嫌な気持ちは判決ではない

【読むのに約 3 分】

Togetterまとめ: 梅酒の瓶が割れてリビング中が梅酒とガラス片だらけなのに、次女が一瞬の隙にピチャピチャ遊びだしたので大声で怒ってしまいギャン泣き…後から長女にごめんねを要求された

Togetterで、梅酒の瓶が割れてリビングに梅酒とガラス片が広がった、という話を見た。そこへ1歳の次女が近づいて、というか、梅酒で遊び始めてしまったらしい。

それは大声が出るだろう。

床にガラス片がある。アルコールもある。相手は1歳である。優しい声で「そこは危ないから、こちらに来ようね」と言える場面もあるだろうが、この場面ではたぶん非常停止ボタンが先に押される。

ただ、この話で少し引っかかったのは、大声を出された1歳の次女ではなく、それを見ていた5歳の長女が、あとから「大きい声が嫌だった」と言ってきたところだった。

5歳の長女から見れば、妹が大声で止められた。お母さんがいつもと違う声を出した。床を片付けながら本も雑に扱われた。いや、それは嫌だっただろうなと思う。

嫌だった、と言えるのは悪いことではない。むしろ、ちゃんと言葉にできていてえらいくらいの話ではある。

問題は、その次だ。

「嫌だったね」と受け止めることと、「だから相手が悪い」と判定することは、同じではない。

この2つを混ぜると、話が急にややこしくなる。

嫌な気持ちになった、というのは大事な情報だ。そこを無視していいとは思わない。怖かった。びっくりした。悲しかった。そういう感情は、まず本人にとって本当のことだ。

でも、それは世界の判決文ではない。

今回なら、長女が「嫌だった」と言ったことはそのまま受け止めていい。

「そうだね。びっくりしたね。大きい声だったね」

そこまでは言える。

ただ、そのあとに「でも、ガラスがあって危なかったから、急いで止めたんだよ」も同時に言えるはずだ。

謝ることと、撤回することは違う。

怖がらせたことは、ごめん。

でも、止めたことは間違っていない。

危ないことがあれば、次も大きな声で止めることはある。

これを1歳に言って通じるかというと、たぶん通じない。5歳にも全部は通じないかもしれない。というか、大人にも通じないことがある。

ただ、ここには段階の話もありそうだ。

小さい子どもには、まず世界をかなり単純にして渡す必要がある。「嫌なことをしたらごめんなさいする」「相手が嫌だと言ったら聞こう」。最初から例外だらけのルールを渡しても、たぶん持て余す。

ただ、どこかで次の話が出てくる。嫌な気持ちになったとしても、相手には相手の理由があるかもしれない。必要な制止だったかもしれない。嫌だったことと、相手が間違っていたことは、いつも同じではない。

この切り替えが難しい。5歳はその入口にいるのだろうし、大人もたまに入口で渋滞している。

自分が嫌な気持ちになった。だから相手が悪い。だから謝るべきだ。だから次からしてはいけない。

この流れは、とてもシンプルだ。シンプルで便利だ。自分の気持ちをそのまま社会のルールに変換できる。かなり強いカードである。

でも、そのカードをいつでも出していいことにすると、非常停止ボタンまで「音が大きくて不快なので改善してください」と言われかねない。

もちろん、大声を出せば何でも許されるわけではない。危険でもないのに怒鳴るのはよくないし、子どもを怖がらせ続けていいわけでもない。そこは別の話として普通にある。

ただ、必要な制止まで「嫌な気持ちにさせた」という理由だけで悪いことにしてしまうと、生活はかなり不自由になる。

子ども相手の話に見えるけれど、大人の世界にも似たようなことはある。注意されたら傷ついた。ルールを守れと言われて嫌だった。誰かの言い方が怖かったので、言っている内容まで悪いことにしたくなる。

気持ちは気持ちとしてある。そこは消えない。

でも、その気持ちを材料にして、何が起きたのか、なぜそうしたのか、ほかに方法があったのか、次はどうするのかを考える必要がある。

などと書くと、急に教育論っぽくなる。

だが、元は梅酒とガラス片の話である。リビングに梅酒。床はべたべた。小さい子どもは泣く。夕食の時間はずれる。片付ける人は手を切る。想像するだけで、もうだいぶ嫌だ。

その場で理想的な言葉だけを選ぶのは難しい。

だから、あとから言い直すくらいでいいのではないか。

「怖かったね。嫌だったね。大きい声でごめんね。でも、あれは危なかったから止めたんだよ」

これくらいが、いちばんしっくりくる。

嫌な気持ちは大事だ。

でも、判決ではない。

判決を出すには、床掃除を終わらせて一息つくくらいの時間は必要だ。

View as Markdown · Open in Claude · Open in ChatGPT