元を取るの元は何か
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「元を取る」という概念がある。
払ったコストと得たものの収支バランスがプラスになっている、みたいな意味合いで使われることが多いと思う。
食べ放題などでは、かなりわかりやすく語られる。
食べ放題の料金が3000円だったとする。単品で頼んだら合計3500円分くらい食べた。だから、元を取った。
わかる。
わかるのだが、少し引っかかる。
それは元なのか。
そもそも、元とは何なのか。
「元」という言葉には、その物品やサービスの元、由来、本来の値段、みたいなものがあるような印象がある。
どこかに絶対的な指針となる元がある。
自分が払ったお金に対して、それを満たしているのか。超えているのか。足りていないのか。
そういう天秤がどこかに存在しているような気がする。
でも、実際にはそんなものはないのではないか。
ある商品がある。
その原材料はいくらだったのか。
どこから仕入れたのか。
誰が運んだのか。
どのくらいの量をまとめて買ったのか。
どんな機械で加工したのか。
誰が料理したのか。
どんな場所で提供したのか。
その店の家賃はいくらなのか。
その日の客入りはどうだったのか。
廃棄ロスはどれくらい出たのか。
そういうものが全部乗って、価格になる。
しかも価格は、作られる前だけで決まるわけではない。
売れなければ値下げされる。
人気が出れば値上がりする。
季節によって変わる。
場所によって変わる。
同じ水でも、スーパーで買うのと、観光地の売店で買うのと、真夏の屋外イベント会場で買うのとでは値段が違う。
どれが本来の値段なのか。
わからない。
たぶん、本来の値段などというものはない。
「元を取る」という言葉は、まるでその物品やサービスの奥底に、原石のような「本当の元」が埋まっているような感じを出す。
しかし実際には、その元はけっこうぐにゃぐにゃしている。
かなり不安定である。
食べ放題の単品価格換算に関してもそうだ。
単品で頼んだら3500円分食べた。食べ放題は3000円だった。だから500円得した。
わかる。
食べているときに、わたしもたぶん少し考える。
この肉は単品ならいくらだろう。
このデザートまで食べれば勝ちではないか。
勝ちとは何か。
しかし、その単品価格は、店が別の売り方をした場合の値段である。
仕入れ値でもない。原価でもない。材料費でもない。
食べ放題というサービスの中で、単品価格という別ルールの数字を持ち込んで、勝敗判定をしている。
競技が変わっている。
野球をしている途中で、急にサッカーの得失点差を持ち出しているような気がしなくもない。
一方、原価の話になると、今度は急に材料費だけを見る人がいる。
この料理の原価は何円。
このドリンクの原価は何円。
だから高すぎる。
みたいな話である。
それもまた違うだろう、と思う。
材料だけ渡されても困る。
肉の塊、野菜、調味料、未洗浄の食器、厨房、ガス、レシピ、片付け。
それらを全部自分でやるなら、もうそれは外食ではない。
食べ放題に行ったつもりが、業務用スーパーと料理教室のチケットを渡されても困る。
元を取るというのは、原料価格相当で入手することではない。
加工したり、運んだり、保存したり、並べたり、売ったり、片付けたり、そういう原料から製品やサービスになるまでの過程にかかるコストも、そこに含まれて当然である。
そう考えると、「元を取る」とは、思ったほど客観的な計算ではない。
食べ放題で単品価格換算をする。
サブスクで月額料金を利用回数で割る。
ホテルの朝食で、食べたものをコンビニ価格に換算する。
やっていることはわかる。
わたしもたぶんやる。
でも、それは本当の元を測っているのではない。
自分の中の納得感を、数字っぽいもので補強しているだけなのだと思う。
「これなら損してないよね」と自分に説明するための儀式である。
サブスクは特にそうだ。
月額料金を払っているから、何本見れば元を取れるのか。
ジムに何回行けば元を取れるのか。
読み放題サービスで何冊読めば元を取れるのか。
計算したくなる。
しかし本当は、回数だけではない。
一回しか使っていなくても、その一回がものすごくよければ満足することもある。
逆に何十回使っても、なんか義務みたいになってくると、元を取っているのか、別の何かを失っているのかわからなくなる。
元を取るために食べる。
元を取るために見る。
元を取るために通う。
こうなると、もうだいぶ怪しい。
お金を払ったあと、そのお金に追い立てられている。
自分が払った料金が、あとから自分に義務を果たさせに来る。
それは本当に得なのか。
かなり怪しい。
たぶん「元」とは、実際の原価ではない。
本来の値段でもない。
自分の中にある期待値だ。
払った金額に対して、これくらい楽しめるはず。
これくらい便利なはず。
これくらいお腹いっぱいになるはず。
これくらい気持ちよくなるはず。
そういうぼんやりした内なる見積もりがある。
それを超えると「元を取った」と感じる。
下回ると「損した」と感じる。
つまり、元を取るとは、経済の話をしているふりをした感情の帳尻合わせなのだと思う。
心の会計処理である。
食べ放題で単品価格換算に勝っても、腹が苦しくて帰り道に後悔していたら、たぶん元は取れていない。
逆に、料金分ほど食べていなくても、美味しく食べて、気分よく帰れたなら、それはもう十分に元を取っている。
元は財布の中ではなく、心の中にある。
急に自己啓発みたいになってきたな。