視聴率は清らかなエンゲージメントだったのか

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INTERNET Watch: 日々利用するニュースの情報源、ソーシャルメディアが初めてテレビやニュースサイトを上回る。ロイター調べ

Reuters Institute: Overview and key findings of the 2026 Digital News Report

Social Media Today: Social media is the leading source of news, per Reuters

Reuters Institute の Digital News Report 2026 で、ニュースの情報源としてソーシャルメディアと動画ネットワークが、テレビやニュースサイトを上回った、という話を見た。

数字としては、ソーシャルメディアと動画ネットワークが54%、テレビが52%、ニュースサイトとアプリが51%。

テレビとの差は2ポイントなので、これだけで「テレビ終了」と言うのは早い。ただ、ニュースがフィードに流れてくるものになっている、という傾向ははっきりしている。

気になったのは、その先のクリエイター批判である。

オンラインクリエイターは、正確さよりもエンゲージメントやスポンサーに動かされやすい。AIチャットボットも、検証されないまま受け入れられる危険がある。

まあ、分かる。ネットには煽りのために作られたような動画も多い。再生数とスポンサーで右往左往する感じも、たしかに見える。

ただ、その話をするときに、従来メディア側が急に公正無私を装った白い手袋をはめる感じが気になる。

クリエイターはエンゲージメントに弱い。なるほど。では、視聴率は何だったのか。部数は何だったのか。PVは何だったのか。週刊誌の中吊り広告は、すべて正確さだけを考えて作られていたのか。

そんなわけがない。

従来メディアにも、広告主がいた。視聴率があった。部数があった。スポンサーがあった。記者クラブがあった。政治家との距離があった。放送免許があった。系列があった。

もちろん、だから従来メディアは全部だめだ、と言いたいわけではない。新聞社やテレビ局が積み上げてきた取材力はある。法廷、行政、災害、国際報道のような領域では、個人クリエイターだけでは難しい仕事も多い。

ただ、その正確さは無料ではない。人を雇うにも、現場に行くにも、確認に時間を使うにも、校閲やデスクや法務に回すにも金がいる。従来メディアが一定の正確さを保てたのは、倫理観だけではなく、そこに金があったからでもある。

ところが、その前提はだいぶ怪しくなっている。ネットメディアとプラットフォームに広告費と読者の時間を持っていかれ、従来メディアは細っている。昔はできた取材、昔は置けた人員、昔は持てた余白が、これからも同じように残るとは限らない。

予算がなくなったとき、事実確認や訂正対応や踏みとどまる編集判断のコストを最後まで払えるのか。そこを見ないまま、昔の名刺で信用してくださいと言われても、生返事しかできない。

ネットのエンゲージメントは露骨だ。再生数、いいね、リポスト、コメント、登録者数。全部が画面に出る。かなり俗っぽい。

一方で、従来メディアの俗っぽさは構造に溶け込んでいる。広告枠、スポンサー名、番組改編、記者クラブ、業界とのお付き合い。見えにくい俗っぽさは、本人たちの中で制度や責任や公共性の顔をする。そこがずるい。

YouTuberが案件動画を出すと、案件だなと思う。分かりやすい。テレビ番組がスポンサーに配慮した構成になっていても、それは番組編成であり、営業上の判断であり、大人の事情であり、なんとなく空気になる。たいへん便利である。

だから、ネットメディアやクリエイターを批判するなら、同じ物差しで従来メディアも測ってほしい。エンゲージメントに弱いのか。視聴率に弱かったのか。スポンサーに弱いのか。広告主に弱かったのか。

もちろん、ネット側の問題は深刻だ。アルゴリズムは説明しない。短尺動画は文脈を削る。AIチャットボットはもっともらしく間違える。陰謀論も気持ちよく消費される。これはこれで十分にまずい。

でも、ニュースが急に汚れたわけではない。昔から汚れていた。違う汚れ方をしていた。今はその汚れが、エンゲージメントという名前で見えるところに出てきた。

従来メディアとネットメディアを比べるなら、「どちらが清いか」ではなく、「どの圧力に弱いか」「その圧力がどれくらい見えるか」「訂正や検証の仕組みがどれくらい働くか」で見たほうがいい。

それぞれに得意なことがあり、それぞれに腐り方がある。

この腐り方を比較しないメディア論は、だいたい説教になる。

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