日本語の悪口は遠回りする
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Togetter: 会社の帰国子女、指示が気に食わないとき「日本語は罵倒表現が少ない!」って英語で何やらめっちゃ罵ってくるので「ダンジョン飯のあのシーンだ!」って感動する
日本語は罵倒表現が少ない、という話を見た。たしかに英語の悪態みたいに、短く、強く、面と向かって投げつける言葉は、現代日本語ではあまり日常的ではない気がする。
もちろん日本語にも罵倒語はある。古語や方言まで掘ればかなり出てくるだろう。ただ、現代人がふだんの会話で使える手持ちは意外と少ない。あまり古い言葉を持ち出すと、「この唐変木め」みたいに急に落語になってしまう。
でも、それは日本語話者に攻撃性がないという話ではない。たぶん出口が違う。面と向かって罵倒することにはあまり慣れていないが、婉曲に罵倒するのはかなりうまい。直接殴るより、言葉を遠回しに刺す。
たとえば、いわゆる京都的な嫌味がある。「えらい元気なお子さんですね」のような、文字だけ見ると褒めているのに、文脈では明らかに注意しているあれだ。京都の伝統芸能のように扱われがちだけど、実際には京都だけの話ではない。東京でも会社でも親族間でも、似たようなものはいくらでもある。
「いい意味で個性的ですね」「私にはできないです」「そこまで言えるの、逆にすごいですね」。こういう言葉は、辞書で引けば罵倒語ではない。むしろ褒め言葉に見える。でも意味としてはかなり直接的な非難になる。日本語の悪口は、語彙より運用に宿る。
陰口も同じだ。本人に直接言わず、別の誰かに話す。そこで反論されなければ、なんとなく同意されたような気分にもなれる。もちろん、相手が本当に同意しているとは限らない。黙って聞いていただけかもしれない。その後の人間関係は、まあ推して知るべしである。
つまり、日本語に罵倒表現が少ないのではなく、面と向かって罵倒する文化の流通量が少ないのかもしれない。その代わりに、敬語、陰口、遠回しな否定、褒め言葉風の小さな刃物が発達する。場にそぐわないほどの丁寧な表現が罵倒的意味合いを帯びる、など通じる人は限られるだろう。
日本語の悪口は遠回りする。しかも遠回りしているぶん、たまに本人にも届かない。届かないなら平和かというと、そんなこともない。届かない悪意は、別の場所にたまって、だいたい面倒な形で爆発する。