本を全部血肉にしなくていい
【読むのに約 2 分】
「本の内容を覚えていないなら読んだ意味がない」という話を見た。
こういう話になると、読書が急に道場になる。
本を読む。内容を覚える。自分の中で噛み砕く。血肉にする。知性が高まる。はい、次の本へ。
流れとしてはきれいだ。きれいなのだが、トレーニングジムみたいでもある。
ちゃんとした本を月に5冊読んで、しっかり自分の中で噛み砕き、血肉とする。
この言い方は、本というものへの信仰が強すぎる気がする。本は知性を身につけるために読むもの。本は人格形成のために読むもの。本はありがたい栄養なので、いただいたら残さず吸収しましょう、みたいな感じである。
いや、そういう本もある。
人生の後ろでBGMのように流れ続ける本はある。何年も前に読んだ一節だけが、変なタイミングで頭に出てくることもある。読んだときは分からなかったものが、あとから効いてくることもある。そういう読書はたしかにある。
ただ、本は全部そうではない。
しょうもない本もある。
暇つぶしの本もある。
読んでいる間だけ楽しくて、翌週にはきれいに消えていても別に困らない本もある。
途中まで面白かったのに、途中から明後日の方向に走り出す本もある。読んでる途中で「なんでこんな本読んでるんだろう」と思う本もある。それも読書の結果ではある。全部を吸収して血肉にするには強力な消化器が必要になる。
そもそも「本の内容を覚えている」とは何なのか。
一字一句覚えているのか。
章立てを言えるのか。
主張を3点で説明できるのか。
一箇所だけ線を引いた場所を覚えていればいいのか。
「なんか好きだった」「ちょっと苦手だった」「たぶんこの著者とは合わない」くらいでも、何かは残っているのではないか。
このあたりを決めないまま「覚えていないなら意味がない」と言うと、読書が急に小テストになる。
本を閉じた瞬間、うしろから先生が出てきて「では内容を300字以内で説明してください」と言う。嫌である。わたしは本を読んでいたのであって、抜き打ちテストを受けていたわけではない。
もちろん、勉強として読む本なら覚えたほうがいい。仕事で必要な本なら、あとで使える形にしたほうがいい。読書会の課題図書なら、多少は話せたほうが楽しい。
でも、それは読書の一部であって、読書全部ではない。
読書には、栄養もある。おやつもある。ジャンクフードもある。試食もある。買ったあとで「これは違ったな」と思う失敗もある。全部を健康食品にしなくていい。
本を神棚に飾らなくていい、ということかもしれない。
読んだ本を全部ありがたく覚えて、全部自分の中で噛み砕き、全部血肉にする。そうできたら立派だが、だいぶ消化器系が強い人の話である。
わたしはもう少し雑でいいと思う。
覚えている本がある。忘れた本がある。読んだことだけ覚えている本がある。読んだことすら忘れて、あとで本棚を見て「これ読んだっけ」となる本もある。
それでも、読んでいる間に少し楽しかったなら、それで十分な本もある。
本をいつも正座して迎えなくてもいい。