというより、所有を最小化して、空間効率を最大化している。

つまり、ミニマリストはエコの達人というより、空間効率厨なんだろう。

昔のエコ=物持ちがいい生活は、物を捨てない。壊れたら直す。古い服を部屋着にする。部屋着が限界を超えたら雑巾にする。雑巾も限界を超えたら、何かよく分からない最後の用途に使う。

一方、ミニマリスト的な生活は、今の自分に不要なものを生活空間から消す。物の寿命より、自分の空間の快適さを優先する。必要になったらまた調達する。

これは、かなり現代的な生活術であり、エコとは違う何かだ。

都市に店がある。通販がある。翌日配送がある。レンタルがある。サブスクがある。お金を払えば、必要なときに必要なものを呼び出せる。

だから、自分の部屋に在庫を持たなくていい。

ミニマリストの部屋はすっきりしているが、そのすっきりは社会全体の物流やサービスや他人の倉庫に支えられている。自分の部屋から物を消しただけで、物質世界そのものから物が消えたわけではない。

ここまで来ると、個人の所有から社会での共有へ、という話にも見えてくる。

自分の家には置かない。必要なら社会のどこかにあるものを使う。自分の倉庫を小さくして、社会全体の倉庫や物流やサービスを前提にする。

そう考えると、ミニマリストはある意味で社会主義・共産主義的な生活にも見える。個人で所有せず、共有されたリソースを必要なときに使う。

もちろん実態はだいぶ資本主義的である。お金を払ってレンタルし、サブスクし、買い直す。共有財産というより、社会に有料で預けた外部在庫を呼び出している。

共産主義というより、月額課金制の共有社会。

もちろん、それが悪いという話ではない。

家賃の高い都市部で、使わないものを置くために床面積を使うのはかなり高い。家に在庫を抱えるより、必要なときだけ外部から調達するほうが合理的な場面は多い。

一畳分の不要物を減らせるなら、それは毎月いくらの家賃を削っているのか、という話でもある。

だから、ミニマリストは貧乏生活というより、かなり贅沢な生活術にも見える。

物を持たないためには、物を持たなくても困らない環境がいる。必要になったら買えるお金がいる。買い直せる店がいる。すぐ届く物流がいる。忘れ物をしても何とかなる街がいる。

ものすごく身軽に見えるけれど、その身軽さは社会の側に荷物を預けているから成り立っている。

登山でいうと、自分のリュックに荷物は入れず、山小屋と補給路と宅配便が整備されている山道のみ歩く感じか。

便利ではある。

ただ、それを自給自足的な清貧と同じようなものと考えるとだいぶズレてしまう。

ミニマリストは、省資源の思想というより、効率厨が省スペースに一点集中した思想なのだと思う。

所有しない。保管しない。管理しない。必要なときだけ使う。

それはそれで合理的だ。

ただし、エコという顔をしているときは、少し眉に唾をつけたくなる。

物を長く使う人と、物を持たない人は、似ているようでかなり違う。

前者は物の寿命を延ばす。後者は自分の生活空間から物を消す。

どちらが偉いかは、場合による。

ミニマリストは、物を大事にする人ではなく、空間を大事にする人。

そう考えると、だいぶ納得しやすい。

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